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« 原民喜 望鄕 (オリジナル詳細注附) | トップページ | 反古のうらがき 卷之二 獵師 »

2018/09/09

反古のうらがき 卷之二 狐

 

   ○狐

 はるの日、長き頃、王子稻荷のあたりに、花見る人多かりける、「裝束榎(しやうぞくえのき)」といへるは、稻荷の祠より、北、四、五町隔りて、田の中にあり。是なん、

「歳(とし)のつごもりに、狐ども、寄合(よりあひ)て狐火たくとき、此榎のもとにて、裝束改(あらたむ)る。」

といゝ[やぶちゃん注:ママ。]つたへたる所なり。

 此あたりは、つくづくし・たんぽゝなど、多く生出(おひい)で、飛鳥山の花見る人のかへるさに、立寄りて遊ぶ人も多かり、亦、酒に醉(ゑひ)たる人などは、此邊にて狐にたぶらかされ、食物など奪はるゝ者も、まゝありける。

 ある日、壹人の侍有りて、黑き縮緬(ちゞり)の羽織高くかゝげ上(あげ)て腰にはさみ、大小(ふたふり)の刀、おとし差(ざし)にして、衣のすそ高くかひまくりて、深田の中をあちこちと行けり。

 見る人、

「こは、ふしぎの人也。定(さだめ)て、狐にばかされたるらん。あな、笑止のこと也。」

など、いゝあへり。

 此侍、あたりに人あるもかへりみず、ひたもの、田の内を行かへり、又は立止りなどしける。

 此あたりの田は人の膝より深く、殊に春の水をせき入れたれば、もゝのあたり迄、踏込(ふんごみ)たり。

 田の主、見つけて、これを制(とゞめ)せんとするに、餘りに立派(ひとがらよき)の侍なれば、下人の如く、しかりのゝしるも如何(いかが)なり、しばし立(たち)て其樣を見るに、實(げ)にもゆめ心にみへたれば、遙に聲をかけて、

「御侍は、先程より、そゞろなることなし玉ふ。定めて狐の見入(みいり)たるならん。はやばや、眞心(まごころろ)に立歸り玉へ。魚類など持(もち)玉はゞ、はやばや、打捨玉へ。」

など、告(つげ)さとしけれども、折ふし、南風の少し吹(ふき)たるに、風に逆らひて聲の通じ兼たるに、田の面(おもて)二十間斗(ばかり)も隔たれば、唯、聲のみ聞へて言葉の分り兼たるにや、唯、こなたへ打向ひて、

「今しばし、許し玉へ。」

といゝて、再び、かへりみだにせざれば、

「こは、いよいよ、狐の見入たるに相違なし。あら、笑止々々。」

といふまゝに、打どよめきてのゝしりけり。

 是を見る人、日の暮るゝもしらず、田のまの細道、打めぐりて、男女(なんによ)おし合(あひ)、或は田のくろ踏(ふみ)はづし、足腰、泥にまみるゝなどするも、多かりけり。

 しばしありて、侍は、田の水の淸きあたりにて、足に付きたる泥沙(どろすな)、あらひ落し、淸らかなる手拭、取出で、面より手足迄洗ひて、衣のたもとよりは藤くらの草履、取出(とりいで)て足にはき、こなたの方に向ひ來る。

 人々、

「扨こそ、心付たるよ。又、如何にするやらん。」

などいひて、打圍(うちかこ)みて見るに、侍もおどろき、

「人々は、初(さき)より何をか見玉ふ。吾も先程より心を付て見るに、人々の見玉ふ物の目に入らざれば、今、態々(わざわざ)こゝに來りて問ひ侍るなり。」

といへば、人々、大(おほい)に笑ひて、

「いよいよ狐にたぶらかされしに疑ひなし。吾が輩何をか見ることの外にあらん、其許(そこもと)が、先(せん)より、田の内、あちこちと狂ひ玉ふ樣(さま)、狐の見入たるに疑なければ、扨は打寄て見侍るなり。今は心も付(つき)て泥より出(いで)玉ひたるかと思へば、猶、又、そゞろ言(ごと)の玉ふは、如何に。はやばや、心を付(つけ)玉へ。」

といふに、侍、打笑、

「扨は、さることありけり。吾は兩の足に雁瘡(がんかさ)といふ惡瘡ありて、如何(いかに)療治すれども、癒へず。さる醫のおしへけるは、『春の頃、田の内に入(いり)て、蛭(ひる)に血をすわする[やぶちゃん注:ママ。以下も同じ。]が妙也』といふに任せて、先(せん)より蛭のおらんあたり、あちこちもとめて、こゝろの儘に血を吸わせ侍る。今は心地もよく、痒味(かゆみ)も少し忘れたれば、一度(ひとまづ)家に歸り、又の日、來りてかくせんと思ひ侍る也。そを狐に見入られたると誤り玉ふ人々は、ことわりに似たれども、他人のする態(わざ)、とくとも見定めで、一圓(いちゑん)に狐にたぶらかさるるよとて、多くの人々、今、日のくるゝ迄、推合(おしあひ)て見玉ふは、かへりて、狐に見入られたるに似て見え侍るなり。はやばや歸り玉へ。此あたりは日暮より實(げ)に狐の害あり。吾は、ほとり近き所のもの也。さらば、いとま申さん。」

とて、先に立て歸りければ、人々、面目なくて、各々ちりぢりに歸(かへり)けるとなん。

[やぶちゃん注:擬似怪異滑稽譚。構造や展開に如何にもな作話性を感じるが(特にオチの武士の台詞はまさに落語である)、あったとしてもおかしくない。怪異否定派の現実主義者桃野にして、会心の話柄ではあろう。

「王子稻荷」落語「王子の狐」でも知られる、現在の東京都北区岸町にある東国三十三国稲荷総司とする王子稲荷神社。ここ(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「王子稲荷神社」によれば、『荒川流域が広かった頃、その岸に鎮座した事から名付けられた。また、治承四』(一一八〇)『年に源頼朝より奉納を得たという』。『徳川家康が王子稲荷、王子権現、両社の別当寺であった金輪寺に宥養上人を招いて以降、江戸北域にあって存在を大きくした』。「江戸砂子」(俳人菊岡沾涼の著になる江戸の地誌及び案内書でムック本のはしり。享保一七(一七三二)年刊)の『王子稲荷の段に』は『以下の』ように『記されている』。

『狐火おびただし、この火にしたがひて、田畑のよしあしを所の民うらなふことありといふ』。

『狐火にわうじ田畑のよしあしを知らんとここに金輪寺かな』

『年毎に刻限おなじからず、一時ほどのうちなり。宵にあり、あかつきにありなどして、これを見んために遠方より来るもの空しく帰ること多し、一夜とどまれば必ず見るといへり』。

『毎年大晦日の夜、諸国のキツネ、社地の東、古榎のあたりにあつまり、装束をあらためるといい、江戸時代、狐火で有名であった』(下線太字やぶちゃん)。『「関東八州」の稲荷』『の総社と観光紹介されるようになっているが、元来は東国三十三国の稲荷総司の伝承をもっていた』。『社伝には「康平年中』(一〇五八年から一〇六四年)、『源頼義、奥州追討のみぎり、深く当社を信仰し、関東稲荷総司とあがむ」とある。この「関東」を中世以来』、『別当寺金輪寺は、陸奥国まで含む「東国三十三国』『」と解釈してきた。「三拾三ケ国の狐稲荷の社へ火を燈し来る」との王子神社の縁起絵巻「若一王子(にゃくいちおうじ)縁起」(紙の博物館蔵)の付箋』『が示す通り』、『江戸中期までは神域に「東国三十三国」の幟、扁額を備えていた』。「寛政の改革」(天明七(一七八七)年~寛政五(一七九三)年)『時に幕府行政の上からの干渉を受けて以降、関八州稲荷の頭領として知られるようになった』。『「三十三国」とあるが、北陸道・東山道・東海道を全部あわせても東国は』三十『国しかない』。三十三『という数字は全令制国の合計』六十六『国を半分にした観念的な数字とする説、平安時代までに廃止された諏訪国・石城国・石背国を加えたものとする説、当時「蝦夷ヶ島」と総称された渡党(わたりとう)・日本(ひのもと)・唐子(からこ)を加えたとする説などがある』とある。「花見る人多かりける」と本文にあるように、桜の時節には特に賑わった。

「裝束榎といへるは、稻荷の祠より、北、四、五町隔りて、田の中にあり」知られた歌川広重の「名所江戸百景」の「王子裝束ゑの木大晦日の狐火」の絵のそれ(リンク先はウィキの「王子稲荷神社」のもの)。「四、五町」は約四百三十七~五百四十五メートル半。しかし、夢見る獏氏のブログ「気ままに江戸♪ 散歩・味・読書の記録」の「装束榎の大晦日の狐火 (江戸の歳時記)」を見ると、現在の「装束稲荷神社」について、『装束榎が切り倒された跡、装束榎の碑が、もとあった場所から北西に』六十メートルの『ところに移され』たものとある。それはここ(グーグル・マップ・データ。以下、同じ)なのだが、「夢見る獏氏」のここでの叙述に従って『装束榎が切り倒された跡、装束榎の碑が、もとあった場所』を探ると、この「柳田公園」の北西の交差点位置となって、ここは王子稲荷神社からは真東で、四百七十六メートルで(但し、氏は別に旧装束榎があったの『王子駅近くの北本通りの』『交差点の真ん中あたり』であったとされ、昭和四(一九二九)年の『道路拡張のため切倒されてしま』ったと記しておられる。推理するに、私が示した「柳田公園」から西へ二ブロックのの交差点であるが、ここは王子稲荷神社からはもっと短くなってしまう)、位置がおかしい。そこで「江戸名所図会」なども調べて見たのだが、この装束榎の位置は実ははっきりとは書かれていないのであった。されば、桃野の「北、四、五町」も怪しく、結果、この「夢見る獏氏」の考証が総合的に最も信頼の措ける物のように私には思われた

「つくづくし」土筆。

「飛鳥山」王子稲荷神社の南東直近にある、現在の飛鳥山公園(グーグル・マップ・データ)。享保年間に行楽地として整備された。今も桜の名所である。

「おとし差(ざし)」刀を無造作に、垂直に近い形で腰に差すだらしない差し方を言う。

「ひたもの」副詞。「いちずに・ひたすら・やたらと」。

「そゞろなること」なんともわけの判らぬこと。

「二十間」三十六メートル強。

「田のま」「田の間」。

「くろ」「畔」。畦(あぜ)。

「藤くらの草履」「藤倉草履(ふぢくらざうり)」のこと。草履(ぞうり)の一種で、表を藺(い)で編み、白・茶などの木綿の鼻緒を附けたもの。単に「ふじくら」とも呼んだ。

「吾が輩何をか見ることの外にあらん」吾らが何を見ていたかは、お武家さま、以外に誰を外に見ようはずが御座いましょうや。

「雁瘡(がんかさ)」慢性湿疹或いは痒疹(ようしん)の一種。非常に痒(かゆ)く、難治性。かつては、秋、雁の来る頃から発症し始め、去る春頃には治ったことから、かく称した。

「田の内に入(いり)て、蛭(ひる)に血をすわする」既注であるが再掲しておくと、本邦の淡水棲息する成体で、ヒトから吸血するヒルは、ヒルド科 Hirudidae ヒルド属チスイビル Hirudo nipponica である。

「一圓(いちゑん)に」副詞。ここは武士の行動「総体について」の意ではなく、集まった人々「総てが皆」の謂いであろう。]

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