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2018/11/03

古今百物語評判卷之五 第八 而慍齋の事幷此草紙の外題の事

 

  第八 而慍齋の事此草紙の外題の事

一座の人の云(いふ)、「今夜(こよひ)も既に深更に及びければ、いざ、御暇(おんいとま)申(まうし)侍らむ」とあれば、某(それがし)の云(いは)く、「此(この)ばけ物の次手(ついで)には、いな物にて候へども、今ひとつ、まぢかき不審の御座候は、先生のもの語(がたり)を承り候に、何事を尋ね候ひても、楯板(たていた)に水をながすごとく、然も、其(その)ふる事[やぶちゃん注:「古事」。]の御噂(おんうわさ)ども、まざまざ、書物を御ひかへなされ候やうに聞え侍る。かゝるうへは、さぞ、御胸中(ごきようちゆう)もすゞしく、萬(よろづ)の事に附(つき)ても、御いきどをりも有(ある)まじきやうに存じ候ふに、齋號を『而慍』と御附なされ候ふは、何事ぞや」と云へば、先生、こたへて云(いふ)、「余が齋號は御存じのごとく、「論語」に『人不ㇾ知而不ㇾ慍不亦君子乎』(人、知らず、而るを慍(いきどほ)らず。亦、君子ならずや)といふ心を用ひ申候。此心は、『こゝに人あり、身によりより、習ひてつみをきたる才德ありとても、元より、人に賣(うる)べき心ならねば、人、知らずとて、露(つゆ)許(ばかり)いきどをる心、なし。若(もし)、あげ用ひたらむ時は、時にしたがふて行(おこな)ふべきのみ、と思へるは、君子ならずや』とのたまふ。されば、某(それがし)は、君子にあらず。然る故に、すこしばかりたくはへをきたる才藝を、人、しらず。然るを、憤るがゆへ、かく齋號を附(つき[やぶちゃん注:原典のルビ。])申たるなり。と申せば、今更、おこがましき事なれど、若きより書物にふけりて、あたかも、書癖(しよへき)あるに似たり。此故に經史子集(けいしししふ)の、まちまちなるに眼をさらし、上(かみ)、伏犧(ふつき)より、下(しも)、明・淸におよぶまで、世の治亂、政(まつりごと)の得失、人の賢否(けんぴ)、事の變易(へんえき)、ひとつとして覺えずといふ事なく、醫術・卜筮(ぼくぜい)・種樹・相牛(さうぎう)の事まで、殆んど、さとし。中比(なかごろ)、禪學を好みし故に、「大藏經」五百凾(かん)のくだくしきは、さらにもいはじ、諸宗の義論、諸師の語錄に、ほゞ通達し、我(わが)日のもとの道は、淺香山(あさかやま)のふもとへもわけのぼり、にほてるうみのながれをも汲み、連歌俳諧の小技(しやうぎ)まで心がけ候へども、誠に昌黎(しやうれい)の云へるごとく、頭(かしら)、かぶろに、齒、あばらばなるまで、させることなく、たゞさびしきに打ちまかせて、「四書詳論」・「曆代異考」・「源氏家傳抄」・「百人一首新抄」・「伊勢物語言餘抄」・「つれづれ增補鐵槌」・同(おなじく)「別傳」・「方丈記抄」・「歌本草增補」・「水鏡の抄」・「たが身のうへ」・「小さかづき」・「たからぐら」・「はいかい仕やう」など、あみをき[やぶちゃん注:ママ。「編み置き」。]候(さふらふ)を、人の望(のぞみ)にまかせて、梓(あづさ)にちりばめし[やぶちゃん注:出版した。]も、あり。又、家にのこせしも、あり。かくして、世にも、かず、まへられず[やぶちゃん注:ママ。「參られず」。たいして用いられず。]、時にも知られず、草木(くさき)とともに朽果(くちはて)むは、何ぞ『而慍(而(しか)るを慍(いきどほ)る)』ならざるべきや」。某(それがし)、また、云(いは)く、「今夜(こよひ)の御物がたりを、我々、かき附(つけ)をきて[やぶちゃん注:ママ。]、後に板行(はんかう[やぶちゃん注:原本のルビ。])いたさば、外題(げだい)を何と申(まうす)べく候哉(や)。此草紙に論じ給ふ處、古今(ここん)の不思議あきらかにきこえ、其(その)博識洽聞(かうぶん)なる事、五車(しや)の書をも恥ぢざるべし」といひしかば、先生、いへらく、「若(もし)、今夜(こよひ)のはなしを書附(かきつけ)給はゞ、「百物語評判」と名附(なづけ)給ふべし。淺き名のやうに侍れども、是、古人の心に叶ひ侍る。むかし、張橫渠先生、東西の窓の銘を書きて、「砭愚訂頑(へんぐていぐはん)」と名附け給ひしかば、程子、是れをきらひて、『たゞ東西の銘と號せよ』と教へ給ひき。されば、此草紙もさまざまの名も侍るべけれど、只、今夜の實事(じつじ)にしたがひて名附給ふべし」と申されて、眠(ねむれ)るやうに見えければ、各々、退出いたしぬ。其後(そののち)、先生、寬文壬子(みづのえね)のとし、六月二十七日に、四十二歳にして果(はて)られたり。若(もし)、是にかす[やぶちゃん注:寿命を「仮に与える」の意の「假す・藉す」か。「加す」で「齢(よわい)を加える」かも知れない。]に、年を以てせば、いかばかりの事か侍らんに、殘(のこ)り多く侍らずや。先生姓は平(たひら)、山岡氏(やまをかうぢ)、諱(いみな)は元隣、字(あざな)は德甫(とくほ)、父祖は勢州山田の人なり。是も、其夜の物がたりなれば、かきつけ侍る。

[やぶちゃん注:これが「古今百物語評判」本文の掉尾である。但し、この後に別人による跋文がある(無論、電子化する)。

「論語」「『人不ㇾ知而不ㇾ慍不二亦君子一乎』(人、知らず、而るを慍(いきどほ)らず。亦、君子ならずや)」(人、知らず、而るを慍(いきどほ)らず。亦、君子ならずや)」「論語」の巻頭「学而第一」の冒頭に配された名文、

   *

子曰、「學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。」。

(子曰はく、「學びて時に之れを習ふ、亦、説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)有り、遠方より來たる。亦、樂しからずや。人、知らずして、慍(いきどほ)らず、亦、君子ならずや。」と。)

の末尾。「慍」(音「ヲン(オン)」)は「憤」で「憤(いきどお)る・腹を立てる・不平不満を懐く」の意。「慍(うら)みず」という訓読も広く行われる。「慍」(「憤」も)和語の古語では「慍(ふつく)む」(近世には「ふづくむ」とも)とも訓じた。

「書癖(しよへき)」愛書・読書癖。

「經史子集」漢籍の分類法。「経書(けいしょ)」(「経」は縦糸。「古今を貫く真理を載せた書物」の意から、儒教の経典を指す。中国古代の聖賢の教えを記した四書・五経・九経・十三経の類いを指す)・「史書」・「諸子」(諸子百家の書群)・「詩文集」の四部に分けるもの。

「伏犧(ふつき)」複数回既出既注。中国古代の神伏羲(ふっき)。

「明・淸」明代・清代。元隣の亡くなった寛文一二(一六七二)年は、清(一六一六年に女真族のヌルハチ(太祖)が明を滅ぼし、国号を後金として建国)の康熙十一年に当たる。

「種樹」草木を植えること。ここは本草学(植物学)の知識を指すのであろう。

「相牛」牛の外見の相(そう)を見て、その性質を占うこと。ここは前と対で、動物学的知識を指すのであろう。

『「大藏經」五百凾(かん)』仏教の聖典を総集したもの。経・律・論の三蔵を中心にそれらの注釈書を加えたもの。一切経。「凾」は「箱」。「卷」に同じいが、版本により、巻数は一千とも五百とも称し、異なるので、限定すり意味はない。

「淺香山(あさかやま)」「安積山」とも書き、福島県郡山市日和田にある山(同市片平の額取(ひたとり)山とする説もある)で歌枕。葛城王 (かずらきのおおきみ:後の左大臣橘諸兄)と采女(うねめ)との山ノ井伝説で知られる。ここはその采女の詠んだ「万葉集」巻第十六(三八〇七番)の「安積山影さへ見ゆる山の井の淺き心を吾が思はなくに」に掛けて、和歌の道の修学の志向を指すものであろうか。

「にほてるうみ」「鳰照る湖」で、鳥のカイツブリが水面に浮かんで輝いている琵琶湖の意か。歌枕の代表として前の浅香山と対で、やはり和歌の学びの精進を指しているか。

「昌黎(しやうれい)」中唐の詩人の韓愈。昌黎(現在の河北省昌黎県)の出身であると自称したことから「昌黎先生」と尊称されるが、実際には鄧(とう)州河陽(今の河南省孟州市)の出身である。唐宋八大家の一人。才気煥発で政治家としても辣腕を奮ったが、政敵も多く、憲宗の逆鱗に触れ、左遷の憂き目を受けたこともあり、官人としての半生は必ずしも順調なものではなかった。

「頭(かしら)、かぶろに、齒、あばらばなる」後者は「疎(あば)ら齒」で、抜けて隙間が多くなった歯の意であろう。韓愈の若き日(三十五歳)の文「與崔群書」(崔群に與ふる書)に、歯槽膿漏で歯が抜け、目が翳(かす)み、鬢は真っ白、頭も半白と歎いており、五言古詩の「落齒(らくし)」もある。ともに紀 頌之氏のブログ「漢文委員会」のこちらを参照されたい。

「四書詳論」不詳。以下、山岡元隣の著作が列挙されるが、情報が乏しく、有益な注は附せられなかった。悪しからず。

「曆代異考」不詳。

「源氏家傳抄」「源氏物語」の研究書。

「百人一首新抄」不詳。「小倉百人一首」の注釈研究書か。

「伊勢物語言餘抄」「伊勢物語」の研究書。

「つれづれ增補鐵槌」「徒然草鐡槌增補」。「徒然草」の注釈研究書。「早稲田大学図書館古典総合データベース」のこちらで原典全文が読める。

『同(おなじく)「別傳」』不詳。

「方丈記抄」明暦四(一六五八)年刊。「方丈記」の注釈書。早稲田大学図書館古典総合ータベースで原典全文が読める。

「歌本草增補」「食物和歌本草增補」であろう。元文二(一七三七)年に「食物和歌本草」が刊行されているが、後の寛文七(一八六七)年に増補版が出ている。和歌を対象とした一種の博物書のようである。共著。国立国会図書館デジタルコレクションの画像で視認出来る。「早稲田大学図書館古典総合データベース」のこちらでも、彼が担当したと思われる原典部分が読める。

「水鏡の抄」「水鏡」の研究書。明暦二(一六五六)年刊か。

「たが身のうへ」「他我身之上」。仮名草子。明暦三(一六五七)刊。「早稲田大学図書館古典総合データベース」のこちらで原典が読める。

「小さかづき」「小巵」。仮名草子。寛文一二(一六七二)刊。

「たからぐら」「寶藏」。俳書。寛文一一(一六七一)年刊。和漢の故事を多く引き、洒落飄逸な味を持つ俳文の嚆矢とされる作品。「早稲田大学図書館古典総合データベース」のこちらで原典が読める。

「はいかい仕やう」「俳諧仕樣」。寛文二(一八六二)年刊の俳諧作法書「誹諧小式」の外題(げだい:書物の表紙に記してある書名・題名。書物の扉や本文の初めなどの内部に記されている「内題」と異なることがしばしばあり、それは本文内でもよくある。そもそもが本書でも、正式には「古今百物語評判」であるが、本文中には「百物語評判」とする箇所が多い)。「早稲田大学図書館古典総合データベース」のこちらで原典が読める。

「洽聞(かうぶん)」現代仮名遣は「こうぶん」。「洽」は「遍(あまね)く」の意で、見聞や知識が広いことをいう。

「五車」荷車五台分。

「張橫渠」既出既注

「砭愚訂頑(へんぐていぐはん)」「砭愚」とは愚を治療すること。「砭」は中国の鍼術で用いる石で造った針。焼いて瀉血などに用いた。「訂頑」は文字通り、頑(かたく)なな点を正すの意。ここに出る話は、朱子学の入門書として南宋の朱熹と呂祖謙が編纂した「近思録」(北宋期の学者で宋学を始めたとされる、周濂渓・張横渠・程兄弟の著作をもととし、一一七六年に刊行された)に出る。

   *

横渠學堂雙牖右書訂頑、左書砭愚。伊川曰、是起爭端。改訂頑曰西銘、砭愚曰東銘。

(横渠、學堂の雙牖(さうゆう)の右に「訂頑」と書し、左に「砭愚」と書す。伊川(いせん)曰く、「是れ、爭ひを起こす端(たん)たり。『訂頑』を改め、『西銘』と曰ひ、『砭愚』を『東銘』と曰へ。」と。)

   *

「雙牖」は双方に並んだ窓の戸。

「程子」これは既出既注の北宋時代の儒学者で朱子学・陽明学のルーツとされる程兄弟「二程子」の弟の程頤(い 一〇三三年~一一〇七年)のこと。「伊川先生」と称された。

「寬文壬子(みづのえね)のとし」寛文十二年。グレゴリオ暦では一六七二年七月二十一日。]

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