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2018/11/02

古今百物語評判卷之五 第六 夢物がたりの事

 

  第六 夢物がたりの事

ある人の云(いはく)、「『かんたむ[やぶちゃん注:「邯鄲」。]の枕』といふは謠(うたひ)に御座候が、出處(しゆつしよ)さふらふや」と問(とひ)ければ、先生、こたへていはく、「山谷(さんこく)が『蓋ㇾ世成ㇾ功黍一炊』(世を蓋(おほ)ひ功を成す 黍(しよ)一炊(すい))といふ詩の註に、「異聞錄」を引きて云(いへ)り。これ、仙術の事なるを、謠には佛道の事にまじへたり。上(かみ)にて申(まうす)ごとく[やぶちゃん注:前条を指す。]、其術(じゆつ)なきにもあらねば、さる事もや侍らむ。さて、夢といふものこそ、さまざまのやうす、侍れ。先づ、人の寢入りたる時は、五臟六腑のつかさどる處々(ところどころ)、何れも其態(わざ)止(やむ)といへど、本心(ほんしん)の主人は、ねいらず、かるがゆへに、思ふ處の事あれば、起(おき)たる後(のち)、おもひ出(いだ)して、是を、夢、といふなり。さて其夢に、さまざまのかはりあり。たとへば、心(しん)の火(ひ)、虛(きよ)したる人は、水を夢み、腎の水(みづ)、虛したる人は、火を夢みなどするを、病夢といふ。又、其かたちの、ふるゝ[やぶちゃん注:「觸るる」。]事に附きて、見る事、あり。足を重ねて橫に臥(ふし)たるとき、其足、うへより落(おつ)れば、かならず、高き處より落(おち)たる、と思ふ事あり。是れまた、病夢の類(るい)なるべし。又、心(こゝろ)に富貴(ふつき)を願へば、富貴をゆめみ、苦勞を思へば、苦勞を夢み、其おもふところによつて、其事をみるは、思夢(しむ)といふ。孔子の、いはゆる、『夢にだに周公をみず』と仰せられしも、此類(るい)なり。又、瑞夢(ずいむ)といふは、丁固(ていこ)が松の夢、王濬(わうしゆん)が三刀(さんとう)の夢の類(るい)、よき事あらむとては、必ず、前より其氣の相(あひ)感じてみる夢をいふなり。彼の「詩經」にとける[やぶちゃん注:「説ける」。]夢あはせのごとく、蛇をみれば、女子(によし)生れ、弓をみれば、男子(なんし)生るゝ類(るい)、もしくは、こゝもとにて云へる、一富士二鷹の類(るい)なり。又、あしき夢のみえて、かならず、其難の來(きた)るも、其理(ことわり)、又、かくのごとし。人の心は神明(しんめい)に通ずるものなれば、自然(しぜん)と其善惡を、前より、さとるなるべし。されども、起(おき)ゐて、事にふれ、人に交(まぢ)はるときは、他念おほき故に、其事、なけれども、寢入りたるときは、却(かへつ)て心の働きも專らなるべし。又、瑞夢にも思夢にも病夢にもあらず候ひて、兵庫の湊より天竺の風景を詠(なが)め、車に乘りながら、鼠穴(ねずみあな)を通る、などゝみるは、是れ、實(まこと)の夢にして、はかなき事なるべし」と評せられき。

[やぶちゃん注:「『かんたむの枕』といふは謠(うたひ)御座候」ここで元隣は何だかぐちゃぐちゃ言っているが、「邯鄲の枕」(他に「盧生の夢」「黄粱夢」「黄粱一炊の夢」等)は、唐の沈既済(しんきさい)の伝奇小説「枕中記」(ちんちゅうき)が原典私の芥川龍之介「黃粱夢」では同作の注は勿論、『原典 沈既濟「枕中記」全評釈』及び『同原典沈既濟「枕中記」藪野直史翻案「枕の中」』他を附してあるので、参照されたい(私のサイトでも最もアクセスの多いページのベスト・ファイブに入るものである。殆んどは高校生・大学生で、休業の終りや試験前の時期になると大繁盛らしい)。「謠」というのは、能の「邯鄲」のこと。同話を原素材に作られた能の演目であるが、ウィキの「邯鄲の枕」によれば、『しかし道士・呂翁にあたる役が、宿屋の女主人であり、夢の内容も』「枕中記」とは『異なり』、「太平記」巻二十五などに『見えるような』、『日本に入ってから変化した』、「邯鄲の枕」の『系譜上に位置づけられると言えよう。舞台上に設えられた簡素な「宮」が、最初は宿屋の寝台を表すが、盧生が舞台を一巡すると』、『今度は宮殿の玉座を表したりと、能舞台の特性を上手く利用した佳作である』。『なお、盧生の性格や描写から憂いを持つ気品ある男の表情を象った「邯鄲男」と呼ばれる能面が存在し』、この「邯鄲」の『盧生役のほか』、「高砂」の『住吉明神などの若い男神の役でも使用される』とある。詳しくは、サイト「宝生流謡曲名寄せ」の邯鄲(かんたん)」のページがよい。

「山谷(さんこく)が『蓋ㇾ世成ㇾ功黍一炊』(世を蓋(おほ)ひ功を成す 黍(しよ)一炊(すい))といふ詩」「山谷」道人は北宋の名書家にして名詩人として知られた黄庭堅(一〇四五年~一一〇五年:宋代の詩人としては、かの蘇軾・陸游と並称され、書家としては蘇軾・米芾(べいふつ)・蔡襄(さいじょう)とともに宋の四大家に数えられて、「詩書画三絶」と讃えられ、師でもあった蘇軾と名声を等しくし、「蘇黄」と呼ばれた)の号。一節は、彼の以下に示す七「王稚川既得官云々其二」の承句。

   *

從師學道魚千里

蓋世成功黍一炊

日日倚門人不見

看盡林烏反哺兒

 師に從ひて道を學ぶこと 魚(うを)の千里

 世を蓋つて功を成すも  黍(きび)の一炊のみ

 日日(ひび) 門に倚(よ)れども人(ひと)見えず

 看(み)盡くせり 林烏(りんう)反哺(はんぽ)の兒(じ)

   *

「異聞錄」晩唐の陳翰(ちんかん)が唐代の代表的伝奇作品を集めて編んだ撰集「異聞集」(全十巻)のこと。ウィキの「異聞集(陳翰)」によれば、沈既済の「枕中記」は『文字にかなりの異同があり、編者陳翰が手を入れた様を窺わせ』、『改編の跡が顕著に判る例であ』るとする。

「謠には佛道の事にまじへたり」謡曲の「邯鄲」の終局部は仏教的無常観を基底としており、最後はシテの盧生が「南無三寶南無三寶」と呼ばわり、地謠が「よくよく思へば出離(しゆつり)を求むる」と謡う。「出離」とは迷いを離れて解脱の境地に達すること(別に「仏門に入ること」の意もある)を指す仏語である。

「本心(ほんしん)の主人は、ねいらず」面白い。精神分析学や脳生理学的に正しいことを言っているかのように見えるではないか。

「孔子の、いはゆる、『夢にだに周公をみず』と仰せられし」「論語」の「述而篇」第七の五に出る。

   *

子曰、甚矣、吾衰也、久矣、吾不復夢見周公也。

(子曰く、甚だしきかな、吾が衰ふや、久し。吾れ、復た夢に周公を見ず。)

   *

これは心理学的に正しい。孔子は自らの教えが受け入れられず、世が乱世を続けていることに耐え難く、無意識的には現実世界に失望していたものと思う。そのネガティヴなあってはならないはずの失意の致命的内実について、理想の政治を採った周公旦の夢を見なくなった自分を通して、肯定は出来ないまでも、実は強く感覚的には感じとっていたのである。

「瑞夢(ずいむ)」吉祥の予知夢。

「丁固(ていこ)が松の夢」三国時代の政治家で呉に仕えた丁固(一九八年~二七三年)は、二六八年二月に最高位の官職である三公の一つ、司徒に昇進した。「呉書」によると、以前、丁固が尚書であった頃、『松の木が腹の上に生えるのを夢に見て、ある人に「松の字は十・八・公からなる。十八年後、私は三公になっているであろう」と言っており、結局』、『夢のとおりになった』とウィキの「にある。

「王濬(わうしゆん)が三刀(さんとう)の夢」三国時代の武将で、魏・西晋に仕えて活躍した王濬(二〇六年~二八五年)は、『広漢太守だった頃』、三『本の刀を寝室の壁にかけ、その刀がもう』一『本増えるという夢を見た。不吉に思った王濬が主簿の李毅にこの話をすると』、『李毅は「三刀は州の字です。これに一刀が増えたのは領土の拡大に成功することです」とこれを祝賀した』と(事実そうなったのであろう)ニコニコ大百科」「王濬にあった。

『「詩經」にとける夢あはせ』「夢あはせ」は「夢合わせ」で「夢占」のこと。「詩経」には幾つかの夢占いが登場する。今場正美論文注 中国古代夢(PDF)によれば、

   《引用開始》

「詩経」中の関連記事によれば、[やぶちゃん注:中略。]占夢の制度は西周時代から春秋時代の初め頃の状況と概ね一致する。[やぶちゃん注:「詩経」の。]『小雅』正月に「彼の故老を召し之に占夢を訊(と)ふ」とあるのは、周王が故老(太卜[やぶちゃん注:「ふとまに」。鹿などの獣骨等を用いた占い。]は多く故老が任じていた)占夢の官を召喚して夢占いをさせていたことを示す。「小雅」斯干に「大人之を占ふ、これ熊これ熊は、男子の祥なり。これ虺[やぶちゃん注:「き」。蝮(まむし)。]これ蛇は、女子の吉祥なり」とある。「大人」は占夢官の尊称で、天子のために夢を占う。王妃が熊や羆の夢を見たら男を生み、虺や蛇の夢を見たら女を産むという予兆である。「小雅」無羊に「牧人乃ち夢む、……大人之を占ふ、衆とこれ魚とは、實にこれ豊年なり、旐とこれ旟とは、室家蓁蓁たり」とある。これは牧人が占夢の官に夢占いをしてもらうというもので、水中に魚がたくさんいる夢を見れば豊作の年となり、亀や蛇、あるいは鳥が描かれた旗の夢を見たら家族が増える兆しだと詠っている。『詩経』の小雅に見えるこうした情況から、当時、上は周王から、下は民衆まで、占夢を信じない者はいなかったといえよう。

   《引用終了》

とある。

「一富士二鷹」私の甲子夜話卷之五 5 興津鯛、一富士二たか三茄子の事の本文及び私の注を参照されたい。

「實(まこと)の夢にして、はかなき事なるべし」これは死を予兆する正夢であるとぼかして言っているようである。]

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