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2019/01/21

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鶚(みさご) (ミサゴ/〔附録〕信天翁(アホウドリ))

 

Misago

 

みさご   魚鷹 鵰鷄

      雎鳩 沸波

𪀝

      下窟鳥 王雎

      【和名美佐古】

      覺賀鳥【日本紀】

クワァヽ

 

本綱鶚乃鵰類也似鷹而土黃色深目好峙雄雌相得鷙

而有別交則雙翔別則異處能翔水上扇魚令出捕之

食禽經鳩生三子一爲鶚鳩乃此也其尾上白者名白

  後京極

  鶚ゐる汀の風にゆられ來て鳰のうきすは旅ねしてけり

△按雎鳩毎捕魚食之飽則潜置于石間密處而經宿入

 穴食之謂之鶚鮓人知其所在取食

 日本紀云景行天皇至上總從海路渡淡水門聞覺賀

 鳥聲覺賀之字義未詳

――――――――――――――――――――――

天翁 不能捕魚立沙灘上俟魚鷹所得偶墜則拾食

 之

 

 

みさご   魚鷹〔(ぎよよう)〕

      鵰鷄〔(てうけい)〕

      雎鳩〔(しよきう)〕

      沸波〔(ひは)〕

【「𪀝」、同じ。】

      下窟鳥〔(かくつてう)〕

      王雎〔(わうしよ)〕

      【和名、「美佐古」。】

      覺賀鳥〔(かくかのとり/みさご)〕【「日本紀」。】

クワァヽ

 

「本綱」、鶚は乃〔(すなは)〕ち鵰〔(わし)〕の類なり。鷹に似て土黃色、深き目〔にして〕好みて峙〔(そばだ)〕つ。雄雌、相ひ得て、鷙〔(しふ)なれども〕、別、有り。交はるとき、則ち、雙〔(なら)び〕翔〔び〕、別るるときは、則ち、處を異にす。能く水上を翔〔(こうしよう)〕し、魚を扇(あふ)ぎて、出ださしめ、之れを捕へて食ふ。「禽經〔(きんけい)〕」に、『鳩、三子を生む。一〔(いつ)〕は鶚鳩〔(がくきう)〕と爲る』とは、乃ち、此れなり。其の尾の上、白き者を「白〔(はくけつ)〕」と名づく。

                後京極

  鶚〔(みさご)〕ゐる汀〔(なぎさ)〕の風にゆられ來て

     鳰〔(にほ)〕のうきすは旅ねしてけり

△按ずるに、雎鳩〔(みさご)〕は毎〔(つね)〕に魚を捕へて之れを食ふ。飽くときは、則ち、潜〔(ひそか)〕に石間〔(せきかん)〕の密處〔(みつしよ)〕に置きて、宿を經て[やぶちゃん注:何日かしてから。]、穴に入りて、之れを食ふ。之れを「鶚〔(みさご)〕の鮓〔(すし)〕」」と謂ふ。人、其の所在を知りて、取りて食ふ。

「日本紀」に云はく、『景行天皇、上總に至り、海路より淡水門(あはのみなと)を渡り、覺賀(みさご)鳥の聲を聞く云云〔(うんぬん)〕』〔と〕。「覺賀」の字義、未だ詳かならず。

――――――――――――――――――――――

信天翁(あほうどり) 魚を捕ること、能はず。沙-灘〔(さす)[やぶちゃん注:私の「砂洲」の当て読み。]〕の上(ほとり)に立ちて、俟〔(ま)〕つ。魚鷹(みさご)、得る所を、偶(たまたま)墜つるときは、則ち拾(ひろ)いて[やぶちゃん注:ママ。]、之れを食ふ。

[やぶちゃん注:タカ目タカ亜目タカ上科ミサゴ科ミサゴ属ミサゴ Pandion haliaetusウィキの「ミサゴ」によれば、『極地を除くほぼ全世界に分布する。ユーラシア大陸と北アメリカ大陸の亜寒帯から温帯地域とオーストラリアの沿岸部で繁殖し、北方の個体はアフリカ大陸中部以南と南アメリカに渡って越冬する』。『日本では留鳥として全国に分布するが、北日本では冬季に少なく、南西諸島では夏に少ない。西日本では冬季普通に見られる鳥だったが、近年やや数が減少している。北海道ではほとんどの個体が夏鳥として渡来している』。全長は五十四~六十四センチメートル、翼開長は一メートル五十から一メートル八十センチメートル、体重は一・二~二キログラム。『雄雌ほぼ同じ色彩で、背中と翼の上面は黒褐色、腹部と翼の下面は白色で、顔も白く、眼を通って首に達する太い黒褐色の線が走る。後頭部に小さな冠羽がある。嘴は黒く、脚は青灰色』。『タカ科と区別される特徴として、spicule』(スピキュール)『と呼ばれる足の外側にある魚を捕らえるための棘、反転する第』一『趾(猛禽類ではミサゴだけである)、鼻孔の弁、密生し』、『油で耐水された羽毛があげられる』。『主に海岸に生息するが、内陸部の湖沼、広い河川、河口等にも生息する。水面をゆっくりと低空飛行し獲物を探す。春・秋の渡りの季節には長野県などの内陸部を移動する個体が観察される。単独かつがいで生活する』。『食性は肉食性で主に魚類を食べるが、爬虫類、鳥類、貝類を食べることもある。獲物を見つけると』、『素早く翼を羽ばたかせて空中に静止するホバリング飛行を行った後』、『急降下し、水面近くで脚を伸ばし』、『両足で獲物を捕らえる。和名の由来は様々な説があり』、『水を探るが転じたとする説や、獲物を捕らえる時の水音が由来とする説(西日本では水面に突入する音から、本種のことを「ビシャ」、または「ビシャゴ」と呼んでいる地域がある)等がある』。五~七月に『水辺の岩や樹上に木の枝を組んだ巣を作り』、二、三『個の卵を産む。抱卵日数は約』三十五『日。抱卵は主にメスが行い、オスはメスに獲物を運ぶ。雛は孵化後』五十二~五十三『日で巣立ちし、その後』一~二『ヶ月後に親から独立する。成熟するのに』三『年かかる』。『単型のミサゴ科を作り、姉妹群はタカ科 Accipitridae である。合わせてタカ上科 Accipitroidea とすることもある』。『タカ科に含めることもあり、それでも単系統性からは問題ない。しかし、形態、核型、遺伝子距離、化石記録の古さから、科レベルに相当する差異があるとされる』。『タカ科に含める場合、ミサゴ亜科 Pandioninae とし、タカ科の』二『つまたはより多くの亜科の』一『つとする』。『ミサゴ属には』一種 Pandion haliaetus (Linnaeus, 1758) 『のみを置く説と』、Pandion cristatus (Vieillot, 1816) 『を分離する説とがある』。Pandion cristatus『はスラウェシ島以東のオーストラリア区に分布』し、Pandion haliaetus よりも『小型で、渡りはしない』。『日本において、ミサゴは魚を捕るタカとして古来より知られ』、「日本書紀」では『覺賀鳥』と記されているほか、「太平記」・「看聞日記」(かんもんにっき:、室町時代の皇族伏見宮貞成(さだふさ)親王の日記。一部は散逸しているが、応永二三(一四一六)年)から文安五(一四四八)年までの三十三年間に渡る部分が現存する)・「古今著聞集」など、『様々な文献で記述が確認できる』。以下、「ミサゴ鮨」の項。「本草綱目啓蒙」に於いて、『ミサゴは捕らえた魚を貯蔵し、漁が出来ない際にそれを食すという習性が掲載され、貯蔵された魚が自然発酵(腐敗でもある)することによりミサゴ鮨となると伝えられていた。ミサゴ鮨については』、他にも松浦静山の「甲子夜話」、滝澤馬琴の「椿説弓張月」、大正期から昭和期にかけて宮内省(のち宮内庁)で主厨長を務めた料理人秋山徳蔵(明治二一(一八八八)年~昭和四九(一九七四)年)の「味」(昭和三〇(一九五五)年東西文明社刊・序文・吉川英治)『などにも登場』し、『ミサゴが貯蔵したことにより発酵し、うまみが増した魚を人間が食したのが寿司の起源であると伝承される』が、『この逸話に対して反論者もいる。動物研究家實吉達郎は自著』「動物故事物語」で、『ミサゴにそのような習性もなければ十分な魚を確保する能力もないとし、この話を否定している』。『なお、類似した伝説としては、サルがサルナシなどの果実を巣穴に貯めて「製造した」猿酒や養老の滝がある』と記す。少なくとも、ウィキのこの項を書いた人物は「猿酒や養老の滝」伝承を最後に引っ張る以上、本説を否定しているものと考えられる。どうもこれは現在、肯定派には分(ぶ)が悪そうな気がする。何故かって? そういう保存状態にしたものをどんな鳥類学者も報告していないし、そうした貯蔵場所の実例も語られていない。山の方に遙かに運ぶのを見たという記載がネット上にあったが、これは寧ろ、抱卵しているへ運ぶため、或いは少し大きくなった雛に、餌の味を覚えさせるためと考える方が、私は自然な気がした。私は「みさご鮓」は、ない、と思う。それにさ……いやいや、何より……ミサゴの英名は“Osprey”……今や悪名高き、米軍のVTOL機なんだから、ねぇ…………

「雎鳩〔(しよきう)〕」因みに「詩経」の「周南」には「関雎(かんしょ)」という詩があり、「関」は「関関」の略で、和らいだ鳴き声の意、「雎」は「雎鳩(しょきゅう)」の略で古来、雌雄の仲の良いとされる本種ミサゴで、そこから「関雎」は「夫婦仲が良く、礼儀正しいこと」の謂いとなった。

「沸波〔(ひは)〕」「沸」を「フツ」とするのは慣用音で、呉音も漢音も「ヒ」である。

「下窟鳥〔(かくつてう)〕」「みさご鮓」からの命名っぽい。

「日本紀」「日本書紀」。

「深き目〔にして〕好みて峙〔(そばだ)〕つ」頭部の黒褐色の羽の線色が強いアイライン効果を齎して、眼球を殊更に目立たせ、そのラインに従って、眼が峙つ、強く引き攣ったような強烈さを与えることからの謂いであろう。

「雄雌、相ひ得て、鷙〔(しふ)なれども〕、別、有り」雌雄ともに獰猛な性質を所持しているが、自然、雌雄の別はちゃんとある、の意。

「交はるとき、則ち、雙〔(なら)び〕翔〔び〕、別るるときは、則ち、處を異にす」この謂いだと、交尾をする際には並んで飛びかいながら交尾を行い、それがすむと、別々な塒(ねぐら)へ戻って居所は異にする、としか読めないが、ウィキにあるように、それは事実ではない。

翔〔(こうしよう)〕」高く広くあちこちと飛び翔けること。

「魚を扇(あふ)ぎて、出ださしめ」急降下で水面直下の魚を捕獲する生態から、こう表現した気持ちは確かに腑に落ちる。

「禽經」春秋時代の師曠(しこ)の撰になるとされる鳥獣事典であるが、偽書と推定されている。全七巻。

「後京極」「鶚〔(みさご)〕ゐる汀〔(なぎさ)〕の風にゆられ來て鳰〔(にほ)〕のうきすは旅ねしてけり」「後京極」は九条良経(嘉応元(一一六九)年~元久三(一二〇六)年)で、彼の「秋篠月清集」の「巻一 十題百首」で確認した。「鳰〔(にほ)〕」はカイツブリ目カイツブリ科カイツブリ属カイツブリ亜種カイツブリ Tachybaptus ruficollis poggei「水禽類 鸊鷉(かいつぶり)」を参照。流石に、良経、いい一首である。

『「日本紀」に云はく……』「日本書紀」景行天皇五十三年(単純換算で紀元一二三年)の十月の条に、

   *

冬十月。至上總國。從海路渡淡水門。是時聞覺賀鳥之声。欲見其鳥形。尋而出海中。仍得白蛤。於是。膳臣遠祖。名磐鹿六鴈。以蒲爲手繦。白蛤爲膾而進之。故美六鴈臣之功。而賜膳大伴部。

   *

と出る。

「信天翁(あほうどり)」ミズナギドリ目アホウドリ科アホウドリ属アホウドリ Phoebastria albatrus。ロケーションからも名前からもそれしかないが、「山禽類」に附録するのは、お門違いも甚だしいと言わざるを得ないウィキの「アホウドリ」によれば、『信天翁の漢字を音読みにして、「しんてんおう」とも呼ばれる。尖閣諸島の久場島にはこの名にちなんだ「信天山」という山がある。長崎県で古くから呼ばれているオキノタユウ(沖の太夫、沖にすむ大きくて美しい鳥)に改名しようとする動きもある』。『北太平洋に分布』し、『夏季はベーリング海やアラスカ湾、アリューシャン列島周辺で暮らし、冬季になると』、『繁殖のため』、『日本近海への渡りをおこない』、『南下する』。『鳥島と尖閣諸島北小島、南小島でのみ繁殖が確認されていた』。全長は八十四センチメートルから一メートル、翼開長は一メートル九十から二メートル四十センチメートル、体重三・三~五・三キログラム。『全身の羽衣は白い』。『後頭から後頸にかけての羽衣は黄色い』。『尾羽の先端が黒い』。『翼上面の大雨覆の一部、初列風切、次列風切の一部は黒く、三列風切の先端も黒い』。『翼下面の色彩は白いが外縁は黒い』。『嘴は淡赤色で』、『先端は青灰色』、『後肢は淡赤色』・『青灰色で』『水かきの色彩は黒い』。『雛の綿羽は黒や暗褐色、灰色。幼鳥は全身の羽衣が黒褐色や暗褐色で、成長に伴い白色部が大きくなる』。『以前はDiomedea属に分類されていたが、ミトコンドリアDNAのシトクロムbの分子解析からPhoebastria属に分割された』。『種内ではミトコンドリアDNAの分子解析から、鳥島の繁殖個体群のうち』、『大部分を占める系統と、鳥島の一部(約』七%『)と尖閣諸島で繁殖する系統の』二『系統があると推定され』ている。『約』一千『年前の礼文島の遺跡から発掘された本種の骨でも同様の解析を行ったところ、同じ』二『系統が確認されたため』、『少なくとも』一千『年以上前には分化していたと推定されている』。この二『系統の遺伝的距離はアホウドリ科』Diomedeidae『の別属の姉妹種間の遺伝的距離と同程度なため、将来的には別種として分割される可能性もある』。『尖閣諸島で繁殖する系統は手根骨が短いため』、『翼長も短く、鳥島の系統と比較して巣立ちが』二『週間早いとされる』。『海洋に生息』し、『魚類、甲殻類、軟体動物、動物の死骸を食べる』。『集団繁殖地(コロニー)を形成する』。『頸部を伸ばしながら嘴を打ち鳴らして(クラッタリング』:clattering)『求愛する』。『斜面に窪みを掘った巣に』、十~十一月に一個の『卵を産む』。『巣を作るのは、通常、雄の役目であるが、雌が作る様子も確認されている』。『雌雄交代で抱卵し、抱卵期間は』六十四~六十五日。生後十年『以上で成鳥羽に生え換わる』。『羽毛目的の乱獲、リン資源採取による繁殖地の破壊などにより』、『生息数は激減した』。『和名は』、『人間が接近しても地表での動きが緩怠で、捕殺が容易だったことに由来する』。明治二〇(一八八七)年から『羽毛採取が始まり』、昭和八(一九三三)年に鳥島、諸和二一(一九三六)年に聟島(むこじま)列島が『禁猟区に指定されるまで乱獲は続けられた』、『当初は主に輸出用だったが』、明治四三(一九一〇)年に、『羽毛の貿易が禁止されてからも』、『日本国内での流通目的のために採取され』、実に六百三十万羽ものアホウドリが『捕殺されたと推定されている』。『以前は小笠原諸島・大東諸島・澎湖諸島でも繁殖していたとされるが、繁殖地は壊滅している』。昭和一四(一九三九)年には『残存していた繁殖地である鳥島が噴火し』、昭和二四(一九四九)年の『調査でも発見されなかったため絶滅したと考えられていた』が、昭和二六(一九五一)年に『鳥島で繁殖している個体が再発見された』。その後、一九七六年から『調査や保護活動が再開し』、『繁殖地の整備』や『崩落の危険性が少ない斜面に模型(デコイ)を設置し』て『鳴き声を流す事で新しい繁殖地を形成する試みが進められ』、『繁殖数および繁殖成功率は増加している』現在、特別天然記念物及び国内希少野生動植物種に指定されている。一九九九年に於ける生息数は約千二百羽と推定され、二〇〇六年から二〇〇七年度に於ける繁殖個体数は約二千三百六十羽(鳥島で八十%、尖閣諸島で二十%)と推定されており、二〇一八年の『調査では鳥島集団の総個体数は』五千百六十五『羽と推定され』ている。絶滅危惧 VU)。『鳥島で火山活動が活発化する兆しがあるため、小笠原諸島の聟島に繁殖地を移す計画が』二〇〇六『年から進められている』(その結果的経緯はリンク先を見られたい)。]

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