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2018/09/23

反古のうらがき 卷之三 化物太鼓の事

 

    ○化物太鼓の事

[やぶちゃん注:本条は既に『柴田宵曲 妖異博物館「狸囃子」』「諸國里人談卷之二 森囃」の注で電子化しており、本「反古のうらがき 卷之一 廿騎町の恠異」との強い親和性も既にそこの注で述べておいた。先行する上記二本と差別化するために、改めて改行その他の読みの大幅な追加を行い、注も零から附した。]

 「番町の化物(ばけもの)太鼓」といふことありて、予があたりにて、よく聞ゆることなり。

 これは、人々、聞(きき)なれて、別に怪しきことともせぬことなり。

 霞舟翁(かしうわう)がしれる人に、此事を深くあやしみて、或夜、其聲の聞ゆる方(かた)をこゝろざして尋行(たづねゆき)けるに、人のいふに違(たが)はず、こゝかとおもへば、かしこ也(なり)。又、其方(そのはう)に行(ゆき)てきくに、又、こなた也。

 市ケ谷御門内より、三番町通り・麹町・飯田町上(うへ)あたり、一夜の内、尋(たづね)ありきしが、さだかに聞留(ききとむ)る事なくて、夜明(よあけ)近くなりて、おのづからやみぬ。

「果して、化物の所爲(しよゐ)なり。」

とて、人々にかたりて、おそれあへり。

[やぶちゃん注:「番町」現在の番町は東京都千代田区一番町から六番町まであり、その周辺の広域旧地名である。(グーグル・マップ・データ)。江戸城西方に当り、当時は旗本を中心とした武家屋敷地区であった。

「霞舟翁」桃野が属した詩会氷雪社の評者の一人であった友野霞舟。同会に属した木村裕堂は友野霞舟の女婿で、学問所吟味に及第して勤番組頭でもあったから、或いはこの木村とも桃野は親しかったかも知れない。

「市ケ谷御門内」現在の千代田区内の神田川の右岸、「市ヶ谷駅」の南東部。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「三番町通り」現在の千代田区三番町附近はここ(グーグル・マップ・データ)だが、切絵図を見ると、現在のここを通る道は「新道二番丁」となっているので、その南東の御厩谷坂のある通り辺りがそこか。

「麹町」現在の東京都千代田区麹町附近。旧番町の南部分。(グーグル・マップ・データ)。

「飯田町上」現在の千代田区九段北の中央附近かと思われる。(グーグル・マップ・データ)。]

 予が中年の頃、番町の武術の師がり行(ゆき)て、其あたりの人々が語りあふをきくに、

「凡(およそ)太鼓・笛の道は、馬場下(ばばした)に越(こえ)たる所なし。稻荷の祭り・鎭守の祭りとう[やぶちゃん注:「等」。]にて、はやしものする人をめして、すり鉦(がね)・太鼓をうたすに、同じ一曲のはじめより終り迄、一手もたがひなく合奏するは、稀なり。まして他處(よそ)の人をまじへてうたする時は、おもひおもひのこと、打(うち)いでゝ、其所(そのところ)々々の風(ふう)あり。馬場下の人は、それにことなり、其一(そのひ)とむれはいふに及ばず、他處(よそ)の人なれば、其所々々の風に合(あは)せて打(うつ)こと、一手も、たがひなし。吾輩、かく迄、はやしものに心を入(いれ)て學ぶといへども、かゝる態(わざ)は得がたし。」

といゝけり。予、これをきゝて、

「扨は、おのおの方には、はやしものを好み玉ふにや。されども、稻荷の祭りの頃などこそ打(うち)玉ふらめ、其間(そのあひだ)には打玉ふことなきによりて、其妙にいたり玉ふことの、かたきなるべし。」

といゝければ、

「いや、さにあらず、吾輩(わがはい)がはやしは、每夜なり。凡(およそ)番町程、はやしを好む人多きところも稀なり。けふは誰氏(たれうぢ)の土藏のうちにて催し、あすは何某氏が穴倉の内にて催すなど、やむ時は、すくなし。」

といへり。

 予、これにて思ひ合(あは)するに、

「かの化物太鼓は、まさに、これなり。たゞし、あたりのきこへ[やぶちゃん注:ママ。]を憚るによりて、土藏・穴藏に入りて、深くとぢこめて、はやすなれば、其あたりにては、かへりて[やぶちゃん注:却って。]聞ヘずして、風につれて遠き方(かた)にて、きこゆるにきわまれり[やぶちゃん注:ママ。]。さればこそ、其はやしの樣(さま)、拍子よく、面白く、はやすなりけり。これを『化物太鼓』といふも、むべなる哉(かな)。」

とて、笑ひあへり。

 先の卷に、物のうめく聲の、遠く聞へしくだりをのせたり。これとおもひ合せて見れば、事の怪しきは、みな、ケ樣(かやう)のことのあやまりなりけり。

[やぶちゃん注:「予が中年の頃」鈴木桃野は寛政一二(一八〇〇)年生まれで、嘉永五(一八五二)年に没(病死と推定される)しているから、満で五十二ほどであった。本「反古のうらがき」の成立は嘉永元(一八四八)年から嘉永三(一八五〇)年頃であるが、江戸時代、自称で「中年」は、四十代前後をそのトバ口と考えてよいか。とすれば、天保一一年(一八四〇)年前後の話となる。

「武術の師がり」武術の師匠のところへ。複数回既出で既注であるが、特異的に再掲する。「がり」は接尾語で、通常は、人を表わす名詞・代名詞に付いて、「~のもとに・~の所へ」を添える。漢字表記では「許(がり)」。以下ではもう注さない。誰もが、高校の古文で習ったはずだからである。

「馬場下」東京都新宿区馬場下町、早稲田大学の山キャンパス辺りとなる。(グーグル・マップ・データ)。

「其一(そのひ)とむれはいふに及ばず」その馬場下町内で集まって、町内の祭りで打つ場合は、言うに及ばず、びしっと合う。

「他處(よそ)の人なれば」やや言葉が足りないように思われる。余所の祭り等に出向いて「他處(よそ)の人」と一緒に打つというシチュエーションであれば。その時は、美事に「其所々々の風に合」は「せて打」って「一手も」違(たが)うことがなく、合わせることが出来る、というのであろう。

「されども、稻荷の祭りの頃などこそ打(うち)玉ふらめ、其間(そのあひだ)には打玉ふことなきによりて、其妙にいたり玉ふことの、かたきなるべし」『「こそ」~(已然形)、……』の逆接用法。「しかし、秋の稲荷の祭りの頃などならば、練習を含めて、前からお打ちになられるであろうが、終わって、翌年の祭りまでの凡そ一年の間はお打ちになることはないから、失礼乍ら(そのように短い間の練習では)、とてものことに、そうした妙技にまで至らるるは、これ、なかなか難しいことでは御座らるまいか?」。

「さればこそ」日々精進してよりよい演奏をと考え、また、同時に何時も楽しんで練習しているからこそ、「其はやしの樣(さま)、拍子よく、面白く、はやすなりけり」の「さればこそ」であろう。

「むべなる哉(かな)」「宜(むべ)なるかな」。

「先の卷に、物のうめく聲の遠く聞へしくだりをのせたり」卷之一 物のうめく聲。私はそこでは大気の逆転層の可能性を持ち出した。ここでもそれが言えると思う。]

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