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2018/09/08

原民喜 もぐらとコスモス / 誕生日

 

[やぶちゃん注:二篇ともに、原民喜自死(昭和二六(一九五一)年三月十三日午後十一時三十一分)の二年後の昭和二八(一九五三)年六月号の『近代文学』初出の、原民喜の遺稿童話である。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅱ」を用いた。

 本二篇は現在、ネット上では未だ電子化されていないものと思われる。]

 

 

 

 もぐらとコスモス

 

 コスモスの花が咲き乱れてゐました。赤、白、深紅、自、赤、桃色……花は明るい光に揺らいで、にぎやかに歌でも歌つてゐるやうです。

 暗い土の底で、もぐらの子供がもぐらのお母さんに今こんなことを話してゐました。

「僕、土の上へ出て見たいなあ、ちよつと出てみてはいけないかしら」

「駄目、私たちのからだは太陽の光を見たら一ぺんに駄目になつてしまひます。私たちの眼は生れつき細く弱くできてゐるのです」

「でも、この暗い土の底では、何にも面白いことなんかないもの。それなのに、ほら、このコスモスの白い細い根つこが、何かしきりに近頃たのしさうにしてゐるのは、きつと何か上の方で、それはすばらしいことがあるのだらうと僕思ふのだがなあ」

「あ、あれですか、コスモスに花が咲いたのですよ。夜になるまでお待ちなさい。今夜は月夜です。夜になつたら、お母さんも一寸上の方まで行つてみます。その時、ちよつと覗いてみたらいいでせう」

 もぐらの子供は、夜がくるのをたのしみに待つてゐました。

「お母さん、もう夜でせう」

「まだ、お月さんが山の端に出たばかりです。あれがもつとこの庭の真上に見えてくるまでお待ちなさい」

 しばらくして、お母さんは、もぐらの子供にかう云ひました。

「さあ、私の後にそつとついて、そつと静かについてくるのですよ」

 もぐらの子供はお母さんの後について行きましたが、何だか胸がワクワクするやうでした。

「そら、ここが土の上」

 と、お母さんは囁きました。

 赤、白、深紅、白、赤、桃色……コスモスの花は月の光にはつきりと浮いて見えます。

「わあ」

 もぐらの子供はびつくりしてしまひました。

「綺麗だなあ、綺麗だなあ」

 もぐらの子供は、はじめて見る地上の眺めに、うつとりしてゐました。

 すると、コスモスの花の下を、何か白いものが音もなく、ぴよんと跳ねました。これは月の光に浮かれて、兎小屋から抜け出して、庭さきを飛び廻つてゐる白兎でした。

「あ、また兎が庭の方へ出てしまつたよ」

 と、このとき誰か人間の声がしました。それから足音がこちらに近づいて来ました。すると、もぐらのお母さんは子供を引張つて、ずんずん下の方へ引込んで行きました。

「綺麗だつたなあ。いつでも土の上はあんなに綺麗なのかしら」

 もぐらの子供は土の底で、お母さんにたづねました。

「お月夜だから、あんなに綺麗だつたのですよ」

 お母さんは静かに微笑つてゐました。

 

 

 

 誕生日

 

 雄二の誕生日が近づいて来ました。学校では、恰度その日、遠足があることになつてゐました。いい、お天気だといいがな、と雄二は一週間も前から、その日のことが心配でした。といふのが、この頃、毎日あんまりいいお天気はかりつづいてゐたからです。このまま、ずつとお天気がつづくかしら、と思つて雄二は、校庭の隅のポプラの樹の方を眺めました。青い空に黄金色の葉はくつきりと浮いてゐて、そのポプラの枝の隙間には、澄みきつたものがあります。その隙間からは、遠い遠かなところまで見えて来さうな気がするのでした。

 雄二は自分が産れた日は、どんな、お天気だつたのかしら、としきりに考へてみました。やつぱり、その頃、庭には楓の樹が紅らんでゐて、屋根の上では雀がチチチと啼いてゐたのかしら、さうすると、雀はその時、雄二が産れたことをちやんと知つてゐてくれたやうな気がします。

 雄二は誕生日の前の日に、床屋に行きました。鏡の前には、鉢植の白菊の花が置いてありました。それを見ると、雄二はハッツとしました。何か遠い澄みわたつたものが見えてくるやうでした。

「いい、お天気がつづきますね」

「明日もきつと、お天気でせう」

 大人たちが、こんなことを話合つてゐました。雄二はみんなが、明日のお天気を祈つてゐてくれるやうにおもへたのです。

 いよいよ、遠足の日がやつて来ました。眼がさめると、いい、お天気の朝でした。姉さんは誕生のお祝ひに、紙に包んだ小さなものを雄二に呉れました。あけてみると、チリンチリンといい響のする、小さな鈴でした。雄二はそれを服のポケツトに入れたまま、学校の遠足に出かけて行きました。

 小さな鈴は歩くたびに、雄二のポケツトのなかで、微かな響をたててゐました。遠足の列は街を通り抜け、白い田舎路を歩いて行きました。綺麗な小川や山が見えて来ました。そして、どこまで行つても、青い美しい空がつづいてゐました。

「ほんとに、けふはいい、お天気だなあ」

と、先生も感心したやうに空を見上げて云ひました。雄二たちは小川のほとりで弁当を食べました。雄二が腰を下した切株の側に、ふと一枚の紅葉の葉が空から舞つて降りてきました。雄二はそれを拾ひとると、ポケツトに収めておきました。

 遠足がをはつて、みんなと別れて、ひとり家の方へ戻つて来ると、ポケツトのなかの鈴が急にはつきり聞えるのでした。雄二はその晩、日記帳の間へ、遠足で拾つた美しい紅葉の葉をそつと挿んでおきました。



 

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