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2018/12/11

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 火藥と紙幣

 

            

 

萓の穗は赤くならび

雲はカシユガル産の苹果の果肉よりもつめたい

鳥は一ぺんに飛びあがつて

ラツグの音譜をばら撒きだ

   古枕木を灼いてこさえた

   黑い保線小屋の秋の中では

   四面體聚形(しゆうけい)の一人の工夫が

   米國風のブリキの罐で

   たしかメリケン粉を𣵀(こ)ねてゐる

鳥はまた一つまみ、空からばら撒かれ

一ぺんつめたい雲の下で展開し

こんどは巧に引力の法則をつかつて

遠いギリヤークの電線にあつまる

   赤い碍子のうへにゐる

   そのきのどくなすゞめども

   口笛を吹きまた新らしい濃い空氣を吸へば

   たれでもみんなきのどくになる

森はどれも群靑に泣いてゐるし

松林なら地被もところどころ剝げて

酸性土壤ももう十月になつたのだ

   私の着物もすつかりthread-bare

   その陰影のなかから

   逞しい向ふの土方がくしやみをする

氷河が海にはいるやうに

白い雲のたくさんの流れは

枯れた野原に注いでゐる

  だからわたくしのふだん決して見ない

  小さな三角の前山なども

  はつきり白く浮いてでる

栗の梢のモザイツクと

鐡葉細工(ぶりきざいく)のやなぎの葉

水のそばでは堅い黃いろなまるめろが

枝も裂けるまで實つてゐる

   (こんどばら撒いてしまつたら……

    ふん、ちやうど四十雀のやうに)

雲が縮れてぎらぎら光るとき

大きな帽子をかぶつて

野原をおほびらにあるけたら

おれはそのほかにもうなんにもいらない

火藥も燐も大きな紙幣もほしくない

 

[やぶちゃん注:本篇は「目次」クレジットには、

 (一九二三、九、一〇)

原本では総て半角表記。以下、同じ)とあり、「目次」用原稿も同じではある。しかし、本書の詩篇本文(「序」は含めない。目次にも「序」はない)はここを除いては完全な整然とした編年体で構成されていることから見ると、前の「第四梯形」のそれが、

 (一九二三、九、三〇)

で、本詩篇の後の「過去情炎」のそれが、

 (一九二三、一〇、一五)

となっていること、さらに詩篇本文内に『酸性土壤ももう十月になつたのだ』と表現されていることからも、この日付は

 (一九二三、一〇、一〇)

の賢治の誤記であると考えるのが自然である。非常な注意力を持っている賢治が、クレジットを書き誤ったのは稀なケースであると言えるが、或いは賢治の特異な天才的な記憶方法は詩篇題名によるもので、そのクレジット(創作(開始)日)は半ば自動的に詩篇名に従属付属する形で記憶されており、詩篇を並べてしまえば、それが当然に如く時系列になって、そこで安心してしまい、この普通ならあり得ない誤記を見落としたものではないかと私は考えている。絶対主導の優先記憶がある場合、それが正しく全体の系を支配した場合、それに従属する部分は誤りが誤りでないように錯覚されてしまうのである。或いは、本詩篇が関東大震災の際に起こった混乱に対する非常な批判を底に秘めて本篇を創ったとするなら(後注の標題の注の引用を参照されたい)、そのカタストロフの日付に引かれて、「九月」としてしまった可能性もあるか。なお、校本全集も校異や年譜でこの問題を挙げており、以上と同じ結論を述べているが、しかし、そこでは孰れも『誤植』という語を用いている。しかし、「誤植」とは印刷物に於ける文字・記号などの植字ミスを指す語であって、通常は原著者の与り知らぬところで校正者・植字工のミスによって生じたものしか指さない。これは作者宮澤賢治の誤記載であるのだから、「誤字」と言うべきである。

「火藥も燐も大きな紙幣もほしくない」この最終行は本書用原稿では、その後に、

 ピアノの レコードだつてあきらめてあきらめられ〔なく→ないものでは〕ない。

という一行があり、最終的にはそれが総て削除線で消されてある。

 

 以上から、大正一二(一九二三)年十月十日の作と読み換える。本詩篇は本書以前の発表誌等は存在しない。「手入れ本」は宮澤家版が「だからわたくしのふだん決して見ない」を「だからふだんは決して見ない」とするのみ。

・「たしかメリケン粉を𣵀(こ)ねてゐる」「𣵀」はママ。原稿も「𣵀」。「涅槃」の「涅」の異体字ではあるが、ここは無論、「揑」の賢治の誤字である。校本全集校訂本文も「捏」とする。

・「たれでもみんなきのどくになる」原稿は「たれでもみんなきのどくになる」。最終校正で改めたようである。

・「森はどれも群靑に泣いてゐるし」原稿は「森はみんな群靑に泣いてゐし」。同前。擬人法であるから、ここはもとの方がよい。

・「thread-bare」原稿は「threadbare」。最終校正で改めたようであるが、音節としてはそこにブレイクがあるものの、「threadbare」でハイフンはいらない。音写は「スレッド・ベア」で、「布や衣類などが摺(す)れて糸の見える・擦(す)り切れた」・「人などが襤褸(ぼろ)を着た・みすぼらしい」・「議論や冗談などが古くさい・陳腐だ」の意。秋の景物の凋落の擬人法。

 

「火藥と紙幣」私にはよく判らない標題である。松井潤氏のブログ「HarutoShura」の本作の解説(分割)で、この年の前月の朔日、九月一日に『発生した関東大震災の後、混乱に乗じて朝鮮人が凶悪犯罪や暴動を起こすというデマが広まり、民衆や軍、警察によって朝鮮人、それと間違われた中国人や日本人が殺傷される事件が相次』ぎ、『さらに、軍や警察の主導で関東地方には』四千をも数える『自警団が組織されて、それらによる集団暴行事件も発生し』た。『この詩が作られたと考えられる』十『月には、暴走した自警団を、逆に警察が取り締まらなければならない事態にな』っていたとされ、『「火薬と紙幣」という不思議な取り合わせは、武力や物騒な社会を「火薬」、災害によって疲弊した経済状況や財力のことを「紙幣」という言葉で象徴的に示し、当時の混乱ぶりが反映されて生まれでたのかもしれ』ないとされる。これは一つの解としてはあり得るものであるが、詩篇そのものの強力な寂寥感から見ると、私は「火藥」からは軍事力(具体的にはロシア革命や富国強兵向かう日本のそれ)から「修羅」の世界を、「紙幣」からは現世利益としての儚い相対的価値認識を想起しているように思われる。即ち、無常の世にあって、現世的闘争の修羅に生きることや、権力者を頂点とした階層社会の中にあって、その富裕に一喜一憂するが如き志向は、結局、限りなく悲しいことであると賢治は言いたいのではあるまいか?

「萓」「萱(かや)」の異体字。茅(かや)。複数回既出既注。イネ科(単子葉植物綱イネ目イネ科 Poaceae)及びカヤツリグサ科(イネ目カヤツリグサ科 Cyperaceae)の草本の総称。細長い葉と茎を地上から立てる一部の有用草本植物のそれで、代表種にチガヤ(イネ科チガヤ属チガヤ Imperata cylindrica)・スゲ(カヤツリグサ科スゲ属 Carex)・ススキ(イネ科ススキ属ススキ Miscanthus sinensis)がある。

「カシユガル」現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区のカシュガル地区(ウイグル語ラテン文字転写:Qeşqer:漢名:喀什)。ウィキの「カシュガル市」によれば、県級市カシュガル市に同地区の首府が置かれる。人口の八十%は土着のウイグル族などの少数民族が占め、現在のカシュガル都市圏人口は百二十万人に達する。『古くからシルクロードの要衝として、またイスラームの拠点都市としても発展し』たとある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「苹果」林檎。賢治は概ね音の「ひやうくわ(ひょうか)」ではなく「りんご」と読んでいる。リンゴの果実。先に示した松井氏のに、『カシュガルは特別にリンゴの山地として有名というわけではなさそうですが、リンゴを含め、ブドウ、メロン、ナシ、アンズ、スモモ、ザクロ、イチヂク、サクランボなど「果物が水のようにわきだす」と言われるほどの果物の宝庫。あちこちに果樹園もあるようです』。『賢治に、特に「カシユガル産の苹果」についての知識があったというわけではなく、天才詩人ならではの独創的な発想で、つめたいリンゴの果肉の印象を、古い歴史を持つ中国の西の果てにあるシルクロードのオアシス都市と結びつけたのでしょう』と評釈されておられる。

「ラツグ」ラグタイム(ragtime)。「日本ラグタイムクラブ」公式サイト内の、ラグタイム・ギタリスト浜田隆史氏の「ラグタイムの解説」によれば、十九世紀末から二十『世紀初頭に掛けてアメリカで流行した音楽』に附されたジャンル名で、『黒人のダンスの伴奏音楽や、酒場で黒人が演奏したピアノ音楽が起源であり、白人の客に受けのいいマーチなどの西洋音楽に黒人独特のノリが加わり、シンコペーションを強調した初の軽音楽になった。演奏楽器は主にピアノで、その他にバンジョー、マンドリンや管楽器などの小編成バンドがラグタイムを奏でた』とある。所謂、ジャズ(Jazz)の先駆的形態の重要な一つである。呼称は一説では、従来のクラシック音楽のリズムとは異なる、「遅い・ずれた・耳障りな」リズムと感じられたことから(こうした卑称的命名は芸術史では当たり前であることは言うまでもない)、「ragged-time」を略して「ragtime」と呼ばれるようになった、ともされる。賢治がジャズにも関心を寄せていたことは、後の生前発表の詩篇の一つ、『「ジャズ」夏のはなしです』(『銅鑼』大正一五(一九二六)年八月発行に所収)などでも判る。何? お前にジャズが判るのかだって?! おう! 中学三年生からハマったよ。まあ、俺のジャズ・コレクションをごろうじろ! 特に Bud Powell Eric Dolphy についてなら、そんじょそこらのジャズ・ファンのレベルは遙かに越えてると思うぜ!

「四面體聚形(しゆうけい)」ギトン氏のこちらによれば、『幾何学の古い用語で』、『現在は“四面体の複合体”または“四面体の複合多面体”と呼ばれている立体図形』で、『「四面体」は、三角錐のこと』とあり、別ページで図形を示された上で、『でこぼこしたカドのたくさんある立体ばかりですが、筋肉質の体つきを描いているのだと思います。これも、キュビスム』(Cubisme:「立体派」。一九〇七年から一九一四年にかけてパリで起った美術の革新運動。先行する原色主体の激動的な色彩を好んだ「フォービスム」(Fauvisme)の主情的な表現を廃し、視点の複数化と色彩の限定によって、自然の諸形態を基本的幾何学的形象に還元し、物の存在性を二次元のタブロー(tableau:額画)に再構築しようとした)『にヒントを得た描写の試みでしょう』とされる。続く「米國風のブリキの罐」も、「工夫」(こうふ)の『体格のよいがっちりした感じを補っています』とされ、『「メリケン粉を捏ねてゐる」のは、食事の支度でしょうか、あるいは、』保線管理の『作業に使う糊を造っているのでしょうか』とされる。

「遠いギリヤーク」「ギリヤーク」(giljak)はサハリン北部とアムール川河口地帯に住む旧シベリア諸族の一つの名。漁労と狩猟を営み、農耕は行わない(こうした原始的な狩猟民の骨格がここから連想され、それが保線工夫の前のイメージと縁語になっているように思われる)。自称はサハリンでは「ニクブン」、大陸では「ニブフ」である。「遠い」は物理的に「電線」を形容しながら、先に出した中央アジアの「カシユガル」との感覚的距離をも示していよう。因みに、脱線ついでに、私はギリヤーク尼ヶ崎が大好きだ! 私の「旅芸人のスケッチ――29年前:舞踊家ギリヤーク尼ヶ崎」を!

「赤い碍子」碍子は白いものと思いがちであるが、ギトン氏が先のページで、「杵島炭鉱発電所跡」(現在の佐賀県杵島郡大町町福母の「大町煉瓦館」。ここ(グーグル・マップ・データ))にある赤い碍子の写真を示しておられる。また、松井潤氏のブログ「HarutoShura」の本作の解説(分割)では、『当初は「赤碍子」と呼ばれるとび色の輸入品が用いられていたそうですから、「赤い碍子」とはそのことを言っているのかもしれません』。『ところが、輸入品は不良率が高くて高価だったので、この詩が作られたころには、碍子の国産化が行われるようになっていたようです』ともあった。

「そのきのどくなすゞめども」/「口笛を吹きまた新らしい濃い空氣を吸へば」/「たれでもみんなきのどくになる」/「森はどれも群靑に泣いているし」/「松林なら地被もところどころ剝げて」気の毒な雀が、囀って再び新しい濃い冷たい空気を吸ったなら、雀もさらにまた「新しい」気の毒な気持ちになり、雀ばかりでなく誰(たれ)でもみんなまたまた「新しい」気の毒な状況になる。人間ばかりでない、そのように自然も例外ではないだ。森だって、どこの森も秋になって色を変じ、絶望的に気の毒になって「泣いているし」、「松林」にしてみたって、よく見ればその「地被」(ちひ:地面の土石の表面を覆っている植物や苔類・地衣類(菌類(主に子嚢菌類(菌界子嚢菌門 Ascomycota)の中で藻類(シアノバクテリア(藍色細菌門 Cyanobacteria)或いは緑藻(緑色植物亜界緑藻植物門緑藻綱 Chlorophyceae))を共生させることで自活できるようになった種群)を広範に指す。既出既注。)だって、ずる禿げに禿げてしまっているから気の毒だ――総て――この世界は自然も人間も無常であり――須らく――気の毒で、悲しい――と賢治は嘆息しているのではあるまいか?

「酸性土壤ももう十月になつたのだ」「酸性土壤」は雨の多い地方に多く、土壌中の塩基が流出したり、酸性物質が集積したりして生じる。強い酸性土は耕作には適さない。「もう」冬に向けて、すっかり、植物に活力を与えない、貧しいそれになってしまっ「たのだ」と賢治は言うのだろう。だからこそ「私の着物もすつかりthread-bare」と呟くのだ。

「その陰影のなかから」/「逞しい向ふの土方がくしやみをする」鬱々とした詩人のブルージーな心象に、現実の土方(保線工夫の仲間か)のクシャミがジャズのブレイクとして挿入されて、意識がそちらの実景へ向かう。

「小さな三角の前山」ロケーション自体が不定なので不詳。ギトン氏も同定比定は不能とされておられる。

「栗の梢のモザイツク」十月頭ならば、「栗」(ブナ目ブナ科クリ属クリ Castanea crenata)は梢で裂開する。そのた複雑な見た目の梢をモザイク(フランス語:mosaïque:モザイッキ/英語:mosaic:モザヤィッキ:小片を寄せ合わせて埋め込み、絵・図像や模様を表す装飾美術の手法)と形容した。

「鐡葉細工(ぶりきざいく)」「鐡葉」は鋼板に錫(スズ)を鍍金(メッキ)した「ブリキ」のこと。漢字でこのように「鉄葉」とも「錻力」などとも書くが、当て字で、もとはオランダ語「blik」(板金・鈑金。英語の「sheet metal」)ではないかともされる。ブリキは白色をはね返して白銀に見え、それを「やなぎの葉」が風に白い裏を見せるのを言ったもの。ここはその効果印象から見ると、キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属シダレヤナギ Salix babylonica でよかろう。

「水のそばでは堅い黃いろなまるめろが」/「枝も裂けるまで實つてゐる」「まるめろ」はバラ目バラ科シモツケ亜科ナシ連ナシ亜連マルメロ(榲桲)属マルメロ Cydonia oblonga。果実はリンゴに柑橘系を合わせたような甘酸っぱいよい匂いがある。マルメロの実の収穫期は十~十一月であるから、やはりこれは十月十日の方がしっくりくる。私はマルメロやカリンの実の大ぶりなそれがたわわに実(な)っているのを見るのが好きだが、ここにはある種の妖艶さを実は感じている。

「(こんどばら撒いてしまつたら……」/「ふん、ちやうど四十雀のやうに)」「四十雀」はスズメ目シジュウカラ科シジュウカラ属シジュウカラ Parus minor であるが、「ふん」からも「不貪慾戒」に出たのと同じ「一般大衆」への軽蔑的比喩と読める。ただ、これだけでは今一つ、その憤懣の感じはよく判らぬ。今度、もし、ばら撒いてしまった場合は、致命的な何かが起こる、と言う。それは、丁度、四十雀が、仲間へ警戒を知らせる時に出す「ピーッピ」や集合の合図とされる「ヂヂヂヂヂヂ」のように、喧しく賢治の噂を取り沙汰することを意味しているようだ。そこで一つ思ったのは、この「四十雀」どもとは、教育現場に於ける賢治の教育法を好まず、それを管理しようとした上層に連中を指すのではないか? という仮説である。例えば、宮澤賢治の極めてユニークな教育方法である。かの「植物医師」や「飢餓陣営」の演劇は確かに生徒たちには馬鹿受けしたが、当時、既に文部省は演劇的教育が左翼的な自由・共産主義等と繋がる危惧を抱いていたと思われ、畑山博著「教師 宮沢賢治のしごと」(一九九二年小学館ライブラリー刊)によれば、この翌大正一三(一九二四)年『九月、ついに学校演劇禁止令なる奇っ怪なおふれが出されることにな』ったとある。農学校の農学の教師が、演劇を指導し、『手持ちのレコードを学校に持ってきてきてては、よく音楽会をや』ったりした場合、保護者や同僚や県の視学レベルの連中はどう思ったであろうか? ということを考えると、私は何となく、この部分の憤懣が私には判る気がするのである。畑山氏のそれには別に、この後のことと思われるが、『国民高等学校の主事として、県からお目付役にきた』『高野一司』という『俗物教師』がおり、『賢治の自由な教育がことごとく気に入らず邪魔をした』(畑山氏の謂い)教員まで着任していたことが記されてある。そうして、そうした賢治の焦燥と憤懣が、結局は、大正一五(一九二六)年三月三十一日の依願退職に繋がってゆくように思われるのである。私は思い出す。私が教員になったその翌々年の春のことであった。その学校の「学校要覧」には、公務員や医師や自営業・無職等に細かく判れた「保護者の職業」という驚愕の人数表示欄があった。教頭は、朝の打ち合わせで、担任が手を挙げさせて数えるようにと言った。私はそれに対して、「職業を調べることに何の意味があるのでしょうか? また、中には無職であることは勿論、父が特定の職種であることをクラスの皆には知られたくない生徒もいると思います。私は生徒指導部ですが、県からも保護者の職業については必要がない限りは問い質したりしないようにという通達を見ておりますが?」と至って冷静に質問した。その場では社会の古株の先輩が職業差別の観点から私を応援する発言をして下さり、保留となった。ところが、一時間目の授業を終えて職員室に戻るや、教務主任から個室に呼びこまれ、「ああいう発言を君がすると、君が思想的に問題のある、所謂、特定の思想に傾いているのではないかと他の先生方に思われるよ。注意しなくてはいけない」と言われたのである。私は開いた口が塞がらず、私の発言のどこが間違っているのか、どこが危険な思想に基づくのかを逆に質そうとしたが、笑ってその場をかわされてしまったのであった。その人は後に教育委員会のお偉いさんになったのであるが、今でも彼を思い出すと、私の口元には意地悪い憐れみの笑みが浮かぶのを常としている。その「職業欄」が消えるのには数年を要したように思う。いや、今となっては遠い昔の話ではある……

「火藥も燐も大きな紙幣もほしくない」「燐」はリン(P)で、殆んどの生命体の重要な構成要素元素であり、カリウム・窒素とともに農作物の三大肥料の一つである。先のような私の置換に従うなら、あらゆる生きとし生けるものを形作り、生かすところの「糧」で、それをも賢治は要らないと、現実界と決別して、無限の荒野を「大きな帽子をかぶつて」「野原をおほびらにある」き行く、荒行に就いた孤高の詩人としての聖人を宣言をしているのである。

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