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2018/11/04

古今百物語評判 跋 / 「古今百物語評判」全電子化注~完遂

 

 

 「百ものがたり評判」、すでに梓(あづさ)にちりばみてければ、かたへの人、とふていはく、「山岡而慍齋は、寬文壬子(じんし)の頃、身まかり給ひけるよし、卷軸(くわんぢく)に見えたり。しかあれど、「評判」のうちに、ちか比(ごろ)の例(ためし)をも引き用ゐられぬる事侍れば、故事、おくれ、評判、さきだち、何とやらむ、つゐで、ものぐるおし[やぶちゃん注:ママ。]。誠(まこと)には、而慍齋の外に和漢の達者ありて、評判、くはへながら、名、かくし侍るもののやうに思はれ候は、いかに」。予、云(いへ)らく、「いかにも、よき推量にて侍る。醫家に用(もちゆ)る「素問(そもん)」と云(いへ)る書は、其説、黃帝におこりながら、その書は戰國のすゑになりぬれど、なべての人は皆、黃帝の時に成(なり)けるやうに、おもひあへり。又、「莊子」と云(いへ)るふみも、戰國の時、漆園(しつゑん)老人があらはしぬれど、堯舜孔顏の、さながら、の給ひけるやうに、つくろひなして、三墳(ふん)の文(ふみ)にも見えず、三代の世も聞及(ききおよ)ばざる異人の姓名など、書載(かきのせ)侍るを、巵言寓言(しげんぐうげん)と申しならはせり。此草紙も、かゝるためしに類(たぐひ)せるなんかし。而慍齋の長子何がし、博識洽聞(がうがん[やぶちゃん注:「叢書江戸文庫」のルビ。])にて、父の才德にも越へたり。過(すぎ)つるころ、此卷(まき)を予にしめして云(いは)く、『乃(すなは)ち、翁(おう)、此書をあみなんとて、中半(なかば[やぶちゃん注:「叢書江戸文庫」の二字へのルビ。])にして身まかりき。いざとよ、父の志(こゝろざし)をなしてむや』と云(いひ)てければ、予、聞(きき)て、『あな賢(かしこ)、よくも知らせ給ひし物哉(かな)』とて、あらきを補ひ、しげきを除き、日あらで、此ふみなりぬれば、功(いさをし)を其(その)みなもとの作者にゆづりて、かく、梓(あづさ)になむちりばめはべる」。

 

  貞享丙寅曆季夏仲旬

    堀川通西吉水町

        梶 川 常 政

    植木町通福島町    梓行

        杉 原 正 範

 

[やぶちゃん注:最後の記名は底本とした国立国会図書館デジタルコレクションの「德川文芸類聚(とくがわぶんげいるいじゅ) 第四 怪談小説」(大正三(一九一四)年国書刊行会編刊)にはないので、国書刊行会「叢書江戸文庫」の巻二十七「続百物語怪談集」(一九九三年刊・責任編集/高田衛・原道生)のものを恣意的に正字化して用いた。

「百ものがたり評判」本書「古今百物語評判」の異名。

「梓(あづさ)にちりばみてければ」板行して市中に出回ってみると。

「寬文壬子(じんし)」寛文一二(一六七二)年。

「卷軸(くわんぢく)」文書に軸を付けて巻き込めるようにしたもの。「まきぢく(まきじく)」とも読む。

「評判」これは而愠斎の評言部分の謂いではなく、書物全体、則ち、「古今百物語評判」一書全体を指していると読むべきである。

「ちか比(ごろ)の例(ためし)をも引き用ゐられぬる事侍れば」「百物語評判卷之五 第一 痘(いも)の神・疫病(やくびやう)の神附※1※2乙(きんじゆおつ)」の字(じ)の事」(「※1」=「竹」(かんむり)+(下部)「斬」。「※2」=「竹」(かんむり)」+(下部)「厂」+(内部)「斯」)の「※1※2乙(きんじゆつおつ)」の私の注を参照。なお、そこで示した、太刀川清氏の論文「『百物語評判』の意義」(『長野県短期大学紀要』(一九七八年十二月発行)所収)PDF)は本「古今百物語評判」の論文(本書のみを真正面から論じた論文は少ない)としては非常に優れたものである。必読。

「つゐで」不詳。しかし、これが「ついで」の誤記ではあるまいか?(本書は歴史的仮名遣の誤りが(特にルビで)甚だ多い) とすれば、これは「ついで」で名詞「序(つい)で」(「次第(つぎて)」の転訛)で「順序・次第」の意ではないか? 時系列の順が狂っていて、読んでいるうちに、「ものぐる」ほ「し」く=異常な感じさえ覚えるようになってしまうというのである。

「評判」こちらは前後から、而愠斎の評言部分の謂いと採れる。而愠斎に問い対話する人間の話にならまだしも、この世にいない元隣の評釈部分の例に死後の巷間の出来事が語られるのでは、これこそまさに真の怪談ということになるからである。しかし、それも怪談集ならでは、寧ろ、あって読んだ後に「あれ?!」とその事実に想到して慄然とするのも、怪談の読後の醍醐味、基、凄みというべきであろう。

「予」不詳。最後の記名は版元で、この孰れかが記したというのは、通常は考えにくい。但し、この二人の名前は書肆の町人にしてやや格好が良過ぎる。先に示した、太刀川清氏の「『百物語評判』の意義」には、『近代日本文学大系「怪異小説集」の解説者(笹川種郎氏)は、版元の京都堀川通西吉水町梶川常政、植木町通福島町杉原正範の二人を、いずれも山岡元隣の門人であるというが、そうす』るなら、「序」に出る「やつがれも其座につらな」たったという下僕(やつがれ)は『そのうちの一人であったか。しかしその確証はない』とある。しかし、仮に孰れかが門人であったなら、「跋」は書けるであろう。

「醫家に用(もちゆ)る」山岡元隣は医師でもあったことをお忘れなく。

「素問(そもん)」中国最古の医書。「霊樞(れいすう)」とともに「黄帝内経(こうていないきょう:「内経」は本邦では「ないけい」「だいけい」とも読まれる。秦漢時代の成立(本文ではその少し前「戰國のすゑになり」(成り)「ぬれど」と言っている)、と伝えられ、黄帝(既出既注。中国古代の伝説上の帝王。名は軒轅(けんえん)。神農氏の時、暴虐な蚩尤(しゆう)と戦って勝利し、推されて帝となった。衣服・貨幣・暦・医薬・音律などを定めたという。五帝の一人)と名医との問答体で、古代中国の医術と身体観を記す。鍼灸医学の古典)」を構成する。「霊枢」よりも成立は古いとされ、自然哲学的な医学論が中心であるが、現行のものは唐代に大幅に改変されたものとされている。

「漆園(しつゑん)老人」荘子(紀元前三六九年頃~紀元前二八六年頃)の通称。「史記」の「老子韓非列伝」に、

   *

莊子者、蒙人也、名周。周嘗爲蒙漆園吏、與梁惠王、齊宣王同時。其學無所不闚、然其要本歸於老子之言。故其著書十餘萬言、大抵率寓言也。

(荘子は蒙人なり、名は周。周は、嘗つて蒙(もう)[やぶちゃん注:戦国時代の宋の地名。現在の河南省商丘市民権県。ここ(グーグル・マップ・データ)。]の漆園(しつえん)の吏[やぶちゃん注:漆を採取する漆林の管理人。]と爲り、梁の惠王、齊(せい)の宣王と時を同じうす。其の學は闚(うかが)はざる所無く、然るに、其の要は老子の言に本(ほん)を歸(き)す。故に其の著書十餘万言、大抵は率(おほむ)ね寓言(ぐうげん)なり。)

「堯舜孔顏」古代の理想的聖王堯(ぎょう)・舜(しゅん)と、孔子と彼が最も愛した高弟顔回。

「の給ひ」「宣ひ」。

「三墳」中国古代の書籍と伝えられるものの、謎の書である「三墳五典」のこと。ウィキの「三墳五典」によれば、『どのような書であったかは諸説紛々としてわからない。三墳五典、またはそれを略した「墳典」「典墳」は、珍しい貴重な書籍を意味する語として、後世の詩文によく使われる』。但し、『三墳五典の名は』、「春秋左氏伝」昭公十二年に既に『見え、それによると』、『楚の霊王が左史の倚相をほめて「三墳・五典・八索・九丘を読むことができる」と言ったという。杜預の注は「みな古書の名である」と簡単に述べるにとどまる。このうち八索は』「国語」に『も出てくるが、韋昭は書物ではなく』、『身体の部位のこととする』。「周礼」の「春官・外史」に『「三皇五帝の書を掌る」とあり、鄭玄』(じょうげん:後漢末の学者)『注に三墳五典のこととする。三墳五典が何を指すかは、人によって説が異なる。もっとも有名なのは』、『孔安国に仮託された』『「尚書」序の『説で、「伏羲・神農・黄帝の書を三墳といい、大道を説いたものである。少昊』(しょうこう)『・顓頊』(せんぎょく)『・高辛』(帝嚳(こく)の別名)『・唐・虞の書を五典といい、常道を説いたものである」といい、また八索は八卦の説で、九丘は九州について記したものとする。書序はまた、孔子が三墳五典をもとに』「尚書」(=「書経」)百篇を『選び、八索九丘は孔子によって除かれたとする』。『そのほか、賈逵』(かき:後漢の儒学者・天文学者)『によれば、三墳は三王(禹、湯王、文王・武王)の書、五典は五帝の典、八索は八王の法、九丘は九州亡国の戒であるという。延篤は張衡の説により、三墳は三礼、五典は五帝の常道、八索は』「周礼」に『いう八議の刑(八辟)、九丘は九刑であるとする。馬融は三墳を天地人の気、五典を五行、八索を八卦、九丘を九州の数であるとする』。「釈名」(しゃくみょう:後漢末の劉熙(りゅうき)が著した辞典)『よると、三墳は天地人の三才の区分を論じたものであり、五典は五等の法であり、八索は孔子のように王にならなかった聖人の法であり、九丘は九州の地勢の違いに応じて教化するものであるとする。また、これらの書物はすべて上古の書物であり』「尚書」の「堯典」『以外は滅んだとしている』。『三墳を三皇の書とした場合、三皇は黄帝より前の人物であるので、「黄帝の時代に蒼頡が文字を作った」というもうひとつの伝説と矛盾する』。孔穎達(くえいたつ:初唐の学者)『よると、三皇の時代に字がなかったというのは緯書』(いしょ:漢代に儒家の聖典である経書類を神秘主義的に解釈した書物群。「緯」とは「経」(縦糸)に対する「横糸」であり、経書に対応する書物(群)を指して緯書と称している)に『もとづく説にすぎず、蒼頡が黄帝の史官であったとするのも一説にすぎないとして、伏犧以前に文字があったとする』。なお、「古三墳」という『書物が現存するが、宋以前の目録に見えず、宋代の偽書と考えられている』とある。

「三代」中国史で最も古い三つの王朝、夏・殷・周と採っておく。

「巵言寓言(しげんぐうげん)」「巵言」は、その時に応じて、便宜的に用いる臨機応変の言葉を指し、「寓言」は中国人の大好きな、他の事象に仮託して表現する譬え話のこと。

「洽聞(がうがん)」既出既注。通常は「かうぶん」が正しい(現代仮名遣は「こうぶん」)。「洽」は「遍(あまね)く」の意で、見聞や知識が広いことをいう。

「貞享丙寅曆季夏仲旬」「貞享」の「ひのえとら」は三年で、一六八六年。「季夏」(きか)は晩夏で陰暦六月の異称。この年は閏三月があるので、六月中旬はグレゴリオ暦では八月の上旬である。これは本「古今百物語評判」の初版のクレジットであることが確認される。

「堀川通西吉水町」現在の京都府京都市下京区吉水町(よしみずちょう)(堀川通)。(グーグル・マップ・データ)。

「梶川常政」不詳。他の書誌で書林梅花堂の書肆名を頭に被せるものがある。

「植木町通福島町」不詳。現行の福島町ならば、京都府京都市上京区福島町と、下京区福島町の二箇所がある。「植木町通」というのは現在の京都市街にはないようである。

「梓行」「しかう」。板行(はんぎょう)。出版。

「杉原正範」不詳。]

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