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2018/09/28

柳田國男 炭燒小五郞が事 一一

 

      一一

 歌の豐後の炭燒小五郞が妻は、容みにくしと雖[やぶちゃん注:「いへども」。]都方の上﨟であつた。弘い世間に夫(をつと)と賴む人が無いので、日頃信仰の觀世音の靈示に從ひ、遙々と都の山賤[やぶちゃん注:「やまがつ」。]を尋ねて來たと云ふのが、物語の最も濃厚な色彩を爲して居るが、是は所謂佛法の影響であつて、又中代[やぶちゃん注:中世。]の趣味であらう。信心深い男女の間の前世の約束と云ふ單簡な語で、省略してしまつた身の運[やぶちゃん注:「うん」。]家の幸福の説明は、話に此ほどの共通がある以上は、後に來たつて附け加はつたものとは考へられぬ。況や其背後にはどこ迄も火の神の思想と古い慣習が、殆ど無意識に保存せられて居たのである。阿波の糠の丸長者の娘の嫁入には、觀音の代りを守の神の白鼠がつとめた。陸中の話では旅の六部に教へられて、月の十五日の朝日の押開(おつぴら)き[やぶちゃん注:限定された「日の出」の時刻のことであろう。]に、九十九前の眞ん中の土藏の屋の棟を見ると、紫の直埀[やぶちゃん注:「ひたたれ」。]を着た小人の翁が三人で、旭[やぶちゃん注:「あさひ」。]の舞を舞うて居た。うつぎ[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。]の弓に蓬の箭[やぶちゃん注:「や」。]をはいで之を射ると、小人は眼又は膝を射られて忽然として消え去り、それから家の運は傾いた。或は又路に三人の座敷ワラシ[やぶちゃん注:底本は「ワラジ」。青森県南部地方には「座敷わらし」の異形として、草鞋作りの爺婆の家にその草鞋を一足取って履いた「わらし」、「わらじわらし」が棲むという伝承はあるが(サイト「古里の民具 雪靴ミニぞうり編むの「わらじわらしの昔話を参照)、そこでも「草鞋(わらぢ)」と「童子(わらし)」は厳然と区別された語として用いられているのであるから、ここは「ワラシ」の誤植と採って訂した。ちくま文庫版も『座敷ワラシ』である。]かと思ふ美しい娘に逢ひ行く先をきくと、この山越えあの山越えて、雉子の一聲の里へ行きますと、幸運の住家を教へてくれる。それが宮古の島ではユリと稱する穀物の精と現れて、女性を炭燒の小屋に導くのである。沖繩本島に於ては又變じて雀(クラー)になつて居る。折目の祭の日に下男の言ふまゝに、新米で飯を炊いだのが惡いと謂つて、夫に追出された女房が、こゝに隱れかしこに遁げて去りかねて居ると、斯う謂つて雀は彼女を導いた。

  クル、クル

  クマネスダカラン(ここには住まはれぬ)

  ヤンバルヤマカイ(山原山へ)

  タンヤチグラカイ(炭燒のクラヘ)

さうして炭燒の妻に爲つて、忽ち金持になつたのであるが、この古い古い公冶長系統の一節もまた袋中上人所傳の外であつた。

[やぶちゃん注:「公冶長」「論語」の「公冶長」で知られる公冶長、公冶長(こうやちょう 生没年未詳)は春秋時代の儒者(「公冶」が姓)。ウィキの「公冶長」によれば、『公冶長は鳥と会話が出来るという特殊能力が備わっており、その力によって死体の場所を知ることができたが、かえって犯人と疑われて獄中入りとなった。が、雀の言葉を理解できることを実証してみせたために釈放され』、その人格をかっていた孔子は『本人の罪ではないと』して彼に『自分の娘を嫁がせた、という話が見える』とあり、この宮古のそれとの強い親和性が窺える。]

 第二に注意することは、炭燒を尋ねて來た女性に、別に一人の同行者があつた點である。宮古島の舊史には鄰婦を伴ひとあり、佐々木君の話の一つには下女を連れて行くとあるが、今一つの方では三つになる男の子を附けて離別したことになつて居る。或は又前の男が貧乏をしてから、其子をつれて薪を賣りに來たともある。何か仔細のあつたのが、もう忘れられたものと思はれる。佐喜眞君のおばあさんの話では、沖繩では女は妊娠の間に追出され、炭燒にとついでから男の子が生れたことになつて居る。零落の夫がもとの妻であることを知らずに笊を賣りに來ると長者の子供が彼に向つて惡戲をした。女房に向つて御宅の坊ちやまが、惡さをなされて困りますと謂ふと、今まで知らぬ顏をして居たのがもうたまらなくなつて、自分の子供まで見知らぬとは、何と云ふ馬鹿な人だと歎息したので、始めて昔の妻子かと心付き、其まゝひつくりかへつて死んでしまつたとある。此樣な何でも無いこと迄が、手近の琉球神道記とは似ないで、遠い雪國の村の話と、一致しようとして居るのは何故であらうか。

 不思議はまだ是ばかりで無い。沖繩では斯うして恥じて死んだ男を、其まゝそこに埋めて、上に庭の飛石を置き、それから茶を飮む度に一杯づゝ、その石に灌いで手向にしたとある。其點が亦附いてまはつて居るのである。不運な前夫が知らずに來て、元の妻の世話になることは、何れの話も一樣であるが、奧州では單に勸められて下男に爲り、炭竃長者の家で一生を終つたとある。之に反して江州由良の里では、箕作[やぶちゃん注:「みつくり」。]の翁は長者の臺所に來て食を乞ひ、別れた女の姿を見て耻と悔とに堪へず、忽ち竃の傍に倒れて死んだのを、後の夫に見せまい爲に、下人に命じて其まゝ竃の後に埋めさせた。それが此家の守り神となつたと謂ひ、それを竈神の由來と傳へて居る。淸淨を重んずる家の火の信仰に、死を説き埋葬を説くのは奇恠であるが、越後奧羽の廣い地方に亙つて、醜い人の面を竃の側に置くことが、現在までの風習であるから、是には尚さう傳へらるべかりし、深い理由があつたのであらう。廣益俗説辨の地名には何に由つたか知らぬが、三寶荒神の始めは、近江甲賀[やぶちゃん注:「こうか」。]郡由良の里、百姓の夫婦と其婢女と、三人を祀つて竃の神にしたと云ふ、別の傳承を載せて居る。由良は通例海邊の地名であるから、近江は誤で無いかとも思ふ[やぶちゃん注:私も読んだ際、そう思った。]が、何か尚此方面に、人の靈を火の靈として崇拜する、昔の理由が隱れて居るやうにも思ふ。

 若し此推測にして誤無くば、宮古の炭燒の話の發端に、二人生れた赤子の中で、女の

方は額に鍋のヒスコを附けてあるから、一日に糧米七升の福分を與へ男の兒は其事が無かつたから乞食の運ときめたと、神々の談合が有つたと謂ひそれ故にこそ今に至る迄、生れ子の額には必ず鍋のヒスコを附ける也と、北の島々で宮參りの日に、紅で犬の字を描き、又は作り眉をするのと、よく似た風習を説明しようとして居るのは、是も同じく竃の神の信仰に基づくもので、竈と炭との關係を考へ合せると、假令京都近くの書物に傳はつた話には見えなくとも、長者を炭燒とした話の方が、一段古い樣式であつたと考へてよろしい。

 謠の蘆苅の元の型は、今昔と大和と二つの物語に見え、その贈答の歌は既に拾遺集にも採擇せられて居る。それが純然たる作爲の文學で無かつたことは、大和物語に於ては前の夫が、上﨟の姿を見知つて我身の淺ましさを耻ぢ、人の家に遁げ入つて竃の後にかゞまり匿れたとあるのを見てもわかる。芦[やぶちゃん注:ママ。]を苅つて露命を繫いだと謂ふのも、必ずしも「あしからじ」又「あしかりけり」の二つの歌が先づ成つて、これを能困法師の流義で難波の浦に持つて行つたと解することが出來ぬかと思ふのは、全然同種の近江の話に箕作の翁と謂ひ、沖繩に於ては笊を賣りに、奧州に於ては草履を賣りに、或はマダ木[やぶちゃん注:「まだぎ」。マダノキ。被子植物門双子葉植物綱ビワモドキ亜綱アオイ目シナノキ科シナノキ属オオバボダイジュ Tilia maximowicziana の異名。本邦固有種と思われ、北海道・本州の東北地方・北陸地方・関東地方北部に分布し、山地の落葉樹林内に植生する。古くは樹皮の繊維を縄・布・和紙の原料とした、材は建築材・器具材として利用される。ウィキの「オオバボダイジュ他を参考にした。]の皮を剝ぎ又は薪を苅つて、これを背負うて賣りに來たと謂ふのが、同じやうな詫びしい姿を思はせ、事によると肥後の薦編みや蓆織り長者、羽前の藁打ち長者の因緣を引くかとも思はれる上に、更に偶合としては餘りに奇なることとは[やぶちゃん注:「と」はママ。衍字の可能性が大きいが、ママとする。]、豐後の内山附近にも蘆苅と云ふ部落があり、同じく臼杵の深田村では、小五郞の子孫と稱して蘆苅俊藏氏あり、さらに同じ苗字が弘く宇佐地方に迄も及んで居ることである。曾て後藤喜間太君が寫して示された、豐後海部郡の花炭の由緖書には、小五郞七十八代の後裔草苅左衞門尉氏次の名を錄し、豐鐘善鳴錄には長門國にも、草苅氏と云ふ一門が分れて居たと記してある。所謂山路(さんろ)の草苅笛の故事を辿れば、蘆苅は寧ろ誤では無いかと思つたが、現に之を名乘る舊家がある以上は、爭ふべき餘地がない。更に進んで其舊傳を、究めて見たいものである。

[やぶちゃん注:「蘆刈」私の好きな叙事伝説の一つである。小学館「日本大百科全書」より引く。一部の読みを除去し、不審な箇所は訂した。『摂津国(大阪府)難波に住む夫婦が貧困のため別れて、女は上洛後に主人に仕え、北の方の死後に後妻となる。しかし』、『昔の夫が忘れられず、難波へ祓(はらい)の口実で赴くが、すでに行方不明であった。たまたまもとの家の近くで芦を担う乞食が通ったので呼び止めると、前夫であった。哀れを催し』、『芦を高く買い、食物を与える。前夫は下簾の間からかいまみて、その貴人がかつての妻とわかり、恥じて竈の後ろに隠れる。捜させると、男は「君なくてあしかりけりと思ふにもいとど難波の浦ぞ住みうき」と詠んだので、女は「あしからじとてこそ人の別れけめなにか難波の浦の住みうき」と返して、着物を与えさせた。有名な和歌説話でもあり、もっとも古い文献では』「大和物語」百四十八段に載る。その他にも、「古今和歌六帖」・「拾遺和歌集」・「今昔物語集」(巻第三十の「身貧男去妻成攝津守妻語第五」(身貧しき男の去りたる妻(め)、攝津守の妻と成れる語(こと)第五)、「宝物集」(巻二)、「源平盛衰記」(巻三十六)にも見え、謡曲「芦刈」(零落して葦売りをしている難波浦の住人日下(くさか)左衛門が都へ上って立身した妻と再会)にもなり、御伽草子の「ちくさ」にもある。「神道集」巻七の四十二の『「芦刈明神事(あしかりみょうじんのこと)」は』、『その本地譚(ほんちたん)で』、同巻八の四十六の「釜神事」と『ともに竈神(かまどがみ)の由来を語る話としてあったものであろう。その本地譚は、男が恥じて海に投身すると』、『女も後を追う結末から、その後』、二『人が海神の力で顕現したのが芦刈明神で、本地は男が文殊菩薩、女は如意輪観音としてある。炭焼長者の再婚型で、福分のある女と別れた夫が死して、女に竈の後ろに埋められる話もこの類型で、夫を荒神様として祀る昔話が多い』。]

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