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2018/09/16

柳田國男 うつぼ舟の話 六

 

       

 

 今の流行の日本人類學は、自分達から謂へば殆ど土器學である。土器の以前に又は土器と併行して、そこにはさらに瓢簞學があるべきであるが、その瓢簞は腐つてしまつたから、シャベルで學問をしようと思つても掘出すことが出來ない。しかも瓢簞の人間生活との交涉は、若干の忍耐を條件として、之を辿つて行くことが不可能では無いのである。

 全體日本の如く天然の惠みが厚く、植物の人に對する役目が、物質界でも精神界でも、是ほど綿密に行き屆いて居た國で、稻も櫻も連綿として、今尚以前の種を植ゑ繼いで居りながら、土中に滯つて腐らぬ遣物ばかりを當てにして、上代の社會を説かうとするのは、極めて無法なる算段であつた。所謂考古學の硏究が進んで來れば來る程、之と對立して無形遺物の採集を急ぎ、兩々相助けて出鱈目論斷の跋扈を抑へねばならぬ。不幸にしてそんな便宜の得られなかつた國の學問が、今迄は主として譯述せられたが、我々は千古の大倭人の相續者である故に、この國民文藝と稱する廣大なる包含層の中には、獨りに關する歌や口碑や習俗のみで無く、まだ色々の珍らしい紋樣や彩色が、大小無數の破片となつて殘つて居るのを、存外容易に發見することが出來るのである。是が實は自分の過去を自分で硏究し得る民族の幸福であつて、そんな文明國は現在はまだ幾つも無いのである。

 瓢の用途はいたつて弘くかつ久しかつた。土の壺の中に神いますと信じて、祭つて居た神社は僅かしか無いのであつた。食事其他の普通の用には、もはや陶土器の便利を知つて之に移つて後も、信仰は形式が大切だから古風を改め難かつたのである。其前には木の箱や曲げ物が神體の入れものには用ゐられた。(勿論開けても中には凡眼に見える何物も入つて居らぬのが普通である)。併し是とても木の工藝の始めよりは古くない。目に見えぬ神が物の中に宿りたまふといふ思想が、中世から新たに起る理は無いから、箱曲げ物を人が作り得た前には、木地鉢などの如く鑿り[やぶちゃん注:「ほり」。]凹めた物を用いたのであらう。故に今も家々で臼を重要視し、又屢〻臼の上で氏神樣を祭り始めたといふ口碑が保存せられてある。その今一つ前は何かと問へば、天然の空洞木と、ひさごとより他は有り得なかつたのである。さうしてこの二物は古風のまゝに、今以て各地に神靈の宿する所として、崇敬せられて居る例が多いのである。

 我々の神は日本種族の特性を反映して、頗る移動を愛し又分靈を希望せられた。然るに空洞ある天然の樹木は固よりこれを動かすことを得ぬ故に、一方にはその神聖なる一枝を折つて、行く先々の地に挿すと云ふ風が行はれたらしいが、それだけでは賴り無い場合が多くて、別に色々のウツボといふものが用ゐられた。八幡太郞の發明などゝ稱する箭の容器の靱(うつぼ)の如きも、最初は旅行用の魂筥[やぶちゃん注:「たまばこ」。古代人はあくがれ出で易い自分の魂を着物の裾や襟或いは特定の匣(小箱)の中に封じ込めておき、自分しか分らぬ式法で縛ってしまっておいたという説に基づくものであろう。]であつたかと思ふが、それよりも普通であつたのは、やはり天然の瓠であつたえらうと思ふ。その外貌までが幾分か人に似て、堅固で身輕で沈まず損はれぬ故に、何れの民族でも所謂「たましひの入れ物」として、承認せられることが出來たのである。

 但し空穗舟の多くの口碑に於ては、乘客は神に最も近いといふのみで半ば人間であつたから、瓠の中に入つて泛び來るわけには行かなかつた。昔は神代史の少彦名神[やぶちゃん注:「すくなひこなのかみ」。]を始めとして、玉蟲のような御形[やぶちゃん注:「みかたち」と読んでおく。]で箱の偶に居られたと云ふ倭姫命[やぶちゃん注:「やまとひめのみこと」。]、あるいは赫夜姫[やぶちゃん注:「かくやひめ」。古くは清音。]、瓜子姫子[やぶちゃん注:「うりこひめこ」。]、さては御伽噺になつてしまつた一寸法師等、日本の小千(ちひさこ)思想は徹底したものであつたが、神々の人間味、卽ち御仕へ申す家々との、血筋の關係を説く風が盛になつてからは、もつと舟らしいものを必要とするに至り、しかも空洞木の利用に始まつたかと思ふ獨木舟[やぶちゃん注:「まるきぶね」と訓じておく。ちくま文庫版全集もそう振ってある。]が、追々に稀に見るものとなつてしまふと、各人遺傳の想像力を應用して、終に享和年間に常陸の濱へ漂著したやうな、筋鐵[やぶちゃん注:「すぢがね」。]入りの硝子張りの、何か蓋物(ふたもの)みたやうな船が出來上り、おまけに世界どこにも無い文字などを書いて、終に馬脚を露すのであるが、しかも尚奇妙千萬にも其船の中には、依然として遠い國の王女らしい若い女性が乘り込ませてあつたのである。

[やぶちゃん注:「世界どこにも無い文字」以前に述べた通り、キリル文字可能性てい。]

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