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2019/02/26

和漢三才圖會卷第三十七 畜類 駱駝(らくだのむま) (ラクダ)

 

Rakudanomuma

 

らくたのむま

       槖駝

駱駝

[やぶちゃん注:「槖駝」の「槖」の字は原典は字が潰れていて、上部が「士」ではなく「竹」のようにも見えるが、「本草綱目」の記載に従った。]

 

本綱駱駝西北番界有之有野駝家馳【人家畜養者名家駝】其頭似

[やぶちゃん注:「馳」はママ。明らかに「駝」の誤りである(「本草綱目」は『家駝』である)から、訓読では「駝」とした。]

羊長項埀耳脚有三節背有兩肉峯如鞍形有蒼褐黃紫

數色其聲曰𡇼其食亦齝其性耐寒惡熱故夏至退毛至

盡毛可爲其糞烟直上如狼烟其力能負重可至千斤

日行二三百里又能知泉源水脉風候凡伏流人所不知

駝知其泉脉以足跑地掘之必有水

流沙夏多熱風行旅遇之卽死風將至駝必聚鳴埋口鼻

於沙中人以爲驗也其臥而腹不著地屈足露明者名明

駝最能行遠【流沙者天竺地】

大月氏國有一封駝脊上有一峯隆起若封土【又有封牛𤛑牛物牛

牛數名】于闐國有風脚駝其疾如風日行千里

 

 

らくだのむま

       槖駝〔(たくだ)〕

駱駝

 

「本綱」、駱駝は西北番[やぶちゃん注:「番」は「蕃」で、中国の西北方面の「蛮」地という蔑称である。]の界〔(さかひ)〕に、之れ、有り。「野駝」〔と〕「家駝」【人家に畜養せる者を「家駝」と名づく。】有り。其の頭〔(かしら)〕、羊に似て、長き項〔(うなじ)〕、埀れたる耳、脚に〔は〕三つの節〔(ふし)〕有り。背(〔せな〕か)に、兩〔(ふた)つの〕肉〔の〕峯、有りて、鞍の形ごとく、蒼・褐・黃・紫〔など〕數色有り。其の聲、「𡇼〔(あつ/えち)〕」と曰ふ。其の食(ものくら)ふこと、亦、齝(にれか)む[やぶちゃん注:「牛」で出た「反芻する」の意。]。其の性、寒に耐へ、熱を惡〔(にく)〕む。故に、夏至に、毛、退〔(の)〕く[やぶちゃん注:抜けてしまう。]。盡くるに至つて、〔その〕毛〔を以つて〕〔(けおりもの)〕と爲すべし。其の糞〔を燃せば、〕烟、直〔(すぐ)〕に上りて、狼烟(のろし)のごとし。其の力、能く重きを負ひて、千斤[やぶちゃん注:明代の一斤は五百九十六・八二グラムであるから、ざっと六百キログラムになる。重過ぎ! ラクダさん、死んでしもうがね!]に至るべし。日に行くこと、二、三百里[やぶちゃん注:明代の一里は五百五十九・八メートルであるから、百十二~百六十八キロメートルほどになる。これも中国得意の誇張物。]。又、能く泉源・水脉・風候[やぶちゃん注:風向きの変化。]を知る。凡そ、伏流して人〔の〕知らざる所を、駝、其の泉脉を知りて、足を以つて、地を跑(あしか)きす。之れを掘れば、必ず、水、有り。

流沙(りうさ)には、夏、熱風、多くして、行-旅(たびびと)、之れに遇へば、卽ち、死す。風、將に至らんとす〔れば〕、駝、必ず、聚〔(あつま)〕り、鳴き、口・鼻を沙〔の〕中に埋づむ。人、〔之れを〕以つて驗〔(しるし)〕と爲すなり。其の臥す〔るに〕腹を地に著〔(つ)〕けず、足を屈(かゞ)む〔は〕露明の者〔にして〕、「明駝」と名づく。最も能く遠くに行く〔者なり〕【「流沙」とは「天竺」の地〔なり〕。】。

大月氏國〔(だいげつしこく)〕に「一封駝〔(いつぷうだ〕」有り。脊の上に一峯〔のみ〕有り。隆く起きて、封土[やぶちゃん注:墳墓。]のごとし【又、封牛・𤛑牛〔(とうぎう)〕・物牛・牛〔(はくぎう)など〕、數名〔(すめい)〕、有り。】于闐國〔(うてんこく)〕に「風脚駝」有り。其の疾〔(はや)き〕こと、風のごとく、日に行〔くこと、〕千里〔と〕。

[やぶちゃん注:本項が「巻第三十七 畜類」の最終項である。西アジア原産で背中に一つの瘤(こぶ)を持つ、

ローラシア獣上目鯨偶蹄目ウシ亜目ラクダ科ラクダ属ヒトコブラクダ Camelus dromedaries

と(本文の「一封駝」)、中央アジア原産で二つの瘤を持つ、

フタコブラクダ Camelus ferus

(本文の主文部のそれ)の二種のみが現生種ウィキの「ラクダ」を引く。『砂漠などの乾燥地帯にもっとも適応した家畜であり、古くから乾燥地帯への人類の拡大に大きな役割を果たしている』。『背中のこぶの中には脂肪が入っており、エネルギーを蓄えるだけでなく、断熱材として働き、汗をほとんどかかないラクダの体温が日射によって上昇しすぎるのを防ぐ役割もある。いわば、皮下脂肪がほとんど背中に集中したような構造であり、日射による背中からの熱の流入を妨げつつ、背中以外の体表からの放熱を促す。こぶの中に水が入っているというのは、長期間乾燥に耐えることから誤って伝えられた迷信に過ぎない。ただし、水を一度に』八十『リットル程度摂取することが可能である。出生時にこぶは無く、背中の』、『将来』、『こぶになる部分は皮膚がたるんでいる。つまり脂肪を蓄える袋だけがある状態で生まれてくる』。『ラクダは砂漠のような乾燥した環境に適応しており、水を飲まずに数日間は耐えることができる。砂塵を避けるため、鼻の穴を閉じることができ、目は長い睫毛(まつげ)で保護されている。哺乳類には珍しく瞬膜を完全な形で備えている。また、塩性化の進行した地域における河川の水など塩分濃度の非常に高い水でも飲むことができる。さらに胼胝』(べんち/たこ)『と呼ばれる皮膚が分厚く角質化した箇所が左右の前脚の付け根、後脚の膝、胸の』五『か所にある。胼胝は断熱性に優れ、ここを接地して座れば』、『高温に熱された地面の影響を受けることなく』、『休むことが出来る』。『他の偶蹄目の動物と同様、ラクダは側対歩(交互に同じ側面の前後肢を出して歩く)をする。しかし、偶蹄目の特徴が必ずしもすべて当てはまるわけではなく、偶蹄目の他の動物などのように、胴と大腿部の間に皮が張られてはいない。また、同様に反芻を行うウシ亜目』(反芻亜目 Ruminantia)は四『室の胃をもつが、ラクダには第』三『の胃と第』四『の胃の区別がほとんどない。従来』、『ラクダ科』Camelidae『を含むラクダ亜目』Tylopoda『は反芻をしないイノシシ亜目』『と反芻するウシ亜目の中間に置かれていた。しかし遺伝子解析による分析では、ラクダ亜目は偶蹄目の中でもかなり早い時期にイノシシ亜目』Suina『とウシ亜目の共通祖先と分岐しており、同じように反芻をするウシやヒツジ、ヤギなどは、ラクダ科よりもむしろイノシシ科』Suidae『やカバ科』Hippopotamidae、或いは『クジラ目』Cetacea『の方に近縁であることが明らかになっている』。『ラクダの蹄(ひづめ)は小さく、指は』二『本で』、五『本あったうちの』、『中指と薬指が残ったものである。退化した蹄に代わり、脚の裏は皮膚組織が膨らんでクッション状に発達している。これは歩行時に地面に対する圧力を分散させて、脚が砂にめり込まないようにするための構造で、雪上靴や』「かんじき」『と同じ役割を持つ。砂地においては、蹄よりもこちらの構造が適しているのである』。『ラクダの酷暑や乾燥に対する強い耐久力については様々に言われてきた。特に、長期間にわたって水を飲まずに行動できる点については昔から驚異の的であり、背中のこぶに水を蓄えているという話もそこから出たものである。体内に水を貯蔵する特別な袋があるとも、胃に蓄えているのだとも考えられたが、いずれも研究の結果』、『否定された』。『実際には、ラクダは血液中に水分を蓄えていることがわかっている。ラクダは一度に』八十『リットル、最高で』百三十六『リットルもの水を飲むが、その水は血液中に吸収され、大量の水分を含んだ血液が循環する。ラクダ以外の哺乳類では、血液中に水分が多すぎると』、『その水が赤血球中に浸透し、その圧力で赤血球が破裂してしまう(溶血)が、ラクダでは水分を吸収して』二『倍にも膨れ上がっても破裂しない。また、水の摂取しにくい環境では、通常は』摂氏三十四~三十八『度の体温を』四十『度くらいに上げて、極力水分の排泄を防ぐ。もちろん尿の量も最小限にするため、濃度がかなり高い。また、人間の場合は体重の』一『割程度の水が失われると生命に危険が及ぶが、ラクダは』四『割が失われても生命を維持できる。そのかわり、渇いた時には一気に大量の水を飲むので、ラクダの群れに水を与えるには非常に大量の水を必要とすることとなる』。『一方で、ラクダは湿潤環境には弱い。ラクダは湿潤環境に多く発生する疫病に対して抵抗力がない。また、足が湿地帯を移動するようにできておらず、足を傷めることが多い』。『アフリカにおいてはニジェール川がもっとも砂漠に近くなるニジェール川大湾曲部のトンブクトゥあたりが南限であり、これ以南では荷役動物がロバへと変わる』。『ラクダは乾燥地帯において主に飼育される家畜の一つである。もっとも、遊牧においてラクダのみを飼育することは非常に少なく、ヒツジやヤギ、ウシなどといった乾燥地域にやや適応した他の家畜と組み合わせて飼育されることが一般的である。これは、飢饉や疫病などによって所有する家畜が大打撃を受けた時のリスク軽減のためである。また、ラクダは繁殖が遅く増やすのが難しい。 オスは』六『歳にならないと交尾が可能とならず、発情期は年に』一『回しかない』。『メスも他の家畜と比較して成熟に多くの時間が必要であり、妊娠期間は』十二『ヶ月近くに及ぶ』。『反面、寿命は約』三十『年と長く、乾燥に強いため』、『旱魃の際にも他の家畜に比べて打撃を受けにくい。このため、ヒツジやヤギが可処分所得として短期取引用に使用されるのに対し、ラクダは備蓄として、長期の資産形成のため飼養される』。『一方、ラクダとヤギやウシを同じ群れとして放牧すると』、『食物を巡って争いを起こしやすいため、ラクダの群れはほかの動物と分けて放牧するのが通例である』。『ラクダ科の祖先は』、『もともと北アメリカ大陸で進化したものであり』、二百万年から三百万年前に『陸橋化していたベーリング海峡を通ってユーラシア大陸へと移動し、ここで現在のラクダへと進化した。北アメリカ大陸のラクダ科は絶滅したが、パナマ地峡を通って南アメリカ大陸へと移動したグループは生き残り、現在でもリャマ』(ラクダ科ラマ属リャマ Lama glama)・グアナコ(ラマ属グアナコ Lama guanicoe)・アルパカ(ラクダ科ビクーニャ属アルパカ Vicugna pacos)・ビクーニャ(ビクーニャ属ビクーニャ Vicugna vicugna)の近縁四『種が生き残っている』。『ヒトコブラクダとフタコブラクダの家畜化はおそらくそれぞれ独立に行われたと考えられている。ヒトコブラクダが家畜化された年代については』、紀元前二〇〇〇年以前・紀元前四〇〇〇年・紀元前一三〇〇~一四〇〇年などの『諸説があるが、おそらくはアラビアで行われ、そこから北アフリカ・東アフリカなどへと広がった。フタコブラクダはおそらく紀元前』二五〇〇『年頃、イラン北部からトルキスタン南西部にかけての地域で家畜化され、そこからイラク・インド・中国へと広がったものと推測されている』。以下、野生のヒトコブラクダについての記載。『ヒトコブラクダの個体群はほぼ完全に家畜個体群に飲み込まれたため、野生個体群は絶滅した。ただ、辛うじてオーストラリアで二次的に野生化した個体群から、野生のヒトコブラクダの生態のありさまを垣間見ることができる。また』、二〇〇一年には、中国の奥地にて一千頭もの『ヒトコブラクダ野生個体群が発見された。塩水とアルカリ土壌に棲息していること以外の詳細は不明で、遺伝子解析などは調査中である』が、『この個体群についても、二次的に野生化したものと推測されている。したがって、純粋な意味での野生のヒトコブラクダは絶滅した、という見解は崩されずにいる』。以下、野生のフタコブラクダの記載。『野生のフタコブラクダの個体数は、世界中で約』一千『頭しかいないとされている』。『このため、野生のフタコブラクダは』二〇〇二『年に、国際自然保護連合(IUCN)によって絶滅危惧種に指定され、レッドデータリストに掲載されている』。二〇一〇年現在で、全世界には千四百万頭のラクダが生息しているが、その九十%はヒトコブラクダである。『ヒトコブラクダとフタコブラクダの生息域は一部では重なり合うものの、基本的には違う地域に生息している。ヒトコブラクダは西アジア原産であり、現在でもインドやインダス川流域から西の中央アジア、イランなどの西アジア全域、アラビア半島、北アフリカ、東アフリカを中心に分布している。なかでも特にアフリカの角地域では現在でも遊牧生活においてラクダが重要な役割を果たしており、世界最大のラクダ飼育地域となっている』。『世界で最大のラクダ飼育頭数を誇るソマリア』『や、エチオピアにおいてラクダは現在でも乳、肉、移動手段を提供し続けている』。『フタコブラクダのほうは中央アジア原産であり、トルコ以東、イランやカスピ海沿岸、中央アジア、新疆ウイグル自治区やモンゴル高原付近にまで生息している。頭数は』百四十『万頭程度で、ラクダのうちの』十%『程度である』。『家畜として飼育する場合は』、『通常』、『どちらかの種しか飼育しないが、両種の雑種は大型となるため』、『荷役用として価値が高く、中央アジアでは両種をともに飼育して常に雑種を生み出し続けるようにしていた』。『また、ヒトコブラクダは砂漠の広がるオーストラリアに人為的に持ち込まれ、現在では野生化して繁殖している』。『この個体群は』十九『世紀から』二十『世紀にかけて』、『オーストラリアに持ち込まれたものが野生化したもので、オーストラリア中央部の砂漠地帯に約』七十『万頭が生息して』おり、しかも『この数字は年間』八%『ずつ増大している』。しかし、『この野生ラクダはオーストラリアで盛んなヒツジの牧畜用の資源を荒らすため、オーストラリア政府は』十『万頭以上を駆除している』。『ヒトコブラクダは歯を見ることで年齢を知ることが出来る。生まれた時は』二十二『本の乳歯があり、加齢と共に歯が生え変わり』、七『歳で』三十四『本の永久歯に生え変わる。このため、古くからラクダを取引するアラブ商人たちはラクダの歯の生え方で値段を決めていた。また、地方によっては歯の生え方で呼び方を変えることもあり』、『販売価格などと密接に関係している。 ラクダの平均寿命は』二十五『歳前後だが、アラブ社会では古くからラクダの寿命は』三十三年三ヶ月と三日と『言われてきた。ヒジュラ暦は』一年が十一日ほど短いため、三十三年三ヶ月と三日で『季節が』三十三回、『変わり、太陽暦の』三十三『年に相当する』のである。但し、現地では『ラクダの年齢は歯が一組変わるごとに』一『歳加齢される独特の年齢加算法を用いる場合があるので、実際の年齢とラクダ商人が数える年齢が一致しないことがある』。『アラブ社会では古くから、上顎両側に』六『本の奥歯があるラクダを』、『砂漠の横断が可能な大人のラクダとしていた』という。『歯の磨り減り方は生活環境によって異なるため、必ずしも実際の年齢とは一致しないが、アラブ社会では古くからラクダの年齢を知る方法として用いられてきた。歯が磨り減ってしまうと』、『通常の餌が食べられなくなるため、近代以前は寿命とされてきた』。以下、「雑種」の項。『ヒトコブラクダとフタコブラクダの間には雑種ができ、カザフスタンではブフト(bukht)と呼ばれる。雑種の瘤は一つで、どちらの種よりも体格で勝るため』、『役畜として重用される。雌のブフトはフタコブラクダと戻し交配することができ、ヒトコブラクダの血を』二十五%、『フタコブラクダの血を』七十五%『引く乗用のラクダがつくられる』。また、『ヒトコブラクダとリャマとの間に人工的に作られた種間雑種』に『キャマ』がいる。ラクダを最初に家畜化したのは古代のアラム人ではないかと考えられている。アラム人はヒトコブラクダを放牧する遊牧民、あるいはラクダを荷物運搬に使って隊商を組む通商民として歴史に登場した。砂漠を越えることはほかの使役動物ではほぼ不可能であるため、ラクダを使用することによってはじめて砂漠を横断する通商路が使用可能となった。やがて交易ルートは東へと延びていき、それに伴ってラクダも東方へと生息域をひろげていった』。『シルクロードの』三『つの道のうち、最も距離が短くよく利用されたオアシス・ルートは、ラクダの利用があって初めて開拓しえたルートである。シルクロードを越えるキャラバンは何十頭ものラクダによって構成され、大航海時代までの間は東西交易の主力となっていた。サハラ砂漠においては、それまでおもな使役動物であったウマに代わって』三『世紀ごろに東方からラクダがもたらされることで』、『はじめてサハラを縦断する交易ルートの開設が可能となり、サハラ交易がスタートした。また、ラクダは湿潤地帯で荷役を行わせることは困難であるため、砂漠とサヘル地帯の境界に近いニジェール川大湾曲部のトンブクトゥなどはラクダとニジェール川水運やロバとの荷の積み替え地点として栄えた』。『歴史学者のリチャード・ブリエットは別のストーリーとして、紀元前』三〇〇〇『年ごろ、アフリカから中央アジアにかけてラクダを捕食対象としていた狩猟採集民のうち、アラビア海南部沿岸(今日のソマリア周辺)地域のグループが最初にヒトコブラクダを馴化させたと主張している』。『最初の利用目的は乳の採取だったといい、牧草地を求めて遊牧を始めたことから駄獣としての利用に発展したという』。『ブリエットによれば、フタコブラクダの家畜化は紀元前』二五〇〇『年ごろ、イランとトルクメニスタンのあいだの高原地域で生活していた遊牧民によって行われ、その手法が中央アジアを経てメソポタミアに広がったという』。『アッシリア人の戦勝記念に描かれたレリーフに現れるラクダの多くは荷車を牽いている』。『ラクダと人類とのかかわりにおいて、最も重要なものは乗用利用である。ラクダは『砂漠の舟』とも呼ばれ、ほかの使役動物では越えることのできない乾燥地域を越える場合にはほぼ唯一の輸送手段となっていた。特に利用されていたのは砂漠の多いアラブ世界であり』、二十『世紀後半に自動車が普及するまで重要な移動手段であった。前述のように側対歩で歩行するラクダは歩行時に身体が大きく左右に揺れる。このため』、『慣れない者がラクダに乗る場合、船酔いならぬラクダ酔いを起こすことがある』。『初期のラクダの鞍はコブの後部に置かれたマットを前方に伸ばした帯でコブに固定したもので、主に荷役用として使われた。やがて騎乗を目的としたコブの前に乗せる馬蹄形の鞍が現れたが、初期の騎乗用の鞍はぐらつきが大きく戦闘には向かなかった』。『アラビアでは紀元前』五〇〇年頃『以降に、コブではなく』、『肋骨に負荷をかける設計の鞍が現れたことによって騎乗戦闘が可能となり、紀元前』二『世紀ごろには遊牧民と商業国家のパワーバランスを変えるなど、社会に変革をもたらすほどの影響を与えるようになった』。『現代においてはほとんどが自動車にとってかわられたものの、マリ北部のタウデニから南のトンブクトゥへと塩の板を運ぶキャラバンなどは現在でもラクダが使用され』、二千頭から三千頭もの『ラクダのキャラバンが』十月から五月までの『涼しい時期に』一『か月以上かけて両地を往復する』。『また』、『砂漠地帯で長時間行動できるため、古くから駱駝騎兵として軍事利用され、現代でも軍隊やゲリラの騎馬隊がラクダを使用することがある。現代ではインドと南アフリカの』二ヶ国が『純軍事的にラクダ部隊を保有して』いる。『ラクダの肉は食用とされ、また』、『乳用としても利用される。血液を禁忌とするムスリムとユダヤ教徒以外は、生き血を飲むこともある。また、ユダヤ教徒はラクダはコーシャー』(ユダヤ教に於ける厳格な「食物清浄規定」のこと。ヘブライ語に近い音写では「カシェル」と私は心得ている。なお、後の方に『これは、ラクダは』カシェルの『食肉の条件のうち』、『一つしか満たしていないとされているためで』、カシェル『の』肉食可能な獣類の『条件は反芻をし』、『蹄が分かれているものに限られるが、ラクダは生物学的には蹄が分かれ、反芻をするものの、外見上』、『蹄が毛に覆われて分かれているように見えない』ことによるとある。私の知り合いのユダヤ教徒はウナギを食わない。鱗のない魚はカシェルで食ってはいけないからだという。私は何度も「ウナギには鱗があるんだ」と言って顕微鏡写真を見せるのだが、食べない。少なくとも、日本の美味しい鰻重が食えない非科学的なユダヤ教徒は可哀想だとは思うのである)『ではないため』、『食べることはできない』。『食用としてのラクダ利用において最も重要なものはラクダ乳の利用である。イスラム圏において古来乳用動物として飼育されてきたものはラクダ、ヒツジ、ヤギであるが、ラクダはヒツジやヤギに比べて授乳期間が長い(約』十三『か月)上に乳生産量も一日』五『リットル以上と非常に多かったため、砂漠地帯の遊牧民の主食とされてきた』。『アラブにおいては、ヒツジやヤギの乳搾りが女性の仕事とされたのに対し、ラクダの乳搾りは男性の仕事とされてきた。ラクダ乳は主にそのまま飲用されたが、発酵させて酸乳(ヨーグルト)とすることもおこなわれた。ラクダ乳はウシやヒツジ、ヤギの乳と脂肪の構造が異なり、脂肪を分離することがやや困難である。さらにヤギやヒツジの乳のほうが脂肪の含有量も多いため、バターやチーズといった乳製品は主にヒツジやヤギから作られていた。しかし、ラクダ乳からバターやチーズを作ることも歩留まりが悪い上』、『技術も必要』であるが、『可能であり、その希少性ゆえに高級品として高く評価されていた』。『近年、栄養価の高いラクダ乳は見直される傾向にあり、ヨーグルトやアイスクリームなどのラクダミルク製品を製造する会社も設立されている』。『アラブ首長国連邦のドバイでもラクダミルク製品の開発がすすめられており、ラクダチーズやラクダミルクチョコレートをはじめとする製品の世界各地への売り込みを図っている』。『アメリカ合衆国でも、アーミッシュを中心にラクダの飼育とラクダミルクの商品化が行われ、カリフォルニアを中心にラクダミルクを取り扱う店があらわれはじめている』という。『皮はなめして用いられ、毛は織物、縄、絵筆などに利用される。古くから利用されており』「マタイによる福音書」によれば、『洗礼者ヨハネはラクダの皮で作った服を着ていたとされる』。『寒冷な中央アジアのフタコブラクダの毛は織物の素材として優秀であ』り、また、『木材が貴重品である乾燥地帯において、かつてはラクダの糞が貴重な燃料でもあった』。『アラブ医学の四体液説では、粘液質の人間の気質は「情緒が弱く鈍感だが、一旦事を始めると粘り強く耐久力がある」と考えられていた。ラクダは胆嚢がない無胆嚢動物であることから、黒胆汁を持たない粘液質の気質を持つ動物である、という民俗概念がある』という。

「流沙」『「流沙」とは「天竺」の地〔なり〕』東洋文庫は後の割注を『流沙とは天竺(インド)の地のことである』と訳しているが、これは間違ってるだろ! 「流沙」は中国語「Liū shā」(リォウ・シァー)で、中国の西北地区の砂漠地帯の呼称だろ! 平凡社「世界大百科事典」によれば、「書経」の「禹貢篇」に『弱水を導きて合黎(ごうれい)に至り、余波・流沙に入る』とあるが、この「流沙」は「水経(すいけい)」によれば,張掖(ちようえき)郡の居延県の北東に当たるとし、今日の居延海(現在のガシュン・ノール:漢名「嘎順淖爾」)付近((グーグル・マップ・データ))の砂漠を指した。また、新疆ウイグル自治区のロブ・ノール((グーグル・マップ・データ))以東、甘粛省の玉門関に至る間の砂漠地帯をも指す。タリム盆地の南,崑崙山脈の北麓を通って、パミールを越えて行くシルク・ロードの一つとして、古くより交通の要衝地帯だった場所だ! リンク先の地図をよう見んかい! ここはインドでも天竺でも、ない、ぞ!!!

「露明」東洋文庫注に、『腹を地につけないで屈むからすき間ができ』、『明りが漏れる。それで露明という。また』、『眼の下に毛があり、夜でもよく物を見ることができるので露明というともいう』とある。

「大月氏國〔(だいげつしこく)〕」紀元前三世紀から一世紀頃にかけて、東アジア・中央アジアに存在した遊牧民族とその国家名。紀元前二世紀に匈奴に敗れてからは、中央アジアに移動し、「大月氏」と呼ばれるようになった。大月氏時代は東西交易で栄えた(以上はウィキの「に拠った)。

「封牛・𤛑牛〔(とうぎう)〕・物牛・牛」

「于闐國〔(うてんこく)〕」古代、中国の西域にあったオアシス都市国家。現在の中国新疆ウイグル自治区ホータン(和田)県((グーグル・マップ・データ))。東西貿易路の要衝として起源前二世紀には既に繁栄していた。住民はアーリア系で、仏教文化が栄えた。古来、玉(ぎょく)の産地として有名である(小学館「大辞泉」に拠る)。

「風脚駝」種ではなく、駱駝レース(今も中近東でギャンブルとして行われている。体重の軽い騎手が有利なため、少年を使っていたのを児童虐待とされ、十年程前にはロボット少年騎士を開発したと聴いたが、どうなったことやら?)用に速く走れるように調教した個体を指すのであろう。]

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