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2018/11/02

古今百物語評判卷之五 第四 龍宮城幷山の神附張橫渠の事

 

  第四 龍宮城山の附張橫渠の事

Ryuuguu


ある人、問(とふ)ていはく、「蒼海の底に龍王のある事、世俗にも申しならはし、又、諸經(きやう)にも多く見えたり。俵藤太(たはらのとうた)が物がたりには、湖にもあるやうにきこえ侍るが、覺束なく存ぜられ候。猶も、唐土(もろこし)に河伯(かはく)など申すは、河の神の事にや。又、山靈(さんれい)と申すも、山の神の事にて侍るか、此類いかゞ」と問ひければ、先生、答へて云ふ、「山神(さんじん)・水神・龍王の類、何れも、あるべし。然れども、其形は、その類々なるベし。もし、其(それ)、年を經たるものあらば、たまたま、人にも變化(へんげ)すまじきにあらねど、もと、人とはおなじ類(るい)にあらず。然るを其さまを人間のやうにいひ、住所をも、宮室のやうに作りなせるは、ひが事なり。佛經(ぶつきやう)に八大龍王などいへるは、佛(ほとけ)の説法によりて異類の感應したる道理をとけるなるべし。俵藤太の物語は、元より、さだかなる事にあらねば、論ずべきにあらず。そのかみ、張橫渠先生、海神を祭り給ふに、其形を人になして衣冠を着せ給へるを、張橫渠のあやまりなりと、朱文公そしり給へる事、「朱子語類」にみえたり。また、河伯の名、「莊子(さうじ)」が寓言に出でたり。「酉陽雜爼」などの妄説は信するにたらず」とかたられき。

[やぶちゃん注:「俵藤太が物がたりには、湖にもあるやうにきこえ侍る」湖は琵琶湖。藤原俵藤太秀郷の三上山(みかみやま)の百足退治で、唐橋を渡る俵藤太の前に龍宮の姫が変身した大蛇が現れるように、橋の下にある淵が竜宮に繫がっているとする伝承があり、橋の東詰めには藤太や竜宮の王を祀る龍王宮秀郷社(りゅうおうぐうひでさとしゃ)もある。サイト「不思議のチカラ」の「龍宮城はどこにある? 浦島太郎、山幸彦の物語と俵藤太の百足退治伝説」が判り易くコンパクトに纏めてある。なお、南方熊楠の「十二支考 田原藤太竜宮入りの話」(リンク先は「青空文庫」)も天馬空を翔るが如き熊楠の自在な思考の展開が格段に面白い。お薦めである。

「河伯」中国神話や幻想的地誌や博物書に出現する黄河の神。平凡社「世界大百科事典」によれば、中国の神話にみえる北方系の水神で、「山海経」の「大荒東経」に、殷の王亥が有易(狄(てき))に身を寄せて殺され、河伯も牛を奪われたが、殷の上甲微が河伯の軍を借りて滅ぼした。そのことは「楚辞」の「天問」にも見え、殷と北狄との闘争に河伯が殷に味方したことを示す。卜辞に河の祭祀を言うものが多く、五十牛を犠牲として沈めることがあり、水神と牛との関係が指摘されており、「楚辞」の「九歌」の「河伯」は、その祭祀歌である、とある。また、ウィキの「河伯」からも引いておく。『人の姿をしており、白い亀、あるいは竜、あるいは竜が曳く車に乗っているとされる。あるいは、白い竜の姿である、もしくはその姿に変身するとも、人頭魚体ともいわれる』。『元は冰夷または憑夷(ひょうい)という人間の男であり、冰夷が黄河で溺死したとき、天帝から河伯に命じられたという。道教では、冰夷が河辺で仙薬を飲んで仙人となったのが河伯だという』。『若い女性を生贄として求め、生贄が絶えると黄河に洪水を起こす』。『黄河の支流である洛水の女神である洛嬪(らくひん)を妻とする。洛嬪に恋した后羿(こうげい)により左目を射抜かれた』。『日本では、河伯を河童(かっぱ)の異名としたり、河伯を「かっぱ」と訓ずることがある。また一説に、河伯が日本に伝わり河童になったともされ、「かはく」が「かっぱ」の語源ともいう。これは、古代に雨乞い儀礼の一環として、道教呪術儀礼が大和朝廷に伝来し、在地の川神信仰と習合したものと考えられ、日本の』六『世紀末から』七『世紀にかけての遺跡からも』、『河伯に奉げられたとみられる牛の頭骨が出土している。この為、研究者の中には、西日本の河童の起源を』六『世紀頃に求める者もいる』。「西遊記」の『登場人物の沙悟浄は、日本では河童とされるが、中国では河伯とされる』とあるが、私は九州の河童伝承には河伯の影響が確かにやや認められる部分があるとも思うが(しかしそれは後代の後付のように感じられる)、其れとは独自に平行進化した本邦の水棲幻想生物としての河童が存在し、これが、混淆したものと考えている。則ち、本邦の河童の真正ルーツとしての「河伯」は私は認めないということである。

「山靈(さんれい)」は山の神も含まれるが、もっと広範で、本邦の山に纏わる神霊的存在から、山中の幻獣的魑魅魍魎・精霊(すだま)の類、及び、広く山中でしばしば起こる怪異現象を包含したものである。

「其形は、その類々なるベし」まさに前で注したような感じで、その形状・属性・生態は、そのそれぞれで違ったものを持っているようである、というのである。

「張橫渠」北宋の思想家張載(一〇二〇年~一〇七七年)。小学館「日本大百科全書」によれば、横渠鎮(現在の陝西省眉県)の出身であったことから、世に「横渠先生」と称された。『異民族の侵入もある土地柄から、青年時代、軍事を論ずることを好んだが、范仲淹(はんちゅうえん)との出会いを契機に名教(儒教)に志し、仏老の書にも目を向けながら』、『研鑽』『の日々を送った』三十八歳で親族であった、後に儒学者となる程頤(ていい)ら『とともに科挙に及第し、地方官として』、『特に辺境の民政軍事面に見識を示した。やがて神宗』『に召され、三代の治の復活を進言して古礼を説き井田(せいでん)制を主張したが、結局王安石』『とあわず、故郷に帰り』、『講学に専念した。陝西』(関中)『で講学したので、その学派を関学と称する。張載はとくに思想的に仏教との対決を試み、その幻妄説の排撃を意図して「太虚(たいきょ)即気」論を唱えた。そして仏者の心性説に対抗すべく、気の存在論と心性論の統一を図ろうとした。虚無・空無を否定して気が聚』『まると万物となり、気が散じると太虚となると考え、人間の認識のいかんにかかわらず』、『万物の変化は気によることを明確にした。物の生成をめぐる一気と陰陽の関係の分析や、気質という概念の提出は、天地の性、気質の性という性論、気質を変化させるという修養論とともに、朱子学の形成に大きく関与した。また明清』『時代、王廷相』『や王夫之』・『戴震』ら、『いわゆる気の思想家に多大の影響を与えている。著作には』「正蒙」・「西銘(せいめう)」「易説」などがある。同書を中文サイトで検索してみたが、残念ながら、当該記載は見出せなかった。

「朱文公」朱熹(しゅき 一一三〇年~一二〇〇年)の諡。南宋の地方官で儒学者。宋以降の中国及び本邦の思想界に圧倒的な影響を及ぼした。彼は北宋道学を集大成し、宇宙論・人性論・道徳論の総ての領域に亙る理気の思想を完成させた大儒。

「朱子語類」朱熹がその門弟たちと交わした内容を没後に黎靖徳が集成し、門類に分類した書。全百四十巻。一二七〇年完成。

『河伯の名、「莊子(さうじ)」が寓言に出でたり』「荘子」の「外篇」の「秋水篇」にメイン・キャストの一人として登場する。人間の道徳律に縛られる黄河の河伯神に対し、黄海の神北海若が、「井蛙不可以語于海者、拘于虛也。夏蟲不可以語于冰者、篤于時也。曲士不可以語于道者、束于教也。」(井蛙(せいあ)は以つて海を語るべからず、虛に拘(とら)はれればなり。夏蟲は以つて冰(こほり)を語るべからず、時に篤(あつ)ければなり。曲士は以つて道を語るべからずとは、教へに束(しば)らるればなり。)と答えることで知られる。「篤」は生存を時季に限定固定されていることを指す。「井の中の蛙、大海を知らず」の原拠であるが、「荘子」本文の校異から言うと、「蛙」ではなく「魚」とするのが主流である。

『「酉陽雜爼」などの妄説』晩唐の学者段成式(八〇三年~八六三年)の撰になる、荒唐無稽な怪異記事を集録した「酉陽雑爼」(八六〇年頃成立)には河伯が登場する奇談が複数載る。]

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