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2018/12/11

ブログ・アクセス1170000突破記念 原民喜 手紙

 

[やぶちゃん注:昭和一九(一九四四)年八月号『三田文學』初出。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが(底本では「拾遺作品集Ⅰ」のパートに配してある)、以上の書誌データや歴史的仮名遣表記で拗音・促音表記がないという事実及び原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして(彼は戦後の作品でも原稿では歴史的仮名遣と正字体を概ね用いている)、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、今までの私のカテゴリ「原民喜」のポリシー通り、そのように恣意的に処理した。

 若い読者が躓(つまず)くかも知れないごく一部の語句に注を附した。

 因みに、本篇は現在、ネット上では公開されていないものと思われる。

 なお、本電子化は2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1170000アクセスを突破した記念として公開する。【2018年12月11日 藪野直史】]

 

 手 紙

 

 どうして、こんなに、もの忘れはかりするのでせう。私の頭は餘程わるくなつたのに違ひありません。せんだつて、病氣して寢てゐた時も、頭の中がくしやくしやして、くしやくしやして、頭が勝手にくしやくしやするので、これはどうなるのかと心細くてなりませんでした。キチガヒになるのはあんな時なのでせうが、キチガヒは氣味がわるいからなりたくないのです。それでも、昨日だと思つたことが今日だつたり、あそこだと思つた場所がここだつたり、さう云ふ間違ひをする度に私の頭は一層いけなくなるのではないかと心配なのです。九年振りに東京へやつて來てみれば、なにもかも勝手が變つてゐるやうで、まるで迷子と同じことですが、それでも電車の窓からふいと昔見えた景色が覗くと、おやおやと思つて、すぐ九年前のことなどが胸に浮び、あの頃はまだ私も嫁入前だつたし、恰度お花見時で、兄に連れられて思へばのん氣な東京見物をしたものですが、今度はまるで、さあ何と云ふのでせう、足許から鳥が立つやうなあわただしさで、後の整理もそこそこに飛出して來たやうなものですから、荷物もまだ屆いてゐるやらゐないやら、寄宿の方へ入れるものやら入れないものやら、あれやこれや心殘りや氣がかりがこんぐらかつてゐるので、つい電車の座席に掛けてゐても、どこをどう走つてゐるものやら分らなくなり、乘替の驛も忘れてしまふのです。

 はつと氣がついて、人に訊ね訊ねして、漸くほんとの電車に乘替へると、どうして、さつきはうつかりしてゐたのかしら、何だか頻りに氣がかりだつたのは、あれは何だつたかしらと、重苦しい皺を眉の根に寄集めて考へてみるのです。さうすると、うまい工合にさつきうつかりしてゐた糸口が分りだしたので吻とします[やぶちゃん注:「ほつとします。」]が、その譯と云ふのは、つまり、私の斜橫の吊革に立つてゐた婦人の顏が木村のおかみさんとよく似てゐたのがはじまりで、ついふらふらと八百屋のおかみさんに對する日頃の感情が頭をもたげ、何だつて、あんなに威張るのかしら、――この婦人が木村のおかみさんだつたら、やつぱり瓜振上げてお客を叱るかしらなどと、とんでもないことを思つてゐるうちに、今はもう何百里も離れてゐる八百屋の軒さきの光景が細(こま)々と眼の前に浮んで、それがひどく滑稽に思へたのです。さう云へば、まあ、私も日常の程の問題だつたのですが、それにしても八百屋のことばかりをあんなに氣にして暮したとは自分ながらをかしいのですが、あれだつて氣が紛れてよかつたのかもしれません。

 それに、まあ、今度汽車に乘つてからといふものは、どうも私は少からず人樣の顏に醉つぱらつたのではないかと思ふのです。いろんな人の顏がそれぞれいろんな意味に見えて――それはまづあたりまへのことでせうが、そして、そんなことはどうだつてよささうなものですが、容易にこの頭から去らないのです。同じ汽車で還つたばかりの兵隊さんの陽に焦けた顏も見ました。若い娘さんの元氣さうな姿もよく注意して見ました。しかし、子供を連れた婦人ばかりは、なるべく努めてその方向は見ることを避けるやうにしました。そのため餘計にほかの人の顏に視線を對ける[やぶちゃん注:「むける」。]譯になるのでせう。現に、さつきの八百屋のおかみさんの一件が思ひ出せたので、吻として、今度の電車はだんだん窓の外の眺めも明るくなり、これから訪ね行く家の路順でも考へ出さうとしてゐると、何だか視線の端にとても幸福さうな子連れの婦人がぼんやり見え出したので、これはいけないと、注意をすぐ目の前の紳士のカバンに對けた譯です。その折カバンは大分以前の品物らしく、見るからに立派なのですが(私も學校へ入れば一つ折カバンが要るのです)そして、あのなかには何が這入つてるのかしらと、想像する途端に、あ、それはきつと聽診器だ、それに違ひないと決めてしまつたのです。それからその折カバンの紳士を帽子のてつぺんから靴のさきまで吟味すると、もうてつきりお醫者さんに違ひないのです。そこでもう一度目の前の折カバンをしみじみ眺めたものです。と、どうやら少し見憶えのあるカバンのやうなので何處でこんなものを見たのかしらと考へ込みました。恰度これと同じやうな型のを、何だか熱心に視てゐたらしい記憶がありながら、それはすぐ口のさきに出さうでゐて、その癖容易に浮んで來ません。これが思ひ出せないのは、やはりよくないことに違ひありません。私はひどく不安になり、ぐるぐると心の中を手探りで步み𢌞りました。

 そのうちにとうとう疲れて、眼の前が少し茫とするやうでしたが、ふと、私のすぐ側にゐる百姓娘の襟頸がむつと奇妙にふくれ上つてゐるのに氣づいたのが始まりで、そのあたりにゐる人々の顏かたちが、どういふものかみんな一癖あるものに見え出し、薄く長い膚をしてゐる靑ざめた男の顏も、その唇がまるで漫畫か何かのやうにへらへら笑つてゐたり、おかみさんの背ですやすやと睡つてゐる女の兒の頰が今にもとろりと着物のなかに溶けてしまひさうになつてゐるかと思へば、そのすぐ隣に頤を突出して週報を讀んでゐる老人の頤がこれはずんずん前へ伸びて來るのです。かうなると熱に浮かされたやうなもので、私を惑はすもの、脅かすもの、譯のわからないものが、そこら中にも充滿してゐて、何だか私は夢の中で藻搔いてゐるやうな氣がします。私は氣持をしやんと持ち直さうとして、兩掌を膝の上に揃へ、眼を閉ぢて、凝と祈るやうな氣持でゐました。さうすると、微かに仄白い輪郭のぼやけた圓味のあるものの形が瞼の裏に浮び上り、それは大層怕い[やぶちゃん注:「こはい」。]やうで妙に懷しく、淡い哀愁をそそる胎兒の幻のやうでした。ふと、何時の間にか、私は和夫が赤ん坊だつた頃のことを思ひ浮べてゐました。ずつとまへのことですが、あんまり和夫が睡つてゐてはよく泣くので、赤ん坊でも夢をみるのかしらと、亡つたお母さんに訊ねたことがあります。すると、年寄つた母は、「見るとも、そうら、あの、圓いやうなものや、勾玉のやうな恰好のものや……」と、をかしげなことを教へてくれました。それ以來、私は時々氣をつけて、赤ん坊の夢を想像してゐるのですが、繭玉のやうに柔かく優しいものもあれば、小判型に凹んで光るものもあり、お玉杓子のやうにちよろちよろするものもあれば、羽毛に似てふんわりと漾ふ[やぶちゃん注:「ただよふ」。]ものもあります。それらのさまざまの恰好のものが、どうかした拍子にふつと、鋭い嘴を生やしたり、尖る眼球をぐるぐる𢌞しだすと、赤ん坊は脅えて聲をあげて泣くのでせう。皺の多い慈姑[やぶちゃん注:「くわゐ」。単子葉植物綱オモダカ目オモダカ科オモダカ属オモダカ品種クワイ Sagittaria trifolia。]のやうなものに、稻妻形の裂目が出來、むかうにはギラギラと鱗が光つてをります。今もそんな風な夢をあれこれと思ひ浮べてゐると、どうも、これは赤ん坊のみる夢ではなく、私自身が熱に浮かされた時みたものらしいのです。この夏、ヂフテリアの血淸で高熱に魘されてゐた時も、頭の中が豆もやしのやうにくしやくしや搖れ動いてゐましたが、やがて何も彼も模糊として靜まつてゆくと、靄の中の空白に、何だか悲しげな表情で、輪の形をしたものや勾玉のやうなものが浮んだり沈んだりしました。私は嬰兒のやうに淚を流しながら、とりとめもない夢に惑はされてゐましたが、それでも頭の片隅に「かうしてはゐられない」といふ意識があつたのでせうか、夢中で疊の上に這ひ出してはまろびながら用を足したものです。それからあれは大分熱も退いてからの事ですが、何でも偉い先生が一度私のところへ往診して貰へる手筈になりましたが、私はこの慘澹たる寡婦の伏屋の光景を見られるのがあまり恥かしいので、蒲團の下に縮こまつてゐました。すると、その偉い先生はつかつかと玄關から上つて來られ、私の枕頭に屈んで、そつと何か置かれました。見ると、それは狐色をした立派な折カバンなのです。私は極り惡さに、そのカバンへばかり視線を注いで居ました。……どうやら、あの折カバンの記憶の所在が判明して來たので、私は吻として、車内を見渡しました。

 氣がつくと、もうさつきの折カバンの紳士は居ませんでした。電車はひどく混んで來たやうです。どうせ、終點まで行くのですから迷子になる心配もありませんが、そろそろ向ふへ着いてからの路順を考へ出さねばなりません。それを考へよう考へようとしながら、つい心が脇路へそれてしまふのも、ほんたうを云ふと、どうもよく憶えてゐないためらしいのです。たしか、鄕里を出發する間際に、兄は細かにその道順を教へてくれたのですが、何しろ心が一杯に溢れてゐたものですから、何が何だつたのか今から思ふとさつぱり判らないのです。早い話が、私のいま身につけてゐる帶も着物も、ほんの間合せに嫂のものを借りて着てゐるのですが、この細つそりした腕時計なども出際に大急ぎで嫂から借してもらつたものですし、この財布なんかは、汽車に乘つてからお辨當を買ふ段になつて、おやおや、こんなものまで拜借してゐたのかしらと氣づいた譯です。ですが、あの時すぐ手帳か何かに控へておくつもりで、家へ戾ると、鉛筆を探さうとしたらしいのですが、ごつたがへしてゐる自分の家へ一度足を蹈込むと、ほかに急ぐ用もあつて、もう鉛筆どころではなくなつたのです。見ればあの時、六疊の間一杯に荷物が散らかつてゐるのを和夫や良二はいい遊び場と心得てはしやぎ𢌞つてゐるのですが、これから後のことを思へばとてもきつく叱る氣にもなれませんでした。私は着物を疊みながら、兄から聞いた道順を復習しようとしました。何でも、姉の家は千葉驛から步いても二十分位しかかからないと云ふことですし、兄の教へてくれた道順はさう複雜でもなささうでしたが、もう私の心は姉の家へ行く道順を復習することよりも、姉と面を合はせた時の、その時のことばかりを想像するのでした。長い間、病氣してゐる姉とは殆ど手紙のやりとりもえ勝ですが、今度七八年振りに顏を合はせれば、一體まあ何から話し出したらいいのでせう。喋つても喋つても喋れ盡せない話の種に、私の心はひとりでにもう彈むやうでした。うはの空で着物を疊んではゐましたが、あの着物はたしか柳行李の方へ入れた筈だと思ひます。あれを今度の入學式には着て行かうとも思ひ、それにしても行李はもう東京驛に着いてゐるかしらと思ふのです。

 

  *

 

 先日はいろいろ有難う御座いました。突然伺つて大變お世話になりました。さぞ姉さんには後で疲れが出たことでせうね。私はお蔭で入學式も濟み、寄宿舍の方も都合よく部屋があつて、心配してゐた荷も無事でしたし、どうやら一段落といふところです。早速またお喋りに伺ふ豫定でゐましたが、生憎宿題が山ほど出てゐるので、まだ時間が御座いません。もう一週間もすると運動會があつて、その準備に今スカートを縫はされてゐるのです。(私はここまで手紙を書きながら、この齡になつて、運動會に出場するのかと思ふと、情ないやうな嬉しいやうな氣持がするのでした。でも、舍監か病人でない限り必ず出場するやうに命じられ、四十近い女の人が恥かしいと云つたら叱られてゐました。私もダンスだけは出なければならぬのです。)

 和夫は元氣で暮してゐますか。お母さんがるすでも、叔母さまがゐて下さいますから、元氣で暮しなさい。良二とあまり喧嘩をしてはいけません。運動會も近づいたことでせうが、學校でも元氣よくしてゐますか。お母さんは、

(私は今日の晝、店頭に林檎があつたのでつい和夫のことを思つて、それを買はうとして掌に二つ三つ摑んでゐると、これは通行人に賣るのぢやないと叱られて捩ぎ奪られ[やぶちゃん注:「もぎとられ」。]ましたが後で考へると、何だかをかしくてたまりませんでした。これは姉に喋つてきかせませう。やはり姉の手紙の方が書きやすい。)

 入學式には三百人から新人が集まりましたが、大槪まだ女學校を出たての人が多いやうで、華やかな服裝を見ただけでも壓倒されさうですが、それでも中には私より年上らしい女も混つて居り、またとんとお婆さんもゐるので、少しは意を強くするのです。こんなに澤山の人々が年々洋裁を學んではどうなるのかとも思ひますが、それでも職業のために習ふ人は案外少いのかもしれません。課目はまだ始まつたばかりですが、とても私の選んだ科なぞ下地がなくては追つけさうにありません。私も補習科で一通り心得てゐる筈ですが、やはり流儀も少し違ふし、それに先生の教へ方が速くて、「それ位のことはもう解つてゐるでせう」と颯爽とされてゐます。私よりも齡の若い先生にこちらは鞭打たれてゐる譯です。何でも洋服の型を理解するためには繪も少し描けなくてはいけないやうですし、美學も教はることになつてゐます。それで今思ひつきましたが、姉さんのところにハトロン紙は御座いませんかしら。荷造に使つたものでも何でもいいのですが、なるべく面積の大きいのをお願致します。それからもう一つ、厚紙があつたら、便箋の裏に付いてゐるのでも結構ですからとつておいて下さい。授業は朝だけで終ります。しかし、それから後も實習やら宿題やらでとても仕事は忙しく、夕食後は運動場に集まつて、運動會のお稽古で、舞蹈體操を練習さされます。

 お母さんはとても元氣ですよ、こちらへ來てから、お母さんも生徒になつて、勉強をしてゐます。每日教室の机につくと、和夫も今やはり學校で勉強してゐると思ひます。今ではお母さんも和夫も一緖に勉強してゐるのですね。しつかりしませう。和夫はよく手をあげますか。

(さう云へば和夫が熱を出して譫言に學校のことを喋つたのだつた。先生こらへて下さい。お母さん惡かつた、と、まるで氣遣ひのやうに夜なかに喚き出したので、一時はどうなるのかと心配しましたが、それが蟲のせゐだつたのです。翌朝一尺あまりもある蛔蟲が出て來たのを見て、あんなものが胸に痞へて[やぶちゃん注:「つかへて」。]ゐては苦しかつた筈だと思ひました)。

 私のゐる室は六人の人員です。みんな、私より若い女なので、何だか私なんか煙たがられはすまいかと思へます。十七になる女がゐるのですよ。それがとても面白いのです。十七といへば私なんかまるで子供でしたのに、びつくりするほどおませさんなのです。お父さんはいくつと訊くと、四十三と云ふことです。それではまるで兄さん位の人がお父さんにあたる譯で、何だか茫とさされます。旋館の娘さんも一人來てゐて、鄕里から時々、お菓子や果物を送つて釆ます。お蔭で同室の者はみんな潤ひます。狹い部屋に六人もゐるのですからそれは賑やかなことです。門限は六時までです。晝間はさんざ遊んでおいて、寢る前になつてちよこちよこと用事を片づけてしまふ器用な女もゐます。若い人はのみこみが速くて、とてもかなひません。私はもう先生に叱られるのを承知で何でも質問に行くのです。それも和服を着てゐては齡が隱せません。洋服を着て行くのです。先生は年寄の女の質問には業を煮やされるらしいのです。洋服を着つけてゐて、和服を着ることがあると、同室の女たちは吃驚するのです。さつきまで同じつもりでゐたものが急におばあさんに變つてしまふのですから。

 おうちに歸つてからよく復習しますか。良二も來年は學校ですね。和夫は兄さんだからお母さんの手紙を讀んできかせてやりなさい。

 姉さんも早く良くなつて、一度面會においで下さい。それ位元氣になつて下さい。

(このノートに手紙の下書したためたり、感想を書込んだりしてゐるうちに、私は何度もペンが躓いてしまひました。周圍が賑やかなので氣が落着けないせゐでせう。この手紙を書き始めてからもう一週間は過ぎてしまひました。ほんとにここでは時間が經つのが早いことです。昨日は運動會がありました。昨日も今日も美しい秋晴です)。

 迷子のやうな賴りなさで旅にのぼりましたが、やつて來てよかつたと思ひます。古い疲れはだんだん遠くへ薄らいで行くやうで、新しい仕事がずんずん前から押よせて參ります。昨日は秋晴の一日を運動會でした。私も體操に加はりましたが、音樂につれて大勢とダンスをしてゐるうちに私もすつかり昔の女學生の氣持をとり戾したやうでした。靑い空の下に數百の白と紺との運動服が咲き亂れてをります。ふり灑ぐ日の光は天の祝福かと思へました。私はいつまでもあの光景を胸の中に疊んで暖めてゐます。すると靜かに揃つては散る花、小鳥の無心なあこがれが甦つて參ります。まだ女學生だつた頃の澄み亙つた頭の調子まで思ひ出されます。いつのまにか、私は星空の下で、あなたの靈に祈つてゐるのでした。あのかぎりない星にまがふ、スカートや、ブラウスはこれから私が生涯かけて縫つてゆく夢なのです。

 

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