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2018/10/01

反古のうらがき 卷之四 舞を好む事

 

    ○舞を好む事

 今の世にもてはやす「おどり[やぶちゃん注:ママ。]」といふものは、いにしへの舞(まひ)と狂言とをまじへしものなり。近き頃迄は女子のみ舞けるが、此程は男子も舞よふ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に成(なり)にたり。友人庸臺子(ようだいし)[やぶちゃん注:不詳。]は深く此舞を好み、同じ心の友と、ひねもす、よもすがらに、舞けり。父母、これを憂ひていふよふ、「若年の頃は物よみ物かくこと、第一の業(わざ)なるを、それをばせで、舞を學ぶこと、曲事(くせごと)」とて、禁じけれども、とかくに舞たく思ひて、夜々に學問の師のがり行(ゆく)とて、宵の間(あひだ)は舞の師のがり行て舞けり。友の家にても此事はしらず、たゞ宵より出て亥の刻[やぶちゃん注:午後十時頃。]、歸るを常とはなせり。或日、いつもより少し早く出で、『思ふ樣(さま)に舞はん』と思ひ、師がり行けり。しばしありて、くゞり戸、引明け入來(いりきた)る人あり。『袴・羽織・大小を橫たへたりければ、かゝるなり形(かたち)にて舞學ばんとて入來るは、克(かつ)て諸侯の藩士抔(など)にもやあらん』と、座に付を見れば、こはいかに、二人の若人(わかうど)が學問の師なり。二人は、魂、大ぞらに飛(とび)うせて、「ひた」と打伏(うちふ)して、おもても得(え)あげず居(ゐ)にけり。學問の師、いふ、「いづれか二人が舞學ぶ師にておはすや」といふにぞ、舞の師は、年の頃、十七、八なる乙女にてありけるが、燈、かゝげて、「吾こそ何某とよばるゝ舞の師にて侍る」とて、出て逢ひけるに、「そは初て相見て侍るなり。此程、吾弟子二人迄、其許(そこもと)に行(ゆき)て舞を學ぶよしは、吾、とくにしりぬ。とく、青傳(いひづて)も言(いひ)おくらざりしは、吾がおこたりに侍る也。扨も。今宵來りしは、二人がことに侍るなり。其許にて舞を學ぶも、吾方にて學問學ぶも、同じことにては侍れども、如何にせん、二人が父母、舞をば許さで、學問のみを學べといふに、こうじ果て、今はひそかに舞(まふ)にてぞありける。但し、家を出るは、學問の師がり行(ゆく)とて出るなれば、父母は、宵より亥の刻迄は吾方にありとのみ思ひて、厚く謝禮にも心を配り玉ふに、吾、空しく御謝を受(うけ)て、實(まこと)は其許(そこもと)がりありて、舞ふに、父母より一言の謝辭もなきは、ひそかごとと、おゝやけ[やぶちゃん注:ママ。]とのけじめ、あればなりけり。吾、これを思ふ度々、其勞(らう)なくて其謝を受(うく)るを、恥かしくおもふにより、扨も、今宵、差付(さしつけ)て[やぶちゃん注:わざわざ。]、其言譯(いひわけ)を言(いひ)とくのみなり。今宵、吾、貮人を其親々へ引渡し、以後は吾家に來(きた)ることを辭し侍り、其後は其元(そこもと)がり來りて、舞學びたりとて、吾、敢て是(これ)を制せず」といふに、舞の師も「尤(もつとも)の理(ことわり)なり。此後(こののち)、二人の御親父より御賴みあらずば、二人の御方、御入(おんいり)候とも舞(まひ)教へ申侍(まうしはべ)らず。氣遣ひ、なし玉ひそ」といへば、「さらば」とて、左右の手に二人を携へて其家々に行て、事のあらましをとき明かして歸りにけり【此の師名は何といひしか忘れ侍る。古への風あるよき師なり。】。二人の親は大に怒りて、一間(ひとま)なる處におしこめて、物よみ、物かく事より外は、一事(いちじ)だも許さず。一月斗り過(すぎ)けるが、とかくに舞の舞たくて、人の見ざる間(ま)には、一間(ま)の中にて舞けり。かくてもいつ許さるべきよふもなければ、よくよく思ひ𢌞らすに、『舞、まひたりとて、さまでに禁ずべきことならねど、深くも父母の禁じ玉ふは、物よみ、物かくことをおこたるによりてなり。それさへ、よくせんに、何の妨げかあらん』とて、是よりは舞(まふ)こともなく、終日、机に向ひて、物よみ、物かき、一年足らず、一間にありける。父母は、今更に餘り、勤學(きんがく)するをみて、「病もや起らん」と案じ煩ふよふにぞ成(なり)けり。其頃に及びて、人して父母にいひおくりけるは、「吾、誤りてよみかきのことを捨て舞のみを學びたれば、父母、深く禁じ玉ひにき。今は其非をしりて侍れば、吾年三十に成(なり)なん頃迄、此一間に在りて勤學すべし。今より十餘年を經(へ)なんに、不肖(ふせう)たりとも、少しは得る處あるべし。其時、父母の許しを得て、心よく、舞、學び侍らんと思ふ。此心、誤りにあらずば、三十の後は許すべし」といふかね【約】[やぶちゃん注:「約」は割注ではなく、「かね」の右傍注。]言(ごと)を得て、それを樂(たのし)みに、此一間を出(いで)ず。「死すとも勤學は廢せじ」といゝ[やぶちゃん注:ママ。]おくりけり。父母、これをきゝて、大によろこび、「かゝる道理をしる上は、何の妨げあらん」とて、一間を出(いだ)しけり。猶も、晝夜、机をはなるゝことなければ、「今は隣りあたり訪ひ行き、少しは心なぐさむもよからん」などいふにぞ、それおも[やぶちゃん注:ママ。「其れをも」。]おしこらへて居にけり。二た月斗りありて、「晝の程、學問、おこたらずせんには、夜は遊ぶ方(はう)ぞよからん」といふに、「舞まふことはいかにや」ととへば、「うさはらしに、よからん」といふ。扨、舞たれども、多く忘れてけり。「おしきこと也。一手、二手ならば、師がり行て學べ」といふに、「さらば」とて、これより晝は、物、よみ、宵は、舞、まひ、いづれも片(かた)おちなく、學びてけり。今一人の友は、物よみも勤めてせで、舞をもやめてけり。庸臺、書・畫ともに、よくせり。學問もよくし、詩を作るに、警拔(けいばつ)ありけり[やぶちゃん注:着想が人の意表を突いて優れているのであった。]。みな、一間に閉(とぢ)こめられたる中(うち)に學び覺へたるなり[やぶちゃん注:ママ。]。後に酒興に乘じて舞をまふに、昔し深く學びたる故に、今に忘却せずして、おゝくは[やぶちゃん注:ママ。]、永きこと、初めより終り迄、一手をもたがへず、舞けり。但し、男子の舞はかゝる舞振(まひぶり)、よろしからず、少しにても、おもむきあらん方ぞよきと、人々、評しあへり。さすれば餘りに好めることは、他より見て、よくなき物なり。

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