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2018/10/30

古今百物語評判卷之五 第二 蜘蛛の沙汰幷王守乙が事

 

  第二 蜘蛛の沙汰王守乙(わうしゆいつ)が事

 

Kumo

 

[やぶちゃん注:以下、底本では総て「蟲」であるが、原典を見ると、総て「虫」であるので、今回はそれに従った。途中の漢字の「へん」を表わす部分が「蟲篇」では如何にも無理があるからである。]

 

一人のいはく、「そのかみ、源氏相傳の名劔(めいけん)に『蛛切(くもきり)』と申(まうす)、御座候ふよし、「太平記」にしるせり。さしも賴光の名將にて、土蛛(つちぐも)ほどの物におそはれ給ふべきは心得がたく侍る」と問(とひ)ければ、先生、評していはく、「此事、さもあるべし。蜘蛛はちいさき虫なれども、智のおそろしき物なりとて、文字にも「虫」篇(むしへん)に「知」の字をかき、又、網にふれたる物を誅(ころ)する[やぶちゃん注:ルビは原典のママ。]義ある故に、「蛛」の字を書(かけ)り。是、「誅」の字をかたどる心なり。それ、春の蝶の、園をたづねて、花をすひ、秋の蟬の、林をもとめて、露をなむるも、皆、智のなすところなるに、何とて蜘(くも)のみ、智ある名には立ちけるぞや。まことに一寸の虫に五分の魂なきも侍らねど、花をすひ、露をなむるは、たゞ身のうへの事のみなり。それ、蜘は、もろもろのむしの心をはかりて、事なきに網をまうけ、懸らんものを己(おのれ)が餌(えば)にせんと、たくめる事、惡智のなせる處なり。此心を長じもてゆきたる大蛛(おほぐも)は、人をも害するたくみ、ありつべし。此故に、もろこしの人も、にくめるにや。王守乙といへる人は、蜘の網をみる每(ごと)に、杖もて、破り侍り。人、その故を問(とひ)けるに、「天地の間(あひだ)、飛びかけるたぐひ、みな、身を動して、口腹のたすけとせるに、たゞ蜘のみ、さがなきたくみをなして、物の命をそこなひて、身を養ひけるをにくみて、かく、やぶる」とぞ云へりとかや」。

[やぶちゃん注:「源氏相傳の名劔(めいけん)に『蛛切(くもきり)』と申(まうす)、御座候ふよし、「太平記」にしるせり」源家の伝家の宝刀のそれについては、所謂、「剣巻」と呼ばれる特異な軍記物の附録のようなものに載る。「平家物語」の幾つかの伝本や「源平盛衰記」に附帯するものが知られているが立国会図書館デジタルコレクション奈良絵本平家物語剣之巻の解題に、『源氏重代の名剣の由来を述べたもので』、「平家物語」の『屋代本、百二十句本に付されており、覚一本などの諸本にある「剣巻」とは、内容が異なる』とし、この「剣巻」は『江戸時代には』「太平記」の『版本にも付載されたので、「太平記剣巻」とも呼ばれる』とある。生憎、私は「剣巻」を含む、それらの軍記物の活字本を所持しないのだが、今回、国立国会図書館デジタルコレクションので通読し、また、絵本太平記も併読したところ、頼光絡みの部分は基本的にほぼ同一の内容であることが判った。ウィキの「髭切によれば、大元は平安時代の清和源氏六孫王源経基の嫡男であった武官貴族源満仲(延喜一二(九一二)年~長徳三(九九七)年)が、天下守護のために「髭切」と「膝丸」の二腰の剣を作らせた内の、「膝丸」がそれ(「源平盛衰記」にはともに二尺七寸(一メートル三センチ弱)の太刀とされている)。ゴースト・バスターのチャンピオン源頼光(天暦二(九四八)年~治安元(一〇二一)年)の手に伝えられ、大山蜘蛛(この伝承を元にした謡曲「土蜘蛛」によってその名で大ブレイクした)退治したことから、名を「膝丸」から「蜘蛛切」と改名したと伝える。

「土蛛(つちぐも)ほどの物におそはれ給ふべきは心得がたく侍る」「平家物語」の「剣巻」では、化蜘蛛に最後に襲われた際、生憎、頼光は瘧病(わらわやみ:マラリア)を患っていたから、それに乗じて来襲したのであって、この質問者へはその事実を語るべきところであろう、元隣は医師でもあるのだから。しかもしっかり頼光は一刀の下に決定的な傷手を与えているのだから。

「蜘蛛はちいさき虫なれども、智のおそろしき物なりとて、文字にも「虫」篇(むしへん)に「知」の字をかき、又、網にふれたる物を誅(ころ)する義ある故に、「蛛」の字を書(かけ)り。是、「誅」の字をかたどる心なり」漢字の成立史(特に対象とそれから受けた印象と漢字音の強い関連性)から見て、この「ご隠居」元隣の解説に、思わず「熊さん」「八さん」になりそうになるが、彼の解字は概ね、マッカな嘘である可能性が頗る高い。元隣の言っているようにもっともらしく「誅」を説明している記載も見かけるが、この「朱」は「動かない」の原義で、「蛛」はシンプルに「巣を張って殆んど動かずに生きている生き物」というのが正しいようである。因みに、本文にある通り、「蜘」だけでもクモを指す。

「事なきに」何の苦労もせずに。

「餌(えば)」「餌食(えばみ)」の転訛した語。

「王守乙」不詳。出典も未詳。お手上げ。]

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