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2019/02/14

和漢三才圖會卷第三十七 畜類 羊(ひつじ) (ヒツジ)

 

Hituji

 

ひつじ 羖【牡羊又名羝】

 𦍺【牝羊又名牂】

【音陽】

 【白】 羭【黑】

★   羖【多毛】 羯【去勢】

ヤン  【和名比豆之】

[やぶちゃん注:★の個所に上図の下部左にあるヒツジの首の形に象った篆文が入る。

 

本綱羊字象頭角足尾之形胡羊䍲羺無角曰※【曰】羊

[やぶちゃん注:「※」=「翔」-「羽」+「童」。]

子曰羔其五月曰羜六月曰𦎦七月曰羍生江南者爲

羊頭身相等而毛短生秦晉者爲夏羊頭小身大而毛長

而剪其毛以爲氊物謂之綿羊諸羊皆孕四月而生

其目無神其腸薄而縈曲在畜屬火故易繁而性熱在卦

屬兌故外柔而内剛其性惡濕喜燥食鉤吻草肥食仙茅

而肪食仙靈脾而食躑躅而死物理之宜忌不可測也

其皮極薄南番以書字羊外腎曰羊石子

肉【苦甘大熱】 治虛勞補中益氣安心止兒驚癇【銅噐煑之男子損陽女子暴下反半夏菖蒲忌蕎麥麵豆醬及醋】

乳【甘溫】 治虛勞潤心肺乾嘔及反胃解蜘蛛咬毒【有人爲蜘蛛咬

腹大如姙徧身生絲其家棄之乞食有僧教啖羊乳未幾其疾愈也】

                  有房

 新勑程もなく隙行く駒を見ても猶哀羊のあゆみをそ思ふ

△按自華來牧之未蓄息戯食紙卽喜食之羊乳番語名

 介伊辞

陸佃云羊善群行故羣字从羊羊以瘦爲病故羸字从羊

羊貴大故羊大爲美羊有角而不用類仁執之不鳴殺之

不嘷類死義飮其母必跪類知禮也本草所載羊類甚多

大尾羊 凡羊尾皆短而哈密及大食國有大尾羊細毛

 薄皮尾上旁黄重一二十斤行則以車載之【唐書謂之靈羊】

胡羊 大食國出胡羊高三尺餘其尾如扇每春月割

 取脂再縫合之不取卽脹死

地生羊 出西域以羊臍種于土中漑以水聞雷而生羊

 臍與地連及長驚以木聲臍乃斷便能行齧草至秋可

 食臍内復有種名瓏種羊

 土之精也其肝土也有雌雄不食季桓子曾掘土

 得之 又千樹精亦爲青羊

 

 

ひつじ 羖(をひつじ)【牡羊、又、「羝」と名づく。】

 𦍺(めひつじ)【牝羊、又、「牂」と名づく。】

【音、「陽」。】

 (しろひつじ)【白。】

    羭(くろひつじ)【黑。】

★   羖(むくげのひつじ)【多毛。】

    羯(へのこなしのひつじ)【勢を去る〔もの〕。】

ヤン  【和名、「比豆之」。】

[やぶちゃん注:★の個所に上図の下部左にあるヒツジの首の形に象った篆文が入る。]

 

「本綱」、「羊」の字、頭の角・足・尾の形に象どる。胡羊を「羺䍲〔(げいどう)〕」と曰ひ、角無きを「※〔とう)〕」と曰ふ【「〔(た)〕」〔とも〕曰ふ。】[やぶちゃん注:「※」=「翔」-「羽」+「童」。]。羊の子を「羔〔こう)〕」と曰ひ、其の五つ月〔(づき)〕なるを「羜〔ちよ)〕」と曰ひ、六つ月なるを「𦎦〔(ぶ)〕」と曰ひ、七つ月なるを「羍〔(たつ)〕」と曰ふ。江南に生ずる者を「羊」と爲し、頭身相ひ等しくて、毛、短し。秦・晉[やぶちゃん注:現在の陝西省・山西省。]に生ずる者を「夏羊」と爲し、頭、小さく、身、大にして、毛、長し。二にして、其の毛を剪りて、以つて、氊〔(せん)の〕物[やぶちゃん注:毛織りの敷物。毛氈(もうせん)。]と爲す。之れを綿羊と謂ふ。諸羊、皆、孕〔みて〕四月〔(よつき〕)にして生まる。其の目、神〔(かがやき)〕、無く、其の腸、薄くして、縈曲〔(えいきよく)〕[やぶちゃん注:ぐるぐるとめぐって曲がりくねっていること。]なり。畜に在りては、「火〔(くは)〕」に屬す。故に繁〔(しげ)〕り易くして[やぶちゃん注:繁殖し易くて。]、性〔(しやう)〕、熱す。卦に在りては、「兌〔(だ)〕」に屬す。故に外柔にして内剛〔なり〕。其の性、濕を惡〔(にく)〕み、燥を喜〔(この)〕む。鉤吻草〔(こうふんさう)〕を食ひて肥へ[やぶちゃん注:ママ。]、仙茅〔(せんばう)〕を食ひて肪(あぶらつ)き、仙靈脾〔(せんれいひ)〕を食ひて(たわ)け[やぶちゃん注:淫乱となり。]、躑躅(もちつゝぢ)を食ひて死す。物〔の〕理〔(ことわり)〕の宜忌〔(よしあし)〕[やぶちゃん注:良し悪し。]、測かるべからざるなり。其の皮、極めて薄し。南番〔→南蠻〕〔にては、これを〕以つて字を書く。羊の外腎を羊石子(たけり)と曰ふ[やぶちゃん注:この言いから見て、「外腎」とは♂の外生殖器(或いは陰茎)のことのように思われる。]。

肉【苦、甘。大熱。】 虛勞[やぶちゃん注:「虚損労傷」の略で、各種の過労のために肉体が衰弱し、精神も困憊している状態を指す。]を治し、中(ちゆう)[やぶちゃん注:漢方で言う「脾胃」。二つが三焦(現代医学のリンパ系相当とされる)の中焦の系に属することによる。]を補し、氣を益し、心〔(しん)〕を安ず。兒の驚癇[やぶちゃん注:漢方で言う癲癇症状のこと。]を止〔(とど)〕む【銅噐にて之れを煑れば、男子は陽を損じ[やぶちゃん注:ここは狭義の重い精力減退を指すか。]、女子は暴下す[やぶちゃん注:激しい下痢症状を呈す。]。半夏・菖蒲に反し、蕎麥・麵・豆醬〔(みそ)〕及び醋〔(す)〕を忌む。】。

乳【甘、溫。】 虛勞〔を治し〕、心肺を潤ほし、乾嘔〔(からえずき)〕[やぶちゃん注:漢方で吐き気がして吐こうとするが、その音だけがあって実際には嘔吐物がない症状を指す。]及び反胃〔(ほんい)〕[やぶちゃん注:食ったものを吐き戻す症状。]を治す。蜘蛛の咬みたる毒を解す【人、有り、蜘蛛の爲めに咬まるるに、腹、大〔となりて〕姙〔(はらみめ)〕のごとく〔なりて〕、徧身〔(へんしん)に〕、絲を生ず。其の家、之れを棄(す)つ。〔棄てられし者は〕乞食〔(こつじき)〕す。僧、有り、羊乳を啖〔(の)まんことを〕教ふ。未だ幾〔(いくばくな)ら〕ずして其の疾ひ、愈〔ゆる〕なり。】。

                  有房

 「新勑」

   程もなく隙〔(ひま)〕行く駒〔(こま)〕を見ても猶ほ

      哀〔(あは)れ〕羊のあゆみをぞ思ふ

△按ずるに、華[やぶちゃん注:中国。]より來たり、之れを牧(か)へども[やぶちゃん注:飼ってはいるが。]、未だ蓄息〔(ちくそく)〕せず[やぶちゃん注:繁殖していない。]。戯れに紙を食はしむる〔に〕、卽ち、喜びて之れを食ふ。羊の乳、番語〔→蠻語〕に「介伊辞(ケイジ)」と名づく。

陸佃が云はく、『羊は善く群行す。故に「羣」の字、「羊」に从〔(したが)〕ふ。羊は、瘦るを以つて病ひと爲る。故に「羸」[やぶちゃん注:音「ルイ」。「瘦せる・疲れる・弱る」また「弱い」の意。]の字、「羊」に从ふ。羊は大〔なるを〕貴ぶ。故、「羊」に「大」〔にて〕「美(うつく)し」と爲す。羊、角、有りて、用ひず。〔これ、〕「仁」に類す。之れを執〔(と)〕るに[やぶちゃん注:捕まえても。]鳴かず、之れを殺すに、嘷(ほ)へず[やぶちゃん注:ママ。「吠えず」。]。〔これ、〕「義」に死するに類す。〔子羊の、〕其の母〔の乳を〕飮むときは、必ず、跪〔(ひざまづ)〕く。〔これ、〕「禮」を知るに類す』〔と〕。「本草」に載する所の羊の類、甚だ多し。

大尾羊 凡そ、羊の尾は、皆、短く、而るに、哈密〔(ハミ)〕[やぶちゃん注:ハミ王国、クムル汗(ハン)国などとも呼ばれた、現在の中国の新疆ウイグル自治区の最東部にあるクムル(現在のハミ)を中心に展開したウイグル人の国。一六九六年から一九三〇年まであった。]及び大食(だいし)國[やぶちゃん注:アラビアの旧漢名。]に「大尾羊」有り。細〔き〕毛、薄〔き〕皮にして、尾の上の旁〔(かたはら)〕、黄に〔して〕、重さ一、二十斤[やぶちゃん注:明代の一斤は五百九十六・八二グラムであるから、六キログラム弱から十一キロ八百五十六グラムとなる。]。行〔くに〕、則ち、車を以つて、之れを載す【「唐書」之れを「靈羊」と謂ふ。】。

胡羊 大食國に「胡羊」を出だす。高さ三尺餘。其の尾、扇のごとし。每〔(まいとし)〕春月、脂を割り取り、再び之を縫〔ひ〕合〔はす〕。〔脂を〕取らざれば、卽ち脹〔(は)れて〕死す。

地生羊〔(ぢせいよう)〕 西域に出づ。羊の臍〔(へそ)〕を以つて土中に種〔(う)〕ゑ、漑(そゝ)ぐに水を以つてす。雷〔(かみなり)〕を聞きて羊を生ず。臍と地と連る。長ずるに及び、驚かすに木の聲〔(おと)〕を以つてすれば[やぶちゃん注:木を叩く音で驚かすと。]、臍、乃〔(すなは)〕ち斷〔(き)れ〕て、便〔(すなは)〕ち、能く行きて、草を齧(は)む。秋に至れば、食ふべし。臍の内〔に〕、復た、種、有り。「瓏種羊〔(ろうしゆよう)〕」と名づく。

羊〔(ふんよう)〕 土〔(つち)〕の精なり。其の肝は土なり。雌雄、有り。食はず。季桓子〔(きかんし)〕といふもの、曾つて土を掘りて、之れを得〔と〕。 又、千の樹の精も亦、「青羊」と爲〔ると〕。

[やぶちゃん注:哺乳綱鯨偶蹄目ウシ亜目ウシ科ヤギ亜科ヒツジ属ヒツジ Ovis aries (所謂、家畜化された綿羊(メンヨウ))及びヒツジ属に属する種群ウィキの「ヒツジ」によれば、『ヒツジは反芻動物としては比較的体は小さく、側頭部のらせん形の角と、羊毛と呼ばれる縮れた毛をもつ』。『原始的な品種では、短い尾など、野生種の特徴を残すものもある』。『家畜のヒツジは』五十四『本の染色体をもつが、野生種は』五十四本から五十八『本の染色体を有し、交雑可能である。自然状態の雑種の中には』五十五『本や』五十七『本の染色体をもつ個体も存する』。『品種によって』、全く角を持たないもの、『雄雌両方にあるもの、雄だけが角を持つものがある。螺旋を巻きながら直状に伸びた角をラセン角、渦巻き状に丸く成長する角をアモン角と称する。角のある品種のほとんどは左右に』一『対だが、古品種には』、『ヤギのように後方に湾曲しながら伸びる』二、三対(四~六本)の『角をもつものもいる』。『野生のヒツジの上毛の色合いには幅広いバリエーションがあり、黒、赤、赤褐色、赤黄色、褐色などがある。毛用のヒツジは主に染色に適した白い羊毛を産するように改良が加えられているが、ほかにも純白から黒色まであり、斑模様などもある。白いヒツジの群れのなかに有色の個体が現れることもある』。『ヒツジの体長や体重は品種により大きく異なり、雌の体重はおよそ』四十五~百キログラムで、『雄はより大きく』、四十五~百六十キログラムほどある。『成熟したヒツジは』三十二『本の歯を持つ。ほかの反芻動物と同じように、下顎に』八『本の門歯がある一方、上あごには歯がなく、硬い歯茎がある。犬歯はなく、門歯と臼歯との間に大きな隙間がある』。四『歳になるまで(歯が生え揃うまで)は、前歯は年に』二『本ずつ生えるため、ヒツジの年齢を前歯の数で知ることができる。ヒツジの平均寿命は』十『年から』十二『年であるが』、二十『年生きるものもいる』。『前歯は齢を重ねるにつれ失われ、食べるのが難しくなり、健康を妨げる。このため、通常放牧されているヒツジは』四『歳を過ぎると』、『徐々に数が減っていく』。『同じヤギ亜科に属するヤギと違い、草だけを食べる(ヤギは木の芽や皮も食べる)。食草の採食特性は幅広いとされる』。『ヒツジの聴力はよい。また視力については、水平に細い瞳孔を持ち、優れた周辺視野をもつ。視野は』二百七十度から三百二十度で、『頭を動かさずに自分の背後を見ることができる。しかし、奥行きはあまり知覚できず、影や地面のくぼみにひるんで』、『先に進まなくなることがある』。『暗いところから明るいところに移動したがる傾向がある』。『通常は、妊娠期間』百五十『日ぐらいで仔を』一『頭だけ産む』のが普通であるが、二頭或いは三頭『産むときもある』。『ヒツジは非常に群れたがる性質をもち、群れから引き離されると』、『強いストレスを受ける。また、先導者に従う傾向がとても強い(その先導者はしばしば単に最初に動いたヒツジであったりもする)。これらの性質は家畜化されるにあたり極めて重要な要素であった』。『なお、捕食者がいない地域の在来種は、強い群れ行動をおこさない』。『群れの中では、自分と関連あるもの同士が一緒に動く傾向がある。混種の群れの中では同じ品種で小グループができるし、また雌ヒツジとその子孫は大きな群れの中で一緒に動く』。『ヒツジにとって、危険に対する防御行動は単純に危険から逃げ出すことである。その次に、追い詰められたヒツジが突撃したり、蹄を踏み鳴らして威嚇する。とくに新生児を連れた雌にみられる。ストレスに直面すると』、『すぐに逃げ出し』、『パニックに陥るので、初心者がヒツジの番をするのは難しい』。『ヒツジは非常に愚かな動物であるというイメージがあるが、イリノイ大学の研究によりヒツジのIQがブタよりは低く』、『ウシと同程度であることが明らかになった。人や他のヒツジの顔を何年も記憶でき、顔の表情から』、『心理状態を識別することもできる』。『ヒツジは非常に食べ物に貪欲で、いつもエサをくれる人にエサをねだることもある。羊飼いは牧羊犬などで群れを動かす代わりに、エサのバケツでヒツジを先導することもある。エサを食べる順序は身体的な優位性により決定され、他のヒツジに対してより攻撃的なヒツジが優勢になる傾向がある』。『オスのヒツジは角のサイズが群れでの優位を決める重要な要素となっていて、角のサイズが異なるヒツジの間ではエサを食べる順番をあまり争わないが、同じような角のサイズを持つもの同士では争いが起こる』。以下、「家畜化の歴史」の項。『新石器時代から野生の大型ヒツジの狩猟がおこなわれていた形跡がある。家畜化が始まったのは古代メソポタミアで、紀元前』七〇〇〇~六〇〇〇年頃の『遺跡からは野生ヒツジとは異なる小型のヒツジの骨が大量に出土しており、最古のヒツジの家畜化の証拠と考えられている』。「臀部に脂肪を蓄えるヒツジ」の項。本文の「胡羊」はこれであろう。『家畜化されたヒツジの祖先は、モンゴルからインド、西アジア、地中海にかけて分布していた』四『種の野生ヒツジに遡ることができる。中央アジアのアルガリ』(Ovis ammon)、『現在の中近東にいるアジアムフロン』(Ovis orientalis)、『インドのウリアル』(Ovis orientalis vignei)、『地中海のヨーロッパムフロン』(Ovis aries musimon)『がこれにあたる。これら』四『種は交雑が可能であり、遺伝学的手法によっても現在のヒツジの祖を特定するには至っていないが、いくつかの傍証からアジアムフロンが原種であるとの説が主流となっている』。『ヒツジを家畜化するにあたって最も重要だったのは、脂肪と毛であったと考えられている。肉や乳、皮の利用はヤギが優れ、家畜化は』一千から二千年程度『先行していた。しかし山岳や砂漠、ステップなど乾燥地帯に暮らす遊牧民にとって、重要な栄養素である脂肪はヤギからは充分に得ることができず、現代でもヒツジの脂肪が最良の栄養源である。他の地域で脂肪摂取の主流となっているブタは、こうした厳しい環境下での飼育に適さず、宗教的にも忌避されている。こうした乾燥と酷寒の地域では尾や臀部に脂肪を蓄える品種が重視されている。それぞれ、脂尾羊、脂臀羊と分類される』。以下、「日本の羊の歴史」の項。『日本列島には古来より、旧石器・縄文時代のイヌや弥生時代のブタ・ニワトリ、古墳時代のウマ・ウシなど家畜を含め様々なものが海を越えて伝わったが、羊の飼育及び利用の記録は乏しい。寒冷な土地も多く防寒用に羊毛が利用される下地はあったが、動物遺体の出土事例も報告されていないことから、ほとんど伝わらなかったものと考えられている』。『考古資料では鳥取県鳥取市の青谷上地遺跡において弥生時代の琴の部材と考えられている木板に』、『頭部に湾曲する二重円弧の角を持つ動物が描かれており、ヒツジもしくはヤギを表現したものとも考えられている』。『文献史料においては』、「魏志倭人伝(「魏書」の「東夷伝倭人」の条)では弥生末期(三世紀前半代)に於いては『日本列島にはヒツジがいなかったと記されている』。八『世紀初頭に成立した』「日本書紀」には、推古天皇七(五九九)年の条に、『推古天皇に対し』、『百済(朝鮮半島南西部)からの朝貢物として駱駝(らくだ)、驢馬(ろば)各』一『頭、白雉』一『羽、そして羊』二『頭が献上されたという』。『西域の動物であるラクダやロバとともに献上されていることから、当時の日本列島では家畜としてのヒツジが存在していなかったとも考えられている』とある(以上の原文は、

   *

七年夏四月乙未朔辛酉、地動、舍屋悉破。則令四方俾祭地震神。秋九月癸亥朔、百濟貢駱駝一匹・驢一匹・羊二頭・白雉一隻。

   *

である)。『奈良時代、天武天皇の時代に関東で活躍した人物に「多胡羊太夫(たご ひつじだゆう)」という人物がいると伝わり、関連して地元に羊神社などが残る程度であり、羊自体の存在や飼育記録は確認できない』。八『世紀には、奈良県の平城宮跡や三重県の斎宮跡から羊形の硯(すずり)が出土している』。八『世紀中頃には、正倉院宝物に含まれる「臈纈屏風(ろうけちのびょうぶ)」にヒツジの図像が見られる』。「日本紀略」に『よれば、嵯峨天皇の治世の』弘仁一一(八二〇)年には、『新羅からの朝貢物として鵞鳥』二『羽、山羊』一『頭、そして黒羊』二『頭、白羊』四『頭が献上されたという』。『さらに、醍醐天皇の治世の』延喜三(九〇三)年には、唐人が「羊、鵞鳥を献ず」『とあり、他の記録も含め』、『何度か』、『日本に羊が上陸した記録はあるが、その後』、『飼育土着された記録はない。故に日本の服飾は長く、主に植物繊維を原料とするものばかりであった』。『仏教の影響を色濃く受けた故に』m『肉食があまり推奨されてこなかったことから』、『食肉用はともかく、羊毛製品には全く需要がなかったわけではなく、貿易品としての羊の毛織物は人気は高』かった。しかし、『高額であり、長らく一部の有力者や富裕層のみに珍重されていた』に過ぎなかった。『江戸時代』になって、文化二(一八〇五)年、『江戸幕府の長崎奉行の成瀬正定が羊を輸入し、唐人(中国人)の牧夫を使役して肥前浦上で飼育を試みたが、失敗』している(本「和漢三才図会」はそれに先立つ九十三年も前の正徳二(一七一二)年の成立であるから、以上の話よりも百ほど前に既にそうした飼養を試みた人間がいたことが本文の記載から判る)。『幕府の奥詰医師であった本草学者の渋江長伯は行動的な学者であったらしく、幕命により蝦夷地まで薬草採集に出向いたりしていた。長伯は幕府医師だけではなく、江戸郊外にあり幕府の薬草園であった広大な巣鴨薬園の総督を兼ねていたが』、文化一四(一八一七)年から『薬園内で綿羊を飼育し、羊毛から羅紗織の試作を行った』。そのことから、「巣鴨薬園」は、当時、『「綿羊屋敷」と呼ばれていた』。『明治期に入ると』、『お雇い外国人によって様々な品種のヒツジが持ち込まれたが、冷涼な気候に適したヒツジは日本の湿潤な環境に馴染まず、多くの品種は定着しなかった。日本政府は牛馬の普及を重視したが、外国人ル・ジャンドル』(チャールズ・ウィリアム・ジョセフ・エミール・ルジャンドル(Charles William (Guillaum) Joseph Émile Le Gendre 一八三〇年~一八九九年:フランス生まれのアメリカの軍人で外交官。明治五(一八七二)年から明治八年まで、明治政府外交顧問、明治二三(一八九〇)年から明治三十二年までは朝鮮王高宗(一八九七年からは大韓帝国皇帝)の顧問を務めた)『が軍用毛布のため』、『羊毛の自給の必要性を説き、明治八(一八七五)年に『大久保利通によって下総に牧羊場が新設された。これが日本での本格的なヒツジの飼育の始まりである』。『民間では』、明治九(一八七六)年に、『蛇沼政恒』(じゃぬままさつね 弘化二(一八四五)年~大正九(一九二〇)年)『が岩手県で政府から』百『余頭の羊と牧野を借りて始めたのが先駆で、以後、数百頭規模の牧場が東日本の各地に開かれた』。『ただ、生産された羊毛を買い上げるのは軍用の千住製絨所に限られ、品質で劣る日本産羊毛の販売価格は低く、羊肉需要がないこともあって、経営的には成功しなかった』。明治二一(一八八八)年には『政府の奨励政策が打ち切りになり、官営の下総牧羊場も閉鎖され』てしまう。『しかし、国内の羊毛製品需要は軍需・民需ともに旺盛で、しだいに羊毛工業が発達した。戦前から戦後間もない時期までの日本にとって毛織物は重要な輸出品だったが、その原料はオーストラリアとニュージーランドなどからの輸入に頼っていた。一度は失敗を認めた政府にも、国産羊毛を振興したいという意見が根強くあり、大正七(一九一八)年から『「副業めん羊」を普及させた。農家が自家の農業副産物を餌にして』一『頭だけ羊を飼い、主に子供が世話をして家計の足しにするという方法である』。『副業めん羊は東日本の山間地の養蚕農家の間に広まった』とある。

 

『羖(をひつじ)【牡羊、又、「羝」と名づく。】「漢字林」には、「羖」は、牡の夏羊(かよう:黒い色をした羊の名)の意とし、『牝は「羭」』とある。

𦍺(めひつじ)【牝羊、又、「牂」と名づく。】』「牂」は「漢字林」には三歳に達した牝の羊とする。

「羖(むくげのひつじ)」「」は「漢字林」には、やはり、『ヤギ(山羊)の一種、夏羊』とする。

「去勢」
食肉を目的として肥育される場合や、性質の荒さや発情を削ぐために去勢される。

『「羊」の字、頭の角・足・尾の形に象どる』正しい。

『胡羊を「䍲羺〔(げいどう)〕」と曰ひ』「本草綱目」では、「䍲羺」と文字列が逆である。良安の引用ミスの可能性が高い。東洋文庫訳は断りなしで『羺䍲(どうげい)』とする。冒頭注参照。

「孕〔みて〕四月〔(よつき〕)にして生まる」先の引用では妊娠期間を約百五十日とするから、事実からは一ヶ月も短め目。

「神〔(かがやき)〕」東洋文庫のルビを援用した。現在の「神」の字に「輝き」の意味はないのだが、そもそも「神」という漢字は中国古代にあっては激しい神鳴りを伴う天の神を意味したから、こう当て訓しても、必ずしも突拍子もないものではないと心得る。恐らくは、精神・心というニュアンスであろう。因みに、私の妻などが「ヒツジやヤギの眼が空ろで恐い」という(私は全くそう思わないが)のも、そうした目の印象(人間が見て)が彼らにはあるのやも知れぬ。

「仙茅〔(せんばう)〕」単子葉植物綱キジカクシ目キンバイザサ科Curculigo 属キンバイザサ Curculigo orchioides「田辺三菱製薬」公式サイト内の「生薬について」の「仙茅」を見ると、「仙茅」の「茅」は葉が茅(カヤ)の葉に似ていることに由来し(ヒツジが食うのであるから、本種の葉である)、「仙」はこの根茎を久しく服すると、体が軽くなって、仙人のようになるからであると、宋の「開宝本草」(九七三年成立)には記されているとあり、『古くから中国では仙薬とされていたのですが、実はこれを』中国人が『知ったのはインドからだったのです。インドでは「タラムリ」と称され、強精薬として使われていました。中国に伝来したのは』、『西域の婆羅門僧が玄宗皇帝にこれを用いる方法を教えたのが始まりだといわれています。発する効果が人参のようなので「婆羅門参」ともいわれているそうです』。『仙茅は「温腎壮陽、寒除湿」の効果があり、インポテンツの治療薬としては代表的な生薬です。お年寄りの夜間尿、婦人の更年期による諸症状にも応用されています。この中にクルクリゴシド(CurculigosideC21H24O11)という少し変わった成分が含有されており、これが強精作用の主役で』、『免疫力を賦活したり、興奮性機能も報告されてい』る、とある。

「仙靈脾〔(せんれいひ)〕」まさに別名を「淫羊藿(いんようかく)」「千両金」といった別名を持つ強精剤の原材料とし知られるもので、モクレン亜綱キンポウゲ目メギ科イカリソウ属イカリソウ Epimedium grandiflorum var. thunbergianum(生薬となるのは全草)。ウィキの「イカリソウ」によれば、『日本の東北地方南部より南の太平洋側と四国など各地の丘陵や山裾の雑木林など山野に分布し、樹陰に自生する』。『イカリソウ属は』二十五『種ほどがアジアから南ヨーロッパにかけて分布する』。『春の』四月から五月に『かけ、吊り下がった薄紅紫色の花が咲き』、四『枚の花弁が、中に蜜をためる距を突出し、ちょうど船の錨のような形をしているため』、『この名がある』。『根茎は横にはって多数のひげ根を出す』。『数本の茎を出し、茎部には鱗片がある』。『根出葉には長い葉柄がつ』く。『茎の先が』三『本の葉柄に分かれ、それぞれに』三『枚の小葉がつくため、三枝九葉草(さんしくようそう)の別名がある』。『小葉は全体が卵形で、先が尖って基部は心臓型をしており、葉縁に刺毛状の細かい鋸歯がある』。『園芸用や薬用に栽培されることもある。浅根性で乾燥に弱く、半日陰の肥沃土を好む性質があり、繁殖は秋から初冬にかけて株分けにより行われる』。『薬効は、インポテンツ(陰萎)、腰痛のほか』、『補精、強壮、鎮静、ヒステリーに効用があるとされる』。『全草は淫羊霍(いんようかく、正確には淫羊藿)という生薬で精力剤として有名で』、この「淫羊霍」は、五~六月頃の『開花期に茎葉を刈り取って』、『天日干しにしたもので、市場に流通している淫羊霍は、イカリソウの他にも、トキワイカリソウ』Epimedium sempervirens や『キバナイカリソウ』Epimedium koreanum 及び『海外品のホザキノイカリソウ』Epimedium sagittatum『も同様に使われる』。『本来の淫羊霍は中国原産の』、その『ホザキノイカリソウ』『(常緑で花は淡黄色)』が原料で、『名はヒツジがこれを食べて精力絶倫になったという伝説による』(注に「本草綱目」に『「西川(せいせん、地名)に淫羊(発情した羊)あり、この藿(かく、花蕾)を食べて、一日百編交合す。」と記され、これ故に淫羊藿と名付けたとされる』とある、これは「巻十二下 草之一」の『淫羊藿【「本經中品」】』で、そこでは異名を「仙靈脾」「放杖草」「棄杖草」「千兩金」「乾雞筋」「黄連祖」「三枝九葉草」とし、『弘景曰、服之使人好爲隂陽。西川北部有淫羊、一日百遍合蓋食此藿所致、故名淫羊』とあるのに基づく)。『ホザキノイカリソウの淫羊霍に対して、イカリソウの方を和淫羊霍とすることもある』。『イカリソウの茎葉には有効成分としてはイカリインというフラボノイド配糖体と、微量のマグノフィリンというアルカロイドなどが含まれ、苦味の成分ともなっている』。『充血を来す作用があり、尿の出を良くする利尿作用もあるとされている』『イカリインには実際に』『平滑筋が弛緩し』、『陰茎などの血流が増えると考えられる』効果があるとし、『マウスを用いた実験で、男性ホルモン様の作用が報告されている』とある。『体を温める作用があることから、手足の冷え症や、冷えから来る腰痛症、下半身が疲れやすい人のインポテンツによいとされる一方で、火照りやすい人やのぼせやすい人への服用は禁忌である』とする。

「躑躅(もちつゝぢ)」ビワモドキ亜綱ツツジ目ツツジ科ツツジ属ツツジ亜属ツツジ節モチツツジ列モチツツジ Rhododendron macrosepalum。黐躑躅。通常のツツジのタイプ種はツツジ属アルペンローゼ Rhododendron ferrugineumであるが、本邦のツツジ類は他種に亙る。ツジ科ツツジ属に属する植物。落葉(半落葉)低木で本州(静岡県・山梨県~岡山県)と四国に分布する。ウィキの「モチツツジ」によれば、『主に低山地や丘陵地に自生し、高さ』一~二メートルに『なる。明るい林(アカマツ林など)のなかで多くみられ、通常』、四~六月に開花するが、『散発的に年間を通して咲いているのも見られる』。『花びらは五』で、『濃紅色の斑点などがみられる。葉は秋を迎えると』、『紅葉し、芽を囲む一部を除き、大きく茂った葉は落葉する。また、樹皮は暗褐色または暗灰色をしている』。和名の如く、『花の萼や柄、葉(両面)、若枝、子房、果実に腺毛が多く見られ、そこから分泌される液滴によって粘着性を持つ。野外ではここに多くの昆虫が粘着してとらえられているのが観察される。この腺毛は花にやってくる、花粉媒介に与る以外の昆虫を捕殺して、花を昆虫に食害されるのをふせぐために発達したものらしく、実験的に粘毛を剃ると、花は手ひどく食害される』。『また、ここに捕らえられた昆虫を餌とする昆虫も知られる。ヤニサシガメ』(脂刺亀:昆虫綱半翅目異翅亜目サシガメ科アカサシガメ亜科ヤニサシガメ属ヤニサシガメ Velinus nodipes:体長十二~十五ミリメートルで、体は黒色でやや光沢があり、触角と脚に黄白色紋がある。頭部は長く、複眼は頭部中央より前方に位置し、目の後部は丸みが強い。腹部の側縁は大きく張り出し、波状を呈する。体の表面は松脂状の粘着物質で覆われる。マツ樹上で生活し、幹上などに静止し、アリなどほかの昆虫を捕食する。幼虫はマツやスギの幹の窪みや樹皮下で小集団を形成して越冬する。本州・四国・九州及び朝鮮半島・中国に分布する)『などのサシガメ類がよくここに居ついている他、モチツツジカスミカメ』(異翅亜目カスミカメムシ科アオナガカスミカメムシ属モチツツジカスミカメ Orthotylus (Kiiortotylus) gotohi:必ずモチツツジにおり、モチツツジの若芽や若葉・花柄には一面に粘毛が密生しているが、この種はその部分におり、素早く移動するのが見られる。モチツツジは若葉や花の粘毛には、多くの昆虫が粘着して捕らえられるが、本種にとってはよく保護された逃げ場になっていると見られる。但し、何故、粘毛に捕まらないかは不明である。食性は基本的には草食性で、モチツツジを食草としているが、同時に昆虫も食うことが確認されている。上記のようにツツジの粘毛にはよく昆虫が捕まっているが、それらの昆虫に近づいて口吻を刺すことが観察されている。体長は四・五ミリメートルと非常に小さい)『という、ここに専門に居つく』『カメムシも知られて』いる。『花柄の粘りが鳥もちなどに似ているとして、名前の由来となっている。また、餅が由来として餅躑躅と書かれる場合もある』。『園芸用ツツジの交配親としても用いられ、園芸種にはハナグルマ(花車)などがある』。『そのほか、野外では花を折り取って、衣服や帽子にくっつける、という楽しみもある』とある。

「其の皮、極めて薄し。南番〔南蠻〕〔にては、これを〕以つて字を書く」羊皮紙のこと。「図書館情報学用語辞典」(日本図書館情報学会が編集した図書館情報学の専門用語を収録した用語辞典)によれば(ピリオド・コンマを句読点に代えた)。『子牛や羊、ときには山羊やその他の獣皮の毛や脂肪などを除去して作られた書写材あるいは製本材。パーチメント』Parchment『ともいう。子牛の皮で作ったものをベラム』vellum『として区別する場合もある。製法は、生皮を石灰水でよくさらし、毛や汚れを取るため』、『こすって薄くする。さらに表面にチョークを塗り、軽石でなめらかに仕上げる。前』二『世紀頃からパピルス』: papyrus『に代わる書写材として小アジアの古代都市ペルガモン(Pergamum)を中心に使用されるようになった。一説には、ペルガモンのエウメネス二世』(Eumenēs:在位:紀元前一九七年~紀元前一五九年)『とエジプトのプトレマイオス五世(Ptolemaios V』紀元前二一〇年~紀元前一八一年)『との間の図書収集をめぐる確執から、エジプトのパピルスが禁輸となった。この事件からペルガモンでは、以前から使用されていた動物の皮革の書写材に改良が加えられ、優れた書写材となった.パーチメントの語も Pergamum の形容詞形から転じたもの。羊皮紙やベラムは、パピルスに比べ』、『耐久性や柔軟性に富み扱いやすい。そのため』、四『世紀頃から、中近東やヨーロッパではパピルスに代わる書写材として』使われ、十五『世紀以降、活版印刷術の普及による刊本の時代を迎え』、『その地位を紙に譲るまで、主流となっていた』とある。

羊の外腎を羊石子(たけり)と曰ふ[やぶちゃん注:この言いから見て、「外腎」とはの外生殖器(或いは陰茎)のことのように思われる。]。

「腹、大〔となりて〕姙〔(はらみめ)〕のごとく〔なりて〕、徧身〔(へんしん)に〕、絲を生ず」前半は腹水と読めるが、とすれば、クモ毒ではない、人獣感染症の性質の悪い寄生虫の可能性が高いように思われる。後半はトンデモ症例でどのような症状を言っているのか、よく判らぬ。一種の黴のように見える皮膚疾患か?

「有房」「新勑」「程もなく隙〔(ひま)〕行く駒〔(こま)〕を見ても猶ほ哀〔(あは)れ〕羊のあゆみをぞ思ふ」「新勅撰和歌集」(鎌倉時代の勅撰和歌集。全二十巻。貞永元(一二三二)年、後堀河天皇の勅により、藤原定家が撰し、文暦二(一二三五)年成立。定家の「仮名序」があり、歌数約千三百七十首。代表歌人は藤原家隆・藤原良経・藤原俊成・慈円など)の「巻十八 雑三」にある。「日文研」の「和歌データベース」で校合した。

「介伊辞(ケイジ)」オランダ語かとも思ったが、ピンとくる一致語が見当たらなかった。識者の御教授を乞う。

「陸佃が云はく」北宋の陸佃(りくでん 一〇四二年~一一〇二年:字は農師、越州山陰(現在の浙江省紹興市)出身で、王安石の門人であったが、王安石の改革には必ずしも賛成でなかったが、改革が失敗に終わった後も忠誠を尽くした。神宗・哲宗・徽宗に仕え、官は尚書左丞にのぼった。なお、南宋の政治家で著名な詩人陸游は陸佃の孫)によって編集された辞典「埤雅(ひが)」。全二十巻。主に動植物について説明した本草書。

『羊は善く群行す。故に「羣」の字、「羊」に从〔(したが)〕ふ』正しい解字である。

『羊は、瘦るを以つて病いと爲る。故に「羸」の字、「羊」に从ふ』嘘。カタツムリが伸び縮みするさまが原義。

『羊は大〔なるを〕貴ぶ。故、「羊」に「大」〔にて〕「美(うつく)し」と爲す』正しい解字。

「羊、角、有りて、用ひず。〔これ、〕「仁」に類す。……」以下、典型的な載道派の何だかなの牽強付会説である。

「大尾羊」堀内勝氏のブログ「夜の旅人 研究ブログ」の素晴しい羊の脂尾に載るのがその品種であろう。巨大な脂尾を持つ羊の画像やスケッチ、及び『動きやすく車を後ろに付け、巨大な脂尾を乗せる』図等、ここで言っている不審顚が一気に解決する。必見!

「唐書」唐一代の歴史を記したもので「旧唐書(くとうじょ」と「新唐書」の二種があるが、孰れか不詳。

「每〔(まいとし)〕春月、脂を割り取り、再び之を縫〔ひ〕合〔はす〕。〔脂を〕取らざれば、卽ち脹〔(は)れて〕死す」これが事実かどうか、確認は出来なかった。

「地生羊〔(ぢせいよう)〕」キタ!!! って感じ! 植物と羊のハイブリッド奇怪生物「スキタイの羊」じゃん! ウィキの「バロメッツを引く。『バロメッツ(Barometz)は、黒海沿岸、中国、モンゴル、ヨーロッパ各地の荒野に分布するといわれた伝説の植物である。この木には、羊の入った実がなると考えられていた』。『スキタイの羊』(Scythian Lamb)『ダッタン人の羊』(Agnus Tartaricus)『リコポデウム』(Lycopodium)『とも呼ばれるこの木は、本当の名を「プランタ・タルタリカ・バロメッツ」』(Planta Tartarica Barometz)『といい、ヒョウタンに似ているものの、引っ張っても曲がるだけで折れない、柔軟な茎をもっているとされた』。『時期が来ると実をつけ、採取して割れば』、『中から肉と血と骨をつ子羊が収穫できるが、この羊は生きていない。実が熟して割れるまで放置しておくと』「ゥメー」と』『鳴く生きた羊が顔を出し、茎と繋がったまま、木の周りの草を食べて生き、近くに畑があれば食い散らかしてしまう。周囲の草がなくなると、やがて飢えて、羊は木とともに死ぬ。ある時期のバロメッツの周りには、この死んだ羊が集中して山積みになるので、それを求めて狼や人があつまって来るのだと言う。この羊は蹄まで羊毛なので無駄な所がほとんど無く、その金色の羊毛は重宝された。肉はカニの味がするとされた』。『この伝説は、ヨーロッパ人の誤解から生まれた物だと考えられている。バロメッツから採れる羊毛とされた繊維は木綿の事で、木綿を知らなかった当時のヨーロッパ人は「綿の採れる木」を「ウールを産む木」だと解釈して、この植物の伝説が産まれたとされる』とある。なお、一名の「リコポデウム」は現在のヒカゲノカズラ植物門ヒカゲノカズラ綱ヒカゲノカズラ目ヒカゲノカズラ科ヒカゲノカズラ属 Lycopodium の属名となっている。同種は広義のシダ植物に属するが、その姿は、寧ろ、巨大な苔(こけ)を思わせるものである。

羊〔(ふんよう)〕 土〔(つち)〕の精なり。其の肝は土なり。雌雄、有り。食はず。季桓子〔(きかんし)〕といふもの、曾つて土を掘りて、之れを得〔と〕」これは「捜神記」の第十二巻の以下に出るこれ。但し、そこでは「羊」はなく、「賁羊」である。訓読は自然流。

   *

季桓子穿井、獲如土缶、其中有羊焉、使問之仲尼、曰、「吾穿井其獲狗、何耶。」。仲尼曰、「以丘所聞、羊也。丘聞之、木石之怪、夔、『魍魎』。水中之怪、龍、『罔象』。土中之怪曰『賁羊』。」。夏鼎志曰、「『罔象』如三兒、赤目、黑色、大耳、長臂、赤爪。索縛、則可得食。」王子曰、「木精爲『遊光』、金精爲『淸明』也。」。

(季桓子[やぶちゃん注:春秋時代の魯(紀元前一〇五五年~紀元前二四九年)の大夫。]井を穿ち、土の缶(かめ)のごときを獲(え)、其の中に、羊、有り。使問之れを仲尼[やぶちゃん注:孔子の字(あざな)。]をして問はしむ。曰はく、「吾、井を穿つに、其れ、狗を獲る。何んぞや。」と。仲尼曰はく、「丘の聞く所を以つてせば、羊なり。丘、之れを聞くに、木石の怪、夔(き)[やぶちゃん注:古い伝承によれば一本足で、音楽と関わる神獣とするが、後に零落して概ね妖怪となった。]にして、『魍魎』といふ。水中の怪、龍にして、『罔象(まうしやう)』といふ。土中の怪、曰はく、『賁羊』と。」と。「夏鼎志(かていし)」[やぶちゃん注:不詳の書。]に曰はく、「『罔象』は三兒のごとく、赤き目、黑き色、大いなる耳、長き臂(ひ)、赤き爪たり。索縛せば、則ち、食ふを得べし。」と。「王子」[やぶちゃん注:不詳の書。]に曰はく、「木の精は『遊光』と爲し、金の精は『淸明』と爲すなり。」と。)

   *

「青羊」中文辞書では「黒い羊」とか、木の精霊とが、伝説上の凶神とある。]

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