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2018/09/22

反古のうらがき 卷之三 きつね

 

    ○きつね

[やぶちゃん注:読み易さを狙って改行を施し、注も中に入れ込んだ。]

 むかし【文政の初年[やぶちゃん注:一八一八年。]。】、ある人【小普請手代何某[やぶちゃん注:「小普請」組は禄高三千石未満の旗本・御家人の内で非役の者の称。「手代」は小普請組の雑務を担当した下役人。]。】、王子の金輪寺(きんりんじ)[やぶちゃん注:現在の東京都北区岸町(きしまち)にある真言宗王子山(おうじさん)金輪寺。近隣の王子権現(現在の王子神社)及び王子稲荷神社の別当寺で、徳川将軍家の御膳所(おぜんしょ:鷹狩りの際の休息や食事をする場所)であったが、明治の廃仏毀釈で廃絶、現在ある金輪寺は明治三六(一九〇三)年に嘗ての同寺の支坊の一つであった藤本坊が「金輪寺」の名を継いで再興したものである。ここ(グーグル・マップ・データ)。]に御用の事ありて行(ゆき)し歸るさに[やぶちゃん注:行って仕事を終えた、その帰る折りに。]、飛鳥山[やぶちゃん注:王子稲荷神社の南東直近にある、現在の飛鳥山公園(グーグル・マップ・データ)。享保年間に行楽地として整備された桜の名所。]の麓へかゝりけるに、ふと、琴・三味線などの聲の耳に入(いり)しかば、

「どこなるや。」

といぶかり、遠近(をちこち)尋ぬるに、とある出格子ある家の、いと淸々(せいせい)なる内になん、ありける。

 はや、誰(たそ)かれ時の頃なりしかば、

「人もあやしめじ[やぶちゃん注:ママ。人気もなく、暗いから、誰かが怪しむことはあるまい。]。」

とて、格子のすきまより見いれしに、いとあてやかなる女ども、三人四人(みたりよたり)、いづれもおもひおもひに琴・三味線・胡弓・笛などかまへ、打解(うちとけ)たる樣(さま)にて、外(ほか)に、あるじめきたる男なども見えず、客らしき人もなし。

『女なだちなどの、つれづれなるまゝにつどひ、興ずるならめ。』

など思ひて、かひまみし程に、やがてそばなる木くゞりの明(あき)たる音のしければ、

『あなや。』

と思ひしに、ひとりの女子いでゝいふ樣、

「君には鳴(なり)ものゝおと、好み給ふや。今宵はつれづれなるまゝに、友達、打(うち)つどひて興ずるにぞ、外に心置(こころおき)給ふ人もなければ、いざ、此方(こなた)へ入給ひてよ。」

とて、切(せち)にすゝめければ、初(はじめ)のほどはいなみしが、また、窓の内よりも、ひとりの女子(をなご)、顏さしだして、

「とく、とく。」

といひければ、もとより好みし道なれば、

「さらば、椽の片はし、しばし、かし給(たまは)れ。」

とて、入りしに、ありあふ酒肴とりでゝなにくれともてなしするまゝに、三人(みたり)の女子は隣りわたりのものにや、

「つい、行(ゆき)てくるまゝ、かならず待(まち)給へ。」

とて、いにけり。

 殘りし女、いと打とけたる樣(さま)にて、ふすまよふ[やぶちゃん注:ママ。]のもの、とふでて[やぶちゃん注:不詳。「給(たう)び出(い)でて」「給び出(いだ)して」か? 衾(ふすま:夜具)を持ち出して下さっての意か?]、

「頓(やが)て歸り侍らん。しばしがほど、やすらへ給へ。わらはも、ねむたくなりぬ。」

などいひて、しめやかに打かたらひ居(をり)けるに、頓て一人の女、歸りきぬ。

「いとわりなく契り給ふものかな。あな、うらめし。」

などいふて、つい入りぬ[やぶちゃん注:さっさと入ってしまった。本来は不快不満の動作であるが、ここでは『憎らしい!』と思いつつもその時にはちらりと微苦笑したと採る。]。

「何條(なんでふ)させる事やあるべき、さいひ給ふ君こそは。」

[やぶちゃん注:前で微苦笑したと採ったのは、「さいひ」があるからである。私はこれを「咲(さき/さい)ふ」→「咲(わら)ふ」と採ったのである。或いは直後の「いと恨めしげなる有樣」と齟齬する(私は後の展開からそうは全く思わぬ)とされる方もあるかも知れぬ。大方の御叱正を俟つ。]

とて、さきの女子、又、いぞこへか行(ゆき)ける。

 歸り來し女子は、いと恨めしげなる有樣にて、

「今迄何して居給ひしや。たばかられぬる事の口惜しや。」

などいゝ[やぶちゃん注:ママ。]つゝ、頓(やが)て又、淺からぬ契りをぞ結びける。

 おなじよふにて、先にいで行(ゆき)し女子ども、かわるがわる[やぶちゃん注:ママ。]に歸りきたりて、つひには夜もふけぬ。

「今宵は、こゝに泊り給ひてよ。」

とて、打ふしぬ。

 夜、明ければ、

「麥畑の内に、人の打(うち)ふしたるは醉(ゑひ)だれ[やぶちゃん注:酔っ払いの輩。]にやあらん。」

とて、あたりの人々おどろかせしに、やうやうに目の覺(さめ)たるおもゝちして、あたりを見れば、元の家居(いへゐ)などもなく、麥畑の中なれば、

『扨は、狐のしわざにや。』

と心付(こころづき)しが、よふよふ[やぶちゃん注:ママ。]ものいふ斗(ばか)りにて、起(おき)ふしも得(え)[やぶちゃん注:呼応の副詞「え」の当て字。]かなはざりしかば、あたりの人々、駕籠、やとひて、家に、ゐて行(ゆき)ぬ。

 漸(やうやう)、氣は慥(たしか)になれど、いかにも樣子のあしければ、

「藥や、あたへん、醫師や、招きてん。」

とて打さわぐにぞ、ありし事どもつぶさにもの語りければ、

「狐のしわざにやあらん、いといぶかし。」

などいひはやすほどに、遂に其夕方に、はかなく成(なり)にける。

[やぶちゃん注:化かされただけでなく、命も落している。これは結局、何人もの狐の化けた女と交合した結果、完全に精気を奪われ、結果して生気も失ったからである。妖狐譚は中国にも本邦にも数え切れぬほどあり、狐の化けた女と交合するものも甚だ多いけれど、実はかく命を奪われる結末はそれほど多くない。本条の一番最後の附評の終りの部分は、そうした事実を踏まえてのことを言っているように私には読める

 以下は底本でも改行が成されてある。]

 是れは近き世の事なれば、さだかに見聞(みきき)し人もありて、つばらに語りけるを聞ける。此人、見目・形、きよらにて、年も漸(やうやう)三十斗(ばかり)にもや成りけん、常に姿容(すがたかたち)を自負せしが、凡(すべ)て、狐狸のみならず、人のたのむ心あれば、其たのむところに乘じて、たぶらかさるゝこと、常なり。つゝしむべき事にや。

[やぶちゃん注:「たのむ」「恃(たの)む」。自負する。自信過剰になり、自己肥大を起こす。

 以下は底本では一行空けが入り、ポイント落ちで全体が二字下げである。如何にもネタ晴らしの現実的な解釈は先例もあった、例の天暁翁浅野長祚らしい評言である。]

これに似たる事あり、麻布のあたりに、さる大きやかなる屋形のうちへ引入(ひきれ)られて、あまたの美人に交(まぢは)り、つかれはてゝいねたるに、廣尾のはらにあすの朝は打ふして居たりしものあり。諸人、みな、「きつねのわざならん」といゝ[やぶちゃん注:ママ。]のゝしりける。さて、人あまり不思議におもひて、ふたゝび、「こゝぞ」と思ふあたりをたづねけるに、ゆひまはせし垣のあや、松の木立、杉のかわにてふきたる小さき門など顯然として、夢うつゝには、なかりけり。これはおもき方の女の君(きみ)の孀(やもめ)ずみしたるに、あたりにかゝるたわたれありて、「跡をおゝわん」[やぶちゃん注:ママ。]とて、廣尾のはらへすてゝ、狐と思わせたるなりける。すてらるゝさへ、うつゝにも覺へぬほどなれば、いかにつよくつとめたりけんか。人と交りては死せず、狐狸と交るものは死するは、賦禀(ふひん)の殊なるゆへにや。

[やぶちゃん注:「たわたれ」「色好みの戯(たわ)けた誰彼(たれかれ)」の意か。好色漢。

「跡をおゝわん」「跡(あと)を覆(おほ)はん」で、「やんごとない家柄の女君(おんなぎみ)の未亡人が乱交パーティを開いたという事実の痕跡を覆い隠さんがために」の意であろう。

「賦禀」生得的性質。生まれつき持っている素質。]

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