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2018/10/08

古今百物語評判卷之二 第一 狐の沙汰附百丈禪師の事

 

百物語評判卷之二

 

  第一 狐の沙汰百丈禪師の事

 

Toranoi

 

一人の云(いは)く、「狐と申すけものこそ、我朝にては、さまざまのふしぎ、多し。高麗・もろこしの書物にも其理(ことわり)や侍らん。『しのだ妻』の草紙に云へるも、さだかなる事にや」と問ひしかば、先生、云(い)へらく、「狐は妖獸(ばけもの)の長(をさ)にて、三德をそなへたり。され共、物を疑ふ性(しやう)深き故、己(おのれ)が類(るい)と、むらがる事、なし。水をわたるにも、厚き氷のはりたるを、尾を以て、幾度も叩(たたき)て後(のち)、步むと云(いへ)り。唐土(もろこし)にては、百歳の狐、北斗を禮(らい)して美女となり、千歳にして、其尾、われて、媱婦(たはれめ)となれりとかや。宋の王欽若(わうきんじやく)と云(いふ)者、其むまれつき、ねぢけて、何共(なんとも)心得がたきを以て、『九尾狐(きうびこ)』と名付けし事、「宋史」に見えたり。かくあるうへは、『しのだ妻』も去(さる)事[やぶちゃん注:「然る事」の当て字で、有り得ること、の意。]にや侍らん。最(もつとも)長生(ながいき)をして、至(いたつ)て、智あるものなり。昔も狐の類、虎を恐(おそれ)て、『如何にせん』と云(いひ)しに、其中の老狐、分別し、出て、虎にかたりて云(いはく)、『汝、我をぶくする事なかれ。我、もろもろの獸(けもの)の長(をさ)なれば、何(いづ)れもわれを恐るるなり。若(もし)うたがひ給(たまは)ば、汝、我跡につきて見よ』と云しかば、虎、『げにも』と思ひ、狐のあとより行きしに、もろもろの獸、恐て、ふしたり。それより、虎だに、きつねをくらはず、といふ。是、狐に恐るゝあらず、其跡より來(く)る虎を恐るゝなり。かくして、虎をあざむけるにこそ、狐は虎の威をかると云(いふ)。かく、智ある獣なれば、我朝にても、幾春秋をふる狐、稻荷の鳥居を打(うち)こして、神異の術をなせりとかや。是れ、世に云(いは)ゆる『いなり狐』なり。其外、國々所々の宮居(みやゐ)社塔につき隨(したが)て、『多くは神のつかはしめなり』と云(いへ)り。ある人のいはく、『狐、よくばくるにあらず、見る人のおもひなせる所によりて、女とも見え、老僧ともなり、あらぬ物にもみゆる』といへり。是れ、淺きりようけん[やぶちゃん注:ママ。]にて、あたれりといふべからず。誠に狐に變化(へんげ)する術あり。若(もし)又、おもひなせる所のみならば、其(それ)見る人の思ひなしに、とりどり、かはりあるべし。百千人の目に美女とみゆる狐、などや、百千人ともにおなじく美女と思ひなしぬべき。そのうへ、むかし、百丈禪師の説法せられし時、日每(ひごと)に、一人の僧、來たりて、聞く。ある時、聽衆の跡にのこりて、禪師にむかつていふやう、『我、人間にあらず、此山に住み候ふ老狐(ふるぎつね)なり。其(その)しさいは、それがし、過去生(くはこしやう)の時、此山に住(すまゐ)して法(はう)を説きしに、人、來たりて、問ひていはく、「知識は因果におつるや」と。我、答へて曰く、「博學多才の知識は不ㇾ落因果(因果に落ちず)」とこたえたり[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]。其答のあやまりしによつて、五百生(しやう)が間(あひだ)、野狐身(やこしん)に墮し、かくて、今に此山に住みくらし候ふ。其迷ひの、何とぞ、はれ申すべきやうにしめし給はれ』と云ひければ、禪師、聞(きき)て、『やすき事なり。其方、我にむかつて問ふべし』とあれば、僧、問ひて云く、『知識は因果に落(おつ)るや』と。禪師、こたえてのたまはく、『知識たりとも、何ぞ因果に落ちざらん、たゞ、不ㇾ昧因果(因果に昧(くら)からず)』と答へ給ひしかば、僧、言下(ごんか)にさとりて、『われ、かたじけなくも、禪師の一言(いちごん)によつて、畜生道のくるしみをまぬがれたり』云へりとかや。是れ、禪學のふかき話則(わそく)[やぶちゃん注:公案等に用いられる教訓的寓話。]にして、然(しか)も、其(その)百丈禪師の狐を僧と見給ひしは、など、思ひなしの迷ひ侍るべき。是れ、其變化(へんげ)の術(てだて)ある事、あきらけし。『哲人は狐にばかされず』といはゞ、よし。『哲人の前には狐もばけず』といはゞ、よからず。是れ、『眞人(しんじん)は火に入りてもやけず』といはゞ、よし。『眞人の前には火ももえず』と云はゞ、非なるがごとし。『もゆる』は火の性(しやう)、『やけぬ』は眞人の德、『ばくる』は狐の術(じゆつ)、『ばかされぬ』は哲人の德なり。かゝる智あるものなれど、わなにかゝりて身をうしなふは何事ぞや。餌にほださるゝ慾あればなり。此故に、古今(ここん)に通(つうず)る博士も僞朝(ぎてう)につかへ、そのほうろくをむさぼりて、身をほろぼし、名をくだせし類(たぐひ)、多し。況んや、狐におゐてをや[やぶちゃん注:ママ。]。又、世に『狐つき』といふもの、あり。其(その)『つく』しさいは知りがたけれども、『つかるゝゆえん[やぶちゃん注:ママ。]』は知りぬべし。内(うち)、虛(きよ)する時は、外邪(ぐはいじや)、そのひまをうかがふ道理なれば、人の喜怒哀樂の七情(しちじやう)ひとつにても、過ぎて、心の主(しゆ)、人外にはなるゝか、又は、其心の過分にうつけたる者には、其隙(ひま)をうかゞひて、狐のをそふなるべし[やぶちゃん注:ママ。]。されば、本心のたゞしき人は、千歳の狐も、たぶらかす事、なし。さて又、狐と螢(ほたる)は、おなじく、身をもて、夜を照らす物なれども、螢の火は『物』なり。狐の火は『神(しん)』なり。此故に、螢は、心のまゝに火をかくすこと、あたはず。狐は、其火の、ともし・けし、おのれが心にまかす、とみえたり。世俗には牛馬のほねをくはへて、口にて、火をともせり、といへども、もろこしの書には、『尾をうちて、火を出し、やんごとなき珠(たま)を持(もち)たる獸』としるし侍る。さればにや、陰陽師(をんやうじ[やぶちゃん注:原典のルビ。])は『福の神』といひなし、繪かきは、尾さきに如意寶珠(によゐほうじゆ[やぶちゃん注:原典のルビ。])を書(かき)けるも、これらの故實(こじつ)にてや侍らん」とかたられき。

[やぶちゃん注:「しのだ妻」「信田妻」。異類婚姻譚として、また、安倍晴明の出生奇譚として著名な「信田妻(しのだづま)」の伝承。小学館「日本大百科全書」から引くと、古浄瑠璃として知られるものが著名な文芸作品で、全五段から成る(作者不詳)。延宝二(一六七四)年の鶴屋版の板本が最も古い。陰陽博士(おんみょう)安倍晴明の説話に、妖狐譚である狂言「こんくわい」(「釣狐(つりぎつね)」)が結合し、仮名草子「鶴のさうし」が転用されたものらしい。村上天皇の御代、摂津阿部野在住の阿部保明の子保名(やすな)は、父を石川悪右衛門に殺されて、その仇(かたき)を討ち、キツネと結婚し、信田の森近くに住む。夫婦の子の阿部童子に、母はその正体を知られ、「戀しくば尋ね來て見よ和泉(いづみ)なる信田の森のうらみ葛の葉」の歌を残して、消える。後、童子は阿部晴明と名乗り、一方、陰陽博士蘆屋道満は弟である悪右衛門の仇であった保名を殺すが、晴明は父を蘇生させ、二人して禁裏へ参内、道満は首を刎(は)ねられる。晴明は天文博士として出世し、末代まで栄えるという筋立てである。後、五説経の一つにもなったが、説経浄瑠璃の正本は残っていない。変化に富んだ名作で、後、竹田出雲作の名作浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑(おおうちかがみ)」を生む原動力になった。ウィキの「葛の葉」もコンパクトによく纏めてあるので参照されるとよい。また、「想山著聞奇集 卷の壹 狐の行列、幷讎をなしたる事 附 火を燈す事」の私の拘りの注で示した、「日本靈異記」の上巻の「狐爲妻令生子緣第二」(狐を妻と爲して子を生ましむる緣第二)などが、この類伝承の最も古い濫觴の一つであると思う。未見の方は、是非、読まれたい。なお、岩波文庫「穢土怪談集 下」の注で高田衛氏は「『しのだ妻』の草紙」は寛文(一六六一年~一六七三年)頃に刊行された「安倍晴明物語」を指すとする。

「三德」儒学で唱えられるのは「智」・「仁」・「勇」の三徳目であるが、ここは仏教の法身(仏如来の本性(身)は常住不変不滅の法性(ほっしょう)であるとする認識)・般若(仏如来はこの世の本質をあるがままに覚知すること)・解脱(仏如来は一切の煩悩・繋縛を遠く離れて自在であること)か。それらを認識する智を持ちながら、増長して魔道に堕ちているというのであろう。因みに、元隣は本条を書くのに、「本草綱目」の「獸之二」の「狐」の「集解」の後半部をかなり利用しているように思われる(下線太字やぶちゃん)。

   *

許慎云妖獸、鬼所乘也。有三德其色中和、小前大後、死則首丘。或云狐知上伏、不度阡陌。或云狐善聽冰。或云狐有媚珠。或云狐至百歳、禮北斗而變化爲男・女・淫婦以惑人。又能擊尾出火。或云狐魅畏狗。千年老狐、惟以千年枯木燃照、則見眞形。或云犀角置穴、狐不敢歸。「山海經」云靑丘之山、有鼎曰狐魅之狀、見人或叉手有禮、或祗揖無度、或靜處獨語、或裸形見人也。

   *

「媱婦(たはれめ)」淫売婦。

「宋の王欽若」王欽若(九六二年~一〇二五年)は北宋初期の政治家。ウィキの「王欽若」によれば、『真宗の元で執政となり』「澶淵の盟」(せんえんのめい:一〇〇四年に北宋と遼の間で結ばれた盟約。国境の現状維持・不戦・宋が遼を弟とすること・宋から遼に対して年間絹二十万匹と銀十万両を送ることなどが決められた)『に於いては南遷論を唱え』、『宰相の寇準と対立した』。九九二年に進士となり、亳州(はくしゅう)『(現安徽省亳州市)の防禦推官』『となり、秘書省秘書部・西川安撫使などを経て』、一〇〇一年に『参知政事(執政。副宰相)となった』。一〇〇四年、『北の遼(契丹)の聖宗と摂政承天太后が親征軍を以て南下してきた。朝廷ではこれに対してどうあたるかが協議され、王欽若は金陵(南京)遷都を提案したが、同平章事(宰相)の寇準は真宗の親征を主張し、これが容れられて遼との間で和約を結ぶに至った(澶淵の盟)』。『自らの面目をつぶされた王欽若は真宗に対して「澶淵の盟は城下の盟』」と『説いて寇準を失脚させ』た。一〇〇八年には、『天書という天からの手紙と称する物が見つかり、これに乗じて真宗に封禅の儀を行わせた。一〇一九年には『皇太子(後の仁宗)の師となるが、丁謂により』、『失脚させられる』。しかし、一〇二三年には『再び宰相に返り咲』いた。死去に際して、『文穆の諡と太師・中書令の職を送られ』ている。『後世、寇準に対する讒言や封禅に使った莫大な財貨は強く批判された。寇準との争いは江南出身の王欽若と華北出身の寇準との争いであるという見方もあり、王欽若は宋開国以来、その経済力に比べて政治的には不遇であった南人官僚の進出の嚆矢という考えも出来る』とある。中文ウィキソースの「宋史演義の「第二十四回 孫待制空言阻西幸 劉美人徼寵繼中宮」の王欽若についての記載の中に、『素性姦媚』、『綽號九尾狐』とある。

「宋史」宋の史書で正史の一つ。元のトクト(脱脱)らの奉勅撰。一三四三年に執筆を開始して、二年後に成った。

「汝、我をぶくする事なかれ。……」「ぶく」は「服」。言わずもがなであるが、ここは「支配する」ではなく、「喰らう」の意。以下は誰もが高校の漢文で習った、「戦国策」の「楚策」に出る、「虎の威を借る狐」の譬え話である。懐かしいから引いておく。

   *

虎求百獸而食之、得狐。狐曰、「子無敢食我也。天帝使我長百獸。今子食我、是逆天帝命也。子以我爲不信、吾爲子先行。子隨我後觀。百獸之見我、而敢不走乎。」。虎以爲「然。」。故與之行。獸見之皆走。虎不知獣畏己而走也。以爲畏狐也。

(虎、百獣を求めて、之れを食らひ、狐を得たり。狐、曰く、「子敢へて我を食らふこと無かれ。天帝、我をして、百獣に長(ちやう)たらしむ。今、子(し)、我を食らはば、是れ、天帝の命(めい)に逆らふなり。子、我を以つて信ならずと爲(な)さば、吾れ、子の爲に先行(せんかう)せん。子、我が後に隨ひて觀よ。百獸の我を見て、敢へて走らざらんや。」と。虎、以つて、「然り。」と爲す。故に遂に之れと行く。獸、之れを見て、皆、走る虎の己(おのれ)を畏れて走るを知らざるなり。以つて狐を畏ると爲すなり。)

   *

この現実の戦国時代の背景と力学は、メルマガ「故事成語で見る中国史(34)虎の威を借る狐」がよく書かれてある。話者は魏の使者で遊説家の「江乙(こういつ)」で、話している相手は楚の「宣王」でこれが「虎」(厳密には宣王の強大な軍事力)、「百獣」は北方の「戦国の七雄」の内、南方一帯を手にしていた楚を除いた「秦・魏・韓・斉・趙・燕」。「狐」は当時の楚で絶大な権力を有していた宰相「昭奚恤(しょうけいじゅつ)」である。しかし、この場合、江乙が魏の意を汲んで楚の昭奚恤の権力を殺ぐために遊説しているのは明らかで、少し下がって全体を見渡せば、実際の「狐」は魏と楚の宣王双方にとり入ってその力学関係を梃子に自身の遊説家としての立場を温存しようと目論んでいる江乙自身と言うべきであろう。

「幾春秋をふる狐」「ふる」に「經る」と「古」を掛けていると見た。

「稻荷の鳥居を打(うち)こして」神として祀られているのに満足していればよいのに、増長して出しゃばり、そこを飛び出して。

「つかはしめ」使者。

「りようけん」「料簡・了見」。正しくは「れうけん」。考え・認識。

「百丈禪師の説法せられし時、……」この話は「百丈野狐」の名で非常に知られたもので、やや変形した類型譚も多い。私の「無門關 二 百丈野狐」がオーソドックスなものである。ただ、この元隣のそれの内、百丈和尚の「知識たりとも、何ぞ因果に落ちざらん、たゞ、因果に昧(くら)からず」という答え、禅問答の公案に対する答えとしては、とんでもなく「智」に堕した、甚だ退屈な凡論理に堕(お)ちたもので、私だったら、「チリン」と鈴を鳴らして、もう一度、考えてこい、というレベルのものである。無論、公案の答えは、実は正解はないから、「落ちない」でも「落ちる」でもいいのだが、但し書き附きのそれは、まず、絶対に正答ではないし、「因果に昧(くら)からず」という命題は「知識は因果に落つるや」という公案の答えとして成っていないし、そんな附帯条件のレスポンスなんてものは絶対に落第なのである。さらに言えば、元隣がダメなのは、この印象的な話柄を「其(その)百丈禪師の狐を僧と見給ひしは、など、思ひなしの迷ひ侍るべき。是れ、其變化(へんげ)の術(てだて)ある事、あきらけし。」という物理的に狐が誰が見ても同一の人物に化けられるクソ例示として示しているに過ぎないという点である。これには私は大いに呆れ果てていると言ってよい。

「眞人(しんじん)」私の認識しているそれは、道家思想に於いて究極の理想とされる、「無為自然」の「道(タオ)」を体得した人で、「荘子」の「大宗師篇」では、無心に天命に随順し、総てを自然としてそのまま受け取り、一切の総体的差別や対立を離れ、「万物斉同」の境地に生きている人を指す。後に神仙の意味にも用いられるし、ここでは寧ろ、その意味、仙人、或いは、仏教の正法(しょうぼう) を悟った人としての仏陀や阿羅漢といった存在を考えた方が判りが良いであろう。

「かゝる智あるものなれど、わなにかゝりて身をうしなふは何事ぞや。餌にほださるゝ慾あればなり」というのは私は、元隣の面白くも可笑しくもない誤った平凡過ぎる解釈、「了見」だと思う。さればこそ、続く〈博士の誤謬〉、愚昧佞臣の蔓延る政権に仕えて身を滅ぼし、「名を下せし」後世の評判を致命的に落してしまうような連中も多い、という例示も実につまらんのである。なお、私は智慧のある狐狸が自身の死を免れないのは、仏教的な意味に於いて、或いは、天命として決められた宿命として、既にこの世に生を享けた時に定まって持っているのだとした方が遙かに腑に落ちるのである。元隣のような論理は、殉教者や人種的に迫害されて滅亡させられた民族等は、その死因が捨てるべき欲にあったのだと言っているのと同じであり、自己責任に帰結させるところの、それこそ権力者の都合のいい理窟、それこそ現在の安倍政権とそれと同じなのである。私は「想山著聞奇集 卷の四 古狸、人に化て來る事 幷、非業の死を知て遁れ避ざる事」の狸の化けた青年と老婆とのしみじみとした話を思い出すのである。青年は、明日、罠に掛かって死ぬとして暇乞いをしに来る。

   *

……夜(よ)に入りて罠に懸りて死す。此時は免るべからず。」

と語る故、老婆問ひて曰く、

「夫程、未前を能く知る通力有りて、形をも人と變じ、言語(ごんご)も人に替る事なき變化(へんくわ)自由の身を持ちて、其罠に懸る事を止め樣(やう)はなき歟(か)。又、たとへ、罠に懸りたりとも、助かるべき術(てだて)はなきか。夫れほどしり居(ゐ)ながら、其罠に懸りて死ねばならぬといふ事、我等には合點(がてん)行かず。」

といへば、

「天運の盡くる所は、如何とも是非に及ばざる事にて、兼て罠に懸るとは知居(しりゐ)ても、其期(そのご)に至りては、心、恍惚として覺えなく、縊(くく)りて死せん事、鏡にかけたる如く、知居れども、遁るゝに所なし。」

   *

と答えるのだ。辛気臭い元隣は、妖術を操る故の応報とでも何でも言うだろうが、この世には悪どいことを好き勝手放題して、生き長らえている糞野郎どもがゴマンといるぞ?! いやさ、元隣! お前さんの言ってることは、俺には判らねえな!!!

「しさい」「仔細」。

「七情」人の持つ七つの感情。儒家では「喜・怒・哀・懼(く:恐れ)・愛・悪(お:憎むこと)・欲」。仏教では「喜・怒・憂・懼・愛・憎・欲」を挙げる。]

「心の主(しゆ)」心の内にあるべき本来の自分の安定した心。

「うつけたる」ある感情のバランスが崩れて、過剰になって、心=精神が馬鹿になってしまった、空ろな空隙が出来てしまった結果。

「をそふ」「襲ふ」。

「神(しん)」この場合は広義の、正邪・善悪・神聖不浄等の区別に基づかない超自然の存在を指す。

「ともし・けし」「燈し・消し」。古文ではこの動詞の名詞形の並列はかなり珍しいと思う。

「ほねをくはへて」「骨を銜へて」。唐の「酉陽雑俎(ゆうようざっそ)」巻十五の「諾皋記(だくこうき)下」では、紫狐(しこ)という野狐が化ける際に、人の髑髏を頭に載せ、北斗七星の方向へ辞儀するなどと出、これは本邦でも輸入されて、よく絵に描かれている。

「尾をうちて、火を出し、やんごとなき珠(たま)を持(もち)たる獸」先の注の「本草綱目」の引用を参照されたい。

「如意寶珠」はサンスクリット語の「チンターマニ」(「チンター」は「思考」、「マニ」は「珠」の意)の漢音写で、仏教で霊験を表わすとされる宝の珠(たま)で「意のままに願いを叶える霊宝」の意。これを尾先に持った妖狐の絵も定番。]

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