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2018/10/17

古今百物語評判卷之三 第七 叡山中堂油盜人と云ばけ物附靑鷺の事

 

  第七 叡山中堂油盜人(あぶらぬすびと)と云(いふ)ばけ物靑鷺の事

Aburanusubito

 

[やぶちゃん注:本条は挿絵を含め、既に本話の梗概を中で紹介した『柴田宵曲 妖異博物館 「怪火」』の注で電子化してあるが、今回は底本が異なり、零から総てやり直し、挿絵も改めて清拭した。

 比「叡山」の「中堂」は天台宗開祖最澄が延暦七(七八八)年に創建し、自ら刻んだ薬師如来像が安置されている。ここは、初期原型の最澄創建になる三堂(薬師堂・文殊堂・経蔵)の中心に位置したことから、薬師堂を「中堂」と呼ぶようになったが、この三堂が後に一つの伽藍に纏められたため、「中堂」という伽藍名が残ったものとされる。比叡山延暦寺の中心であることから「根本中堂」と称し、比叡山では「東塔」という名の公域区域の中心的建築物である。元亀二(一五七一)年に織田信長の焼き打ちで灰燼に帰したが、後、徳川家光が慈眼大師天海の進言を受け、八年をかけて寛永一九(一六四一)年に現在の姿に再建した。創建以来、千二百年、不断に灯もり続ける「不滅の法灯」は、焼き打ち前に分灯されていた火が移され、僧侶が毎日、油を足し、現在も輝き続けている。

 「靑鷺」博物学的上のそれは私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 蒼鷺(アオサギ)」、及び『森立之立案・服部雪斎画「華鳥譜」より「あをさぎ」』を見られたい。最後に本条の類話を示すために、再注する。

 「坂本兩社權現」これは本来、狭義には、現在の滋賀県大津市坂本にある日吉大社(通称「山王権現」)の身体山である牛尾山(八王子山)山頂にある牛尾宮と三宮を指すものと思われる。ここ(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「日吉大社」によれば、文献では、「古事記」に「大山咋神(おほやまくひのかみ)、亦の名を山末之大主神(やますゑのおほぬしのかみ)。此の神は近淡海國(たかつあふみのくに)の日枝の山に坐(ま)し」と『あるのが初見だが、これは、日吉大社の東本宮の祭神・大山咋神について記したものである』。『日枝の山(ひえのやま)とは後の比叡山のことである。日吉大社は、崇神天皇』七『年に日枝山の山頂から現在の地に移されたという』。『また、日吉大社の東本宮は、本来、牛尾山(八王子山)山頂の磐座を挟んだ』二『社(牛尾神社・三宮神社)のうち、牛尾神社の里宮として、崇神天皇』七『年に創祀されたものとも伝えられている。なお、三宮神社に対する里宮は樹下神社である』とある。『最澄が比叡山上に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である当社を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬し』、『中国の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君にならって山王権現と呼ばれるようになった。延暦寺では、山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道を説いた。中世に比叡山の僧兵が強訴のために担ぎ出した』神輿は『日吉大社のものである。天台宗が全国に広がる過程で、日吉社も全国に勧請・創建され、現代の天台教学が成立するまでに、与えた影響は大きいとされる』。『織田信長の比叡山焼き討ちにより、日吉大社も灰燼に帰した。現在』の『建造物は安土桃山時代以降』、天正十四(一五八六)年から『再建されたものである。信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康は山王信仰が篤く、特に秀吉は、当社の復興に尽力した』。『これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから』(山王権現は猿を神使とする)、『当社を特別な神社と考えたためである』とある。]

 

かたへの人の云(いはく)、「坂本兩社權現の某坊(それがしばう)と云(いへ)る人の物語に、そのかみ、叡山全盛のみぎり、中堂の油料とて壹萬石ばかり知行ありしを、東近江の住人、此油料を司りて、家、富(とみ)けるに、其後(そののち)、世かはり、時移りて、此知行、退轉[やぶちゃん注:ここは「次第に衰えること」及び「中断すること」の両意であろう。]せしかば、此東近江の住人、世にほい[やぶちゃん注:「本意」。]なき事に思ひ、明けくれ、嘆きかなしみしが、終(つゐ)に此事を思ひ死(じに)にして死(しに)にけり。其後、夜每に、此者の在所より、ひかり物、出(い)でて、中堂の方へ來(たり

て、彼(かの)油火のかたへ行(ゆく)とみえしが、其さますさまじかりし故、あながち、油を盜むにもあらざれど、皆人、『油盜人』と名付たり。はやりおの[やぶちゃん注:ママ。「逸り男(を)の」。血気盛んの。]若者共、是を聞(きき)て、『如何樣にも其者の執心、油にはなれざる故、今に來(きた)るなるべし。しとめて見ばや』とて、弓矢・鐵砲をもちて、飛來(とびきた)る火の玉を待(まち)かけたり。あんのごとく、其時節になりて、黑雲一叢(くろくもひとむら)、出づる、と見えし。その中に彼(かの)光り物、あり。『すはや』といふ内に、其若者共の上へ來りしかば、何れも、『あつ』といふばかりにて、弓矢も更に手につかず。中にも、たしか成(なる)者[やぶちゃん注:気丈な者。]ありて、見とめしかば、怒れる坊主の首、火熖を吹きて來たれる姿、ありありと見えたり。是、百年ばかり以前の事[やぶちゃん注:元隣の没年は寛文一二(一六七二)年であるから、ここを起点限界とすれば、百年前は元亀三(一五七二)年よりも前となる。信長の比叡山焼打はまさに元亀二(一五七一)年であるから、この直前と見ると、何やらん、怨霊めいて面白いではないか。話者もその確信犯で「百年前」と言っているように思われる。]にてさぶらひしが、その後はに來(きたり)て、只今も、雨の夜などには、其光物、折々、出申(いでまうし)候を、湖水邊(へん)の在所の者は、坂本の者にかぎらず、何れも見申候。此事、かくあるべきにや[やぶちゃん注:有り得るもんでしょうか? やや反語的疑問の感じがする。]」と問(とひ)ければ、先生、答(こたへ)ていはく、「人の怨靈の來(きた)る事、何かの事に附(つけ)て申ごとく、邂逅にはあるべき道理にて侍る故、其『油盜人』も有(ある)まじきにあらず。しかしながら、年經て消(きゆ)る道理は、『うぶめ』の下(した)にて、くはしく申せし通(とほり)なり。其(その)死ぬる人の精魂(せいこん)の多少によりて、亡魂の殘れるにも遠近(ゑんきん)のたがひ[やぶちゃん注:現世との心理(怨念・遺恨・心残り等の)的距離感によって、化けて出易い場合と、出難い場合があるというのであろう。]、あるべし。また、只今にいたりて、其物に似たりし光り物有(ある)は、疑ふらくは靑鷺なるべし。其仔細は江州高島の郡(こほり)などに、別して、あるよしを申侍る。靑鷺の年を經しは、よる、飛ぶときは、必ず、其羽、ひかり候故、目のひかりと相(あひ)應じ、くちばし、とがりて、すさまじく見ゆる事、度々なり、と申しき。されば、其ひかり物も、今に至りて見ゆるは、靑鷺にや侍らん」。

[やぶちゃん注:「年經て消(きゆ)る道理は、『うぶめ』の下(した)にて、くはしく申せし通(とほり)なり」卷之二 第五 うぶめの事幽靈の事」で、彼は「其氣のとゞこほりて、或は形をなし、又は聲を生(しやうず)る物を『幽靈』といふなれど、猶、此『ゆうれい』も、程ふるに及(および)て、其とゞこほりたる氣の散ずるに隨(したがひ)て消(きえ)うするなり。又、哲人名僧などの教化(けうけ)によりて消えうするは、もとより、妖は德にかたざる道理なれば、其の教化によりて、其氣、忽(たちまち)に散ずればなるべし」と述べている。

「江州高島の郡」ほぼ現在の滋賀県高島市(琵琶湖北西岸)に相当する地区。ここ(グーグル・マップ・データ)。

 さて鷺類、特に五位鷺(博物学的には私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鵁鶄(ごいさぎ)」を参照されたい)と怪異は実は親和性が強い(私には彼らは時に隠者か哲人の後ろ姿にさえ見えるのであるが)。但し、それは寧ろ、元隣の言うような擬似的発光現象に絡む擬似怪談として記されているものが優位に多い。五位鷺の典型例は「諸國百物語卷之五 十七 靏のうぐめのばけ物の事(私の電子化注)や「耳囊 卷之七 幽靈を煮て食し事(私の電子化訳注)であろう。青鷺らしきものでは、私の推定であるが、「谷の響 一の卷 五 怪獸」(私の電子化注)がある。実は「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鵁鶄(ごいさぎ)」で私は「夜、飛ぶときは、則ち、光、有り、火のごとし」とある本文に以下のような引用注を附した。

   *

 これはサギの鳥体が夜間に青白く発光するもので、江戸時代から妖怪或いは怪異現象として「青鷺火(あおさぎび)」「五位の火(ごいのひ)」などと呼ばれている。ウィキの「青鷺火」より引く。『「青鷺」とあるが、これはアオサギではなく』、『ゴイサギを指すとされる』。『江戸時代の妖怪画集として知られる鳥山石燕』の「今昔畫圖續百鬼」や「繪本百物語」などにも『取り上げられ、江戸時代にはかなり有名な怪談であったことがわかる。また江戸後期の戯作者』桜川慈悲功作・歌川豊国画の「變化物春遊(ばけものはるあそび)」(寛政五(一七九三)年刊)にも、大和国で『光る青鷺を見たという話がある。それによると、化け柳と呼ばれる柳の大木に毎晩のように青い火が見えて人々が恐れており、ある雨の晩』、一『人の男が「雨の夜なら火は燃えないだろう」と近づいたところ、木全体が青く光り出し、男が恐怖のあまり気を失ったとあり、この怪光現象がアオサギの仕業とされている』(原典の当該箇所を国立国会図書館デジタルコレクションのここの画像で視認出来る)。『新潟県佐渡島新穂村(現・佐渡市)の伝説では、根本寺の梅の木に毎晩のように龍燈(龍神が灯すといわれる怪火)が飛来しており、ある者が弓矢で射たところ、正体はサギであったという』。『ゴイサギやカモ、キジなどの山鳥は夜飛ぶときに羽が光るという伝承があり、目撃例も少なくない。郷土研究家』更科公護の論文「光る鳥・人魂・火柱」(『茨城の民俗』昭和五六(一九八一)年十二月)にも、昭和三(一九二八)年頃に『茨城県でゴイサギが青白く光って見えた話など』、『青鷺火のように青白く光るアオサギ、ゴイサギの多くの目撃談が述べられている』。『サギは火の玉になるともいう』。『火のついた木の枝を加えて飛ぶ、口から火を吐くという説もあり、多摩川の水面に火を吐きかけるゴイサギを見たという目撃談もある』。『また一方でゴイサギは狐狸や化け猫のように、歳を経ると化けるという伝承もある。これはゴイサギが夜行性であり、大声で鳴き散らしながら夜空を飛ぶ様子が、人に不気味な印象をもたらしたためという説がある。老いたゴイサギは胸に鱗ができ、黄色い粉を吹くようになり、秋頃になると青白い光を放ちつつ、曇り空を飛ぶともいう』。『科学的には水辺に生息する発光性のバクテリアが鳥の体に付着し、夜間月光に光って見えるものという説が有力と見られる。また、ゴイサギの胸元に生えている白い毛が、夜目には光って見えたとの説もある』とある。

   *

私は自身の複数の経験から、発光細菌やバクテリア説は退けたい(そういう派手に発光する陸上や空中での現象(海上・海中では発光クラゲ・クシクラゲ類・夜光虫・ウミホタル・ホタルイカ等で多数見たが)を私は六十一年の生涯の中で一度も経験したことがないからである)。胸元の白い毛の錯覚説を強く支持するものである。

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