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2018/10/31

萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 春の實體

 

  春の實體

 

かずかぎりもしれぬ蟲けらの卵にて、

春がみつちりとふくれてしまつた、

げにげに眺めみわたせば、

どこもかしこもこの類の卵にてぎつちりだ。

櫻のはなをみてあれば、

櫻のはなにもこの卵いちめんに透いてみえ、

やなぎの枝にも、もちろんなり、

たとへば蛾蝶のごときものさへ、

そのうすき羽は卵にてかたちづくられ、

それがあのやうに、ぴかぴかぴかぴか光るのだ。

ああ、瞳(め)にもみえざる、

このかすかな卵のかたちは楕圓形にして、

それがいたるところに押しあひへしあひ、

空氣中いつぱいにひろがり、

ふくらみきつたごむまりのよに固くなつてゐるのだ、

よくよく指のさきでつついてみたまへ、

春といふものの實體がおよそこのへんにある。

 

[やぶちゃん注:太字「ごむまり」は底本では傍点「ヽ」。その下の「よに」はママであり、筑摩書房全集の校訂本文でも「よに」である。「月に吠える」再版(大正一一(一九二二)年アルス刊)でも「よに」で、「萩原朔太郎詩集」(昭和三(一九二八)年第一書房刊)で「やうに」となっているだけである。萩原朔太郎は詩・文を問わず、文中に口語の短縮表現(「なつてゐる」ではなくて、「なつてる」のような。以下の初出形の終りから三行目の末尾を見よ)を好んで用いる傾向がある。ここも、「ように」ではなく、「よに」なのである。なお、初出によって、上掲の四行目の「類」は「るゐ」と読んでいることが判る。

 初出は『卓上噴水』大正四(一九一五)年五月発行に載った。以下に初出形を示す(三箇所の太字は同前)。

   *

 

  春の實體

 

かずかぎりもしれぬ蟲けらの卵にて

春がみつちりとふくれてしまつた

げにげに眺めみわたせば

どこもかしこもこのるいの卵にてぎつちりだ

さくらのはなをみてあれば

櫻の花にもこの卵いちめんにすいてみえ

やなぎの枝にももちろんなり

たとへば蛾蝶のごときものさへ

そのうすき羽は卵にてかたちづくられ

それがあのやうにぴかぴかぴかぴか光るのだ

ああ 眼にもみえざる

このかすかな卵のかたちは楕圓形にして

それがいたるところに押しあひへしあひ

空氣中いつぱいになり

ふくらみきつたごむまりのよに固くなつてるのだ

よくよく指のさきでつついてみたまへ

春といふものの實體がおよそこのへんにある。

 

   *

ルビ「るい」の表記はママ。]

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