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« 反古のうらがき 卷之三 砲術 | トップページ | 柳田國男 炭燒小五郞が事 二 »

2018/09/22

反古のうらがき 卷之三 うなぎ

 

    ○うなぎ

[やぶちゃん注:私が「反古のうらがき」を読み進めて、初めて本気で最後に噴き出して笑ってしまった話である。シークエンスの臨場感と滑稽さを狙って、盛んに改行を施し、掟破りのダッシュも用いた。]

 予が師内山先生は、きわめて心すぐなる人なりけり。

 又、ものごとに極(きはめ)てつたなきこと、おゝかり[やぶちゃん注:ママ。]けり。

 何某より、いと大きなるうなぎの魚を二つ迄おくりけるを、

「自(みづ)からさきて、蒲燒てふものにしてたふべん。」

とて、桶より、一つ、取いでて、爼(まないた)の上に置き、

「魚(さかな)やがうなぎさくは、手にて撫でさすれば、いとしづかにありて、心易くさかるゝもの。」

とて、少し手をつけたれば、

「ぬらぬら。」

とはひ出(い)で、あたりをはひ𢌞(まは)るにぞ、こたびは、つよくとらへて爼板の上におし付(つけ)、三ツ目ぎり[やぶちゃん注:最も一般的な先端部を持った錐。サイト「初心者のためのDIY工具〜大工道具、電動道具、園芸道具の紹介」のこちらを参照されたい。]もて、のどのあたりをつらぬき、

「扨、爼板にさし通さん。」

とするに、かねて穴を明け置(おき)たるにあらねば、俄(にはか)に通しなやみて、

「誰(たれ)ぞ、こよ。」

とよぶにぞ、今の皡齊(こうさい)先生が、十七、八の頃なりけるが、來りて、魚をつらぬきたるまゝに、きりをもむ程に、やがて、爼板をば、さし通しぬ。

 うなぎは、くるしさのかぎりもがけども、のどのあたり、板につらぬかれたれば、のがるべきよふなく、しきりにうねり𢌞りて、さくべきよふ[やぶちゃん注:ママ。以下、同じ。]も見へず。

 されども、二人がゝりなれば、庖丁にて、骨のあたり、少しきりさきたるに、勝手のちがひたるよふなれば、よくよく見るに、

「こはいかに。」

初め、あまりにあわてたれば、むきをちがへて、さしたり。

「向ふより、さけ。」

といへば、

「こちらよりも、向きちがひて、さきがたし。」

といふにぞ、

「さらば、さしなをさん[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、きりをぬきたれば、うなぎは

『こゝぞ。』

とおもひて、ちからの限り、ぬめり出で、かまどの下にはひ入(いり)ぬ。

 薪(まき)ども、取りのけて尋出(たづねいだ)して見てければ、それとも見へぬ程にちりにまみれて、ぬめりもなく、とらへよくぞ、なりにける。

 其まゝにとらへて、きりを、再び、さすべかりしを、

「餘りによごれたり。」

とて、桶の水にて洗ひたれば、こたびは、とらゆることもならぬよふに、はひ𢌞りて、板の間のすきより、椽の下へ落けり。

「いかにせん。」

といふに、

「此板一枚、はなせ。」

とて、こぢはなちたれば、又、ちりにまみれて、とらへよくぞ覺へ[やぶちゃん注:ママ。]けり。

 前のことにこりたれば、其まゝ爼板におし當て、

「早く、きりさせよ、させよ。」

といふに、其間(そのあひだ)に、きりは、いづち行(ゆき)けん、みへず。

 からくして、椽の下より求め出(いだ)したり。

「早くさしね、もはや、自然にぬめり出(い)で、手の内を拔け出(いづ)る。」

といふに、またもあわてゝさしたれば、こたびは、少し、わきの方を、さしたり。

 うなぎは、

『今を限り。』

と尾を卷付(まきつけ)て、力にまかせて、おのが首ぎわの内、少し斗(ばか)りつらぬかれたるを引(ひき)ちぎりて、又も、くるひ出(いで)けり。

 今は、はや、せんすべもなく、

「椽の下に入らざる内に。」

と、先(まづ)桶の内にかひ[やぶちゃん注:「搔(か)き」の転訛。]入(いれ)て、ともに思案にくれけるが、

「おもひ出(いだし)たることこそ、あれ。」

とて、

「鍋蓋をおし板にして、石にて作りたる七輪をおもしに置(おき)て、二つともにおしひしぎて、半ば、死入(しにいり)たる時、さかばや。」

とぞ、かまへたり。

[やぶちゃん注:台詞内の「おもし」は名詞の錘(おもり)としての「重(おも)し」。以下も同じ。]

 二つの大うなぎが力なれば、ものともせず、折々はおしかへすよふにて、さらによはりたる氣色(けしき)なし。

「いまだ、おもし、たらざりけり。」

とて、其上に又、大鉄甁(おほてつびん)に水をあふるゝ斗(ばか)りに入(いれ)たるをおきたれば、是(これ)にて、うごきはやみけり。

 しばしありて、

「もはや、よからん。」

とて、おもしども、取(とり)のけしに、うなぎは、少しもよはりたる色なく、かの孫行者(そんぎやうじや)が兩界山(りやうがいさん)にてやくをのがれたる心地して、又も、くるひ出(いづ)るにぞ、からくして、鍋蓋におしすくめ、七輪をば、元の如くに、おしすへたり。

[やぶちゃん注:「孫行者」かの「西遊記」の孫悟空の別名。

「兩界山」悟空が天界で暴走して手をつけられなくなってしまい、天帝は釈迦如来に助けを求め、釋迦は賭けを仕掛けて、結局、彼の掌から飛び出すことが出来なかった増長慢の悟空を取り押さえ、「五行山」に封印してしまう。この「五行山」の別名が「両界山」である。伝承上では、現実世界と異界との国境の山とされ、ここから先は妖仙が住む別な世界と信じられた山である。

「やくをのがれたる心地」「やく」は「厄」としか読めないが(「役」と採って有名無実の閑職たる官職「斉天大聖」から逃れたとする解釈も考えたがやっぱりおかしい)、これでは比喩した「西遊記」の話(悟空は身動き出来ないように封じられてしまうのであって、大厄(大罰)を受けるのである)とは齟齬するからおかしい。

「扨も、手にあまるうなぎかな。」

と詠(なが)め居(をり)しに、いみじき智惠こそ思ひ出(いで)けり。

 其七輪に、炭、多く入れて火をおこし、かの大鉄甁に入(いれ)たる水を其まゝかけおきて、團扇(うちは)もてあほぐ[やぶちゃん注:ママ。]程に、程もなくて「たぎり湯」とはなりにけり。

 これを鍋蓋のすきより、つぎ入(いれ)たれば、なにかたまるべき、なかば、うでたるよふになりて、二つともに、死入(しにいり)たり。

「今は心安し。」

とて、取出(とりいで)て、さきたれば、庖丁の刀にもさわらで、よく、さけけり。

 扨、くしにさして燒(やき)て食ひければ、

――思ふにも似ず

――まづかりける

となん。

[やぶちゃん注:「内山先生」既注の通り、底本の朝倉治彦氏の注に『内山椿軒の子、通称壺太郎。名』は『明時。天保四』(一八三三)『年八月二十六日歿、法号常徳霊明信士』とある人物。

「皡齊(こうさい)先生」既注の通り、先のに出た「一谷先生」。底本の朝倉治彦氏の補註によれば、『内山壺太郎の子』である『一谷か。名』は『謙、字』(あざな)は『徳柄』とある。]

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