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2018/10/04

古今百物語評判 序・目録 卷之一 第一 越後新潟にかまいたち有事 / 古今百物語評判 電子化注始動

江戸前期の俳人で仮名草子作家でもあった国学者山岡元隣(げんりん 寛永八(一六三一)年~寛文一二(一六七二)年)の遺稿による怪談本「古今百物語評判(ここんひゃくものがたりひょうばん)」(全四巻)の電子化注に入る。

 山岡元隣は字(あざな)を徳甫(とくほ)、別号を而慍斎(じうんさい)(序文に出る。その由来は最終章「古今百物語評判卷之五」の「第八 而慍齋の事幷此草紙の外題の事」に本人の口から語られている)・洛陽山人・抱甕斎(ほうようさい)と称し、医師でもあり、医名は玄水と称した。伊勢山田出身の京都の商家に生まれたが、生来、虚弱多病であったため、廃業、医を業とする傍ら、上京して俳諧・国学を後の松尾芭蕉の師となる北村季吟に就いて学んだ。また、儒学・禅学にも通じた。季吟門の逸材として仮名草子・俳諧・古典注釈などで活躍した。仮名草子作者としては教訓的随想集「他我(たが)身の上」「小さかづき」等があり、俳諧では「身の楽(らく)千句」「俳諧小式(しょうしき)」「歌仙ぞろへ」の編著がある。また、日用の家具・文房具を題材とした「宝蔵(たからぐら)」は俳文集の嚆矢として評価されているほか、「徒然草鉄槌増補」「鴨長明方丈記」「水鏡抄」「世の中百首註」などの古典注釈書がある。

 本怪談集は元隣の没後、息子山岡元恕による整理・補筆を経、貞享三(一六八六)年に板行された。以下の序文にある通り、生前、元隣のもとで行われた実際の百物語怪談会を元にしたものとも思われるが、他の百物語怪談集と異なり、各話について、元隣が和漢の故事や彼の儒仏の知識を以って成した、かなりくだくだしい「評判」=評釈(時に教訓的)が附帯する。ある意味、そのために折角の話の持つ怪異性が著しく殺がれてしまっている場合があり、今一つ、私の電子化の触手が今まで伸びなかった百物語系(例によって百話はなく、章にして全四十二話)怪談本である。しかし、ある意味で怪談そのものを議論の対象として、疑似科学的文学的(時に民俗学的)に解析しようとする立ち位置は、当時の、怪談会に惹かれた人々の関心の在り方を如実に示しているとも言える。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「德川文芸類聚(とくがわぶんげいるいじゅ) 第四 怪談小説」(大正三(一九一四)年国書刊行会編刊)の巻頭に配された「百物語評判」(本書の短縮表記)を用い、疑問箇所は所持する国書刊行会「叢書江戸文庫」の巻二十七「続百物語怪談集」(一九九三年刊・責任編集/高田衛・原道生)及び「早稲田大学図書館古典総合データベース」の原典画像(二種有るが、巻之四は孰れにもない で校合した。但し、底本には殆んど読みがないので、若い読者が判読に困難を要すると思われる箇所及び読みが振れると私が判断した箇所には歴史的仮名遣で読みを添えた(その場合、「叢書江戸文庫」「早稲田大学図書館古典総合データベース」版を参考にしたが、原典自体が歴史的仮名遣を誤っているケースも多いので、必ずしも原典通りには振っていない(例えば、盛んに出現する「理」には原典は「ことはり」と振るが、「ことわり」が正しく、そう振った)。その通りに翻刻すると、歴史的仮名遣の誤りを逐一、注しなくてはならなくなるためである)。また、底本は句点なしの読点ばかりのもので、非常に読み難いため、適宜、句点に代え、一部に読点を追加し、読み易さを考えて記号類(濁点追加を含む)も追加してある。踊り字「〱」「〲」は正字化した。挿絵があるが、これは「叢書江戸文庫」版のそれをトリミングして挿入した。

 

 百物語評判序

 

 過ぎにし比(ころ)、六條あたりに、而慍齋先生とて、和漢の達者、儒佛兼學の老人あり。いはゆる、天地・山川・動植・古往今來(こわうきんらい)の事に會通(ゑつう)せずといふ事、なし。或る夕ぐれの、雨さへふり、物しめやかなる折ふし、先生を訪(とふ)らひけるに、はや、あたりのすき人、二、三人あつまりて、世の、ふしぎにおそろしき事の「百物がたり」をはじめければ、先生、其(その)ひとつひとつに、唐(から)の、やまとの、ためしを引き、評判をし給ふ。其道理、こまやかにして、事實に、もるゝ事なし。いまだ百にも滿たざれども、夜も更(ふけ)ければ、「又の夜」といひて、止みぬ。やつがれも其座につらなりて、聞覺(ききおぼ)へし事を書きつけつ。頃日(このごろ)、反古堆(ほごたい)の中(うち)より取り出(いだ)して、かいやり捨(す)つべかりしを、先生の辯論(べんろん)なれば、人の求(もとめ)に隨ひて、梓(あづさ)にちりばめ侍る。もし、理(ことわり)のそむけるあらば、やつがれが記(しる)しあやまれるにて、先生のつみにあらず。見る人ゆるし給へ、といふ。貞享とらの年二月中旬序す。

[やぶちゃん注:「而慍齋」(じうんさい)の号は「論語」の「學而第一」の「人不知而不慍、不亦君子乎」(人、知らずして慍(うら)みず、亦、君子ならずや)に基づくものであろう。

「古往今來」昔から今に至るまでの時間軸の総て。

「會通」本来は仏教用語で、教説の中の種々相違する異説について、表面上の矛盾を払い去り、深いとこのろある核心の主旨を明らかにし、総てに共通した正法(しょうぼう)の趣意を見出すことを指すが、ここは広く、あらゆる事象の普遍的真理に通暁(つうぎょう)していることを言っている。

「唐(から)」「叢書江戸文庫」版のルビを採用した。

「やつがれ」漢字表記では「僕」。一人称人代名詞。自分を遜(へりくだ)って称する語。「奴(やつこ)吾(あれ)」の音変化と言われる。古くは清音「やつかれ」。上代・中古には男女ともに用いたが、近世以降は男性がやや改まった場で用いるに限られた。

「聞覺(ききおぼ)へし」ママ。「おぼへ」は歴史的仮名遣は「おぼえ」が正しい。

「反古堆(ほごたい)」底本は「古反堆」であるが、一般的な「ほご」(書き損じの古紙)「反古」であり、「叢書江戸文庫」版もそうなっているので、ここは訂した。「堆」は堆(うずたか)く積もったものの意。

「かいやり」「搔い遣り」(「搔き遣る」のイ音便)。払い除(の)けて。押し遣って。

「梓(あづさ)にちりばめ」「梓に鏤め」。「梓に鏤む」は「版木(はんぎ)に刻む」ことから、「板行する・出版する・上梓 (じょうし)する」の意。中国で古くは梓の木(但し、中国の「梓」はシソ目ノウゼンカズラ科キササゲ属トウキササゲ Catalpa bungei を指し、本邦で多様に認識されている「梓」とは異なる樹種と考えた方がよい)を版木に用いたことに由来する。

「理(ことわり)」「叢書江戸文庫」版は『り』であるが、どうも師の意見の中の「真理」部分を音「リ」と読むのには、私には抵抗がある。

「貞享とらの年二月中旬」貞享三年丙寅(ひのえとら)。グレゴリオ暦一六八六年三月上旬。

 以下、目録。なお、底本では各章の「第○」の後に読点があるが、これは私には五月蠅く感じられるので除去した。これは各本文章標題でも同じ処理を施したまた、各章は一字下げであるが、ブラウザの不具合を考えて無視した。巻の間には空隙がないが、一行空けた。「幷」は「ならびに」、「附」は「つけたり」と読む。]

 

目錄

 

卷之一

第一 越後新潟にかまいたち有(ある)事

第二 絶岸和尚肥後にて轆轤首(ろくろくび)を見給ふ事

第三 鬼といふに樣々の説ある事

第四 西の岡の釣甁(つるべ)おろし陰火・陽火の事

第五 空谷響(こだま)彰彭侯(ほうこう)と云ふ獸狄仁傑(てきじんけつ)の事

第六 見こし入道和泉屋介太郞(すけたらう)事

第七 犬神四國にある事

第八 神鳴雷斧・雷墨の事

 

卷之二

第一 狐の沙汰百丈禪師の事

第二 狸の事明(みん)の鄒智(すうち)齊齋藤助康手柄の事

第三 有馬山(ありまやま)地獄谷・座頭谷の事

第四 箱根の地獄富士の山三尊來迎(らいがう)の事

第五 産婦(うぶめ)幽靈の事

第六 垢(あか)ねぶりの事

第七 雪隱(せつゐん)の化物唐の李赤(りせき)が事

[やぶちゃん注:「せつゐん」は「叢書江戸文庫」の当該本文のそれが総てかくルビするのに従った。]

 

卷之三

第一 參州賀茂郡(かもごほり)長興寺門前の松童子に化(ばけ)し事

第二 道陸神(だうろくじん)の發明の事

第三 天狗の沙汰淺間嶽(あさまがだけ)求聞持(ぐもんじ)の事

第四 錢神(ぜにがみ)の事省陌(せいはく)の事

第五 貧乏神韓退之(かんたいし)送窮文(そうきうのぶん)苑文正公(はんぶんせいこう)の事

第六 山姥(やまうば)の事一休の物語狂歌の事

第七 比叡山(ひえのやま)中堂(ちうだう)油盜人(あぶらぬすびと)と云ふ化物(ばけもの)靑鷺(あをさぎ)の事

第八 「徒然草」猫またよやの事觀教(くわんげう)法印の事

 

卷之四

第一 攝州稻野(いなの)小篠(おざさ)呉隱之(ごゐんし)が事

第二 河太郞(がはたらう)丁初(ていしよ)が物語の事

第三 野衾(のぶすま)の事

第四 梟(ふくろ)の事賈誼(かぎ)が鵩鳥(ふくてう)の賦(ふ)の事

第五 鵼(ぬえ)の事弓に聖人の遣法のこる事

第六 鬼門の事周の武王往亡日(はうもうにち)に首途(かどで)の事

第七 雪女の事雪の説

第八 西寺町(にしでらまち)に墓の燃(もえ)し事

第九 舟幽靈丹波の姥(うば)が火津の國仁光坊(にんくはばう)が事

第十 雨師(うし)風伯(ふうはく)殷の湯王・唐の太宗の事

第十一 黃石公(くはうせきこう)の事

 

卷之五

第一 痘(いも)の神・疫病の神「※1※2乙(きんじゆおつ)」の字(じ)の事

[やぶちゃん注:「※1」=「竹」(かんむり)+(下部)「斬」。「※2」=「竹」(かんむり)」+(下部)「厂」+(内部)「斯」。]

第二  蜘蛛の沙汰王守乙(わうしゆいつ)が事

第三  殺生の論伏羲(ふつき)・神農・梁(りやうの)武帝の事

第四  龍宮城山の神張橫渠(ちやうわうきよ)の事

第五  仙術幻術の事

第六  夢物がたりの事

第七  而慍齋化物の物語の事

第八  而慍齋の事此草紙の外題の事

 

 

百物語評判卷之一

 

 第一 越後新潟にかまいたち有事

一人の云(いは)く、「某(それがし)召しつかひ候者の中に越後者ありしが、高股(たかもも)に、よほどなる疵あとみえ候ふ故、『いかなる事にか逃疵(にげきず)おひたる』と覺束なくおもひて、樣子を尋ねけるに、彼の者、申すやう、『生國又は秋田・信濃などにも多く御座候ふ「かまいたち」と申す物にきられ候ふ疵なり』と申(まうす)。あやしみ思ひて委(くはし)くたづねしに、『たとはゞ、所の者・旅の者にかぎらず、遠近(をちこち)を經(へ)めぐりし折(をり)から、俄に、たかもゝ・こぶらなどに、かまもてきれるやうにしたたかなる疵出で來(き)、口ひらけども、血、ながれず、其儘、きえ入り、臥(ふ)しける時、其事に馴れたる藥師(くすし)を求(もとめ)て、藥つけぬれば、程なく、いえ侍る。命に、さゝはり、なし。某も新潟より高田へまいり候ふ時、此「かまいたち」にあひ申したる疵にて候。さして珍らかなるにも候はず。されども都がたの人、または、名字(みやうじ)なる侍(さぶらひ)には、此災ひ、なく候ふ』と語りしが、誠に侍るやらん」と問ひければ、先生、評していはく、「凡そ天地のいきおひ、南は『陽』にてあたゝかなれば、物を長じ、北は『陰』にてさむければ、物をそぐ。是れ、常の理(ことわり)なり。されば、其(それ)、越後・信濃は北國の果(はて)なれば、肅殺(しゆくさつ)の氣、あつまり、風、はげしく、氣、冷(すさま)じきをかりて、山谷(さんこく)の鬼魅(きみ)などのなすわざなるべし。されども、都方(みやこがた)の人、または、名字ある侍に此疵あふたる者なきは、邪氣の正氣(しやうき)にかたざる理(ことわり)なるべし」と評せられき。

[やぶちゃん注:「高股」腿(もも)の上部。傷は恐らく、太腿の側面から後ろ側にくっきりとある。次注参照。

「逃疵」襲われて、その敵に背を向けて逃げた際、背部・後部に受けた創傷を指す語である。

「かまいたち」私の囊 之七 旋風怪の事柴田宵曲 續妖異博物館 「鎌鼬」「想山著聞奇集 卷の貮 鎌鼬の事」を参照されたい。私の体験を含め、詳述注をしてある。

「たとはゞ」例はば。例を申し上げるとなら。

「こぶら」腓(こむら)。脛(すね)の後ろ側の柔らかい部分。脹脛(ふくらはぎ)。

「きえ入り」出血は起こらないものの、意想外に大きくぱっくと空いた傷跡なので、ショックで貧血を起こしたりして、意識を失せかけてしまうのを指すのであろう。

「さゝはり」「障(ささは)り」。害。ここは予後の悪さの意。

「名字なる侍」「名字」には、同一の氏(うじ)から分かれ出て、その住む地名などに因んで付けた名。源氏から出た新田・足利 、平氏から出た千葉・梶原等の類いを限定する意味があり、ここはまさに武士として古来より由緒ある後裔の御侍方の意。

「肅殺の氣」原典・「叢書江戸文庫」版では『しくさつ』とルビするが、正規の歴史的仮名遣で示した。「秋の気が草木を枯らすこと」を意味し、生物の心身に厳しい気の意。

「鬼魅」すだま。精霊。魑魅魍魎。]

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