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2019/01/10

萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 憂鬱の川邊

 

  憂鬱の川邊

 

川邊で鳴つてゐる

蘆や葦のさやさやといふ音はさびしい

しぜんに生えてる

するどい ちひさな植物 草本(さうほん)の莖の類はさびしい

私は眼を閉ぢて

なにかの草の根を嚙まうとする

なにかの草の汁をすふために 憂愁の苦い汁をすふために

げにそこにはなにごとの希望もない

生活はただ無意味な憂鬱の連なりだ

梅雨だ

じめじめとした雨の點滴のやうなものだ

しかし ああ また雨! 雨! 雨!

そこには生える不思議の草本

あまたの悲しい羽蟲の類

それは憂鬱に這ひまはる 岸邊にそうて這ひまはる

じめじめとした川の岸邊を行くものは

ああこの光るいのちの葬列か

光る精神の病靈か

物みなしぜんに腐れゆく岸邊の草むら

雨に光る木材質のはげしき匂ひ。

 

[やぶちゃん注:「そうて」はママ。大正七(一九一八)年四月号『感情』初出。初出との有意な違いは、二行目の「蘆」が「芦」で「よし」とルビし、「葦」に「あし」とルビすることと(これは本来は実は必要なルビである)、「しかし ああ また雨! 雨! 雨!」が「しかし ああ また雨 雨 雨」で「!」がないことである(漢字表記の違いは複数あるが、「芦」以外はここでは挙げないこととする)。「定本靑猫」も有意な相違はない(敢えて言えば「じめじめとした」が「じめじめした」となる)。参考までに言っておくと、「定本靑猫」後の昭和一四(一九三九)年の詩集「宿命」では「精神」に「こゝろ」とルビしているが、無論、ここではそれを気にする必要はない。

「蘆」(よし)「葦」(あし)であるが、植物学的には同一種の異名で、単子葉植物綱イネ目イネ科ダンチク(暖竹)亜科ヨシ属ヨシ Phragmites australis を指す。漢字では「葦」「芦」「蘆」「葭」も生物学的には総て同一種なのである。ところが、朔太郎はここで明らかに、この二つを異なった対象として併置していることが判るから、何とかしなくては注にならない。困ったなと思って調べたところ、ときしらず氏の「ときしらずのブログ◎迂闊な話」の「葦(あし)と葦(よし)」に大修館書店「明鏡国語辞典」には、『もと成熟したものを「葦」、穂がすっかり出そろわないものを「蘆」、穂の出ていないものを「葭」と書き分けた』とあるそうで(私は所持しないので確認は出来ない)、これで、伸びてはいるが、穂が包まれていたり、少ししかほうけていない「蘆(よし)」と、しっかり伸びきって穂をしっかり開いている「葦(あし)」が混在している川辺をイメージすればよいということになろう。]

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