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« 古今百物語評判卷之二 第六 垢ねぶりの事 | トップページ | 古今百物語評判卷之三  第一 參州加茂郡長興寺門前の松童子にばけたる事 »

2018/10/11

古今百物語評判卷之二 第七 雪隱のばけ物附唐の李赤が事 / 古今百物語評判卷之二~了

 

  第七 雪隱(せつゐん)のばけ物唐(とう)の李赤(りせき)が事

一人のいはく、「世に『雪隱のばけ物』といふものゝあるよしをいひ、又、あら神(がみ)なるよしをも云へり。其たゝりにあへる者、歸るさに、ころべる時は、病(やまひ)の品(しな)、瘟疫(はやりやまひ)の樣にて、日(ひ)あらずして、身まかるとかや。此事、いかなる神にか、覺束なく侍る」と申(まうせ)しかば、先生のいへらく、「其神にあへる時は、其まゝ、帶をとき、歸るがまじなひなるよしを申傳(まうしつた)へたれども、さだかならず。又、唐(もろこし)にも厠(かはや)の神を『紫姑神(しこしん)』といへりとかや。むかし、壽陽の李景といふ人、萊陽(らいやう)の何麗卿(かけいけい)と云(いへ)る女をむかへて、思ひものとせしかば、本妻、深くねたみて、正月十五日に厠の中にて殺せしに、彼(か)の何麗卿、たゝりをなせしかば、其後、正月每にまつりて、厠の神と、いはひし事あれども、これらを眞體(しんたい)なりとも、いふべからず。又、佛家(ぶつけ)には烏瑟沙磨明王(うづさまめうわう)といふを雪隱の神なりと云(いへ)り。猶、此明王にも、火熖(くはゑん)ありて、惡魔をはらひ、塵垢(ぢんこ)を淸め給ふ功德(くどく)ましましけるとぞ。伽藍のかずにかぞふるには、前に此明王をゑがきて、つねに香花(かうげ)をそなへをきて、法師たる者、厠に行(ゆく)時は禮をなし、咒(じゆ)を唱へて、そこにて三衣(さんえ)をぬぎける法なりとかや。されども、今の世の人、たまたまあへるばけものは、其不淨の氣のつもれる所の、れい[やぶちゃん注:「靈」。「すだま」。下等な精霊、魑魅魍魎の意。]、たるべし。猶、柳子厚(りうしこう)が書(かけ)る李赤が傳には、『唐(とう)の代(よ)に李赤といふ者あり。「李白の詩作におとらず」とて、自(みづから)、名をつきたるとかや。然(しか)るに、李赤、其友だちとつれだちて、田舍へ下りしに、さきのひと屋にて、其友にいふやう、「我、去(さる)方へ、むこいりをいたさむとて、既に、けいやく[やぶちゃん注:「契約」。]、仕りしまゝ、此狀(じやう)を古鄕(ふるさと)へ送り給はれ」といふ。其友、云ふやう、「其方(そのはう)は古鄕に妻子あり。何事をの給ふぞ」といへども、「はや、今宵、其かたへ、おもむく」といひて、いづ地(ち)へやらん、行(ゆき)て、見えざりければ、其友だち、あやしみて尋(たづね)けるに、厠の中へいりて、其壺(つぼ)の中(うち)へ、首をさし入れたり。おどろき、つれて歸りて、「汝(なんぢ)、厠の鬼(おに)に犯(おかさ)れたり」と云へば、李赤、申すやう、「しうとの方へ行て、大かた、ちかづきに成(なり)たるに、何しに、つれてもどり給ふぞや」と云(いふ)。其友、うれへて、巫覡(かんなぎ)を呼びて、さまざま、はらへなどさせて、番(ばん)の者、きびしく附置(つけおき)たるに、夜更(よふけ)がたになりて、番のもの、少し、おこたりぬる隙(ひま)に、又、李赤、見えざりければ、「すはや」と尋ぬるに、今度は、身をなかば、糞穢(ふんゑ)の中におとしめたり。其友、漸々(やうやう)につれて歸り、湯などあびせければ、李赤、云(いふ)やう、「親類どもと、のこらず盃(さかづき)をしておりし所を、情なくも引きはなち給ひし物哉(ものかな)」とて淚ぐみたり。「是れ、只事にあらず」とて、其友、夜の明(あく)るをまたずして、「所をかへん」とて、人、數多(あまた)まもらせて、夜中より出でて、二、三十里、打(うち)こえて、さきの宿にとまりたり。『いかにも爰にてはよもや』と思ひて、氣を附(つけ)ざりしかば、李赤、終(つゐ)に厠の中(うち)に落入(おちいり)て、むなしくなりたり』と、しるせり。是、をろかなる[やぶちゃん注:ママ]。者の、わざはひを幸(さひはひ)と心得て、其身をほろぼすたとへにて、實(じつ)に此事ありとも覺(おぼえ)ね共、其類(るい)を以てかたりつ」と申されき。

[やぶちゃん注:これを以って「古今百物語評判卷之二」は終わっている。

「瘟疫」音「ウンエキ」で、熱を発する流行(はや)り病のこと。「瘟」は「疫」と同義で「えやみ」で悪性の流行病を指す。

「紫姑神」文字からお判りの通り、厠の女神。予言や幸運を授けるとして、古代の聖王である帝嚳(こく)の娘ともされるが、一般にはここに記されたような別説が伝わる。則天武后の垂拱(すいきょう)年間(六八五年~六八八年)のこと、山東省生まれの何媚(かび)、字(あざな)を麗卿(れいきょう)という絶世の美少女を、山西省寿陽県の県知事が見初めて、その側妾(そくしょう)としたが、その溺愛振りに嫉妬した本妻の曹氏が主人の留守中の、正月十五日、厠の中で彼女を殺害してしまった。玉皇大帝(ぎょくこうたいてい:道教に於ける事実上の最高神)はそれを憐れみ、厠の神としたという。中国では既に五世紀頃、正月十五日の元宵節に紫姑神を迎え、農作・養蚕その他の事柄を占う習慣が行われていたという(以上は主に所持する実吉達郎著「中国妖怪人物事典」(一九九六年講談社刊)及び平凡社「世界大百科事典」に拠った)。これとは別に中国では、便所で死んだ者は便所に地縛された幽霊となるが、誰かを便所の中でとり殺すことが出来れば、その霊は浮かばれるとも考えられていた。

「眞體」雪隠(せっちん)の化け物のルーツ。

「烏瑟沙磨明王」密教に於ける明王の一尊で、「烏樞沙摩明王」(「烏樞瑟摩」「烏芻沙摩」「烏瑟娑摩」「烏樞沙摩」等とも表記される)。ウィキの「烏枢沙摩明王によれば、『真言宗・天台宗・禅宗・日蓮宗などの諸宗派で信仰される。台密では五大明王の一尊である。日蓮宗では「烏芻沙摩明王」の表記を用い、火神・厠の神として信仰される』。「大威力烏樞瑟摩明王經」等の『密教経典(金剛乗経典)に説かれる』。『人間界と仏の世界を隔てる天界の「火生三昧」(かしょうざんまい)と呼ばれる炎の世界に住し、人間界の煩悩が仏の世界へ波及しないよう』、『聖なる炎によって』、『煩悩や欲望を焼き尽くす反面、仏の教えを素直に信じない民衆を』、『何としても救わんとする慈悲の怒りを以て』、『人々を目覚めさせようとする明王の一尊であり、天台宗に伝承される密教(台密)においては、明王の中でも特に中心的役割を果たす五大明王の一尊に数えられる』。『烏枢沙摩明王は古代インド神話において元の名を「ウッチュシュマ」、或いは「アグニ」と呼ばれた炎の神であり、「この世の一切の汚れを焼き尽くす」功徳を持ち、仏教に包括された後も「烈火で不浄を清浄と化す」神力を持つことから、心の浄化はもとより』、『日々の生活のあらゆる現実的な不浄を清める功徳があるとする、幅広い解釈によってあらゆる層の人々に信仰されてきた火の仏である。意訳から「不浄潔金剛」や「火頭金剛」とも呼ばれた』。『不浄を浄化するとして、密教や禅宗等の寺院では便所に祀られることが多い』。『また、この明王は胎内にいる女児を男児に変化させる力を持っていると言われ、男児を求めた戦国時代の武将に広く信仰されてきた』。『静岡県伊豆市の明徳寺などでは、烏枢沙摩明王が下半身の病に霊験あらたかであるとの信仰がある』(この寺は近くの温泉宿「嵯峨沢館」に嘗てよく泊まった関係上、何度かお参りしたことがある)。「穢跡金剛霊要門」(「えしゃくこんごうりょうようもん」と読むか)」では、『釈尊が涅槃に入ろうとした時、諸大衆諸天鬼神が集まり』、『悲嘆している中、蠡髻梵王』(「れいけつぼんおう」と読んでおく)『のみが天女との遊びにふけっていた。そこで大衆が神仙を使って彼を呼んだが、慢心を起こした蠡髻梵王は汚物で城壁を作っていたので近づくことが出来なかった。そこで釈尊は神力を使って不壞金剛』(ふえこんごう)『を出現させた。金剛は汚物をたちまちに大地と変えて蠡髻梵王を引き連れてきた。そこで大衆は大力士と讃えた』。『烏枢沙摩明王は彫像や絵巻などに残る姿が一面六臂であったり』、『三面八臂であるなど、他の明王に比べて表現にばらつきがあるが、主に右足を大きく上げて片足で立った姿であることが多い(または蓮華の台に半跏趺坐で座る姿も有名)。髪は火炎の勢いによって大きく逆立ち、憤怒相で全ての不浄を焼き尽くす功徳を表している。また複数ある手には輪宝や弓矢などをそれぞれ把持した姿で表現されることが多い』とある。

「伽藍のかずにかぞふるには」烏瑟沙磨明王を正式に祀った場所として称するためには。

「三衣」「さんね」とも読む。本来はインドの比丘が身に纏った三種の僧衣で、僧伽梨衣(そうぎゃりえ:九条から二十五条までの布で製した)・大衣(だいえ=鬱多羅僧衣(うったらそうえ):七条の袈裟で上衣とする)・安陀会(あんだえ:五条の下衣)のことを指すが、ここは単に僧衣のことであろう。

「柳子厚(りうしこう)が書(かけ)る李赤が傳」「柳子厚」はかの中唐の優れた文学者で政治家の柳宗元(七七三年~八一九年)の字(あざな)。以下は、彼の書いた唐代伝奇として知られる「李赤傳」。

   *

 李赤、江湖浪人也。嘗曰、「吾善爲歌詩、詩類李白。」、故自號曰李赤。

 遊宣州、州人館之。其友與俱遊者有姻焉。間累日、乃從之館。赤方與婦人言、其友戲之。赤曰、

「是媒我也、吾將娶乎是。」

友大駭、曰、

「足下妻固無恙、太夫人在堂、安得有是。豈狂易病惑耶。」

取絳雪[やぶちゃん注:「こうせつ」は反魂丹のような薬の名。]餌之、赤不肯。

 有間、婦人至、又與赤言。卽取巾經其脰、赤兩手助之、舌盡出。其友號而救之、婦人解其巾走去。赤怒曰、

「法無道、吾將從吾妻、汝何爲者。」

 赤乃就牖間爲書、輾而圓封之。又爲書、博而封之。訖、如廁久、其友從之、見赤軒廁抱甕、詭笑而倒視、勢且下入。乃倒曳得之。又大怒曰、

「吾已升堂面吾妻。吾妻之容、世固無有、堂宇之飾、宏大富麗、椒蘭之氣、油然而起。顧視汝之世猶溷廁也。而吾妻之居、與帝居鈞天・淸都[やぶちゃん注:孰れも天帝の都の名。]無以異、若何苦余至此哉。」

然後其友知赤之所遭、乃廁鬼也。

 聚僕謀曰、

「亟[やぶちゃん注:「すみやかに」。]去是廁。」

遂行宿三十里。夜、赤又如廁久、從之、且復入矣。持出、洗其汙、眾環之以至旦。

 去抵他縣、縣之吏方宴、赤拜揖跪起無異者。酒行、友未及言、飲已而顧赤、則已去矣。走從之、赤入廁、舉其床捍門、門堅不可入、其友叫且言之。衆發牆以入、赤之面陷不潔者半矣。又出洗之。

 縣之吏更召巫師善咒術者守赤、赤自若也。

 夜半、守者怠、皆睡。及覺、更呼而求之、見其足於廁外、赤死久矣、獨得屍歸其家。

 取其所封書讀之、蓋與其母妻訣、其言辭猶人也。

 柳先生曰、「李赤之傳不誣矣。是其病心而爲是耶。抑故有廁鬼也。赤之名聞江湖間、其始爲士、無以異於人也。一惑於怪、而所爲若是、乃反以世爲溷、溷爲帝居淸都、其屬意明白。今世皆知笑赤之惑也。及至是非取與向背決不爲赤者、幾何人耶。反修而身、無以欲利好惡遷其神而不返、則幸耳、又何暇赤之笑哉。

   *

最後の部分、流石に私の愛する名詩人なればこそ、柳宗元は李赤の状態をほぼ精神病と判断していることが判る。幻覚性の激しい統合失調症か、脳梅毒による進行性麻痺かも知れぬ。

「巫覡(かんなぎ)」音「フゲキ」。ここは男の祈禱師。

「はらへ」「祓」。

「すはや」感動詞。「あっ!」。

「二、三十里」唐代の一里は五百五十九・八メートルしかないので、十二~十六キロメートル八百メートル弱。但し、原文は「三十里」。

「實(じつ)に此事ありとも覺ね共」元隣さんよ! 柳先生は「李赤之傳不誣矣」(李赤のこの伝に嘘はなかろう)と仰しゃってるんだぜ?! あんたこそが、「私の詩は李白の詩に似ている」と嘯いた李赤の同類にして不遜だろうが!

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