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2018/11/03

古今百物語評判卷之五 第七 而慍齋化物ものがたりの事

 

  第七 而慍齋(じうんさい)化物ものがたりの事

一人のいはく、「宵よりの物語にさまざまの道理を仰せきかされ候が、先生は何にてもばけ物御覽候哉(や)」と問ひければ、先生、答(こた)へて云はく、「それがしこそ、ばけ物多く見候(さふらひ)て、此事を恐れ申(まうし)侍る。其次第を語り申さん。先づ、たゞ今は世に、儒學、はやり候ふ故、我、人ともに、少し、文字を讀(よみ)候へば、髮頭(かみかしら)異(こと)やうに、衣服、きらきらしくつくろひ、かしこげに物いひ、年よる人をあなどり、露(つゆ)許(ばかり)の學問に高ぶり、利慾は常の人に十倍して、口には見事に云ひなせども、實(まこと)の律義(りつぎ)、つゆばかりもなきは、俗儒・腐儒など云ひて、儒者の化物なり。身には三衣(さんえ)を着(ちやく)し、口には五戒をとけども、誠(まこと)の道心、ゆめばかりもおこらずして、破戒無慚のやからは、出家のばけたる賣僧(まいす)ならずや。其外、世俗のわざにも、傾城(けいせい)などいふ物の仕かたを見るに、思はぬ方に空啼(そらなき)し、髮をきり、爪をはなし、かたへに來りても、女房のごとく、ことかたにも、さのごとく、人をたぶらかし、金銀をすひとるは、是、女のばけ物なり。近比(ちかごろ)は又、『かぶき太夫』といふ物、あり。元より、男色(なんしよく)の道も、むかしよりいましめたれど、此比にいたりては、殊更に盛(さかん)になりて、おのれより年よりたるをも戀(こひ)しとふて、猶、まどひやすきは、好色のばけ物ならずや。其外、『判(はん)はんじ』・『はとのかい』などいふもの、一文不通(いちもんふつう)の身にて、人の分別を沙汰し、剃刀(かみそり)より薄きえりつきにて、人の貧富を論ずるは、いかなるばけ物ぞや。かやうの類(るい)、多しといへども、語り盡すまじ」と申されき。

[やぶちゃん注:コーダの一つ前で、「而慍齋」元隣(「而慍齋」は彼の別号)は遂に、この手の評釈系怪談にありがちな、真の化け物は現在の世の人の中にこそいる、という辛口の諧謔による世俗批判を展開する。そこでは、形の上では自身も含まれるという鏡返しの謙遜を加えてはいるものの、相当に辛辣であると言える。元隣の生涯が如何なるものであったかは詳らかには知らぬが、この口吻には同時代の自称文化人に対する彼の憤懣も現れているように見うけられる。

「三衣(さんえ)」既出既注であるが、再掲する。「さんね」とも読む。本来はインドの比丘が身に纏った三種の僧衣で、僧伽梨衣(そうぎゃりえ:九条から二十五条までの布で製した)・大衣(だいえ=鬱多羅僧衣(うったらそうえ):七条の袈裟で上衣とする)・安陀会(あんだえ:五条の下衣)のことを指すが、ここは単に僧衣のこと。

「五戒」既出既注であるが、再掲する。在家信者が守らなければならない基本的な五つの戒めで「不殺生」・「不偸盗(ふちゅうとう)」・「不邪淫」・「不妄語」・「不飲酒(ふおんじゅ)」。

「傾城」花魁(おいらん)・娼妓(しょうぎ)の異称。ここは広義の遊女・女郎でよい。

「思はぬ方に」思いもしなかった折りに。或いは、悪意にとれば、想像も出来ない方法でか。次注参照。

「空啼(そらなき)し」エキサイトニュースコラム嘘泣き、断髪、爪剥がし!?吉原遊郭の恒例、遊女とお客の駆け引きバトルは凄まじいに『吉原を始めとした遊里を端的に表現した言葉として名高いのが、『四角な卵と遊女の誠、あれば晦日に月が出る』と言うものがあり』、『これは』、『いずれも四角い卵と月末に出る月はあり得ないもの、それと並んで遊女の誠意はあるはずがないと揶揄している』とし、さらに『遊女にはミョウバンを着物に染み込ませて顔をこすり、涙を流して見せる“女郎のそら涙”つまり嘘泣きを中心に、客人を篭絡するための様々な策略があ』るとある。また、『客人を篭絡するための様々な策略があ』る『が、その最』『たる物が』「心中」で』、『一般的に心中と言えば』、『自害・自殺行為を連想させ』る『が、遊里での心中は』、「心中立」(しんじゅうだて:個人サイト「自傷行為と理解の「心中立」によれば、『自分の心の中をすっかり見せ、契りを交わした相手に愛の証拠をみせ、恋愛の誠実性を立証すること』とある)『とも言って』、『客人に対し』、『真心を示す遊女の行動を意味してい』『た。心中は大きく分けて』六『種類の行為があり、本項ではそのうちから』、「断髪」と「放爪(ほうそう)」を紹介するとある(以下、次注に続ける)。

「髮をきり、爪をはなし」上記リンク先の「2」に、一『つ目の断髪は文字通り』、『髪を斬ることで』、『遊里では髪の毛の一部を渡す』ことを指した。『しかし、殆どは髪にボリュームを持たせる』「かもじ」(髢・加文字とも書き、「髪文字」の略。髪を結ったり、垂らしたりする場合に地毛の足りない部分を補うための添え髪。人毛や牛の尻尾の毛が使われる)で『あったり、他の人から入手した物が多』かったとあり、『続いての放爪は指から爪を取って渡し、思いの丈を訴えるもので』、『爪が剥げたり』、『割れたりするのは痛い』『ので、その痛みを誓いの印としたので』あろうと思われるが、実際に自分の『爪の周りを切り回したり、痛み止めとして酢に浸すなど、色々な工夫が凝らされてい』たが、『これにも抜け道があり、妹分に頼んで』、『彼女の小指の爪を伸ばさせ、それを切って何食わぬ顔で渡したり』、井原西鶴の処女作「好色一代男」(天和二(一六八二)年の『ように死人から抜いた爪を商う業者から買う』、『などの計略があ』ったとある。

「ことかたにも」別な男のところでも。

「かぶき太夫」歌舞伎では女方の最高位の者を太夫と敬称するから、以下の叙述と一致する。それに掛けて、並外れた男色家を蔑称したものであろう。

「判(はん)はんじ」小学館「日本国語大辞典」に、「はんはんじ」、漢字表記「判判」で載り、『法師の姿をしたものや歌比丘尼』(六道図や熊野那智参詣曼荼羅などを絵解きしつつ、全国に熊野信仰を広めた熊野比丘尼が、江戸時代に宴席に侍るようになった者の呼称で、中には売春行為を行う者もいた)『などが、熊野牛王』印(熊野三山で配布した符印。妄語を正す熊野の神使である烏の絵で図案化した「熊野牛王宝印」の六文字が印刷され、朱の宝印が押してあるもの。護符や起請文を記すのに用いた)『の誓紙などで占をすること。また、その人』とある。

「はとのかい」同じく小学館「日本国語大辞典」の「鳩」の大項目内に「はとの飼い」として載り、『口先で人をたぶらかして世渡りをする人。詐欺師やいかさま師などにいう。もと、山伏や占者のような格好をして、家々を回り、熊野の新宮・本宮の事を語っては、鳩の飼料と称して金をだまし取ったところからという』とあり、「語源説」の欄に、『八幡神に託して鳩の飼料をむさぼるの義か』(「和訓栞」)、『ハトノカイ(法度害)の意か』(「大言海」)とある。

「一文不通(いちもんふつう)」一文不知とも言う。一つの文字も読み書きができないこと。「文」は文字の意で、一つの文字すらも、通じてさえ判ってさえもいないの意から。

「人の分別を沙汰し」人を占うと称して語り(事実は「騙り」)。

「剃刀(かみそり)より薄きえりつきにて、人の貧富を論ずるは」剃刀より薄い襤褸でさえないような代物を身に纏っていながら、人の金運不運を占って語る(事実は「騙る」)というのは。]

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