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2019/01/19

萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 片戀

 

  片  戀

 

市街を遠くはなれて行つて

僕等は山頂の草に坐つた

空に風景はふきながされ

ぎぼし ゆきしだ わらびの類

ほそくさよさよと草地に生えてる。

君よ辨當をひらき

はやくその卵を割つてください。

私の食慾は光にかつえ

あなたの白い指にまつはる

果物の皮の甘味にこがれる。

 

君よ なぜ早く籠をひらいて

鷄肉の 腸詰の 砂糖煮の 乾酪(はむ)のご馳走をくれないのか

ぼくは飢ゑ

ぼくの情慾は身をもだえる。

 

君よ

君よ

疲れて草に投げ出してゐる

むつちりとした手足のあたり

ふらんねるをきた胸のあたり

ぼくの愛着は熱奮して 高潮して

ああこの苦しさ 壓迫にはたへられない。

 

高原の草に坐つて

あなたはなにを眺めてゐるのか

あなたの思ひは風にながれ

はるかの市街は空にうかべる

ああ ぼくのみひとり焦燥して

この靑靑とした草原の上

かなしい願望に身をもだえる。

 

[やぶちゃん注:「かつえ」はママ(正しい歴史的仮名遣「かつゑ」(餓(飢)ゑ))。

 本詩篇の筑摩書房版校訂本文には大きな問題がある。そこでは、第一連が、

   *

市街を遠くはなれて行つて

僕等は山頂の草に坐つた

空に風景はふきながされ

ぎぼし ゆきしだ わらびの類

ほそくさよさよと草地に生えてる。

 

君よ辨當をひらき

はやくその卵を割つてください。

私の食慾は光にかつゑ

あなたの白い指にまつはる

果物の皮の甘味にこがれる。

   *

と二連に分かれているからである。

 確かに初出である大正一一(一九二二)年五月号『婦人公論』では二連になってはいる。

 ところが、底本である初版本は、この箇所で改ページとなっているが、一九七の左ページ通常版組の最終行で「ほそくさよさよと草地に生えてる。」となり、次の一九八の右ページは通常版組の第一行から「君よ辨當をひらき」と印字されているのである。物理的に計測してみたが、疑問の余地は全くない。敢えて言えば、句点があるから改行となるのであろうが、後者にはその空行は、ない、のである。さらにに句点を問題とするのであれば、「はやくその卵を割つてください。」の後はどうなるのか? というイチャモンをつけたくなるのは正当な反論であると言えるのではないか?

 ともかく、「靑猫」の「片戀」には、ここに空行はない、のである。

 筑摩版全集は後に示すように、校異では「乾酪(はむ)」のルビについて神経症的とも言える細密な注を附しているにも拘わらず、この行空き操作を校異で述べていない

 即ち、筑摩版全集編者は、初版「靑猫」の行空き無しを見落とし、初出に従って行空きを施してしまったのであると考えざるを得ない。

 ところが、校異を見ると、朔太郎は後の昭和三(一九二八)年第一書房版「萩原朔太郎詩集」では、ここを行空き無しとしている、のである(この詩篇はそれ以外には再録されていない)。

 詩篇の主題や主情の高まりの流れから見ても、私はここに空行はいらないと考える。朗読してみれば、判る。ここにブレイクは、いらない。

 向後、全集が改訂される時は、詩集「靑猫」本文としては、この行空けを除去するべきであり、選集に選ぶ際も、行空き無しで示されねばならないと私は思う。

 初出は総ルビ。表記違いや誤り以外は有意な相違を認めない。

「片戀」「かたこひ」と読んでおく。片思いと同義。

「ぎぼし」「擬寶珠」。単子葉植物綱キジカクシ目キジカクシ科リュウゼツラン亜科ギボウシ Hosta のギボウシ類で本邦には二十種ほどが自生するが、特に東北から中部地方の一部で「ウルイ」、西日本で「ギボウシ」「タキナ」などの名で「山菜」として若芽・若葉などが食用とされる、オオバギボウシ Hosta sieboldiana が最も人口に膾炙する。

「ゆきしだ」「雪羊齒」のつもりだろうが、そんなシダ類は私は知らない。思うに、前後の植物が食用になることを考えると、これは、双子葉植物綱ユキノシタ目ユキノシタ科ユキノシタ属ユキノシタ Saxifraga stolonifera であろうと推定する(本種は「生物」の授業の葉裏の気孔の顕微鏡観察でよく知られるが、天ぷらにすると美味い)。

「わらび」「蕨」。既出既注。シダ植物門シダ綱シダ目コバノイシカグマ科ワラビ属ワラビ Pteridium aquilinum

「乾酪(はむ)」ルビは「ハム」で、言わずもがな、英語の「ham」、豚肉・猪肉の腿肉を塊のまま塩漬けした或いは燻製にしたあれであるが、漢字表記「乾酪」はそれではなく、正真正銘の「チーズ」である。筑摩版全集「校異」には以下の注が附されてある。

   《引用開始》

「乾酪」は、その漢字を生かすならばルビは「ちいず」と振らねばならず、ルビを生かそうとすれば漢字を改めねばならない。しかしこの詩の初出は大正十一年五月號の

「婦人公論」に發表された總ルビのものであるため、「はむ」というルビが作者自身の振ったルビかどうか、はっきりしない。作者の意向がルビの方にあったと判断したためか、これを生かして漢字を「燻肉(はむ)」と改めた諸本もあるが、作者がチーズを考えていたのではないかという見方も捨てるわけにいかない。また、この詩には草稿が残っていないので、それを参考にすることができない。作者の生存中に發行された諸刊本も、すべて「乾酪(はむ)」のままである。したがって本全集としては、例外的措置として、この諸に関する限りはあえて校訂を加えず、原形のままにとどめることにした。

   《引用終了》

しかし、ここでの問題は、萩原朔太郎自身が本詩集「靑猫」に採るに際し、「乾酪」に「はむ」とわざわざ振ったのか? という一点に収斂する。総ルビは何度も言った通り、高い確率で作者が原稿に振ったものではない。しかし、本詩集の本詩篇に於いて、ここでここにのみ「乾酪(はむ)」としたのは、萩原朔太郎の確信犯であると読まねばならないということである。即ち、朔太郎は初出でも例外的に「乾酪(はむ)」にのみルビを振って原稿を出したのではないか? と私は考える。即ち、これは朔太郎にしばしば見られる誤った語の意味や読みに対する難治性の思い込みであると捉えるのである。これは例えば、彼は、広く干し肉を表わす「乾脯」「乾腊」と「燻肉」或いは「はむ(ハム)」を、まず、ごっちゃにしてイメージ誤認のままに記憶しており、さらにそこから、「チーズ」と読むべき「乾酪」という熟語の「乾」に、思わず、先の誤記憶のイメージが侵略してきてしまい、「ちいず」「チーズ」を示す――「乾酪」という熟語を「はむ」「ハム」と読むのだ――と思い込んでいた可能性を示唆していると私は考えるのである。大方の御叱正を俟つ。

「熱奮」「ねつふん」或いは「ねつぷん(ねっぷん)」か。前者で読んでおく。見かけない。反転した「奮熱(ふんねつ)」なら、「奮(ふる)い立って、夢中になること」の意がある。

 なお、本篇は「定本靑猫」には再録されていない。

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