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2018/09/28

柳田國男 炭燒小五郞が事 一二 / 炭燒小五郞が事~了

 

      一二

 果しも無い穿鑿は、もうこの位で一旦中止せねばならぬ。他日若し幸ひに機會があつたら、宇佐の根原が男性の日の神であり、其最初の王子神が、賀茂大神同系の別雷であり、次の代の若宮が火の御子であり炭の神であつて、所謂鍛冶の翁は其神德の顯露であつたと云ふことの、果して證明し得べきや否やを究めて見たいと思ふ。現在の祠官たちの承認を得ることは難いが、八幡には今尚闡明[やぶちゃん注:「せんめい」。明瞭でなかった道理や意義を明らかにすること。]せられざる若干の神祕があるらしく、是は只その一端だけである。自分の試みは單に文字記錄以外の材料から、どの程度まで大昔の世の生活が、わかるであらうかと云ふ點にあつて、殊に奈良の京以後突如として大に盛になつた宇佐の信仰が、本來は南日本の海の隈[やぶちゃん注:「くま」或いは「すみ」。]島の蔭に、散亂して住んで居た我々の祖先の、無數の孤立團體に共通した、至つて單純なる自然宗教から出たもので無いかどうかを知りたかつたのである。託宣集や愚童訓別本を見ると、宇佐の山上には最も神靈視せられた巨大なる三石(みついし)があつた。火の神とは傳へて居らぬが、寒雪の中にも暖味[やぶちゃん注:「あたたかみ」。]ありといひ、又は金色の光を放つて王城の方をさすとも謂つて居る。而うして三箇の石は竃の最初の形であり、從つて火神の象徵であることは既に認められて居る。之に由つて所謂三寶荒神の思想も起つた。沖繩諸島に於ても御三物と稱して三石を火の神に祀つて居る。只未だ其起源に關しての説を聽かぬが、三箇の略同じ大きさと形の石が、引續いて海からゆり揚がる時は之を奇瑞として拜したやうである。この二つの信仰には恐らくは脈絡があるであらう。卽ち南島の從兄弟たちは、未だ石凝姥(いしこりどめ)天日一箇(あめのまひとつ)の恩澤に浴せざる以前から我々とよく似た方式を以て、根所[やぶちゃん注:「ねどころ」。]の火に仕えて居たのである。炭燒長者の話がいと容易に受け入れられた所以である。

Isigakijimahinokami_2

[八重山石垣島藏元の火の神

 三つ石の一つが今折れて居る]

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングして用いた。]

 遺老説傳には與那覇親雲上(よなはのをやくもい)鄭玖[やぶちゃん注:「ていきゆう」。中国から帰化した三十姓の子孫。沖縄方言では「よなは・ぺーちん」と読む。横浜のトシ氏のブログ「琉球沖縄を学びながら、いろいろ考えていきたいな~」のこちらの「黄金の俵」を参照。]、或日未明に久米村から、首里の御所に朝せんとして、浮繩美御嶽(うきなはみおたけ)の前を過ぎ、一老人の馬に炭二俵を積んで來るに逢うた。老人はいて玖をして家に引返さしめ且つ其炭俵を與へて去る。後に侍僮をして之を焚かしめやうとするに、どうしても燒けず、よく見れば炭は悉く黃金であつたと謂ふ。信州園原の伏屋長者(ふせやのちやうじや)が半燒けの炭を神棚に上げて置くと、それが忽ちに金に化したと云ふのと、全く同日の談であつたが、黃金を産せぬ島では、殊に此不思議は大きかつたことゝ思ふ。卽ち干瀨(ひぜ)[やぶちゃん注:沖縄・奄美地方で島の周辺に広がる珊瑚礁を指すが、現地では「ひし・びし・ぴー・ぴし」が一般的な読み方である。]の練絹を以て取圍んだ蓬萊山に在つても、父が炭燒藤太で無ければ、其子は金賣吉次であり得ないと云ふ理窟が、はつきりと其世の人の頭にはあつた。但し我々は今が今まで、もう之を忘れてしまつて居たのである。

 

 

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