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2019/01/01

迎春 * 佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 一一四 ダンノハナの謎の瓶

 

一一四 山口のダンノハナは今は共同墓地なり。岡の頂上にうつ木を栽ゑめぐらし其口は東方に向ひて門(モン)口めきたる所あり。其中程に大なる靑石あり。曾て一たび其下を掘りたる者ありしが、何物をも發見せず。後再び之を試みし者は大なる瓶[やぶちゃん注:「かめ」。]あるを見たり。村の老人たち大いに叱(シカ)りければ、又もとのまゝに爲し置きたり。館(タテ)の主の墓なるべしと云ふ。此所に近き館の名はボンシヤサの館と云ふ。幾つかの山を掘り割りて水を引き、三重四重に堀を取り廻(メグ)らせり。寺屋敷砥石森(トイシモリ)など云ふ地名あり。井の跡とて石垣殘れり。山口孫左衞門の祖先こゝに住めりと云ふ。遠野古事記に詳かなり。

[やぶちゃん注:「山口のダンノハナ」一一一で注したが、再掲しておく。遠野市土淵町山口のダンノハナは、知られたデンデラ野(佐々木喜善の生家の西直近。ここ(グーグル・マップ・データ))の近くで(踏破者の記事によれば数分で着くとある)、現在、文字通りの共同墓地となっており、佐々木喜善の墓もここにあるdostoev氏のブログ『不思議空間「遠野」-「遠野物語」をwebせよ!-』の『「遠野物語114(ダンノハナ)」』によれば、この『文中に登場する』奇体な名の『ボンシヤサ館は梵字沢館(別名 大洞館)と記す。「遠野市における館・城・屋敷跡調査報告書」においては、館主等は一切不明であるようだ。もしかして貞任山の開発の拠点となった場所では無いかと云う事らしい。そして、ダンノハナである山口館とは関係が無さそうである』とある。何らかの中古の豪族の館があったのかも知れないが、私はそこにはもっとずっと以前、「一一二」に示された通り、ここに縄文人・弥生人が住んでいた以上、その「大なる瓶」とは(開けたと書いていないことがミソ)実はまさにダンノハナの「山口Ⅰ遺跡」の推定年代と完全に一致する、縄文後期・晩期の遺跡から多く出土し始める甕棺墓だったのではあるまいか? 現在では東北から近畿・九州に至る広範囲で甕棺墓の葬送風習があったことが判っているのである。

「うつ木(ギ)」既出既注であるが、再掲しておく。ミズキ目アジサイ科ウツギ属ウツギ Deutzia crenata。和名は「空木」で、茎が中空であることからの命名であるとされる。卯の花(うのはな)はウツギの花の別称。「卯の花をかざしに關の晴着かな 曾良」。私はウツギの花が好きだし、かくあればこそ東北と卯の花はよく似合う。

「山口孫左衞門」一八で「ザシキワラシまた女の兒なることあり。同じ山口なる舊家にて山口孫左衞門と云ふ家には、童女の神二人いませりと云ふことを久しく言傳へたりし」と出た旧家の旧当主。

「遠野古事記」遠野南部氏の家士宇夫方(うぼかた)広隆撰著。上中下の全三巻。元禄元(一六八三)年春に『遠野に生まれ、通称を平太夫、又は宗右衛門と言った。幼いころから江田勘助の元で学び、詩文和歌に優れる一方で武芸を嗜み、兵法・砲術・弓・馬・刀・槍の全てを極めたと言われている。遠野の昔の歴史や風俗、伝説や噂話のような雑事を集めて』宝暦一二(一七六二)年に書き終え、「遠野旧事記」(「多賀城物語」という『名もあるらしいが定かではない)と名づけたが、翌年に足りない部分を付け加え、誤りを訂正して、改めて』「遠野古事記」という『題名をつけた』と、遠野文化研究センター公式サイト内にあった。]

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