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2019/01/09

萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 黑い風琴

 

  黑い風琴

 

おるがんをお彈きなさい 女のひとよ

あなたは黑い着物をきて

おるがんの前に坐りなさい

あなたの指はおるがんを這ふのです

かるく やさしく しめやかに 雪のふつてゐる音のやうに

おるがんをお彈きなさい 女のひとよ。

 

だれがそこで唱つてゐるの

だれがそこでしんみりと聽いてゐるの

ああこのまつ黑な憂鬱の闇のなかで

べつたりと壁にすひついて

おそろしい巨大の風琴を彈くのはだれですか

宗教のはげしい感情 そのふるへ

けいれんするぱいぷおるがん れくれえむ!

お祈りなさい 病氣のひとよ

おそろしいことはない おそろしい時間はないのです

お彈きなさい おるがんを

やさしく とうえんに しめやかに

大雪のふりつむときの松葉のやうに

あかるい光彩をなげかけてお彈きなさい

お彈きなさい おるがんを

おるがんをお彈きなさい 女のひとよ。

 

ああ まつくろのながい着物をきて

しぜんに感情のしづまるまで

あなたはおほきな黑い風琴をお彈きなさい

おそろしい暗闇の壁の中で

あなたは熱心に身をなげかける

あなた!

ああ なんといふはげしく陰鬱なる感情のけいれんよ。

 

[やぶちゃん注:大正七(一九一八)年四月号『感情』初出。初出との違いで有意に印象が違うのは「れくれえむ!」の「!」がないこと、同じく最後から二行目の「あなた!」の「!」がないことで、他は有意な相違はない。「定本靑猫」では「かるく やさしく しめやかに 雪のふつてゐる音のやうに」が「かるく やさしく しめやかに 雪のふつてゐる音のやうに………」と九点リーダが入っていること、「時間」の二字に「とき」のルビが振られていること(これは正しい改善と感ずる)、こと以外には有意な相違はない。なお、「れくれえむ」(requiem:鎮魂曲・レクイエム・死者の冥福を祈る哀歌・悲歌・挽歌。ラテン語で「安息を」の意で、死者ミサの入祭文の最初の語に由来する)については、筑摩書房版全集の校異に、『「れくれえむ」は、正しくは「れくいえむ」requiem であるが、作者が語感の上であえてこの形にしたか、單純な誤記か、明瞭でない。また、作者生前の諸本もすべて「れくれえむ」のままなので、本全集でも校訂を加えなかった』と特異的に注が附されてある。これは編者の卓見というべきである。たまには褒めておこう。

「とうえんに」形容動詞であるが、こんなは知らない。「とうえん」で調べて見ても、しっくりくるものはない。ネットのとあるQ&Aサイトで、この意味を訊ねたものへの複数の回答があった。その一つに、「嗒焉」で、我を忘れてうっとりするさま。「嗒然」と同じとするもの、ある方は、朔太郎の造語と解釈するのが自然とし、透き通った艶めかしさと言った意味で『「透艶に」という漢字を当てた』別の方の回答を評価し、『教会のパイプオルガンの音は、まさしく、透明感のあるつややかな美しい音』に相応しいとする。別なある方は、『恋人エレナ(洗礼名)の死の翌年に書かれた詩です。場所はギリシャ正教の教会ですね。れくれーむはレクイエム。エレナのお葬式の印象が強いと思います。キリスト教の言葉に「祷援」があります。祈りで他人を支えること。仮名は「たうゑん」ですが、朔太郎はこの言葉を耳で聞いて漢字を調べなかったのかもしれません』としつつ、「透艶」というのは『パイプオルガンの荘厳な音の形容に相応しくない。詩人なら避けます』と一蹴している。私は「とうゑん」であるが、永遠に透徹する感じで「透遠」を当て字した。]

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