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2019/02/26

柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「河童駒引」(25) 「川牛」(5)

 

《原文》

 【池ノヌシ】池沼ノ主トシテハ、釜鏡鐘又ハ馬ノ鞍ノ如キ眼鼻モ無キ物マデガ往々ニシテ其威力ヲ逞シクセリ。況ヤ始メヨリ生アル物ノ中ニテハ、龜ヤ鯉ノ如キ靈物ハ勿論、鯰鰻モシクハ白田螺ノ類ニ至ルマデ、所謂劫ヲ經タルモノハ皆化ケ且ツ人ヲ捕ルナリ。其例ヲ列擧スルハアマリナル枝葉ナレバ略ス。要スルニ學者ノ分類記述ヨリ超シテ、今尚色々ノ動物ノ存在スルハ事實ナルガ如シ。【犬神】【オサキ狐】【クダ狐】例ヘバ犬神及ビ之ニ類似スル「ヲサキ」狐・「クダ」狐又ハ人狐ノ如キ、或ハ「トンボ」又ハ「トウビヤウ」ト云フ蛇ノ如キハ、恰モ是レ顯微鏡發見前ノ「バクテリヤ」ナリ。「クダ」ハ體細クシテ管ノ中ニ入ルべク、犬神ハ鼠ニ似テ群ヲ爲シテ人家ニ住ミ、總テ皆身ヲ隱スコト自在ナリ。【土瓶神】「トウビヤウ」ハ酒瓶ノ中ニ住ミテ時ニ出デテ人ニ憑キ、身ニハ蚯蚓ニ似タル頸輪アリ。一定ノ家筋ニ屬シテ能ク人ノ爲ニ恨ヲ報ズルノ力アリ。之ヲ見タル人多クシテシカモ動物學ノ書ニ見エズ。地上ニスラ既ニ此ノ如シ。況ヤ碧潭ノ底深ク牛ノ住ムナドハ決シテ驚クニ足ラズトス。【ヤナ】武藏川越城ノ三芳野天神ノ下ナル外濠ハ伊佐沼ノ水ト下ニ通ズ。コノ泥深キ堀ノ主ハ何カハ知ラズ「ヤナ」ト名ヅクル怪物ナリ。當城危急ノ際ニ於テ敵兵搦手(カラメテ)ノ堀端マデ迫リ來ル時ニハ、忽チ霧ヲ吐キ雲ヲ起シ魔風ヲ吹カセテ四方ヲ暗夜ト爲シ、且ツ洪水ヲ汎濫セシメテ寄手ニ方角ヲ失ハシムべシト云フ話ナリ〔十方菴遊歷雜記第三編下〕。實驗モセズシテ此作用ヲ承知シ、之ヲ防衞ニ利用シタルハ、智慧伊豆守ニ非ズンバ則チ太田道灌ナルべシ。【川熊】又川熊ト名ヅクル水中ノ獸アリ。其話ヲ聞クニ陸地ノ熊ト似タル所甚ダ少ナシ。少年ノ頃姫路ノ城ノ堀ニハ藪熊ト云フ怪物住ミテ人ヲ騙カスト聞キシガ、此モ熊トハ思ハレヌ生活狀態ナリキ。文政十年七月、名古屋大須(オホス)ノ門外ニ於テ、勝川ニテ生捕リタル猪熊ト名ヅケテ見セ物ニシタル獸ハ、實ハ木曾街道ノ中津川ニテ取リタル川熊ト云フ物ナリシヲ、川ハ水ニ緣アレバ雨ガ降リテハ惡シト、忌ミテ之ヲ「ヰノクマ」ト呼ビシナリ。毛ハ鼠色ニシテ澤(ツヤ)アリト云ヘリ〔見世物雜誌二〕。羽後ノ雄物川ニモ川熊ノ住ミシ證據アリ。秋田侯ノ先代ニ諡ヲ天英院ト謂ヒシ人、船ニテ此川ニ獵ヲセシ時、水底ヨリ黑キ毛ノ手ヲ出シテ、殿ノ鐵砲ヲ奪ヒシ怪物アリ。其後水練ノ達者ナル人アリテ、此川隨一ノ魔所タル洪福寺淵ノ底ニ入リ一挺ノ鐵砲ヲ拾ヒ上ゲタリ。佐竹家ノ什寶ニ川熊ノ御筒ト稱セシハ卽チ是ニシテ、以前藩主ガ水中ノ獸ニ奪ハレタリシモノ、現ニ川熊ノ摑ミシ痕存スト云フ〔月乃出羽路五〕。【怪物ノ手】此下流ノ河邊郡川添村大字椿川ニハ又川熊ノ手ト名ヅクル物ヲ傳フ。曾テ椿川ノ舟子、雄物川ノ岸ニ船繫リシテアリシニ、深夜ニガバト浪ノ音シテ舷ニ雙手ヲ掛クル物アリ。驚キテ鉈ヲ揮ヒテ之ヲ斬リ、朝ニナリテ見レバ此手舟ノ中ニ落チタリ。一見猫ノ手ノ如キ物ナリキト云フ〔同上〕。河童ナラバ卽刻ニ返付ヲ哀訴スべカリシ品物ナリ。

 

《訓読》

 【池のぬし】池沼の主としては、釜・鏡・鐘、又は、馬の鞍のごとき、眼鼻も無き物までが、往々にして、其の威力を逞しくせり。況や、始めより生ある物の中にては、龜や鯉のごとき靈物は勿論、鯰(なまづ)・鰻、もしくは、白田螺(しろたにし)の類ひに至るまで、所謂、劫(こう)を經たるものは、皆、化け、且つ、人を捕るなり。其の例を列擧するは、あまりなる枝葉なれば、略す。要するに、學者の分類記述より超して、今、尚ほ、色々の動物の存在するは事實なるがごとし。【犬神】【オサキ狐】【クダ狐】例へば、「犬神」、及び、之れに類似する「ヲサキ」狐・「クダ」狐、又は、人狐のごとき、或いは「トンボ」又は「トウビヤウ」と云ふ蛇のごときは、恰も是れ、顯微鏡發見前の「バクテリヤ」なり。「クダ」は、體、細くして、管の中に入るべく、「犬神」は鼠に似て、群を爲して人家ニ住み、總て皆、身を隱すこと、自在なり。【土瓶神(どびんがみ)】「トウビヤウ」は酒瓶(さかびん)の中に住みて、時に出でて、人に憑き、身には蚯蚓(みみず)に似たる頸輪(くびわ)あり。一定の家筋に屬して、能く、人の爲に、恨(うら)みを報ずるの力あり。之れを見たる人、多くして、しかも動物學の書に見えず。地上にすら既に此(かく)のごとし。況や碧潭の底深く牛の住むなどは、決して驚くに足らずとす。【ヤナ】武藏川越城の三芳野天神の下なる外濠は伊佐沼の水と下に通ず。この泥深き堀の主は、何かは知らず、「ヤナ」と名づくる怪物なり。當城危急の際に於いて、敵兵、搦手(からめて)の堀端まで迫り來る時には、忽ち、霧を吐き、雲を起し、魔風を吹かせて、四方を暗夜と爲し、且つ、洪水を汎濫せしめて、寄手に方角を失はしむべしと云ふ話なり〔「十方菴遊歷雜記第三編」下〕。實驗もせずして、此の作用を承知し、之れを防衞に利用したるは、智慧伊豆守に非ずんば、則ち、太田道灌なるべし。【川熊】又、「川熊(かはぐま)」と名づくる水中の獸あり。其の話を聞くに、陸地の熊と似たる所、甚だ少なし。少年の頃、姫路の城の堀には「藪熊」と云ふ怪物住みて、人を騙(たぶら)かすと聞きしが、此れも、熊とは思はれぬ生活狀態なりき。文政十年七月、名古屋大須(おほす)の門外に於いて、勝川にて生け捕りたる「猪熊」と名づけて見せ物にしたる獸は、實は木曾街道の中津川にて取りたる「川熊」と云ふ物なりしを、川は水に緣あれば雨が降りては惡しと、忌みて之れを「ヰノクマ」と呼びしなり。毛は鼠色にして澤(つや)ありと云へり〔『見世物雜誌』二〕。羽後の雄物川にも「川熊」の住みし證據あり。秋田侯の先代に諡(おくりな)を天英院と謂ひし人、船にて此の川に獵をせし時、水底より、黑き毛の手を出だして、殿の鐵砲を奪ひし怪物あり。其の後、水練の達者なる人ありて、此の川隨一の魔所たる洪福寺淵の底に入り、一挺の鐵砲を拾ひ上げたり。佐竹家の什寶に「川熊の御筒」と稱せしは、卽ち、是れにして、以前、藩主が水中の獸に奪はれたりしもの、現に「川熊」の摑みし痕、存す、と云ふ〔「月乃出羽路」五〕。【怪物の手】此の下流の河邊郡川添村大字椿川には、又、「川熊の手」と名づくる物を傳ふ。曾て、椿川の舟子、雄物川の岸に船繫(ふながか)りしてありしに、深夜に「がば」と浪の音して、舷(ふなばた)に雙手(もろて)を掛くる物、あり。驚きて、鉈を揮ひて、之れを斬り、朝になりて見れば、此の手、舟の中に落ちたり。一見、猫の手のごとき物なりき、と云ふ〔同上〕。河童ならば、卽刻に返付(へんぷ)を哀訴すべかりし品物なり。

[やぶちゃん注:「犬神」私の「古今百物語評判卷之一 第七 大神、四國にある事」の私の注を参照されたい。

「オサキ狐」私の「反古のうらがき 卷之一 尾崎狐 第一」の本文及び注を参照されたい。

「クダ狐」私の「御伽百物語卷之二 龜嶋七郞が奇病」の本文及び注を参照されたい。

『「トンボ」又は「トウビヤウ」と云ふ蛇のごとき』ウィキの「トウビョウ」を引く。『中国・四国地方に伝わる憑きもの』。『香川県ではトンボカミともいう』。『トウビョウはヘビの憑きものといわれ、その姿は』十~二十『センチメートルほどの長さのヘビで、体色は全体的に淡い黒だが、首の部分に金色の輪があるという』。『また、沖田神社の末社道通宮など、岡山県の幾つかの神社では、白蛇と伝承されている』。『鳥取県ではトウビョウギツネといって小さなキツネだともいう』。七十五『匹の群れをなしており、姿を消すこともできる』。『トウビョウの憑いている家はトウビョウ持ちといわれ、屋敷の中にトウビョウを放している家もあるが、四国では人目につかないように土製の瓶にトウビョウを入れて、台所の床上や床下に置いておき、ときどき』、『人間同様の食事や酒を与えるという』。『こうしたトウビョウ持ちの家は、金が入って裕福になるといわれる。また飼い主の意思に従ってトウビョウが人に災いをもたらしたり、怨みを抱いた相手に憑いて体の節々に激しい痛みをもたらすという』。『但し』、『飼い主がトウビョウを粗末に扱えば、逆に飼い主に襲いかかるという』。『岡山県ではトウビョウの祟りを鎮めるために道通様(どうつうさま)の名で祀られている。笠岡市の道通神社はこの道通様の神社としての側面があり』、『信者から奉納された道通様の小さな家があり、ヘビの好物として卵などが供えられている。なお、それらの家の中に祀られた蛇の置物は擬宝珠に巻き付いてそれぞれ阿吽の口の形をした二匹の白蛇の姿をしている』。『沖田神社の末社道通宮の社史でも、道通様は白蛇と言い伝えられている』。『谷川健一はトウビョウを「藤憑」』、『即ち』、『蔓植物のように巻き付く蛇で、縄文時代から続く蛇信仰の名残ではないかという説をとる』(最後の説は私にはなかなか興味深い)。

「ヤナ」『「十方菴遊歷雜記第三編」下』の「拾九」「川越城内みよしのゝ天神」のここ(国立国会図書館デジタルコレクションの画像。標題は前頁)に出る。左頁(二九七頁の三行目以降)に出るが、想像した通り、水怪「ヤナ」は「梁」(=簗:川漁の簀を用いた装置)の漢字が当てられている。「ヤナ」の持つ性能は明らかな龍のそのまんまであり(但し、十方庵の後の記載には攻め手への現実の水攻めによる守備装置が記されてあって、非常に興味深い。或いは、この場外を水浸しにするプラグマティクな装置こそが「梁(やな)」であり、それを警告伝承として誇大化したものこそが「ヤナ」だったのだとも読める)、この城の堀及び伊佐沼にのみ特化している妖異で、私の調べた限りでは、他の地方にこの名の水怪を見出せない。現行の諸記載は、専ら、この「十方庵遊歴雑記」とそれお引っ張ったに過ぎない柳田のこの部分に拠ったものが殆んどであるが、眼を引いたのは、べとべとさんのブログ「べとべとさんの軍団生活」の「川越城のヤナと霧吹き井戸にある、「ヤナ」の伝承ルーツの可能性の一つの話であった(一部の改行を繋げて引用させて戴いた)。

   《引用開始》

この川越城には「ヤナ」という妖怪の話しが残されている。川越城が敵に襲われると、「ヤナ」は霧を立ち込めさせ、黒い雲と風で辺りを真っ暗にして、城全体を隠し、しまいには洪水を起こしたという。「ヤナ」はもともと川越の水辺に棲んでいて、川越城を建てた太田道灌は、「ヤナ」を守り神にして城を築いた、といわれている。資料が少ないため、「ヤナ」の姿や細かいことはわかっていない。

ただ、気になることがひとつ、ある。

川越城には「川越城七不思議」という話が残されていて、そのうちのひとつ、「霧吹き井戸」が「ヤナ」の話と酷似している。

川越城の敷地内に不思議な井戸があって、敵が攻めてきたときに井戸の蓋を開けると、霧が噴きでて城を覆いかくしたという。そのことから、川越城は別名「霧隠れ城」と呼ばれた。

この「霧吹き井戸」は、今では川越市立博物館の前に移築され、いつでも見ることができる。この「霧吹き井戸」の話がもとになって「ヤナ」が誕生したという説と、「霧吹き井戸」に「ヤナ」が棲んでいた、という説があるようだが、詳しいことはわかっていない。

では、「ヤナ」という名前はどこからついたものなのか。

前述した「川越七不思議」のひとつに「人身御供」という話がある。

太田道真[やぶちゃん注:どうしん。道灌同様、法名。]・道灌父子が川越城の築城を行っていたとき、水田の泥があまりにも深く、七ツ釜と呼ばれる底無しの場所があったり、築城に苦戦した。

ある夜、龍神が道真の夢枕に立って、「この地に城を築きたいのなら、明朝一番早く現れた者を、人身御供として差し出せ」と言った。

そして、次の朝一番に現れたのが、道真の愛娘・世禰姫(よねひめ)だった。

訳をきいた世禰姫は自ら七ツ釜のほとりの淵に飛び込み命をたった。まもなくして、川越城は完成したという。

この世禰姫が「ヤナ」の元になったのでは、と考えられている。

   《引用終了》

実は「ヤナ」は「簗」ではなく、「よね」の転訛で、太田道灌の妹(推定)の「世禰姫(よねひめ)」の、治水・城築にしばしば認められる人身御供説に基づくというのである。これは興味深い!

「武藏川越城の三芳野天神」現在の埼玉県川越市郭町にある三芳野神社。ここ(グーグル・マップ・データ)。川越城址直近(旧城内。前注の「十方庵遊歴雑記第三編」の記述によれば、三重の櫓の下とある)で、川越城築城以前から当地にあったが、太田道真・太田道灌父子による川越城築城(別名で「霧隠城」。古河公方の勢力に対抗するための上杉氏の本拠地として、長禄元(一四五七)年に扇谷上杉氏当主で相模国守護の上杉持朝が築城を命じた)により、城内の天神曲輪に位置することになった。因みに、江戸時代には歌詞が成立していたとされるわらべ歌「通りゃんせ」の舞台はこことされる。

「伊佐沼」埼玉県川越市の東部に位置し、南北約千三百メートル、東西約三百メートルほどの沼。三芳野神社からは真東へ二キロメートルである。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「智慧伊豆守」江戸前期の大名(武蔵国忍藩主・同川越藩藩主)で老中となった松平伊豆守信綱(慶長元(一五九六)年~寛文二(一六六二)年)。「島原の乱」や「慶安事件」(由井正雪の乱)等の重大事件の処理・「武家諸法度」改訂・「参勤交代」の制度化・鎖国整備などに参画、第三代将軍徳川家光から次代家綱に至る創業期幕藩体制の基礎確立に寄与し、その才気煥発からかく呼称された。

「川熊」ウィキの「川熊より引く(読みの「かはぐま」の濁音はこれに従った。以下はそれぞれ引用元が記されてあるものの、最後のものを除き、その大もとは柳田國男の本記載の可能性が濃厚である)。『川熊(かわぐま)は秋田県雄物川流域に現れたとされる妖怪』で、『菅江真澄による江戸時代の書物『月乃出羽路』に記述がある』。『猟師が雄物川で猟』(諸記載では鷹狩りとする)『をしていた最中に、川の中から真っ黒な毛だらけの手が現れ、殿様の鉄砲を奪った。悪戦苦闘の末に家来が、雄物川でも最大の真所といわれる洪福寺淵という場所に潜り、川熊から鉄砲を取り返し、その鉄砲はのちに「川熊の鉄砲」「川熊の御筒」と呼ばれるようになったという』。『また別の話では、ある船頭が雄物川の岸に船をつけたところ、水音と共に何者かが船の淵に手を掛けたので、驚いてナタで斬り落としたところ、それは猫の前足のようなものであり、雄物川下流の河辺郡川添村椿川(現・秋田市雄和)で川熊の手として残されたという』。文政一〇(一八二七)年には、『中津川で鼠色で光沢のある川熊が捕獲され、名古屋で見世物にされたが、その際に「川は水に縁があるので、雨にならないように」との理由で「猪熊(いのくま)」と名づけられたという』。『信濃川では、これと同発音の河熊なる妖怪が堤を切って大水をもたらすといい、「あの土手が潰れたのは河熊の仕業だ」などと言うそうである。この信濃川の河熊がどのようなものかは、伝承に残っていない』。

「藪熊」不詳。柳田國男自身の少年時の聞書採取のくせに、記載が頗る杜撰。「人を騙(たぶら)かす」「此れも、熊とは思はれぬ生活狀態なりき」と言っている以上、相当なデータが柳田自身の中に記憶されていたことが判るのに、非常に惜しいことをした。こうして伝承は消滅してゆくことは柳田自身が危惧していたことなのに、それを自らやってしまったのである。なお、「ちくま文庫」版全集では『ヤブクマ』のルビを振る。

「名古屋大須(おほす)」愛知県名古屋市中区大須(グーグル・マップ・データ)。大須観音(真言宗北野山真福寺宝生院。本尊聖観音)で知られる。

「勝川」大須で見世物にしたというのであれば、恐らくは、現在の愛知県春日井市勝川町ちょう)である(グーグル・マップ・データ)。

「羽後の雄物川」秋田県中部を流れる全長百三十三キロメートルの一級河川。秋田県の南半分を流域とし、古くは「御物川」とも書いた。宮城県境の虎毛山と神室山北斜面付近に発し、高松川・皆瀬川を合わせて横手盆地西端を北流、大仙市神宮寺付近で、最大の支流玉川と合流する。その後、秋田平野に出て、土崎付近で日本海に注ぐ。流水量は融雪時が最大で、河口付近では降雨時にしばしば逆流・停滞し、浸水を起こした。(グーグル・マップ・データ)。

「秋田侯の先代に諡(おくりな)を天英院と謂ひし人」戦国から江戸前期の大名で佐竹氏第十九代当主にして出羽久保田藩(秋田藩)初代藩主佐竹義宣(元亀元(一五七〇)年~寛永一〇(一六三三)年:佐竹義重の長男で、母は伊達晴宗の娘。伊達政宗は母方の従兄にあたる)。戒名を「浄光院殿傑堂天英大居士」とする。

「洪福寺淵」秋田の昔話・伝説・世間話 口承文芸検索システムに、『南外村南楢岡の木直に宝性坊滝といわれる滝があり、その名は昔北楢岡の宝性坊という山伏が滝にうたれて苦行したことに由来する。(南外村南楢岡)また、昔神宮寺の地』『に洪福寺という大寺があったが、大地震にあって鐘とともに雄物川の淵に沈んだため』、『洪福寺淵という。この淵を鐘を積んだ舟が行くと底にひきこまれるといわれ、鐘を運ぶ時は、岡をはこんで歩くという。(神岡町神宮寺)』とある。現在の秋田県大仙市神宮寺附近(グーグル・マップ・データ)。

「川熊の御筒」前の「川熊」の引用を参照。

「河邊郡川添村大字椿川」現在の秋田市南部、雄和地区北部の雄物川両岸、秋田空港の西側の雄和椿川(ゆうわ)(グーグル・マップ・データ)。

「川熊の手」残念ながら、現存しない模様。ただ、T UブログTiger Uppercut!~ある秋田人の咆哮の「川熊の正体では(何と、この鉈で川熊の手を切り落とした一件のロケーションの対岸がブログ主の家だとある)、この伝承は聴いたことがないとされつつも、この辺りの雄物川は水深が有意に浅いとされ、『おそらく川熊というのは』、『狸が魚などを獲るために川に入って、たまたま浮かんでいる船に手をかけたというのが真相のような気がする。ずぶ濡れの狸がいるはずもない水中からでてくれば妖怪だと思うに違いない』と、「川熊」の正体は狸(タヌキ)ではないかされておられ、非常に興味深い。]

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