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2019/01/08

萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) その手は菓子である

 

  その手は菓子である

 

そのじつにかはゆらしい むつくりとした工合はどうだ

そのまるまるとして菓子のやうにふくらんだ工合はどうだ

指なんかはまことにほつそりとしてしながよく

まるでちひさな靑い魚類のやうで

やさしくそよそよとうごいてゐる樣子はたまらない

ああ その手の上に接吻がしたい

そつくりと口にあてて喰べてしまひたい

なんといふすつきりとした指先のまるみだらう

指と指との谷間に咲く このふしぎなる花の風情はどうだ

その匂ひは麝香のやうで 薄く汗ばんだ桃の花のやうにみえる。

かくばかりも麗はしくみがきあげた女性の指

すつぽりとしたまつ白のほそながい指

ぴあのの鍵盤をたたく指

針をもて絹をぬふ仕事の指

愛をもとめる肩によりそひながら

わけても感じやすい皮膚のうへに

かるく爪先をふれ

かるく爪でひつかき

かるくしつかりと押へつけるやうにする指のはたらき

そのぶるぶるとみぶるひをする愛のよろこび はげしく狡猾にくすぐる指

おすましで意地惡のひとさし指

卑怯で快活なこゆびのいたづら

親指の肥え太つたうつくしさと その暴虐なる野蠻性

ああ そのすべすべとみがきあげたいつぽんの指をおしいただき

すつぽりと口にふくんでしやぶつてゐたい いつまでたつてもしやぶつてゐたい

その手の甲はわつぷるのふくらみで

その手の指は氷砂糖のつめたい食慾

ああ この食慾

子供のやうに意地のきたない無恥の食慾。

 

[やぶちゃん注:大正六(一九一七)年六月号『感情』初出。初出は大きな改変はないが、細部の語句や表記に違いが散見されるので、以下に示す。

   *

 

  その手は菓子である

 

そのじつにかわゆらしい むつくりとした工合はどうだ

そのまるまるとして菓子のやうにふくらんだ工合はどうだ

指なんかはまことにほつそりとして品(しな)がよく

まるでちいさな靑い魚くづのやうで

やさしくそよそよとうごいてゐる樣子はたまらない

ああ その手のうへに接吻がしたい

そつくりと口にあてて喰べてしまひたい

なんといふすつきりとした指先のまるみだ

指と指との谷間に咲くこの不思議の花の風情はどうだ

そのにほひは麝香のやうで薄く汗ばんだ桃のやうだ

かくばかり美しくみがきあげた女性のゆび、すつぽりとしたまつ白のほそながいゆび

ぴあのの鍵盤をたたくゆび

針をもて絹をぬふ仕事のゆび

愛をもとめる男の肩によりそひながら

わけても感じやすい皮膚のうへに

かるく爪先をふれ、かるく爪でひつかき、かるくしつかりと押えつけるやうにするゆびのはたらき

そのぶるぶるとみぶるひをする愛のよろこび、はげしく狡猾にくすぐるゆび

おすましで意地惡のひとさしゆび

卑怯で快活な小ゆびのいたづら

親ゆびの肥え太つたうつくしさとその暴虐なる野蠻性

ああ そのすべすべとみがきあげた一本の指を押しいただき

すつぽりとくちにふくんでしやぶつてゐたい、いつまでたつてもしやぶつてゐたい

その手の甲はわつぷるのふくらみで、その手の指は氷砂糖のつめたい食慾

ああ この食慾

子供のやうな意地のきたない無恥の食慾

     
 (最も美しき者の各部分に就いて、その一)

   *

「魚くづ」は「うろくづ」或いは「いろくづ」と読む。「(最も美しき者の各部分に就いて、その一)」という後書きが附されてあるが、私の知る限りではこれの「その二」は知らない。見つけたら、追記する。私はフェティシズムの極地としてのそれなら、断然、初出を支持する。特に多くの「指」を「ゆび」と平仮名書きしたところに視覚的な舐めるようなそれが実に効果的に現出している。因みに、「定本靑猫」でもやや手を加えて再録しているが、「接吻」に「きす」とルビを振ってみたり、句読点を加えたりという小手先の仕儀がいらいらとして目立ち、五十歳の詩人のフェティシュは、最早、老耄して萎えてしまっていると言わざるを得ない(六十四歳の川端康成が書いた「片腕」の方が遙かに生々として凄いと思う)。何? 「定本靑猫」版を示さないで、どうして批判するかって? いやいや、この〈批判行為〉は正当である。何故なら、冒頭注で述べた通り、朔太郎自身が「定本靑猫」で『此等の詩篇によつて、私を批判しようとする人人や、他の選集に拔粹しようとする人人は、今後すべて必ずこの「定本」によつてもらひたい』と言っているのだから。見たけりゃ、青空文庫」定本で見りゃいい。面倒だから示さぬのではない。枯れびしゃってしまって示すにあまりに哀れだから、である。

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