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2019/02/13

柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「河童駒引」(20) 「河童ト猿ト」(3)

 

《原文》

 【猿猴淵】猿ノ水中ニ住ムト云フコトハ何分ニモ信ジ難キ話ナレドモ、兎ニ角昔ノ人ハ此ノ如キ一種ノ猿ヲ見聞セシ者多カリキト覺シク、今モ府縣ノ地名ニ猿ケ淵又ハ猿猴淵ナドト云フモノ少ナカラズ。例ヘバ

  石見美濃郡匹見下村大字落合矢尾小字猿猴ケ淵

  同 邑智郡長谷村大字長谷山中小字猿猴淵

  土佐長岡郡天坪村大字北瀧本エンコウ淵

  同 幡多都下川口村大字宗呂エンコウ淵

  下野下都賀郡富山村大字富田猿淵

  武藏入間郡南高麗村大字下直竹猿淵

  越前足羽郡東鄕村大字下昆沙門猿ケ淵

  美作苫田郡東一宮村大字東一宮猿淵

等ノ如シ。【エンコザル】我々ノ幼時ニハ、文人畫ニ畫カルヽ一種手ノ長キ猿ノミヲ「エンコザル」ト呼ビタリキ。猿猴ノ月ヲ捉フル話ハ必ズシモ物ノ譬ニハアラズ。大和ノ猿澤池ノ如キハ昔多クノ猿集リ手ト手ヲ組ミテ梢ヨリ水ノ月ヲ取ラントセシガ、最初ノ猿手ヲ放チシ爲悉ク池ニ落チテ死ス。其猿共ヲ埋メテ驗ノ松ヲ栽ヱ今モ存スト云ヘリ〔所歷日記〕。其顚末ノ越中駒見(マミ)ノ狼婆ト似タルハ一奇ナリ。【水ノ月】右ノ猿猴淵ト云フ地名ノ由來モ、恐クハ亦此物水底ノ月ヲ採ラントセシ故跡ナドト明スル老人アルべケレド、實際ハヤハリ他ノ地方ノ河童淵又ハ川子淵ト同樣ニ、其地ニハ曾テ此ノ如キ猿ノ住ミシ時代アリシモノト解スべキナリ。【中山神】美作ノ猿淵ハ一宮中山神社ノ猿ナルべシ。此社ノ猿ハ今昔物語以來有名ナリ。今モ明神ノ神使トシテ崇敬セラレ、一宮村ノ贄殿谷(ニエドノダニ)又ハ同郡西苫田村大字小原ニ猿ノ祠アリ。每月十二日ノ夜ニ宮ノ靈猿必ズ黑澤山ニ登リ佛殿ノ中ニ宿ス。風雨霜雪ノ夜ト雖缺クコトナシ。【通夜猿】之ヲ名ヅケテ通夜猿ト云フ。一宮村大字東田邊ノ石原川ニモ猿淵アリ(或ハ前ノ猿淵ト同ジキカ)。一宮神社ノ使ノ猿此村ノ湯原山王ニ來ルトキ、每ニ此淵ニ入リテ齋浴スル故ニ此名アリト云フ〔作陽志〕。若狹遠敷(ヲニフ)郡宮川村大字加茂ト、同郡野木村大字上野木トノ境ノ山ノ麓ニ、猿陪淵ト云フ處アリ。【賀茂明神】太古賀茂明神降臨ノ折ニ之ニ供奉シタル白猿此淵ニ姿ヲ現ハス。淵ノ底ニハ明神ノ冠石(カンムリイシ)ト云フ一箇ノ小石アリ。【雨乞】旱魃ノ年ニハ雨乞トシテ水中ヨリ右ノ小石ヲ抱キ上グレバ驗アリ〔若狹郡縣志〕。此等ノ白猿又ハ靈猿ハ御伽噺ノ中ノ猿ノ如ク、水ノ中ニ入ルコトヲ意トセズ。恐クハ卽チ安藝ノ淵猿ヤ三河ノ河猿ト同族ニシテ、其昔何カ然ルべキ由緖アリテ、土地ノ者ヨリ永ク尊崇ヲ受クルニ至リシナランカ。而シテ其尊崇ノ起原ニ至リテハ後ニ猶アリ。

 

《訓読》

 【猿猴淵】猿の水中に住むと云ふことは、何分にも信じ難き話なれども、兎に角、昔の人は此(かく)のごとき一種の猿を見聞(みきき)せし者多かりきと覺しく、今も府縣の地名に「猿ケ淵」又ハ「猿猴淵」などと云ふもの、少なからず。例へば、

  石見美濃郡匹見下(ひきみしも)村大字落合矢尾小字猿猴ケ淵

  同 邑智(おうち)郡長谷村大字長谷山中小字猿猴淵

  土佐長岡郡天坪(あまつぼ)村大字北瀧本エンコウ淵

  同 幡多都下川口村大字宗呂(そうろ)エンコウ淵

  下野(しもつけ)下都賀(しもつが)郡富山村大字富田(とみだ)猿淵

  武藏入間郡南高麗(みなみこま)村大字下直竹(しもなほたけ)猿淵

  越前足羽(あすは)郡東鄕村大字下昆沙門猿ケ淵

  美作(みまさか)苫田(とまた)郡東一宮村大字東一宮猿淵

等のごとし。【エンコザル】我々の幼時には、文人畫に畫(ゑが)かるゝ、一種、手の長き猿のみを「エンコザル」と呼びたりき。猿猴の月を捉ふる話は、必ずしも物の譬へにはあらず。大和の猿澤の池のごときは、昔、多くの猿、集り、手と手を組みて、梢より水の月を取らんとせしが、最初の猿、手を放ちし爲め、悉く池に落ちて死す。其の猿共を埋めて驗(しるし)の松を栽ゑ、今も存すと云へり〔「所歷日記」〕。其の顚末の越中駒見(まみ)の狼婆(おほかみばば)と似たるは一奇なり。【水の月】右の猿猴淵と云ふ地名の由來も、恐らくは亦、此の物、水底(みなそこ)の月を採らんとせし故跡などと明する老人、あるべけれど、實際は、やはり他の地方ノ河童淵又は川子淵と同樣に、其の地には、曾て此(かく)のごとき猿の住みし時代ありしものと解すべきなり。【中山神】美作の猿淵は一宮中山神社の猿なるべし。此の社(やしろ)の猿は「今昔物語」以來、有名なり。今も「明神の神使」として崇敬せられ、一宮村の贄殿谷(にえどのだに)又は同郡西苫田村大字小原に猿の祠(ほこら)あり。每月十二日の夜に、宮の靈猿、必ず、黑澤山に登り、佛殿の中に宿す。風雨霜雪の夜と雖も、缺(か)くことなし。【通夜猿】之れを名づけて「通夜猿」と云ふ。一宮村大字東田邊(ひがしたなべ)の石原川にも猿淵あり(或いは前の猿淵と同じきか)。一宮神社の使ひの猿、此の村の湯原山王に來たるとき、每(つね)に此の淵に入りて齋浴(さいよく)する故に此の名あり、と云ふ〔「作陽志」〕。若狹遠敷(をにふ)郡宮川村大字加茂と、同郡野木村大字上野木との境の山の麓に、猿陪淵(さるべのふち)と云ふ處あり。【賀茂明神】太古、賀茂明神、降臨の折りに、之れに供奉したる白猿、此の淵に姿を現はす。淵の底には「明神の冠石(かんむりいし)」と云ふ一箇の小石あり。【雨乞(あまごひ)】旱魃の年には雨乞として、水中より右の小石を抱き上ぐれば、驗(しるし)あり〔「若狹郡縣志」〕。此等の白猿又は靈猿は、御伽噺(おとぎばなし)の中の猿のごとく、水の中に入ることを意とせず。恐らくは、卽ち、安藝の淵猿や三河の河猿と同族にして、其の昔、何か然るべき由緖ありて、土地の者より永く尊崇を受くるに至りしならんか。而して、其の尊崇の起原に至りては、後に、猶ほ、あり。

[やぶちゃん注:「石見美濃郡匹見下(ひきみしも)村大字落合矢尾」現在の島根県益田市匹見町落合矢尾(グーグル・マップ・データ。以下同じ。なお、以下もそうだが、淵名が残るかどうかまでは調べていない。悪しからず)。

「同 邑智(おうち)郡長谷村大字長谷」現在の島根県江津市桜江町長谷か。但し、北の区域外に「山中」の地名が別に残る。

「土佐長岡郡天坪(あまつぼ)村大字北瀧本」現在の土佐山田町北滝本

「同 幡多都下川口村大字宗呂(そうろ)」現在の高知県土佐清水市宗呂

「下野(しもつけ)下都賀(しもつが)郡富山村大字富田(とみだ)」現在の栃木県栃木市大平町富田か。ただ、現行のこの附近には河川がない。二キロほど東に永野川があるが。

「武藏入間郡南高麗(みなみこま)村大字下直竹(しもなほたけ)」現在の埼玉県飯能市下直竹

「越前足羽(あすは)郡東鄕村大字下昆沙門」現在の福井県福井市下毘沙門町(ちょう)

「美作(みまさか)苫田(とまた)郡東一宮村大字東一宮」現在の岡山県津山市東一宮

「文人畫に畫(ゑが)かるゝ、一種、手の長き猿」グーグル画像検索「手長猿 文人画」を見られたい。

「猿猴の月を捉ふる話は、必ずしも物の譬へにはあらず。大和の猿澤の池のごときは、昔、多くの猿、集り、手と手を組みて、梢より水の月を取らんとせしが、最初の猿、手を放ちし爲め、悉く池に落ちて死す。其の猿共を埋めて驗(しるし)の松を栽ゑ、今も存すと云へり〔「所歷日記」〕」書名注は付けない原則だが、この「所歷日記」というのは、江戸小伝馬町牢屋奉行で国学者でもあった石出吉深(いしでよしふか 元和元(一六一五)年~元禄二(一六八九)年)が書いたもので、寛文四(一六六四)年に成立した。官務の疲れを癒すために有馬温泉に湯治した際の紀行見聞記である。ウィキの「猿沢池」によれば、この池は『興福寺が行う「放生会」の放生池として』、天平二一(七四九)年に『造られた人工池である。放生会とは、万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式である』とし、『猿沢池のほとりにある采女神社(うねめじんじゃ)は、帝の寵愛が衰えたことを嘆き悲しんで入水した采女を慰めるために建てられたという』とあり、『猿沢池の名前の由来は、インドのヴァイシャーリー国』(毘舎離(びしゃり)・吠舎離とも表記し、古代インドの十六大国の一つであったヴァッジ国内にあった商業都市国家。『リッチャヴィ族(離車族)の住んでいた地域で、自治制・共和制が敷かれ、通商貿易が盛んで、自由を尊ぶ精神的雰囲気があったと言われている』。『釈迦の時代においてもよく知られた商業都市であり、仏典にも数多くその名が見られ、仏教教団自体にも強い影響を与えており、仏教僧団を意味する「サンガ」(僧伽)という言葉は、元々はこの地域に発生した商工業者の同業組合や共和制を意味する言葉であり、その仕組みを仏教教団側が採用したことから、仏教僧団がこの名で呼ばれるようになった』。『初期仏教教団における特異な在家信徒(後に出家)である遊女アンバパーリーが住んでいたことや、仏教経典の第』二『回結集が行われたことで有名。ここはウィキの「毘舎離」に拠った)『の猴池(びこういけ)から来たものと言われている。猴の字義としては、尾の短い種類のサルをさしている』とする。放生池で入水自殺した采女もなんだかなと思うが、ここで柳田が言っているのはその入水した采女塚なのではないかなどと考えてみたりもしたが、笹本正治氏の論文「猿沢池が血に染まる――伝承と場のイメージ――PDF)の猿沢の池の「名前の由来解釈」によれば、『元禄九(一六九六)年の自序を持つ『行嚢抄』[やぶちゃん注:江間氏親の旅の見聞を記した紀行文。]は、猿沢池の名称由来の一つを、昔この池の辺に猿が多く集まり、池の水に映っていた月影を見て、影を取ろうと手に手を取って組み、池に臨んだが、一疋の猿が手を離したので、猿が多く池の水の中に入って溺死した。それから猿沢と名づけた。溺死した猿を埋めたしるしとして、池の傍に松があると説明する(『古事類苑地部一二』一三一二頁)』とあった。柳田の記載はこれに基づくものであろう。

「越中駒見(まみ)の狼婆(おほかみばば)」既出既注。なお、現行の地名は「こまみ」であり、「ちくま文庫」版でも『こまみ』と振る。但し、サイト「日本姓氏語源辞典」の「万見(まんみ)」には、『富山県富山市。富山県富山市駒見(コマミ(旧:万見))発祥。室町時代から記録のある地名。地名と姓はマミと発音した』。この「万見」姓は『戦国時代・安土桃山時代の武将である織田信長の家臣として安土桃山時代に記録』があり、『古くは「まみ」と読んだのかも知れぬ』とあるので、柳田のルビが正統。ただ、既出部では柳田はルビを振っていない

「實際は、やはり他の地方ノ河童淵又は川子淵と同樣に、其の地には、曾て此(かく)のごとき猿の住みし時代ありしものと解すべきなり」無論、言うまでもなく、霊長目直鼻亜目真猿下目狭鼻小目ヒト上科テナガザル科 Hylobatidae のテナガザル類(通臂猴のモデル)は本邦には今も昔も棲息せず、『インド東端を西限、中国最南端を北限とし、バングラデシュ・ミャンマー・インドシナ半島を経て、マレー半島からスマトラ島、ジャワ島西部、ボルネオ島に至る地域』を分布域とする。但し、『千年ほど前には黄河以北にも生息していたことが中国の文献に記載されて』は『いる』とウィキの「テナガザルにはある。

「一宮中山神社」現在の岡山県津山市一宮にある、美作国一宮中山神社。ここ(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「中山神社」によれば、『社名は現在』は『「なかやま」と読むが、かつては「ちゅうぜん」「ちゅうざん」と音読みしていた。別称として「仲山大明神」や「南宮」とも』呼んだ。ここには境内に「猿神社」があり(リンク先は同ウィキの画像)、祭神は猿多彦神で『本殿裏に鎮座』し、「今昔物語集」等の『記述は』、『この猿神社に由来するものと伝える』とあり(次の注のリンク先の方が詳細)、柳田も「此の社(やしろ)の猿は「今昔物語」以來、有名なりと記すが、その「今昔物語集」の「巻第二十六」の「美作國神依獵師謀止生贄語第七」((美作(みまさか)の國の神、獵師の謀(はかりごと)に依りて生贄(いけにへ)を止(とど)めし語(こと) 第七(しち))は、既に私の「柴田宵曲 妖異博物館 人身御供」で電子化しているので、そちらを参照されたい

「一宮村の贄殿谷(にえどのだに)又は同郡西苫田村大字小原」個人サイト「戸原のトップページ」の中の「中山神社」に、『当地には猿にかかわる伝承が幾つかあり、管見したものとして』と前振りをなさって、柳田が示す「作陽志」の「苫南郡神社部」からとして、『猿休 華表を去ること十三町、石有りて猿の腰懸と名づく。往年、津山の士人、採りて仮山に安ず、其の夜怪異無数、其の人大いに怖れ本拠に還す』(「猿休」は「さるやすみ」と読むか。以下を含め、国立国会図書館デジタルコレクションの「作陽志」の当該部の画像が見られる。但し、一部(画面左端の「贄殿谷」(以下、後のページに続く)の条の「宇治拾遺物語」の引用等)を除き、総て漢文)。『旧説によれば、猿を以て一宮(当社)の使獣と為す。是故、贄殿谷に猿祠有り。小原村亦之有り。今、道祖神と為す、蓋し道祖神は猿田彦命に因みて付会し名付けしものにて笑ふべし』。『又、黒沢山の僧云、曾て一宮に異猿有り、毎月十二日夜』、『黒沢山に上りて仏殿に寝る。雨風霜雪の夜と雖も之に関わらず。名づけて通夜猿と云』ふ、とあり、また、「美作風土略」(宝暦一二(一七六二)年成立)の「中山神社」の項には、『此宮の使者は猿也。吉備の宮(吉備津神社)に使いする事』、『ままあり。さだまれる休所ありて、稀に見たる人も有り』とある。また、サイト主は、この中山神社及び周辺地域の猿神伝承について、『猿は山の神の使いであり(日吉神社等)、古代象形文字で、神を』「申」『(シン・サル)と記すように神(ここでは山の神)そのものともされる』『また、山の神は農耕に必要な水をもたらす水の神でもあり、里にあっては田の神・農耕の神となるという』。『この説話の原姿は、里の女(巫女)が神(山神=水神)を迎えて豊かな水の供給と穀物の豊饒を祈願し、その妻となって御子を産むというもので、時代が下るにつれて、到来する神が生贄を求める邪神に、巫女が生贄となる女性へと変化したものという』。『当社の猿神祭神説は、伝承にいう神顕現以前の素朴な山の神信仰をあらわしているのかもしれない』と述べておられ、極めて肯んぜられる見解と思う。「贄殿谷」という地名は、この中山神社本殿裏手にある「猿神社」のある旧地名ではあることが、サイト主は、『社殿左手に立つ猿神社と染め抜かれた赤い幟から、細い地道を約』五『分ほど進んだ左手の山腹に鎮座する小祠』で、『道から祠までは、折れ曲がった参道(山道)を登るが、手すりがあり』、『難路ではない』とされ、『栞によれば、「今昔物語』二十六『巻にみえる中山の猿の霊を祀るとされ、現在、猿田彦神として祀られる。牛馬の安産守護の神として信仰をうけ、今も尚、ぬいぐるみの小猿を奉納する風習が残る」』とする。「同郡西苫田村大字小原」の方は、岡山県津山市小原に「西苫田公民館」の名を現認出来る(グーグル・マップ・データ)。但し、こちらに猿の祠が現存するかどうかは判らぬ。

「一宮村大字東田邊の石原川」岡山県津山市一宮東田辺(グーグル・マップ・データ)。但し、現行のここは中山神社の北西一・七キロメートルの位置にあり、大きな河川は周辺にない。柳田は「或いは前の猿淵と同じきか」というのは、ずっと手前の中山神社近くにあった猿淵で沐浴したと推定したことを指すものである。

「湯原山王」不詳。「作陽志」のこちらに(返り点は省略した)。

   *

山王權現 在東田邊村此村之氏神也祭祀九月八日封内方廿間

   *

とあるのがそれか? 但し、柳田の引用は同書の「部」の「石原川」(返り点は省略した)。

   *

石原川 在東田邊村此川有猿淵俗獼猴者一宮使獸也爲神奉使湯原山王【在此村】則每浴齋于此因名源出於黑澤又遠保谷惠比谷【出於黑澤山硯岩】等溪水會此川入田邊川

   *

「若狹遠敷(をにふ)郡宮川村大字加茂と、同郡野木村大字上野木との境の山の麓」中心部附近であろう(グーグル・マップ・データの航空写真)。現在の福井県小浜市加茂及び福井県三方上中郡若狭町武生の間に丘陵がある。

「賀茂明神」上記のリンクの地図に「加茂神社」を現認出来る。因みに、南方熊楠の「十二支考 猴に関する伝説」(大正九(一九二〇)年)に、

   *

 猴を神使とせる例、『若狭(わかさ)郡県志』に上中郡賀茂村の賀茂大明神降臨した時白猿供奉(ぐぶ)す、その指した所に社を立てた。飛騨宕井戸村山王宮は田畑の神らしい。毎年越中魚津村山王より一両度常のより大きく薄白毛の猴舟津町藤橋を渡りてここへ使に参る(『高原旧事』)、江州(ごうしゅう)伊香(いか)郡坂口村の菅山寺は昔猴が案内して勅使に示した霊地の由(『近江輿地誌略』九〇)、下野(しもつけ)より会津方面にかけて広く行わるる口碑に、猿王山姫と交わり、京より奥羽に至り、勇者磐次磐三郎を生む、猿王二荒神を助け赤城神を攻めて勝ち、その賞に狩の権を得、山を司ると(『郷土研究』二の一、柳田氏の説)。

   *

「明神の冠石(かんむりいし)」不詳。]

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