甲子夜話卷之五 20 浴恩侯、高野玉川の歌の解
5-20 浴恩侯、高野玉川の歌の解
六玉川の歌に、高野の玉川は高野大師の歌とて、
忘れても汲やしつらん旅人の
高野の奧の玉川の水
此川毒水なればかく詠じたりと云。然ども不審なり。哥詞の中毒水のことなく、又六名勝の中に一つ毒水を入る可きようもなし。其上高野の邊の人は、常にかの玉川の水を飮む。然れば毒あるには非るべし。歌の意は、かくの如き名水を、旅人のことゆゑ、忘て常の水と思て汲やしつらんと、其水を賞て詠じたる也と、浴恩老侯の話られしは妙解と云べし。
■やぶちゃんの呟き
本条については私の「諸國里人談卷之四 高野の毒水」を参照されたい。そこで私が注した内容で、本質的には私の言いたいことは尽きている。
「浴恩侯」元老中松平定信の隠居後の号。現在の中央区築地にある「東京都中央卸売市場」の一画にあった「浴恩園」は定信が老後に将軍から与えられた地で、定信は「浴恩園」と名付けて好んだとされる。当時は江戸湾に臨み、風光明媚で林泉の美に富んでいた。先行する「甲子夜話卷之二 49 林子、浴恩園の雅話幷林宅俗客の雅語」を参照。
「六玉川」「むたまがは」。古歌に詠まれた六つの歌枕とされる「玉川」の総称。弘法大師空海・藤原俊成・藤原定家・能因らの歌に詠まれた六つの玉川を総称したもので、山城の井出・紀伊の高野山・摂津の三島・近江の野路(のじ)・武蔵の調布・陸奥(宮城)の野田にある「たまがわ」を指す。原初的には「魂の下る川」という古代祭祀上の「霊(たま)川」であったものと思われる。
「汲やしつらん」「くみやしつらん」
「哥詞」「かし」。
「中」「うち」。
「入る可きようもなし」「よう」はママ。「いるるべき樣(やう)もなし」。
「非るべし」「あらざるべし」。
「忘て」「わすれて」。
「思て」「おもひて」。
「賞て」「ほめて」。