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« 絶望 | トップページ | 宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 報告 »

2018/11/19

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 靑い槍の葉 (mentalsketchmodified)

 

Aoiyarinha

 

            

            (mentalsketchmodified

 

  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)

雲は來るくる南の地平

そらのエレキを寄せてくる

鳥はなく啼く靑木のほづえ

くもにやなぎのかくこどり

  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)

雲がちぎれて日ざしが降れば

黃金(キン)の幻燈(げんたう) 草(くさ)の靑

気圏日本のひるまの底の

泥にならべるくさの列

  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)

雲はくるくる日は銀の盤

エレキづくりのかはやなぎ

風が通ればさえ冴(ざ)え鳴らし

馬もはねれば黑びかり

  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)

雲がきれたかまた日がそそぐ

土のスープと草の列

黑くおどりはひるまの燈籠(とうろ)

泥のコロイドその底に

  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)

りんと立て立て靑い槍の葉

たれを刺さうの槍ぢやなし

ひかりの底でいちにち日がな

泥にならべるくさの列

  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)

雲がちぎれてまた夜があけて

そらは黃水晶(シトリン)ひでりあめ

風に霧ふくぶりきのやなぎ

くもにしらしらそのやなぎ

  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)

りんと立て立て靑い槍の葉

そらはエレキのしろい網

かげとひかりの六月の底

気圏日本の靑野原

  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)

 

[やぶちゃん注:●副題「(mentalsketchmodified)」の単語に字空きがなく、全部が繋がっているのはママ。しかも実はこの状態で百八十度引っ繰り返した状態が底本のそれである。則ち、上下(底本日本語文字列で言うなら左右)が逆になっている、アルファベットの上が左側を向いているのである。流石にこれは私のブログでは電子化は出来ないので、冒頭に画像百二十ページ目のみを掲げた。原稿は正立(アルファベットの上が右向き)でちゃんと「mental sketch modified」と単語の字空けがなされてあるから、反転も空け無しも誤植である(但し、「正誤表」にもなく、何故か「手入れ本」にも修正がない)。なお、「mental sketch modified単品詩篇「春と修羅」に既出既注であるが、丸ごと、再掲しておく。これは概ね「修飾された心象スケッチ」と訳されているようだが、しかしどうも、この「修飾された」というのは判ったようで判らない表現ではないか? そもそもが「修飾」という語は我々には辛気臭い強制学習させられた文法用語に「修飾」のイメージが強過ぎて、ピンとこないし、何となく敬遠したくなるのだ(少なくとも私はそうだ)。例えば私は「修飾」を中身がないのに外見を飾る虚飾というニュアンスを以って意地悪く使用することが殆んどで、「修飾が上手い」と言って褒めたことも人生の中で一度だってない(「修飾の仕方がおかしい」という言い方は論文指導で盛んに使いはした)。寧ろ、「飾り直された心象スケッチ」の方が、まだしっくりくる。或いは、「正確に」或いは「美的に」或いは「真に詩的に」「修正を施した心象スケッチ」の方が私には腑に落ちる。「心象のはいいろはがね」が錬金され、怒りと憎しみによる闘争心に明け暮れ、目くるめく火炎と血と肉に彩られた、素敵に慄っとする「修羅」の熱の悪夢に魘された景観(ランドマーク)へと世界が変じてゆく……と、ここまでそう書いてきて、今、さらにネットを調べて見たところが、濱田節子氏の『宮沢賢治「春と修羅」解析』を見つけた。私はその冒頭にある、『詩は一見自由奔放なスケッチに見えるが、熟慮された構想のうえにその手段としての心理的トリックを駆使した世界観の呈示である。「二重の風景」は、風景を Landscape で考えるのでなく、a view, a sight, つまり、考え方・見識と解釈すべきだと思う』。すなわち、『「二重の考え方」である。これは単純に伏線と考えるべきものでなく、時間・空間にたいする認識、「死」という不可逆な方向性とその連鎖の相互関係のなかで未来を模索する実験なのである』。『"mental sketch modified"というのは「考え方の草案をつくるのに修正(変更)されたもの」という意味だと思う』とあるのに最も従える気がしたことを言い添えておく。

・「泥のコロイドその底に」宮澤家「手入れ本」では、

 泥の澱みのその底に

と変えてある。

 本書に初めて現われる定型詩(歌詞)で、三/三/七の合いの手のリフレインの間に七七/七五/七七/七五の四行が挟まる。七連(番)で構成された「歌」、「田植え唄」としての労働歌(ワーク・ソング)である(以下の初出を参照)。

 本詩篇は本書刊行以前に、宗教団体「國柱會」の機関紙『天業民報』(てんぎょうみんぽう:日刊。後に『大日本』・『真興』・『真世界』と誌名を変更して現在に至る)の大正一二(一九二三)年八月六日附に掲載されている(本書刊行の八ヶ月前)。創作は大正一一(一九二二)年六月十二日とする。本書後尾の「目次」の創作クレジットを示す表示は、先行する詩篇「春と修羅」「眞空溶媒」と同様、他の詩篇のそれの丸括弧でなく、二重丸括弧のそれで『⦅一九二二、六、一二⦆』(実際には漢字と読点は半角)となっているその『天業民報』初出形(殆んど異同はない)を示す(全集の挿絵にある同紙の写真から起こした。所謂、新聞であるから、一行字数に限りがあるため、改行が多数行われているが、それも再現した(リフレインの最初の提示部は読点を全角で入れてあるが、後は半角にしているために最初のそれだけが送りが異なっている)。副題の「插秧歌」は音なら「そうえいか」であるが「插秧」は田植えのこと(「秧」は「稲や草木の苗(なえ)と」の意)であるから、ここは「たうえうた」と読むべきであろう。言わずもがな、「靑い槍の葉」は植えた稲の苗の緑の小さな葉先がそれでも力いっぱい鋭く蒼穹を刺すさまを表わしている。

   *

 

 靑い槍の葉插秧歌

    宮 澤 賢 治

(ゆれる、ゆれる、やなぎは

 ゆれる。)

雲(くも)は來(く)る來(く)る、南(みなみ)の地平(ちへい)、

そらのエレキを寄(よ)せて來(く)る、

鳥(とり)はなく啼(な)く 靑木(あをき)のほずえ、

雲(くも)の楊(やなぎ)のかくこ鳥(どり)。

(ゆれる、ゆれる、やなぎはゆ

 れる。)

雲(くも)がちぎれて 日(ひ)ざしが降(ふ)れば

黃金(きん)の幻燈(げんとう) 草(くさ)の靑(あを)、

氣圈(きけん)日本(にほん)の ひるまの底(そこ)の、

泥(どろ)にならべる 草(くさ)の列(れつ)。

(ゆれる、ゆれる、やなぎはゆ

 れる。)

雲(くも)は來(く)る來(く)る、日(ひ)は銀(ぎん)の盤(ばん)、

エレキづくりのかはやなぎ、

風(かぜ)が通(とほ)れば 冴(さ)え冴(さ)え鳴(な)らし、

馬(うま)もはねれば 黑(くろ)びかり。

(ゆれる、ゆれる、やなぎはゆ

 れる)

雲(くも)が切(き)れたかまた日(ひ)がそゝぐ、

泥(どろ)のコロイド その底(そこ)に、

黑(くろ)くおどりは ひるまの燈籠(とうろう)、

土(つち)のスープを 吞(の)むからす。

(ゆれる、ゆれる、やなぎはゆ

 れる)

りんと立(た)て、立(た)て靑(あを)い槍(やり)の葉(は)、

誰(たれ)を刺(さ)さうの 槍(やり)ぢやなし、

ひかりの底(そこ)で いちにちひがな

泥(どろ)にならべる 槍(やり)の列(れつ)。

(ゆれる、ゆれる、やなぎはゆ

 れる。)

雲(くも)がちぎれて また夜(よ)があけて

そらは黃水晶(しとりん) 日(ひ)でりあめ、

ふつといきつくぶりきのやなぎ

雲(くも)にしらしら そのやなぎ、

(ゆれる、ゆれる、やなぎはゆ

 れる)

りんと立(た)て立(た)て 靑(あを)の槍(やり)の葉(は)、

そらはエレキの 白(しろ)い網(あみ)、

かげとひかりの 六月(ぐわつ)の底(そこ)、

氣圈(きけん)日本(にほん)の 靑野原(あをのはら)。

(ゆれる、ゆれる、やなぎはゆれる。)

 

   *

「國柱會」(こくちゅうかい)については小学館「日本大百科全書」から引いておく(読みの一部を省略した)。『日蓮主義による在家仏教教団』。明治一三(一八八〇)年に『田中智学が横浜に組織した蓮華会に端を発し』、明治一七(一八八四)年結成した立正安国会を経て、大正三(一九一四)年、『組織を全国的に統一、静岡県三保に最勝閣正境宝殿を建立して本拠とし、国柱会が創始された。名称は、日蓮の著『開目抄』にある「われ日本の柱とならん」に由来する。創始以来、『妙宗(みょうしゅう)』『天業民報』『大日本』など』の『機関紙を発行し、文筆による伝道活動を活発に行ったが、その主張は、日蓮聖人を末法における人類救済のために必要不可欠な唯一者として仰ぎ、『法華経』を信行(しんぎょう)、日本国体を開顕し、立正安国の真世界を目ざすことにあり、在家仏教の立場から仏教改革を提唱、実践している』。昭和三(一九二八)年には、『東京・江戸川一之江に妙宗大霊廟を建立して本部(申孝園(しんこうえん))を置くに至ったが、この間、山川智応』や『伊勢丹創業者の初代小菅丹治(こすげたんじ)』『らも』、『内外から教勢の発展に努めた。著名な会員に石原莞爾』や『宮沢賢治らがいる。第二次世界大戦後も、機関紙による文書伝道の伝統を守って運動を展開している』信者数は一万八千九百七十四名(「宗教年鑑」平成二六(二〇一四)年版に拠る)。

「そらのエレキを寄せてくる」本篇では「エレキ」は重要なアイテムで、呪文のように詩篇を三箇所(後の「エレキづくりのかはやなぎ」と「そらはエレキのしろい網」で感電的にきりっとさせる効果を持つ。しかも、これは雷雲内の雷電などの物理的電気ではなく、マジックとしての「エレキテル」、所謂、電磁気のように、見えない電気が磁気を発生させて物体を「寄せてくる」ような〈幻想の磁気〉(それは空「はエレキの」白「い網」と表現した部分とマッチする。これは単に本篇の核ワードの一つである「雲」の言い換えに留まらない、もっと宇宙的(コズミック)なものである)として読まれるように作られている。その霊的な時期は「啼く」鳥を「靑木のほづえ」(「靑木」は青々とみずみずしく豊かに茂っている木という一般名詞でよい。ガリア目ガリア科アオキ属アオキ変種アオキ Aucuba japonica var. japonica では余りに低過ぎて、以下の」「しずえ」と齟齬してしまう)「上枝」「秀づ枝」。「つ」は格助詞「の」の意で「上の方の枝」(反対語は「下枝 (しずえ)」。これを題に引かれて稲の苗の「穂の末」や「穂先」とする注をネット上には多く見かけるが、それでは「靑木」が無効となってしまう)に引き「寄せてくる」し、「くも」(雲)を呼び、「やなぎ」(柳・楊)に「かくこどり」(郭公鳥。カッコウ目カッコウ科カッコウ属カッコウ Cuculus canorus)をも引き「寄せてくる」、或いはリフレインで「やなぎ」が揺れ続けるのもこの霊的な磁場によるものなのかも知れぬ。「エレキづくりのかはやなぎ」の「かはやなぎ」は川柳、キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属ネコヤナギ Salix gilgiana のことと思われるが、これは童話「鳥をとるやなぎ(「風の又三郎(村童スケツチ」所収。推定で大正一一(一九二二)年の作。リンク先は渡辺宏氏のもの)にも『煙山の野原に鳥を吸い込む楊の木があるって。エレキらしいって云ったよ』と登場するから、以上の解釈を補強するものである。

「黃金(キン)の幻燈(げんたう)」陽光が水田の田の面(も)に反射するイメージか。

「土のスープ」水田の豊饒な泥水。

「黑くおどりはひるまの燈籠(とうろ)」これも陽光が水田の泥水のコロイド粒子に乱反射するイメージであろう。

「そらは黃水晶(シトリン)ひでりあめ」「黃水晶」は「きずいしょう」で「citrinecitrine quartz:シトリン・クォーツ」。黄色みを帯びた水晶のことであるが、ここは翌日の空模様が不安な黄色を帯びたものであって、少し雨がぱらついたものの、同時に陽も射していて「日照り雨」、「狐の嫁入り」なのである。

「風に霧ふくぶりきのやなぎ」霊的磁気を放射するために「ブリキ」と言ったものであろう。

「りんと」「凜と・凛と」で、様態が凛々(りり)しく、引き締まっているさま

気圏日本の靑野原」あたかも今の衛星写真のような俯瞰ショットの、大気圏外からの秋津島の映像が、如何にも新鮮ではないか!

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