フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 靑森挽歌 | トップページ | 和漢三才圖會第四十三 林禽類 鵲(かささぎ) »

2018/12/03

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 オホーツク挽歌

 

        オホーツク挽歌

 

海面は朝の炭酸のためにすつかり銹びた

綠靑(ろくせう)のとこもあれは藍銅鑛(アズライト)のとこもある

むかふの波のちヾれたあたりはずゐぶんひどい瑠瑙液(るりえき)だ

チモシイの穗がこんなにみぢかくなつて

かはるがはるかぜにふかれてゐる

  (それは靑いいろのピアノの鍵で

   かはるがはる風に押されてゐる)

あるひはみぢかい變種だらう

しづくのなかに朝顏が咲いてゐる

モーニンググローリのそのグローリ

  いまさつきの曠原風の荷馬車がくる

  年老つた白い重挽馬は首を垂れ

  またこの男のひとのよさは

  わたくしがさつきのあのがらんとした町かどで

  濱のいちばん賑やかなとこはどこですかときいた時

  そつちだらう、向ふには行つたことがないからと

  さう云つたことでもよくわかる

  いまわたくしをしんせつなよこ目で見て

   (その小さなレンズには

    たしか樺太の白い雲もうつつてゐる)

朝顏よりはむしろ牡丹(ピオネア)のやうにみえる

おほきなはまばらの花だ

まつ赤な朝のはまなすの花です

 ああこれらのするどい花のにほひは

 もうどうしても 妖精のしわざだ

 無數の藍いろの蝶をもたらし

 またちいさな黃金の槍の穗

 軟玉の花瓶や靑い簾

それにあんまり雲がひかるので

たのしく激しいめまぐるしさ

   馬のひづめの痕が二つづつ

   ぬれて寂まつた褐砂の上についてゐる

   もちろん馬だけ行つたのではない

   廣い荷馬車のわだちは

   こんなに淡いひとつづり

波の來たあとの白い細い線に

小さな蚊が三疋さまよひ

またほのぼのと吹きとばされ

貝殼のいぢらしくも白いかけら

萓草の靑い花軸が半分砂に埋もれ

波はよせるし砂を卷くし

 

 

白い片岩類の小砂利に倒れ

波できれいにみがかれた

ひときれの貝殼を口に含み

わたくしはしばらくねむらうとおもふ

なぜならさつきあの熟した黑い實のついた

まつ靑なこけももの上等の敷物(カーペツト)と

おほきな赤いはまばらの花と

不思議な釣鐘草(ブリーベル)とのなかで

サガレンの朝の妖精にやつた

透明なわたくしのエネルギーを

いまこれらの濤のおとや

しめつたにほひのいい風や

雲のひかりから恢復しなければならないから

それにだいいちいまわたくしの心象は

つかれのためにすつかり靑ざめて

眩ゆい綠金にさへなつてゐるのだ

日差しや幾重の暗いそらからは

あやしい鑵鼓の蕩音さへする

 

 

わびしい草穗やひかりのもや

綠靑(ろくせう)は水平線までうららかに延び

雲の累帶構造のつぎ目から

一きれのぞく天の靑

くもわたくしの胸は刺されてゐる

それらの二つの靑いいろは

どちらもとし子の持つてゐた特性だ

わたくしが樺太のひとのない海岸を

ひとり步いたり疲れて睡つたりしてゐるとき

とし子はあの靑いところのはてにゐて

なにをしてゐるのかわからない

とゞ松やえぞ松の荒さんだ幹や枝が

ごちやごちや漂ひ置かれたその向ふで

波はなんべんも卷いてゐる

その卷くために砂が湧き

潮水はさびしく濁つてゐる

 (十一時十五分、その蒼じろく光る盤面(ダイアル))

鳥は雲のこつちを上下する

ここから今朝舟が滑つて行つたのだ

砂に刻まれたその船底の痕と

巨きな橫の臺木のくぼみ

それはひとつの曲つた十字架だ

幾本かの小さな木片で

HELLと書きそれをLOVEとなほし

ひとつの十字架をたてることは

よくたれでもがやる技術なので

とし子がそれをならべたとき

わたくしはつめたくわらつた

  (貝がひときれ砂にうづもれ

   白いそのふちばかり出てゐる)

やうやく乾いたばかりのこまかな砂が

この十字架の刻みのなかをながれ

いまはもうどんどん流れてゐる

海がこんなに靑いのに

わたくしがまだとし子のことを考へてゐると

なぜおまへはそんなにひとりばかりの妹を

悼んでいるのかと遠いひとびとの表情が言ひ

またわたくしのなかでいふ

 ( Casual observer! Superficial traveler!

空があんまり光ればかへつてがらんと暗くみえ

いまするどい羽をした三羽の鳥が飛んでくる

あんなにかなしく啼きだした

なにかしらせをもつてきたのか

わたくしの片つ方のあたまは痛く

遠くなつた榮濱の屋根はひらめき

鳥はただ一羽硝子笛を吹いて

玉髓の雲に漂つていく

町やはとばのきららかさ

その背のなだらかな丘陵の鴇いろは

いちめんのやなぎらんの花だ

爽やかな苹果靑(りんごせい)の草地と

黑綠とどまつの列

 (ナモサダルマプフンダリカサスートラ)

五匹のちいさないそしが

海の卷いてくるときは

よちよちとはせて遁げ

 (ナモサダルマプフンダリカサスートラ)

浪がたひらにひくときは

砂の鏡のうへを

よちよちとはせてでる

 

[やぶちゃん注:大正一二(一九二三)年八月四日の作とするが、南樺太滞在中の賢治の動向は不明なため、これを補強する資料はない。しかし、これまた珍しく、本篇では詩篇内に当日の午前「十一時十五分」というクレジットが示され、この時刻には既に栄浜村(後注する)の海岸線にいることが判る(冒頭の「海面は朝の炭酸のためにすつかり銹びた」をそのまま受けとるならば、彼はこの日の朝から有意に長い時間、この海岸にいたことになる。

 本詩篇は本書以前の発表誌等は存在しない。但し、本書用原稿以外に、その書きかけた断片草稿が一枚だけ、裏面を童話「銀河鉄道の夜」の草稿(校本全集が第六十七葉と呼ぶもの)に用いていたために残存している(特に意味があって転用しているとは思われない。冒頭の四行目から九行目までで、特に有意に意味の異なる異同は認められないので電子化しない。注で一部出した)。「手入れ本」も有意な差はないので示さない。なお、本篇に現れる二行の行空けはママで、本詩篇の特異点である。これはしかし、単なる物理的な時間の経過の表現であるだけでなく、前段との心境の変化を、この空隙で明確に区別して表現しようとしているものと考えられる。そのようなものとして読まれることを賢治は欲しているように思われる。

・「綠靑(ろくせう)のとこもあれは藍銅鑛(アズライト)のとこもある」「あれは」はママ。原稿は「あれば」で誤植であるが、「正誤表」にはない。

・「むかふの波のちヾれたあたりはずゐぶんひどい瑠瑙液(るりえき)だ」「瑠瑙液」はママ。原稿は正しく「玻璃液(るりえき)」で誤植であるが、「正誤表」にはない。

・「( Casual observer! Superficial traveler! )」底本では「( Casual observer! Suqerficial traveler! )」となっている。「suqerficial」は原稿では正しい綴りである「superficial」で誤植。本電子化の最初の部分で既に注したが、再掲しておくと、「正誤表」には訂正が載る。ところが、ここで見るように(原本の奥附(見開き左ページ)の右にあるノンブルなしの「正誤表」ページの画像)、修正されべき「正」の綴りが、「suqer」とあるべきところなのに、「suger」と誤植(原稿は正しく「super」)となってしまっている――★序でに言っておくと、校本全集版の『〔初版正誤表〕』の「異同」のこの部分の編者注は誤植を指摘しながら、そこで誤った綴りをsuperと〈誤っている〉ことを発見してしまった!――恐るべし! 賢治はその死後四十年後に刊行された(賢治は昭和八(一九三三)年九月二十一日に亡くなり、校本全集の校合参照している第二巻は昭和四八(一九七三)年七月刊である)栄えある豪華な全集にあってさえも〈誤植の修羅〉に生きていたのであった!★――のである。但し、読者は戸惑うものの、「正誤表がまた間違ってら!」と微苦笑を浮かべつつも、正しい「superficial」という語への訂正と百%気づけるから、ここでは特異的に本文を訂した。因みに、英文の意味は「casual」が「これといったしっかりした意図を持たない・思いつきの・気紛れな・何に対しても軽く或いは無頓着である」、「superficial」が「表面上の・見た目の外面だけの・浅薄な・皮相な」という意味であるから。「上滑りな気紛れな旅人よ! 本質・核心・真実の実体を見ようとしない、見ること出来ぬ皮相的で浅薄な旅人よ!」で、無論、賢治が賢治自身を指弾し、罵倒する言辞である。

・「五匹のちいさないそしが」「いそしが」はママ。原稿は「いそしぎが」で誤植であるが、「正誤表」にはない。

 

「オホーツク」オホーツク海(Охотское море:ネイティヴの発音はカタカナ音写すると「アホッツク・モーリェ」である)。樺太(サハリン)・千島列島・カムチャツカ半島等に囲まれた北海道の北東に位置する海域の広称。ウィキの「オホーツク海」によれば、『名称は、この海に面して最初に建設されたロシア人の入植都市・オホーツク』(Охо́тск:アホーツク)『に由来する』(これらの語の由来は「oхота」(ラテン文字転写:okhota:アッホータ)で、「狩猟」の意)。『三方をユーラシア大陸に囲まれており、南に千島列島を通じて太平洋と結ばれている。海域中央部に島嶼は無く、主な島として千島列島のほか、南西部に樺太および北海道がある。また、西部にシャンタル諸島がある。海域の支湾として北東にシェリホフ湾を持つ。主な港湾として、マガダンがある。オホーツク海の表面面積は』約百五十二・八万平方キロメートル、平均水深は八百三十八メートルで、『北部に大陸斜面が大きく広がり、南へ向かうに連れて深くなるという特徴がある。中央部は水深』千~千六百メートルの『海盆(便宜的に中央海盆と呼ばれることが多い)が存在し、さらに南に千島海盆と呼ばれる最も深い場所がある。最深部は千島列島近くで水深』は三千六百五十八メートルにも達する。『日本海とは浅い水深の間宮海峡と宗谷海峡で隔てられているが、太平洋との間の千島列島の海峡は水深が』二千メートルにも『及ぶ』『北得撫水道(きたうるっぷすいどう:千島列島の得撫島と新知島(しむしるとう)の間を結び、オホーツク海から太平洋に抜ける海峡。潮の流れが速く、海の難所とされる)もある、とある。本篇のロケーションは詩篇の終盤に出る「榮濱」、旧樺太庁豊原支庁栄浜村(さかえはまむら)である(現在のスタロドゥプスコエ(Стародубское)。ユジノサハリンスク(主に旧豊原市附近)から北に約五十キロメートルのオホーツク海沿いの南樺太東岸の村で、ここ(グーグル・マップ・データ))である。当時はここが鉄道で到達出来た日本最北端の地であった。駅から数百メートルで広い砂浜が東西に広がる。地図の村域の北位置に汽水湖と思われる大きな湖があるのが判るが、ここは旧日本名を「白鳥湖」と称した。賢治が、この当時は寂しい寒村に過ぎなかった栄浜を、何故、目指して旅したのかは明らかにされていないが、或いは、まさにこの湖の名に導かれて、「白い鳥」となったトシを探しに、或いは通信をしに、この湖まで来たのだとする見解もあり、中には、この湖畔で野宿したと断定している都市伝説染みた記事も見かけた(そんな事実記載は、無論、なく、彼がこの「白鳥湖」に行ったとする一次資料も全くなければ、彼の書き残したもの等にも、この実在する「白鳥湖」についての記載は全くない)サイト「全国樺太連盟」のこちらの地図の「豊原支庁」の文字の左手辺りの陸地をクリックすると、小さいが、日本語で記された地図に「白鳥湖」の文字を見出せる。ぴんとくる画像は少ないが、グーグル画像検索「栄浜 樺太」をリンクさせておく。

「海面は朝の炭酸のためにすつかり銹びた」「綠靑(ろくせう)のとこもあれは[やぶちゃん注:「ば」の誤植。]藍銅鑛(アズライト)のとこもある」/「むかふの波のちヾれたあたりはずゐぶんひどい瑠瑙液[やぶちゃん注:「瑠璃」の誤植。](るりえき)だ」冒頭から彼得意の色換喩が用いられているが、珍しく、ここで畳み掛けるそれらは、どれも美しくない、ネガテイヴなマイナス形容として示されてある。或いは最涯の北のオホーツクの荒んだ海岸を読者に想起させるための、捩じれた手法なのかも知れない。「朝の炭酸」は海上海面近くの靄や曇った空の海面への反映を指すか、或いは、寝ぼけている彼の眼のぼやけか(こういう措定は結構、排除出来ない。ここまでやってくるまでの賢治のその行程は、車中泊・船中泊を含め、非常にハードなもので、睡眠も充分にとれていないことは疑いないからである。そうした肉体と精神の疲労が本篇全体をややダルな雰囲気に仕上げており、特異的な二行空けもそうしたぼんやりとした意識を表象するものともなっているように思われるからである)、詩人自身の掻き毟りたくなるような複雑な思考でぐだぐだになった、炭酸水に浸かったような、もわもわとはっきりしない意識の外化か。ともかくも、それが邪魔をしてもっと清冽な紺青に見えるはずの海面が「銹」(さび)てくすんで見えるのであろう。その錆びて見えるということを、言い換えたのが、緑青(既に述べたが、歴史的仮名遣は「ろくしやう」が正しい)のように薄い緑色のように見えたり、「アズライト」(藍銅鉱:らんどうこう:azurite:アズライト。炭酸塩鉱物の一種で、「ブルー・マラカイト」と呼ばれる宝石でもある。これを原料とする顔料を「石紺青 いわこんじょう」と称する)のようなやや透明な藍色に、また、沖の波立っている辺り(栄浜は調べて見ると、遠浅である)なんて、随分「ひどい」瑠璃(半透明の藍色)の液体みたようじゃないか、というのである。

「チモシイ」TimothyTimothy-grass。単子葉植物綱イネ目イネ科アワガエリ(大粟還り)属オオアワガエリ Phleum pratense。アメリカ英語で「Timothy-grass」、イギリス英語では「Cat's tail」。ウィキの「オオアワガエリ」によれば、「チモシー」は十八『世紀初頭にこれをアメリカに導入した Timothy Hansen にちなむものでアメリカで生まれた名である』とする。『やわらかな多年草』で、『ごく短い地下茎があり、多数の茎を束状に出す。草丈は』五十センチメートルから一メートルで、『基部はやや斜めに出る。葉身は線形で長さ』二十~五十センチメートル、幅は三~九ミリメートルで、『扁平で緑から灰緑色、ざらつくが』、『毛はない。花序は茎の先端に生じて、棒状に直立し、長さ』六~十五センチメートルで、幅は七~九ミリメートル、『その表面には多数の小穂が密生する』。『小穂にはごく短い柄がある。小穂は先が広がった三角形で扁平、両端から短い芒が出る』。『芒の出る背面の中肋は緑で』。『それ以外は膜質で色が薄い。その内部には小花を一つだけ含む』。『カモガヤなどの他のイネ科植物と共に、花粉症の原因となる』。『日本全土に見られる。ユーラシアの原産で、牧草として世界で広く利用される』。『刈り取って乾燥させ、家畜に与えたり、放牧地用に牧草として栽培される。日本にはアメリカから伝えられ、明治時代初頭に北海道に導入されたのが始まりとされる。アッケシやノサップなどの品種があり、ウサギの餌としても有用である。現在は広く野生化している』とある。私の好きな草。本種群の和名は「粟(あわ)が変わって出来た」という意らしいが、本種はアワ(イネ科エノコログサ属アワ Setaria italica)とは分類学上は縁が遠く、イネ科ヌカボ(糠穂)属コヌカグサ Agrostis gigantea などと近縁である。

「(それは靑いいろのピアノの鍵で」「かはるがはる風に押されてゐる)」グーグル画像検索「オオアワガエリ」を見て戴くと、この隠喩がよく判るであろう。博物学者宮澤賢治は如何なる時も外界の科学的観察は怠らない。「チモシイの穗がこんなにみぢかくなつて」いるのは、「あるひはみぢかい變種だ」からであろうと推察する。よほど穂が短かったことが判る。同属のミヤマアワガエリPheleum alpinum は、穂が有意に短く、本州中部以北の高山帯に植生するから、ここは緯度が高いし、平均気温も低いから。この種である可能性もあるかも知れない。

「しづくのなかに朝顏が咲いてゐる」最初に言った一枚だけ残っている断片草稿のこの箇所を見ると、

   *

また霧がきら→しづく にかざれて めいて朝顔が■

   *

となっていることから、朝霧或いは朝露の雫に飾られたかのように「朝顏が咲いてゐる」の謂いであろうことが推測出来る。

「モーニンググローリのそのグローリ」「モーニンググローリ」は morning glory で、狭義にはナス目ヒルガオ科ヒルガオ亜科 Ipomoeeae 連サツマイモ属アサガオ Ipomoea nil の英名であるが、ヒルガオ亜科 Convolvuloideae の同じような漏斗状の花を咲かせる、オオバアサガオ属ArgyreiaAstripomoea 属・ヒルガオ属 Calystegia・セイヨウヒルガオ属Convolvulus・オオバケアサガオ属 Lepistemon・ツタノハヒルガオ属 MerremiaOperculina 属・Rivea属・オオバハマアサガオ属Stictocardia を含む。ここはロケーションと時刻から見て、アサガオではなく、ヒルガオ科ヒルガオ属ヒルガオ Calystegia aponica ・コヒルガオ Clystegia hederaceaハマヒルガオ Calystegia soldanella の孰れか、個人的には私の好きな最後のハマヒルガオ(浜昼顔)であろうと推定する。「そのグローリ」は(ハマ)ヒルガオの、如何にも凛として開いている、その花の「栄光・誉れ・名誉・栄光・栄えの絶頂・得意・満悦」の意。

「曠原風」(くわうげん(こうげん)ふう)は、広々とした野原・原野に、如何にも相応しい感じの、の意である。

「年老つた」「としとつた」と訓じておく。「としよつた」とも読める。

「重挽馬」「ぢゆうばんば(じゅうばんば)」。重い荷を引くことの出来るしっかりした馬。因みに、ごく近年、獣医学では「重輓馬」という語が使用されているという。十勝地方の獣医師「豆作(まめさく)」氏のブログ「北の(来たの?)獣医師」のこちらによれば、ペルシュロン、ブルトン、ベルジァンこの3種類の純血種と、それらの間の交雑種のことをまとめて、『重輓馬(じゅうばんば)』、と呼ぶようになったのはここ15年ほど前からだろうか。帯広畜産大のⅠ先生らが提唱された呼称で』、『私もそれに習って、この「重輓馬」という言葉を使わせてもらっている』。『それ以前は「重種馬(じゅうしゅば)」という呼び方が一般的だったと思う』。『これはサラブレッドなどの「軽種(ケーシュ)馬」に対して対句(ついく)をなす感覚で「重種(ジューシュ)馬」と呼んだのかと思われる。サラブレッド中心の競馬業界から生まれてきた言葉のようだ』。『理解しやすく、耳ざわりも良い言葉なので、今でも「重種馬」と呼ぶ人は多いし』、『私も臨機応変に使い分けている』。『一方、血統登録書には、最近』、『「重半血種」という言葉ではなく』、『「日本輓系種」という言葉が使われている』。『これは重輓馬を登録する団体が造った呼称のようで』、『世界唯一のばんえい競馬用の馬なんだぞ、という矜持(きょうじ)が滲んでいて』、『なかなか面白い呼称だ』。『また一方、農業団体では、最近まで「農用馬」という言葉が使われていた。トラクターが急速に普及した半世紀前は『重輓馬』はすべて農用馬だった。しかし、今では使役用の農用馬は皆無である。「農用馬」という言葉はかつての「軍用馬」という言葉とじ運命をたどってしまうのかもしれない。ちなみに私はかつて日獣会誌に投稿した論文に「重挽馬」という言葉を使ったことがある。発音は同じだが、こんな言葉は、もう誰も使わないだろう。『重輓馬』という言葉が定着していなかった頃だったとはいえ』、『今となっては、ちょっと恥ずかしい』。『橇や馬車を引っ張る「輓き馬」ではなく、肉にしてミンチをつくる「挽き馬」というわけだ』。『だがまぁ、これも』、『ある意味、当っているような気もするけどね(笑)』とある。豆作さん、大丈夫なんです、「挽」はもと「力を籠めて引っ張る」の意だからいいのです、賢治だってかく使ってます。

「(その小さなレンズには」/「たしか樺太の白い雲もうつつてゐる)」馭者台にいるその男の眼球である。高い位置にいるから、そこには見えないが、物理的には天空の「白い雲」が映っているのである。その男の気持ちのいい「ひとのよさ」を、ミクロ・マジックでその「白い雲」に語らせているのである。

「牡丹(ピオネア)」ユキノシタ目ボタン科ボタン属ボタン Paeonia suffruticosa の属名。英語ではPeony(ピオニー)と呼ぶが、これはボタン属の花全般を指す。この属名はギリシア人の医師パエオンに由来し、彼が最初にボタン属の一種であるシャクヤク(芍薬)Paeonia lactiflora を医療薬に用いたとされること因む。 古代ギリシア人は芍薬を「月の光」の所産と考え、神聖な起源があると考え、ヴィクトリア朝には、芍薬は薬用に使われるとともに悪霊を追い払ったり、災難から守ったりする呪物としても利用された。そこからか、芍薬の花言葉の代表は「必ず来る幸福」だそうである(サイト「Timeless Editionのこちらに拠った)。

「はまばら」「はまなすの花」前者は「濱薔薇」で、バラ目バラ科バラ属 Eurosa 亜属Cinnamomeae節ハマナス Rosa rugosa のこと。「浜茄子」「浜梨」「玫瑰」などと漢字表記するが、「浜薔薇」は聴かない。しかし、ハマナスのことだろうと推測はつく(私は母の遺伝でバラがすこぶる好きであり、バラ属のハマナスも好きである)。これは石川啄木の「一握の砂」の「忘れがたき人人」の「一」冒頭を飾る一首、

 

潮(しほ)かをる北の濱邊の

砂山のかの濱薔薇(はまなす)よ

今年も咲けるや

 

啄木の造語ルビ異名に基づくものと思われる。賢治がはっきりと他の日本の作家の詩語を使って、オードを寄せるのは極めて珍しい。ウィキの「ハマナス」によれば、『東アジアの温帯から冷帯にかけて分布する』。『日本では北海道に多く、南は茨城県、鳥取県まで分布する。主に海岸の砂地に自生する』。一~一・五メートルに『成長する低木』で、五~八『月に開花し』、八~十『月に結実する』。『茎は枝分かれして立ち上がり、奇数羽状複葉で小葉は』五~九枚、『茎には細かい棘がある』。『現在では浜に自生する野生のものは少なくなり、園芸用に品種改良されたものが育てられている』。『果実は、親指ほどの大きさで赤く、弱い甘みと酸味がある。芳香は乏しい。ビタミンCが豊富に含まれることから、健康茶などの健康食品として市販される。のど飴など菓子に配合されることも多いが、どういう理由によるものか』、『その場合、緑色の色付けがされることが多い。中国茶には、花のつぼみを乾燥させてお茶として飲む玫瑰』(まいかい/メイクイ)『茶もある』。『「ハマナス」の名は、浜(海岸の砂地)に生え、果実がナシに似た形をしていることから「ハマナシ」という名が付けられ』たが、東北弁が「シ」を「ス」と発音するため、「ハナナス」に転訛したのであって、茄子(ナス)とは全く関係がない。『アイヌ語では果実をマウ(maw)、木の部分をマウニ(mawni)と呼ぶ』とある。

「ああこれらのするどい花のにほひは」/「もうどうしても 妖精のしわざだ」ハマナスの花の香はバラに似た甘い芳香を有し、かなり強く、群生している場合は、近くに行くだけでその香が漂ってくる。これに惑わされた詩人の脳内には、またぞろそのfairyの夢幻が侵犯を始める。「無數の藍いろの蝶をもたらし」/「またちいさな黃金の槍の穗」では尋常の蝶の色と数が変容し、恐らくは単子葉植物綱イネ目イネ科 Poaceae の仲間の類の穂先が黄金色に輝き出す。遂には「軟玉の花瓶や靑い簾」「軟玉」はネフライト(nephrite)で透閃石-緑閃石系角閃石の緻密な集合体で透角閃石を主とするものは無色、緑閃石のものは暗緑色を呈する。ここはハマナスの花が軟玉の花瓶の図柄となり、それと同時に妖精たちの城の閨の簾(すだれ:ハマナスの花の背後の葉叢によるものかも知れぬ)への幻視にまで至る。しかし、「たのしく激しいめまぐるしさ」によって、その一種、艶っぽい惑乱を、詩人はどこかで(いや、普段の彼にしてみれば当然の如く)楽しんでもいるのである。私はふっと、コナン・ドイルがまんまと騙され続けた「コティングリー妖精事件」(イギリスのブラッドフォード近くのコティングリー(Cottingley)村に住む二人の従姉妹フランシス・グリフィス(七歳)とエルシー・ライト(十五歳)の二人の少女が一九一六年七月に撮ったと主張した妖精写真の真偽をめぐって起きた論争や騒動。詳しくはウィキの「コティングリー妖精事件」グーグル画像検索「The Case of the Cottingley Fairiesを)を思い出した。賢治がこの事件や写真を見知っていたかどうかは知らぬ。

「褐砂」「かつさ(かっさ)」か。よく判らぬが、ここのロケーションから見て、茶褐色を呈した、塩分を含んだ瘦せた土砂性の地面のことであろう。

「もちろん馬だけ行つたのではない」/「廣い荷馬車のわだちは」/「こんなに淡いひとつづり」映像は編集されて、「ひとのよ」い男が馭し、「年老つた白い重挽馬」に挽かれた「曠原風の荷馬車」の映像は詩人の横を抜けたところでカットされ、もう荷馬車の姿は先にもなく(時間の有意な経過が実景で示される)、ここでは既にその荷馬車が過ぎた後の浜奥を、その馬の蹄と荷馬車の轍の跡だけをゆっくりとアップで辿って行くのである。タルコフスキイの「シュタルケル」(Сталкер:英語「Stalker」のロシア語転写。「秘かに獲物を追う猟人」といった意味。一九七九年ソビエト映画)のようじゃないか!

「波の來たあとの白い細い線に」/「小さな蚊が三疋さまよひ」/「またほのぼのと吹きとばされ」波の残した白く細い痕跡にはプランクトンや諸生物の残根が含まれており、そこに蚊のような(蚊である必要はない。小蠅や蚋(ブヨ)の類のようなもの)ものが匂いを嗅ぎつけて飛び来たり、忽ち海風に彼らも飛ばされる。海の臭いがする。それにしてもこれが実景であるとすれば、賢治は相当に眼が、いい。

「萓草」これは「かんぞう」と読みたい。分布から見て、単子葉植物綱キジカクシ(雉隠し)目ススキノキ科キスゲ(黄萓)亜科ワスレグサ(忘れ草)属ノカンゾウ(野萱草)Hemerocallis fulva var. longituba と思う。同種は中国・朝鮮半島・日本・サハリンに植生する。これで「わすれぐさ」(同属の花(概ね橙赤色)が一日限りで萎んでしまうとされたことに由る(英語でも「Daylily」)が、実際には二日目又は三日目に閉花するものも多い)と読むとする記載を見かけたが、そんな当て字で読むのであれば、賢治はルビを振らずにはおかないし、そう読ませたいのであれば、彼は「忘れ草」或いは「わすれぐさ」することを全く厭わないはずである。「はまばら」とひらがな書きをした彼がここでそんな不親切なことはしない。彼は詩人である前に、分類と呼名に於いては夢幻に入らぬ限りは、正統なる博物学者なのである。

「白い片岩類の小砂利に倒れ」/「波できれいにみがかれた」/「ひときれの貝殼を口に含み」/「わたくしはしばらくねむらうとおもふ」「片岩」は結晶片岩で変成岩の一種。広域変成作用を受けて鉱物が一定方向に並び、「片理」と呼ばれる薄く板状に割れ易い構造を示す。「ひときれの貝殼」「ひときれ」という謂いからは斧足(二枚貝)類を想起しがちであるが、貝類収集家である私から見ると、「口に含み」得る大きさであること、「波できれいにみがかれた」ものとして視認出来ることを考えると、腹足(巻貝)類の中型のものの外殻部が損壊し、螺柱とその周縁部を残している螺旋型の楕円体をした貝殻ではないかと思う。これだと、口に含んでもごろごろばりばりせず、都合がよい。斧足類ではよほど大きな種や個体でないと、「波できれいにみがかれた」場合、剥離片のようになって口中に含みにくく、直ぐに割れてしまう。候補としては、ロケーションからまず、腹足綱吸腔目エゾバイ科 Buccinidae の通称で「ツブ」と読んでいる種群が挙げられる。本種群には外殻表面が生態でも滑らかな種もある。ただ成貝はかなり大きくなるものが多いので、稚貝か小型種のそれとなろう。さてもこの賢治が「ひときれの貝殼を口に含」むシーンには、ある強烈な印象が私には感じられる。これはトシの遺骨を口に含むという見做しとしてしか私には読めないからである。「無聲慟哭」の注で引用した校本全集年譜によれば、賢治はトシの野天で焼かれたその遺骨を二つに分け、一方を『自分の持ってきた丸い小さな罐に入れ』ている。原始社会に於いては肉親の死後にその遺体を食べることでその霊と一体化すると考えた。私はそうした賢治の意識をここに強く感ずる。

「なぜなら」(=眠ろうと思う理由)「朝の妖精にやつ」てしまった「透明なわたくしのエネルギーを」「恢復しなければならないから」であり、「それにだいいち」、「いまわたくしの心象は」「つかれのためにすつかり靑ざめて」しまっているからだ、と説明する。賢治にしては、いつもならファンタジックな夢想に気持ち良く遊んで、強い疲れを感じて眠くなることはあまりなかった彼にして、この時の彼の肉体と精神の疲弊状況が、大袈裟に言えば、限界に達していたことが推察されるのである。その結果として、幻想されたそれ=「心象」も心身の激しい疲れのためにすっかり蒼ざめたものとなっていた事実(心内の事実)を語るのである。

「熟した黑い實のついた」/「まつ靑なこけももの上等の敷物(カーペツト)」は苔桃の群生。ツツジ目ツツジ科スノキ(酢の木)亜科スノキ属コケモモ亜種コケモモVaccinium vitis-idaea var. vitis-idaea(ユーラシア産。葉の長さは一~二・五センチメートル。北海道ではアイヌ語の「フレップ」(赤い実)の名で知られる。英名はCowberry。)。属名 Vaccinium はラテン語の「vaccinus」(牝牛の)」からきているとされるものの、意味関係は不明で、種小名 vitis-idaea はギリシャ神話に出る「クレタ島の Ida 山のブドウ」(Ida は現行は Idi とも綴られるイダ(イディ)山。標高二千四百五十六メートル。クレタ島最高峰。ギリシア神話の大地の女神レアーを祀る山とされ、斜面にある洞窟では主神である天空神ゼウスが生まれたともされる)とという意である。ウィキの「コケモモ」によれば、『自然での生育地はユーラシアの北部や北アメリカの周北林(北半球の寒帯の森林)で、温帯から北極圏に近い地域まで分布する。樹高は』十~四十センチメートル『程度で、直立した幹はぎっしりと密集している。森林に生育するため、日陰で湿度が高く、また土壌が酸性の場所を好む。多くのツツジ科の植物と同様、栄養分の少ない土地でも耐えられるが、アルカリ性の土壌では生育できない。耐寒性にすぐれ』、摂氏マイナス四十度『以下でも耐えることができる一方、夏が暑い場所では生育しにくい』。『コケモモはこうした寒冷地に生育する広葉樹には珍しいことに、冬でも葉を落とさない。地中の根茎を伸ばすことで株が拡大する。初夏に長さ約』六ミリメートルの『釣鐘型の白い花をつけ、果実は直径』七ミリメートル『ほどで秋に赤く熟す』。『コケモモとクランベリー(ツルコケモモ)』(スノキ属ツルコケモモ亜属ツルコケモモ Vaccinium oxycoccos)『はよく混同されるが、花が白く、花冠が部分的におしべと柱頭を囲っている点で異なる(クランベリーの花はピンク色で、花冠が後ろに反り返っている)。また、果実も球状で、クランベリーほど洋ナシ型にはならない』とある。

「釣鐘草(ブリーベル)」諸家の同定は浜弁慶草(ムラサキ科ハマベンケイソウ属ハマベンケイソウ亜種ハマベンケイソウ Mertensia maritima subsp. asiatica)が有力である。ハマベンケイソウは、茎はよく分枝して地上を這い、群がって生える。葉は互生し、長楕円形を成し、粉白を帯びた緑色で、質は厚い。七~八月に総状花序をつくり、小さな鈴のような青紫色の五弁花を開く。海岸の砂地に生え、本州北部・北海道、朝鮮半島・ウスリー・樺太(サハリン)・千島・アリューシャンに分布する。名は、ムラサキ科であるが、粉白を帯びた葉の感じがベンケイソウ(ユキノシタ目ベンケイソウ科 Crassulaceae)の類に似ることによる。ハマベンケイソウ属は分果の外側が肉質または膜質になる。世界に約二十種、日本に二種、分布する(ハマベンケイソウの部分は主に小学館「日本大百科全書」に拠った)。ただ、このルビは私には不審で、原稿も「ブリーベル」となってはいるのであるが、本種の基種ハマベンケイソウ=メルテンシア・マリティマ「Mertensia maritima」(北半球のカナダのグリーンランドやノルウェーのスバールバル諸島の北部にまで至る砂利地で生育する)の英名は、英文ウィキの当該種を見ると、「oysterleaf」「oysterplantsea bluebells」(シー・ブルーベルズ)で、私はこれは、賢治の原稿も実は「ベリー」ではなく「ブルー」と書かれているのではないかと密かに疑っているのである。本種の画像はnenemu8921氏の「イーハトーブ・ガーデン」の「不思議なブリーベル」がよい。

「サガレン」Saghalien。サハリン(樺太)の旧異名。満州語に由来する。個人ブログ「北海道は良かったからまた行きたいな!領土を返して日露友好」の『「からふと」の名は、アイヌ語でこの島を「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ  と呼んだ事に由来すると言う。これはアイヌ語で「神が河口に造った島」&ユカル伝によれば、『「サハリン」(古くは「サガレン」と表記)という名称は、清の皇帝が』三『人のイエズス会修道士に命じた清国版図測量の際に、黒竜江(満州語名:ᠰᠠᡥᠠᠯᡳᠶᠠᠨ ᡠᠯᠠ 転写:sahaliyan ula、サハリヤン・ウラ)河口の対岸に島があると聞き、そこを満州語でサハリヤン・ウラ・アンガ・ハダ(ᠰᠠᡥᠠᠯᡳᠶᠠᠨ ᡠᠯᠠᠠᠩᡤᠠᡥᠠᡩᠠ 転写:sahaliyan ula angga hada、「黒竜江の対岸の島」)と呼んだことに由来する。 ポーツマス条約調印以降の日本では、単に「樺太」と言えば南樺太を指したため、北樺太を指してサガレン(薩哈嗹)と呼ぶ場合もあった。「サガレン州派遣軍」などは、その一例であ』り、『現代中国語では「庫頁島」(クーイエダオ)と呼ばれる』とある。因みに、そちらにはさらに、『「からふと」の名は、一説にはアイヌ語でこの島を「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ 」(kamuy kar put ya mosir)と呼んだ事に由来すると言う。これはアイヌ語で「神が河口に造った島」を意味し、黒竜江(アムール川)の河口から見てその先に位置することからこのように呼ばれたとされる』。『尚、樺太アイヌ語では、「陸地の国土」を意味するヤンケモシリと呼ばれ』、『北海道アイヌ語ではカラプト Karapto と呼ばれる』。古くは正保三(一六四六)年に『成立した松前藩の歴史書『新羅之記録』に「唐渡之嶋」として見え、正保日本図にも「からとの嶋」が描かれている』。寛文九(一六六九)年の『シャクシャインの戦いに関する同時代史料では「からふと」(「奉言上覚」『津軽一統志』)「からふとの島」(『蝦夷蜂起注進書』)という表記が確認でき』、元禄一三(一七〇〇)年『の『松前島郷帳』には「からと嶋」とある』。宝永元(一七〇四)年に『蝦夷地へ渡った正光空念の史料では「からふと」「からふと嶋」という表記が多いものの、「唐ふとう嶋」「からふとふしま」「からとのしま」といった表記も見られる』。天明三(一七八三)年『の『加模西葛杜加国風説考』では「カラフトの北にサカリインといふ大嶋有」とし、同書の付図では「カラフト」を大陸と地続きの半島として描き、別に「サカリイン」を島として描いて』おり、二年後の天明五(一七八五)年『の『三国通覧図説』においても「カラフト嶋」は大陸の半島としてを描かれ、別に「北海中ノ一大国」として「サガリイン」を描いている』。文化六(一八〇九)年『以降は東西の蝦夷地に対して北蝦夷地とも呼ばれた(それ以前は西蝦夷地に含まれた)。その後、明治政府が北海道開拓使を設置するにあたり「樺太」という漢字表記が定められ』たともある。

「濤」「なみ」。

「綠金」「小岩井農塲」の「パート四で「綠金寂靜(ろくきんじやくじやう)」と出るので、ここも「ろくきん」と読んでおく。緑色を帯びた金色。疲労の中の夢想と自意識を共感覚的にこの色で示した。渡部芳紀氏の『評釈「オホーツク挽歌」』では、『疲れて暗く落ち込む気分とそれでも疲れを撥ねかえそうという気持ちと相反する二つの気持ちを象徴した表現』とされる。

「あやしい鑵鼓の蕩音さへする」「鑵鼓」は金属製の太鼓、「蕩音」とは、「心をとろけさせ、悪しき世界に溺れさせる官能的な音」の意か? ギトン氏はこちらで、『「鑵鼓の蕩音」については、「鑵」は中空の容器、「鼓」はタイコ、「蕩」は“ゆらぐ;とろける;ひろがる”などの意味。「鑵鼓の蕩音」の実体は、おそらく遠雷だと思』うとされ、『しかし、この音が作品の中で持つイメージについては、岡澤敏男氏の説明が当を得ている』として、『盛岡タイムス Web News』(二〇一一年四月九日附)の「賢治の置土産~七つ森から溶岩流までをリンクされ、『岡澤氏によれば、オーケストラのティンパニーのトレモロや、歌舞伎で幽霊が出て来る時の「どろどろどろ」と低音で連打する太鼓の音を、「あやしい鑵鼓の蕩音」と表現しているので』あり、『雲が幾重にも重なった暗い空からも、強い日射しからも、「あやしい」トレモロの音が聞こえてくる状況は、えたいの知れない恐怖さえ感じさせ』、『このような入眠時のまわりの風景は、精神の回復を図って眠ることによって、かえって、いよいよ、悪夢のような世界に引き込まれてゆくことを予感させるもので』あると評されておられる。なお、この後に二行空けがなされてあるが、底本ではそれで二百三十三ページいっぱいとなっているため、行空けの効果が著しく減衰してしまっている。仕方がないとも言えるが、本「オホーツク挽歌」の開始を、六行ずらし、二百二十九ページから開始しておけばよかったと思う。特異的に「靑森挽歌」の最後を八行空白とすることになるが、そうするだけの必要が私にはあったと考える。非常に惜しい。

「雲の累帶構造」「累帶」(るいたい)で、雲が帯状に幾重にも重なり合っていることを指す。

「それらの二つの靑いいろは」/「どちらもとし子の持つてゐた特性だ」遂に本詩篇で初めて妹「とし」が出現する。「二つ」とは「水平線まで」「うららかに延び」ている「綠靑」色の青と、「雲の累帶構造のつぎ目から」「一きれのぞく天の靑」の青の二色である。渡部芳紀氏の『評釈「オホーツク挽歌」』では、『海の描写から〈それらの二つの青いいろ〉は、海の水平線まで続く〈緑青〉と〈天の青〉の二つの色だが、それらが妹とし子の特性だとし、そのあたりに、とし子がいるので無いかと思う。』とされ、大きな第一連と第二連(二行空けで分離している前パート二つ)で、『作品の舞台のサガレンの海と浜の様子を描いて来たが、いよいよ本題のとしへの思いへと入って行く』とある。さればこそ、ますます前で注した二行空けの減衰が惜しまれるのである。また、賢治はここでそれらの青の光りに「くもわたくしの胸は刺されてゐる」と述べている。これは明らかにトシに対する、強い罪の意識(以下に見る通り、現在のトシの霊魂の様態、「とし子はあの靑いところのはてにゐて」/「なにをしてゐるのかわからない」に対する、である)に基づいた賢治の自責の念、呵責の表現であることに注意せねばならない。

「わたくしが樺太のひとのない海岸を」/「ひとり步いたり疲れて睡つたりしてゐる」、そんなことしか出来ていない自身を指弾しているのである。

「とゞ松」裸子植物門マツ綱マツ目マツ科モミ(樅)属トドマツ Abies sachalinensis。種小名を確認されたい。産地由来で「サハリネンシス」である。漢字表記は「椴松」。「椴」一字で本種を指す。

「えぞ松」蝦夷松。マツ科トウヒ(唐檜)属エゾマツ Picea jezoensis

「荒さんだ」「すさんだ」。

「ごちやごちや漂ひ置かれた」漂着した流木の実景のアップであるが、賢治の憂鬱と混乱の心象の外化でもある。

「(十一時十五分、その蒼じろく光る盤面(ダイアル))」午前十一時十五分を指している賢治の腕時計(賢治は持っていた)の文字盤と採る(「ダイアル」は英語のダイヤル・dialで普通に時計の指針面を指す)。それは「銀河鉄道の夜」にこれが生かされいると考えられるからである。「七 北十字とプリオシン海岸」で、少し長くなるが、印象的なシークエンスであり、しかも幾つかの本篇の心象との関連性も感じられるので、冒頭からその辺りまでを引いておく。

   *

「おつかさんは、ぼくをゆるして下さるだらうか。」

 いきなり、カムパネルラが、思ひ切つたといふやうに、少しどもりながら、急きこんで云ひました。

 ジヨバンニは、

(ああ、そうだ、ぼくのおつかさんは、あの遠い、一つのちりのやうに見える橙いろの三角標のあたりにいらつしやつて、いまぼくのことを考へてゐるんだつた。)と思ひながらぼんやりして、だまつてゐました。

「ぼくはおつかさんが、ほんたうに幸[やぶちゃん注:「さひはひ」。]になるなら、どんなことでもする。けれどもいつたいどんなことが、おつかさんのいちばんの幸なんだらう。」

 カムパネルラは、なんだか泣きだしたいのを、一生けん命こらへてゐるやうでした。

「きみのおつかさんは、なんにもひどいことないぢやないの。」ジヨバンニはびつくりして叫びました。

「ぼくわからない。けれども、誰だつて、ほんたうにいいことをしたら、いちばん幸なんだね。だから、おつかさんは、ぼくをゆるして下さると思ふ。」カムパネルラは、なにかほんたうに決心してゐるやうに見えました。

 俄かに、車のなかが、ぱつと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたやうな、きらびやかな銀河の河床の上を、水は聲もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうつと靑白く後光の射した一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるやうな、白い十字架がたつて、それはもう、凍つた北極の雲で鑄た[やぶちゃん注:「いた」。]といつたらいいか、すきつとした金いろの圓光をいただいて、しづかに永久に立つてゐるのでした。

「ハルレヤ、ハルレヤ。」前からもうしろからも聲が起りました。ふりかへつて見ると、車室の中の旅人たちは、みなまつすぐにきもののひだを垂れ、黑いバイブルを胸にあてたり、水晶の數珠をかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、そつちに祈つてゐるのでした。思はず二人もまつすぐに立ちあがりました。カムパネルラの頰は、まるで熟した苹果のあかしのやうにうつくしくかがやいて見えました。

 そして島と十字架とは、だんだんうしろの方へうつつて行きました。

 向ふ岸も、靑じろくぽうつと光つてけむり、時々、やつぱりすすきが風にひるがへるらしく、さつとその銀いろがけむつて、息でもかけたやうに見え、また、たくさんのりんだうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火のやうに思はれました。

 それもほんのちよつとの間、川と汽車との間は、すすきの列でさへぎられ、白鳥の島は、二度ばかりうしろの方に見えましたが、ぢきもうずうつと遠く小さく繪のやうになつてしまひ、またすゝきがざわざわ鳴つて、とうとうすつかり見えなくなつてしまひました。ジヨバンニのうしろには、いつから乘つてゐたのか、せいの高い、黑いかつぎをしたカトリツク風の尼さんが、まん圓な綠の瞳を、ぢつとまつすぐに落して、まだ何かことばか聲かが、そつちから傳はつて來るのを、虔しんで[やぶちゃん注:「つつしんで」。]聞いてゐるといふやうに見えました。旅人たちはしづかに席に戾り、二人も胸いつぱいのかなしみに似た新らしい氣持ちを、何氣なくちがつた言葉で、そつと談し[やぶちゃん注:「はなし」。]合つたのです。

「もうぢき白鳥の停車場だねえ。」

「あゝ、十一時かつきりには着くんだよ。」

 早くも、シグナルの綠の燈と、ぼんやり白い柱とが、ちらつと窓のそとを過ぎ、それから硫黃のほのほのやうなくらいぼんやりした轉轍機の前のあかりが窓の下を通り、汽車はだんだんゆるやかになつて、間もなくプラツトホームの一列の電燈が、うつくしく規則正しくあらはれ、それがだんだん大きくなつてひろがつて、二人は丁度白鳥停車塲の、大きな時計の前に來てとまりました。

 さわやかな秋の時計の盤面には、靑く灼かれたはがねの二本の針が、くつきり十一時を指しました。みんなは、一ぺんに下りて、車室の中はがらんとなつてしまひました。

〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。

「ぼくたちも降りて見ようか。」ジヨバンニが云ひました。

「降りやう。」二人は一度にはねあがつてドアを飛び出して改札口へかけて行きました。ところが改札口には、明るい紫がかつた電燈が一つ點いてゐるばかり、誰も居ませんでした。そこら中を見ても、驛長や赤帽らしい人の影もなかつたのです。

 二人は、停車塲の前の、水晶細工のやうに見える銀杏の木に圍まれた、小さな廣場に出ました。そこから幅の廣いみちが、まつすぐに銀河の靑光[やぶちゃん注:「あをびかり」。]の中へ通つてゐました。

   *

なお、或いは、これを午後十一時十五分とし、ロケーションを深夜とする(すると或いはこの「盤面」を星座と採る方もいるのであろうか)解釈を見かけたが、それでは以下の実景描写が闇の中となり、とてものことにかくは表現出来ないと思われる部分が散見することになる。そもそもが「ここから今朝舟が滑つて行つたのだ」とあって、朝に出てまだその舟は帰帆していないのだ。深夜十一時まで戻らないなどということはあり得ない。「鳥は雲のこつちを上下する」のを見ることも不可能である。勝手なテクスト論は要らぬ「賢治伝説」を増やすばかりで百害あって一利なしと思う。

「ここから今朝舟が滑つて行つたのだ」/「砂に刻まれたその船底の痕と」/「巨きな橫の臺木のくぼみ」/「それはひとつの曲つた十字架だ」漁に出た舟の、波打ち際までの直線の痕と、それが置かれていた台木の窪み(出帆に際して引き抜かれてあるから「窪み」なのであろう)が、それに直角に交差して十字架状に見えたのである。

「幾本かの小さな木片で」/「HELLと書きそれをLOVEとなほし」/「ひとつの十字架をたてること」私も若い頃、マッチを燃やして見たり、折ってみたりして上手くゆかず、何度かやるうちに、なんとか一つの正解に辿りついた(他にもやり方はあるであろうが)。要は文字の大小に拘らないことと、「十字架」も立てることである。どうしても判らないという方は、「宮澤賢治の詩の世界」のこちらでGIFGraphics Interchange Formatで示されてあるので、ご覧あれ。でも、自分で見つけないと、何か、悔しさが地獄の業火のように残りますよ、きっと(ギトンにもあり、その一例は十字架に二本を加えることで文字の大きさも揃っている。しかし十字架は小さい方が私はいい気がする)。

「わたくしはつめたくわらつた」子供っぽい彼女の仕儀に冷笑した(トシの仕儀は十字架によって彼女が一時期強く惹かれていたキリスト教を想起させることから、日蓮宗のファンダメンタリストであった賢治はかく嘲笑したのである)ことさえも呵責となっているのである。これは私には痛いほど判る。

「(貝がひときれ砂にうづもれ」/「白いそのふちばかり出てゐる)」実景であるが、私はこれは〈隠喩のモンタージュ〉であると思う。これはトシの白々とした遺骨にほかならない。

「やうやく乾いたばかりのこまかな砂が」/「この十字架の刻みのなかをながれ」/「いまはもうどんどん流れてゐる」この舟降ろしの場所は、かなりの傾斜があるのである。

「硝子笛」「ガラスぶえ」。その鳥の澄んだ鳴き声の隠喩。

「玉髓」(ぎよくずい(ぎょくずい))は元は鉱物 chalcedony(カルセドニー)、石英(二酸化ケイ素(SiO2)の結晶)の非常に細かな結晶が網目状に集まって緻密に固まった鉱物の変種。美しいものは宝石として扱われる。脂肪光沢であったり、透明・半透明、白・灰・淡青・褐色等を呈する。ここはそれを雲の色として形容した(モディファイした)もの。既に単品詩篇修羅」に「玉髓の雲がながれて」と使っている。

「はとば」「波止場」。

「鴇いろ」既出既注。鳥の鴇(ペリカン目トキ科トキ亜科トキ属トキ Nipponia nippon。私はいつも思う。このニッポニア・ニッポンという学名の鳥を絶滅させた日本人は日本人を名乗る資格はない、と)の風切羽のような黄みがかった淡く優しい桃色を指す。これ(リンク先は色見本サイト)。

「やなぎらん」フトモモ(蒲桃)目アカバナ科ヤナギラン属ヤナギラン Epilobium angustifoliumウィキの「ヤナギランによれば、『やや薄い緑色または薄紅紫色を帯びた茎は高さ』五十センチメートルから一メートル五十センチメートルほど『で、ほとんど枝分れせず』、『まっすぐ上に伸びる』。『葉は互生し、総状花序に濃紫色の花が下から順に咲く。長さ』一~一・五センチメートル『の花弁は』四枚で『雄しべは』八本。『開花時期は』七~九月。『果実は細長く、白い綿毛を付けた種子が飛び散る』。『和名の由来は、葉が柳に似ていて、花をランにたとえたことによる』。『花言葉は、「集中する」と「焦点」』。『ヨーロッパ・アジア・北アメリカなどの北半球の温帯地域や寒地に広く分布し、北米の針葉樹林帯の山火事跡に大群落となることがあり』、『「Fire weed」と呼ばれている』。『日本では北海道・本州以北の亜高山帯から山地帯の草地や礫地に分布する』。『山火事の跡地・森林の伐採跡地・林道沿いの湿った草地などに群落をつくることが多い』とする。この花の色は妖艶な「性」的な色、或いは、「修羅」の色ではあるまいか?

「苹果靑(りんごせい)」青林檎のような明るい緑色。

「黑綠とどまつの列」トドマツの林立を言っているが、トドマツの樹皮は白っぽいことを特徴とするから、冒頭の「黑綠」(私は「こくりよく(こくりょく)」と音読みしたい)とはトドマツの葉の緑色が、叢林であるために、重なり合って暗い綠色に見えるのであろう。

「ナモサダルマプフンダリカサスートラ」ブレイクは「ナモ・サダルマ・プフンダリカ・サスートラ」か。「南無妙法蓮華経」のサンスクリット語のカタカナ音写。「南無」は「namo」(サンスクリット語のラテン文字転写。以下同じ)の漢語への音写語で「わたくしは帰依します」を意味し、「妙法蓮華経」の五字は、サンスクリット語の「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」(Saddharma Puṇḍarīka Sūtra)」を鳩摩羅什(くらまじゅう)が翻訳した版の法華経の正式な題名(題目)で、「南無妙法蓮華経」の七字で「法華経の教えに帰依をする」という意(ここはウィキの「南無妙法蓮華経と以下に拠った)。ウィキの「法華経には、「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」とは「正しい教えである白い蓮の花の経典」の意の漢訳総称で、サンスクリット語原題の意味は、「サッ」(sad)が「正しい」「不思議な」「優れた」、「ダルマ」(dharma)が「法」、「プンダリーカ」(puṇḍarīka)が「清浄な白い蓮華」、「スートラ」(sūtra)が「縦糸(経)」であるが、漢訳に当たって、このうちの「白」だけが省略されて、例えば鳩摩羅什訳では「妙法蓮華経」となったとある。

「いそし」前注した通り、「いそしぎ」(磯鴫)の脱字。チドリ目チドリ亜目シギ科 Actitis 属イソシギ Actitis hypoleucos

「はせて遁げ」「驅せて遁(に)げ」。]

« 宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 靑森挽歌 | トップページ | 和漢三才圖會第四十三 林禽類 鵲(かささぎ) »