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2019/02/25

和漢三才圖會卷第三十七 畜類 馬(むま) (ウマ)

 [やぶちゃん注:本「馬」の項は異様に長い(原典でまるまる六頁に亙り、東洋文庫訳もまるまる八ページもかかっている)ので、頭でまず注する。馬の学名は、

哺乳綱奇蹄(ウマ)目ウマ科ウマ属ノウマ亜種ウマ Equus ferus caballus

(エクゥウス・フェルス・カバッルス)である。ウィキの「ウマ」の梗概部の一部のみを引いておく。『社会性の強い動物で、野生のものも家畜も群れをなす傾向がある。北アメリカ大陸原産とされるが、北米の野生種は、数千年前に絶滅している。欧州南東部にいたターパン』(ウマ属ノウマ亜種ターパン Equus ferus ferus:絶滅亜種。最後の一頭は一九〇九年に亡くなった)『が家畜化したという説もある』。『古くから中央アジア、中東、北アフリカなどで家畜として飼われ、主に乗用や運搬、農耕などの使役用に用いられるほか、食用にもされ、日本では馬肉を「桜肉(さくらにく)」と称する。軍用もいる』。『速力に優れ、競走用のサラブレッドは最高』時速八十七キロ『を出すことができる。また、競走用クォーターホース』(Quarter horse:正式にはアメリカン・クォーター・ホース American quarter horse。ウマの品種の一つで、体高は百五十センチメートル、体重は四百キログラム程度。アメリカに於いて、主として乗馬・牧畜作業・競馬用として使用され、世界各地で四百万頭余りが登録されており、事実上、世界で最も頭数の多い品種。ここはウィキの「クォーターホース」に拠った)『は、比較的容易に』時速九十キロ『を達成する』。二〇〇五年の『アメリカでの調査では、下級戦にもかかわらず』、三百二メートル『のレースのラスト』百一メートル『の平均速度が』九十二・六キロ『に達していた』という。学名の属名「Equus」種小名の「caballus」も『ともにラテン語で「馬」の意』である。属名の方は『インド・ヨーロッパ祖語にまで遡ることの出来る古い語彙』で、種小名の方は、「馬」を意味する『イタリア語の』「cavallo」(カヴァッロ)、スペイン語の「caballo」(カバジョ・カバージョ・カバリオ・カバーリョ)、フランス語の「cheval」(シュヴァル)『などに連なる』語である。]

     旋毛吉凶

[やぶちゃん注:以上は以下の図の上に右から左に記されてある。以下の部分の旋毛(渦巻き毛。それぞれの箇所(部位)に名前が付いているのである)が吉凶を占うことが、本文の後に出る。本文によれば、「壽星・帶纓〔(たいえい)〕・乘鐙〔(じやうとう)〕・臁花〔(れんくわ)」以外の旋毛は凶とある。]

 

Muma

[やぶちゃん注:図の中のキャプションを電子化しておく(上下優先で右から左へ)。こんな酔狂なことをやるのは恐らく、後にも先にも、私以外にはあんまり居そうもない。さればこそ特異点也!!!

・壽星

(額の中央か。それは確かに名前も含めて如何にも吉らしい感じがする)

・滴淚

(渦を巻いた毛だから、眼の直下のこの名はしっくりくる)

・帶纓〔(たいえい)〕

(「纓」は「冠が脱げないように顎の下で結ぶ紐」の意)

・鎖唯〔(さゐ)〕

(ヒトで言う鎖骨位置で「鎖」は腑に落ちる)

門〔(さうもん)〕

(「」は「葬」や「喪」と同じ意。これは如何にも凶らしい)

・听哭〔(ぎんこく)〕

(「泣く声を聴く」の意があるから、これも凶に相応しい。耳の尖端の外側か)

・靠槽〔(かうさう)〕

(「靠」は「凭(もた)れる」の意であるから、「槽」=飼葉桶(かいばおけ)に首を垂らしたときにこの部分を以ってもたれるかかるの意で。意味は腑に落ちる)

・騰蛇〔(とうだ)〕

(「騰」は「上がる・昇る」の意。位置的には鬣(たてがみ)の頂点部で腑に落ちる)

・乘鐙〔(じやうとう)〕

(ここは鞍を置いた際に鐙がくる位置であり、騎乗した者が馬に命ずる際の重大な伝達部の一つであるから、ここに旋毛があるのは「吉」というのは頷ける気がする)

・領鬃〔(りやうそう)〕

(「領」には「項(うなじ)」「襟首」の意があり、「鬃」は「鬣」に同じいから、位置的には納得出来る)

・挾屍

(これも如何にも不吉な感じ)

・風淚

・駝屍〔(だし)〕

(位置的には「駝」(荷物を載せるの意がある)は納得出来る背の部分ではあるが、これは別な意味で凶の極みであると思う。何故なら、「駝」の字は真臘(現在のカンボジア)の方言で「父母を呼ぶときに添える敬称」だからである。方言であっても、それに「屍」を添えて孝を尊ぶ中華社会で吉であろうはずは絶対にないと思うからである)

・帶劔

(帯剣して騎乗した場合の、その位置(正確には左側であるが)に当たるので腑に落ちる)

・臁花〔(れんくわ)〕

(「臁」は「穴・脛(すね)・脛の両側」の意であるが、位置から見て意味が判らない。この指定が恐らくは馬の経絡をも兼ねていると考えるなら、「穴」で腑には落ちるが)

?

(前の「?」が音も意味も不詳のため、読めない。下は前に出た「さう(そう)」。これまた、凶っぽい)

・豹尾〔(へうび)〕

(これ一つだけは知っている熟語であった。古暦注や陰陽道で方角を司る凶神の一つで、八将神の一つ。計都(けいと)星(中国の九曜星の一つである昴(ぼう)星宿にある星の名。、日月を両手に捧げ、青龍に乗り、憤怒の形相をした神像で表わされる。この星は実在の天体ではなく、月の軌道面(白道)と太陽の軌道面(黄道)の交点とする見方があり、また時に現われて災害を齎す彗星・流星の類いとする考え方もあった)の精とする。子年には戌の方(北西)、丑年には未の方(南西)、寅年には辰の方(南東)、卯年には丑の方(東北)におり、辰年には再び戌の方というように、四年で一巡する。この方角に向かって畜類を求めたり、また、大小便などすることを忌んだから、凶のチャンピオンぽい気はする)

・後

(これも凶らしい名である)

丸括弧で注したのは、私に判りそうな漢字の附記で、他の注を附さないものは、判っているのではなく、よく判らないものでもある。]

 

むま    阿濕婆【梵書】

      【和名無萬】

      隲【牡】 駔

      【俗云 丸馬】

      【牝】

      【俗云 雜役】

【音麻】

★     騸

マアア

[やぶちゃん注:★の位置に図の下にある馬の篆書体が示されてある。] 

 

本綱馬字象頭髮尾足之形生一曰駒【和名古萬】

曰騑四其名色甚多大抵以西北方者爲良

東南者劣弱不及馬應月故十二月而生其年以齒別之

在畜屬火在辰屬午在卦爲☰乾馬之眼光照人全身者

其齒最少光愈近齒愈大馬食杜衡善走食稻則足重食

鼠屎則腹脹食雞糞則生骨眼以僵蠶烏梅拭牙則不食

得桑葉乃解掛鼠狼皮於槽亦不食遇海馬骨則不行以

豬槽飼馬石灰泥馬槽馬汗着間並令馬落駒繫猿猴於

[やぶちゃん注:東洋文庫訳に従い、訓読では前行の「間」を「門」に、「駒」を「胎」に変える。前者は「本草綱目」でもそうなっている。後者は「本草綱目」も「駒」だが、意味が通らない。]

厩辟馬病皆物理當然耳馬膝上有夜眼有此者馬能夜

行故名【三才圖會云馬八尺以上曰龍七尺以上曰騋六尺以上曰馬五尺以上曰駒】

肉【辛苦冷有毒】 除熱下氣強腰脊輕身強志【以純白牡馬爲良以冷水煑食

不可蓋釜同倉米蒼耳食必得惡病十中有九死自死

馬不可食凡食馬中毒者飮蘆菔汁食杏仁可解】

馬墨 在腎牛黃在膽造物之所鍾也【此亦牛黃狗寳之類】

馬通 馬屎曰通牛屎曰洞豬屎曰零皆諱其名也

[やぶちゃん注:「豬」は「猪」のように見えるが、「本草綱目」ではイノシシやブタを総称する「豬」で、ここは文脈からブタの意であろうと推測し、この字にした。]

馬溺【辛微寒有毒】白馬溺治消渇療積衆癥瘕及反胃

 昔有患心腹痛死者剖之得一白鼈赤眼活者試以諸

 藥納口中終不死有人乘白馬觀之馬尿堕鼈而鼈縮

 遂以灌之卽化成水後以此方治癥瘕

馬肝【有大毒】 馬肝及鞍下肉殺人不可食

 字彙云馬稟火氣而生火不能生木故有肝無膽膽者

 木之精氣也木臟不足故馬肝有大毒食之者死

                  人丸

  拾遺山科の木幡の里に馬はあれとかちよりそ行君を思へは

  古今大あらきの杜の下草生ひぬれは駒もすさめす刈る人もなし

昔有駿馬名驁以壬申日死故乘馬忌此日

△按凡跨馬曰騎走馬謂之馳【古訓波之留今稱加介留蓋馬死曰波之留故忌之】

 凡騁馬曰磬止馬控【今馬奴等毎欲騁則謂止欲止則言動其字義相反矣然馬亦

 隨其聲也用來久故不改】馬怕石不能行曰?【介之止無】馬載重難行曰

 駗驙馬行不前曰馬鳴曰嘶【訓以波由俗云以奈奈久凡馬馳時不嘶如嘶

 者也其馬卒死】馬不施鞍轡而騎曰俗云裸馬

 駿【音俊和名土岐宇萬】馬之美稱取俊傑之義 駑【音奴和名於曾岐宇萬】

 最下也 駻【音早和名波爾無萬】突惡馬也 馱【音駝】負物馬也凡

 以畜載物皆曰馱【俗作或作駄並非】和名謂之小荷馱馬【今米一斛五斗爲一駄約

 凡重六十貫目】

張穆仲安驥集云馬相有三十二相眼爲先

 馬眼如垂鈴 眶凸者佳  腦骨欲員  垂睛欲髙

 耳如削筒  頰骨欲員  項長彎細  鬃欲茸

 
髙   排按肉欲厚 脊梁欲平  腰要短

 鼻要寬大  上唇欲方  口文欲深  下唇欲員

 食槽欲寬  欲闊   膝欲員   脚欲髙

 脚大而實  前蹄欲員 後蹄欲大欲近 掌骨欲髙

 脛※骨細  肚下生節欲近      鹿節欲曲

[やぶちゃん注:「※」=「月」+「廷」。]

 曲池欲深  汗溝欲深  尾骨欲短  外腎欲小

 腿似琵琶

――――――――――――――――――――――

馬三十二以齒知
 
駒齒二 二齒四 三齒六 四成齒二

 五成齒四 六肉牙生 角區缺 八

 區如一 九咬下中區二齒臼 十同四齒臼

 十一六齒臼 十二同二齒平 十三四齒平

 十四同六齒臼 十五咬上中區二齒臼 十六

 
同四齒臼 十七同六齒臼 十八二齒平

 十九同四齒平 二十咬上下盡平 自二十一

 
次第齒黃至二十六咬上下盡黃 自二十七

 次第齒白至三十二上下盡白

――――――――――――――――――――――

馬之毛色

 騂【音征】赤毛馬也 音離】黒毛馬也 音愈。和名栗毛紫毛馬

駮【音愽布知】〕不純白 油馬【和名糟毛】 騮【和名鹿毛】赤馬黒鬣

烏騮【和名黑鹿毛】 黃騮【和名赤栗毛】 紫騮【和名黒栗毛】

連錢【和名連錢葦毛】靑黑斑如魚鱗 【和名葦毛】靑白襍毛

騢【和名鴾毛】赭白雜毛 赤鴾毛【赭黃馬】 和名白鹿毛黃白雜色

駱【和名川原毛】白馬黒髦 沙駱毛【和名黑川原毛】 騵【音[やぶちゃん注:欠字。]】騮馬白腹

騏【音[やぶちゃん注:欠字。]】青黒色  騧【音[やぶちゃん注:欠字。]】黃馬黒喙 駰【音[やぶちゃん注:欠字。]】淺黒而白襍色

音[やぶちゃん注:欠字。]尾白馬 和名阿之布知四骹皆白色【膝以下曰骹】

 以馬旋毛所在知吉【見于前圖如壽星帶纓乘鐙※花則

[やぶちゃん注:「※」=「月」+「廉」。]

 爲吉其他爲

搜神記漢文帝十二年呉地有馬生角在耳前上向右角

長三寸左角長二寸皆大二寸是臣不順之妖也

万寶全書云馬火畜也性惡濕如生疥瘡用生胡麻葉搗

汁灌之脊瘡用黃丹敷之尿血用黃芪烏藥芍藥山茵陳

地黃兜苓枇杷葉爲末灌之

△按馬之療治針灸藥方詳于馬醫書其藥中禁用貝母

 誤用之則害馬而本草載雞屎烏梅爲馬毒不及貝母

 者後人試知之乎

 相傳安閑天皇二年放牛於瀨津大隅等放馬於科野

 國望月牧霧原牧而後世不乏牛馬今則産處處者多

 矣奧州常州之爲良薩州次之信州甲州上下野州

 總州亦次之

小荷駄馬 載負貨物馬也凡以畜載物皆曰佗【今俗作或作

 ?並非也从馬从大】聖武帝【天平十一年】令天下改定馱負之重【先是】馱馬

 一匹所負之重大畧二百斤甚重勞馬蹄於是令諸州

 以百五十斤爲限今制用二十五貫目亦畧合古法

著聞集云有都築平太經家者以善御馬仕于平氏敗北

 之日爲虜於是有献駿馬於鎌倉者而人不克御之使

 囚經家乘之則如相馴者人皆感之頼朝大喜免罪爲

 厩別當嘗養馬異常毎夜半許用白色物自手令之飼

 未知何物也但日中不飼以爲異經家遂入海死惜哉

 不傳其術也

むま    阿濕婆〔(あしつば)〕【梵書】

      【和名、「無萬」。】

      隲(をむま)【牡。】 駔〔(をむま)〕

      【俗に云ふ、「丸馬」。】

       (めむま)【牝。】

      【俗に云ふ、「雜役」。】

【音、「麻」。】

★     騸(へのこなしのむま)

マアア

[やぶちゃん注:★の位置に図の下にある馬の篆書体が示されてある。「騸(へのこなしのむま)」は今まで同様、去勢された雄馬のこと。] 

 

「本綱」、馬の、頭・髮(たてがみ)・尾・足の形に象る。生まれて一を「〔(かん)〕」と曰ひ、二を「駒」と【和名、「古萬」。】曰ひ、三を「騑〔(ひ)〕」と曰ひ、四を「〔(たう)〕」と曰ふ。其の名色〔(ないろ)〕[やぶちゃん注:馬は一般に毛色で呼称分別する。それを言ったもの。]、甚だ、多し。大抵、西北の方の者を以つて良と爲し、東南の者、劣弱にして及ばず。馬、月に應ず。故に、十二〔か〕月にして生ず[やぶちゃん注:正しい。ウマの妊娠期間は十一ヶ月から十二ヶ月である。]。其の年、齒を以つて之れを別〔(わか)〕つ。畜に在りては、火に屬し、辰〔(とき)〕に在りては午〔(うま)〕[やぶちゃん注:正午前後の二時間。]に屬し、卦〔(け)〕に在りては、「☰」、乾〔(けん)〕と爲す。馬の眼光、人の全身を照らす者、其の齒、最も少なり。光、愈々、近くして、齒、愈々、大となる[やぶちゃん注:私が馬鹿なのか、何を言っているのかよく判らない。]。馬、杜衡〔(とこう)〕を食へば、善く走り、稻を食へば、則ち、足、重し。鼠〔の〕屎〔(くそ)〕を食へば、則ち、腹、脹〔(は)〕る。雞〔(にはとり)の〕糞を食へば、則ち、骨眼〔(こつがん)〕を生ず。〔それ、〕僵〔(し)せる〕蠶〔(かひこ)〕を以つて〔治〕す。烏梅〔(うばい)を以つて〕牙(きば)を拭〔(ぬぐ)〕ふときは、則ち、食べず。桑の葉を得ば、乃〔(すなは)〕ち、解す。鼠・狼の皮を槽(むまふね)[やぶちゃん注:「飼い葉桶」に同じ。]に掛けても亦、食はず。海-馬〔(たつのおとしご)〕の骨に遇へば、則ち、行かず。豬〔(ぶた)〕の槽〔(ふね)〕を以つて馬を飼ひ、石灰〔を以つて〕馬〔の〕槽を泥〔(よご)〕し、馬、汗〔する〕を門〔(もん)〕に着〔(つな)ぐ〕ときは、並びに[やぶちゃん注:孰れの場合も。]、馬をして胎〔(こ)〕を落とさしむ。猿猴〔(えんこう)〕を厩〔(むまや)〕に繫〔げば〕、馬の病ひを辟〔(さ)〕く。皆、物〔の〕理〔(ことはり)〕、當に然るべきのみ。馬の膝の上に、「夜眼〔(よめ)〕」といふもの。有り。此れ有る者-馬〔(うま)〕、能く夜行〔(やかう)〕す。故に名づく【「三才圖會」に云はく、『馬の八尺以上、「龍」と曰ひ、七尺以上、「騋〔(らい)〕」と曰ひ、六尺以上、「馬」と曰ひ、五尺以上、「駒」と曰ふ』〔と〕。】。

肉【辛苦、冷。毒、有り。】 熱を除き、氣を下〔(くだ)〕し、腰・脊を強くし、身を輕〔くし〕、志〔(こころざし)〕を強くす【純白の牡馬を以つて良と爲す。冷水を以つて煑て食す。釜を蓋〔(ふた)〕すべからず。倉米・蒼耳と同じく〔して〕食〔へば〕、必ず、惡〔しき〕病ひを得。十中、九、死〔する〕有り。自死の馬、食ふべからず。凡そ、馬を食ひ、毒に中〔(あた)〕る者、蘆菔〔(だいこん)の〕汁を飮み、杏仁〔(きやうにん)〕を食へば、解すべし。】。

馬墨(〔むま〕のたま) 腎に在り。牛黃(〔うし〕のたま)は膽〔(きも)〕に在り。造物の鍾〔(あつま)れる〕所なり【此れ亦、牛黃〔(うしのたま)〕・狗寳〔(いぬのたま)〕の類ひ〔なり〕。】。

馬通(〔むま〕のふん) 馬の屎〔(くそ)〕を「通」と曰ひ、牛の屎を「洞」と曰ひ、豬〔(ぶた)〕の屎を「零」と曰ふ。皆、其の名を諱(い)むでなり。

馬溺(〔むま〕のゆばり)【辛、微寒。毒、有り。】白馬の溺り、消渇〔(しやうけち)〕を治し、積衆癥瘕〔(しやくじゆちようか)〕及び反胃〔(ほんい)〕を療す。

昔、心腹〔の〕痛みを患ひて死せる者、有り。之れを剖〔(さ)き〕て一〔つの〕白〔き〕鼈〔(すつぽん)〕の赤〔き〕眼にて活(い)きたる者を得。試みに諸藥を以つて、口〔の〕中に納〔(い)るるも〕、終〔(つひ)〕に死せず。〔この時、〕人、有り、白馬に乘りて、之れを觀る。馬、尿〔(いばり)し〕て、鼈に堕ち、而して、鼈、縮み、遂に以つて、之れを灌ぐ〔に〕、卽ち、化して、水と成る。後、此の方を以つて癥瘕を治す〔るなり〕。

馬肝〔(むまのきも)〕【有大毒】 馬の肝及び鞍〔の〕下の肉、人を殺す。食ふべからず。

「字彙」に云はく、『馬、火〔(くわ)〕の氣〔(き)〕を稟〔(う)け〕て生ず。火、木〔(もく)〕を生ずること、能はず。故に、肝、有りて、膽、無し。膽は木の精氣なり。木臟〔(もくざう)〕足らざる故、馬〔の〕肝、大毒有り、之れを食ふ者、死す』〔と〕。

                  人丸

  「拾遺」

    山科の木幡〔(こはた)〕の里に馬はあれど

       かちよりぞ行く君を思へば

  「古今」

    大あらきの杜〔(もり)〕の下草生ひぬれば

       駒もすさめず刈る人もなし

昔、駿馬〔(しゆんめ)〕有り、驁〔(がう)〕と名づく。壬申〔(みづのえさる)〕の日を以つて死す。故に、馬に乘るに、此の日を忌む。

△按ずるに、凡そ、馬に跨(またが)る「騎」と曰ひ、馬を走らすを、之れを「馳」と謂ふ【古えは「波之留〔(はしる)〕」と訓ず。今、「加介留〔(かける)〕」と稱す。蓋し、馬の死を「波之留」と曰〔へば〕、故に之れを忌む〔なり〕。】。

凡そ、馬を騁〔(は)する〕[やぶちゃん注:「騁」は「馬を走らせる」の意。]を「磬〔(けい)〕」と曰ひ、馬を止〔(とど)〕むるを「控〔(こう)〕」と曰ふ【今、馬奴〔(まご)〕等の毎〔(つね)〕に騁(は)せんと欲するときは、則ち、「止(し)」と謂ひ、止〔(とど)〕めんと欲するときは、則ち、「動〔(どう〕)」と言ふ。其の字義、相ひ反す。然れども、馬も亦、其の聲に隨ふ。用ひ來たること久しき故、改めず。[やぶちゃん注:以上は良安の割注。]】。馬、石を怕(をそ[やぶちゃん注:ママ。])れて、行くこと能はざるを「?(けしとむ)」【「介之止無」。】と曰ふ。馬、重きを載せて、難〔(なん)〕を行くを「駗驙〔(しんてん)〕」と曰ひ、馬、行きて、前(すゝ)まざるを、「〔(たく)〕」と曰ふ。馬、鳴くを「嘶〔(いばふ)〕」と曰ふ【訓、「以波由〔(いばゆ)〕」、俗に云ふ、「以奈奈久〔(いななく)〕」。凡そ、馬、馳する時、嘶〔(いなな)〕かず。如〔(も)〕し、嘶く者〔は〕、なり。其の馬、卒死す。】馬、鞍・轡を施さずして騎(の)るを「(はだせ)」と曰ふ【俗に云ふ、裸馬〔(はだかむま)〕。】。

駿(はやむま)【音、「俊」。和名、「土岐宇萬(ときうま)」[やぶちゃん注:「疾(と)き馬」。]。】〔は〕馬の美稱〔にして〕「俊傑」の義を取る。 駑(をそむま)【音、「奴〔(ド)〕」。和名、「於曾岐宇萬(おそきうま)」。】〔は〕最も下なり。 駻(はねむま)【音、「早」。和名、「波爾無萬」。】〔は〕突惡の馬なり[やぶちゃん注:すぐに突っかかって来て調教し難い荒馬のことである。]。 馱(につけむま)【音「駝」。】〔は〕物を負ふ馬なり。凡そ、畜を以つて物を載(の)す〔は〕、皆、「馱」と曰ふ【俗、「」に作り、或いは「駄」に作る〔は〕並びに非なり[やぶちゃん注:孰れも誤りである。]。】〔は〕和名、之れを「小荷馱馬(こにだ〔むま〕)」と謂ふ【今、米一斛五斗を、「一駄」と爲す。約するに、凡そ、重さ、六十貫目〔たり〕。】。

張穆仲〔(ちやうぼくちう)〕が「安驥集〔(あんきしふ)〕」に云はく、『馬〔の〕相、三十二、有り、眼を相(み)りを先〔(せん)〕と爲す』〔と〕。〔それに云はく、〕

[やぶちゃん注:以下、ブラウザの不具合を考え、原典を総て続いた文章として繋げて示す。原典の有意な字空けも除去した。]

馬の眼、垂るる鈴のごとし。眶(まぶた)、凸(なかたか)[やぶちゃん注:中央が膨らんでいる。]者、佳し。腦骨、員〔(まろ)き〕を欲するなり[やぶちゃん注:「員」は「圓」の通字で「丸い」の意。「欲するなり」は「良しとするものである」の意。]。垂〔るる〕睛〔(ひとみ)〕は髙きを欲す。耳、削〔れる〕筒〔(つつ)〕のごと〔きが良し〕。頰骨は員〔(まろ)〕きを欲す。項〔(うなじ)〕は長く彎〔(わん)じ〕て[やぶちゃん注:弓を引き絞ったように美しく湾曲していて。]細くす。鬃〔(たてがみ)〕は茸〔(しげ)るる〕を欲す[やぶちゃん注:毛が豊かにあるのがよい。]。〔(うなじのけ)〕は髙きを欲す。排-按(くらをきどころ[やぶちゃん注:ママ。])は、肉、厚きを欲す。脊梁(せぼね)は平〔たき〕を欲す。腰〔は〕短きを要す[やぶちゃん注:「要」は「是非とも~でなくてはならない」の意。]。鼻〔は〕寬大なるを要す。上唇〔(うはくちびる)〕は方〔(はう)〕[やぶちゃん注:がっちりと角ばったもの。]のを欲す。口の文〔(もん)〕は深きを欲す。下唇は員〔(まろ)き〕を欲す。食槽(むまのきほね)[やぶちゃん注:臼歯。]〔は〕寬〔(ひろ)き〕を欲す。〔(むね)〕[やぶちゃん注:「胸」の異体字。]は闊(ひろ)きを欲す。膝〔は〕員〔(まろ)き〕を欲す。脚は髙きを欲す。脚は大にして實〔(じつ)なり〕し〔が良し〕[やぶちゃん注:しっかりしているのがよい。]。前の蹄(ひづめ)は員きを欲す。後(うしろ)の蹄は大を欲し〔て〕近〔きを〕欲す。掌の骨[やぶちゃん注:蹄の上部であろう。]は髙きを欲す。脛※骨〔(けいていこつ)〕[やぶちゃん注:「※」=「月」+「廷」。]は細く、肚〔(はら)〕の下に逆毛を生じ、節は近きを欲す。鹿節は曲れるを欲す。曲池は深きを欲す。汗溝〔(あせみぞ)〕は深きを欲す。尾骨は短きを欲す。外腎[やぶちゃん注:思うに♂の外生殖器のことを指すものと思われる。]〔は〕小さきを欲す。腿〔(もも)〕は琵琶に似る〔を良しとす〕。

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[やぶちゃん注:以下も二行目以降を同前の仕儀で訓読する。なお、東洋文庫版では、以下の部分に対して、『馬の歯は全部で牡は四十本、牝は三十六本ある。ここはそのうちの切歯(門歯、中歯、隅歯)の部分について説明しているのであろう』と注がある。]

馬〔の壽命は〕三十二。齒を以つてを知る。

の駒は齒[やぶちゃん注:乳歯。]二つ。二、齒、四つ。三、齒、六つ。四、齒[やぶちゃん注:これは永久歯を指す。]二つに成る。五、齒、四つに成る。六、肉牙、生ず。七、角區[やぶちゃん注:意味不明。識者の御教授を乞う。]、缺く。八、區を盡〔(つ)き〕て一つのごとし。九、下中區を咬〔(か)〕み、二つ〔の〕齒、臼(うす)になる。十にしては同〔じく〕四齒、臼になる。十一、六齒、臼になる。十二、同じく、二齒、平〔らと〕なり、十三、四齒、平〔らかとなる〕。十四、同じく六つの齒、平かなり。十五、上中區を咬み、二齒、臼になる。十六、同じく、四齒、臼になる。十七、同じく六齒、臼になる。十八、二つの齒、平かなり。十九、同じく四齒平かなり。二十、上下を咬み、盡〔(ことごと)〕く平かなり。二十一より、次第に、齒、黃〔となり〕、二十六に至り、上下を咬み、盡く黃〔と〕なり、二十七より、次第に、齒、白くして、三十二に至り、上下、盡く白し。

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[やぶちゃん注:同前の仕儀で訓読する。]

馬の毛色

 「騂(あかむま)」【音、「征」。】、赤毛の馬なり。「(くろむま)」【音、「離」。】、黒毛の馬なり。「(くりげ)」【音、「愈」。和名、「栗毛」。】、紫毛の馬。「駮(ぶちむま)」【音、「愽〔(ハク)〕」。布知〔(ぶち)〕。】〕純白ならざるなり。「油馬(かすげ)」【和名、「糟毛」。】。「騮(かげ)」【和名、「鹿毛〔(かげ)〕」。】、赤馬〔の〕黒〔き〕鬣〔(たてがみ)〕。「烏騮くろかげ)」【和名、「黑鹿毛」。】。「黃騮(あかくりげ)」【和名、「赤栗毛」。】。「紫騮〔(くろくりげ)〕」【和名、「黒栗毛」。】。「連錢〔(れんせんあしげ)」〕」【和名、「連錢葦毛」。】、靑黑〔の〕斑〔(まだら)〕にして魚〔の〕鱗のごとし。「(あしげ)」【和名、「葦毛」。】、靑白〔の〕襍毛〔(ざつもう)〕。「騢(ひばりげ)」【和名、「鴾毛〔(つきげ)〕」。】、赭〔(しや)と〕白〔の〕雜毛。「赤鴾毛(あかひばりげ)」【赭黃〔あかぎ)〕の馬。】。「(しらかげ)」【和名、「白鹿毛」。】、黃〔と〕白〔の〕雜色。「駱〔(かはらげ)〕」【和名、「川原毛」。】、白馬〔の〕黒〔き〕髦〔(たてがみ)〕。「沙駱毛〔くろかはらげ)〕」【和名、「黑川原毛」。】。「騵[やぶちゃん注:音「ゲン・グワン(ガン)」。和訓は不詳。]」【音[やぶちゃん注:欠字。]】、「騮(くろげ)馬」の白腹〔のもの〕。「騏[やぶちゃん注:音「キ・ギ」。和訓不詳。]」【音[やぶちゃん注:欠字。]】、青黒色。「騧」[やぶちゃん注:音「クワ(カ)・ケ・クワイ(カイ)」。和訓は不詳。]【音[やぶちゃん注:欠字。]】。黃〔の〕馬〔にして〕黒〔き〕喙〔(くちさき)〕。「駰(くろあしげ)」【音[やぶちゃん注:欠字。]】淺黒にして白〔の〕襍色〔(ざつしよく)〕。「[やぶちゃん注:音「ラウ(ロウ)・リヤウ(リョウ)」。和訓は不詳。]」【音[やぶちゃん注:欠字。]】。尾白の馬。「(あしぶち)」【和名、「阿之布知」。】四骹〔(しかう)〕、皆、白色【膝以下、「骹」と曰ふ】。

 馬の旋毛の所在を以つて吉を知る【前圖を見よ。】壽星・帶纓〔(たいえい)〕・乘鐙〔(じやうとう)〕・臁花〔(れんくわ)〕、則ち、吉と爲し、其の他、と爲す。

「搜神記」〔に云はく〕、『漢文帝十二年[やぶちゃん注:紀元前一六八年。]、呉の地に、馬、角を生ふること、有り。耳の前の上に在り、右に向ふ角、長さ三寸、左の角、長さ二寸。皆、大いさ、二寸。是れ、臣の不順の妖なり』〔と〕[やぶちゃん注:漢代の一寸は二・二五センチメートルとやや短い。]。

「万寶全書〔(ばんぽうぜんしよ)〕」に云はく、『馬は火〔(くわ)〕の畜なり。性、濕を惡〔(にく)〕み、如〔(も)〕し、疥瘡〔(かいさう)〕[やぶちゃん注:疥癬。]を生ず〔れば〕、生〔(なま)の〕胡麻〔の〕葉〔の〕搗き汁を用ひ、之れを灌〔(そそ)〕ぐ。脊-瘡〔(たこ/くらずれ)〕[やぶちゃん注:牛馬の背に荷擦れなどによって生ずる傷。鞍傷(あんしょう)。]には黃丹〔(わうたん)〕を用ひ、之れを敷〔(ぬ)〕る[やぶちゃん注:塗る。]。尿血は黃芪〔(こうぎ)〕・烏藥〔(うやく)〕・芍藥・山茵陳〔(いんちこう)〕・地黃〔(ぢわう)〕・兜苓〔(とうれい)〕・枇杷〔(びは)の〕葉を用ひて末と爲し、之れに灌ぐ』〔と〕。

△按ずるに、馬の療治・針灸・藥方は馬醫書に詳らかなり。其の藥中に貝母〔(ばいも)〕を用ふるを禁じ、誤〔りて〕之れを用ふれば、馬を害す〔と云ふ〕。而〔れども〕「本草」に雞〔(にはとり)の〕屎〔(くそ)〕・烏梅〔(うばい)〕、馬の毒たること載す〔のみにて〕、貝母に及ばざるは、後人、試みて、之れを知るか。

相ひ傳ふ、安閑天皇二年[やぶちゃん注:五三五年。]、放牛を瀨津[やぶちゃん注:「攝津」の誤り。]〔の〕大隅[やぶちゃん注:現在の大阪市東淀川区大隅か。ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。]等に放ち、馬を科野(しなの)〔の〕國[やぶちゃん注:信濃国。]に放つ。望月(もちづき)の牧[やぶちゃん注:現在の長野県佐久市望月附近。]・霧原の牧[やぶちゃん注:現在の長野県松本市東部のこの中央附近。]にて、後世、牛馬に乏しからず。今、則ち、産(う)む處處の者、多し。奧州・常州の、良と爲し、薩州、之れに次ぐ。信州・甲州・上下の野州[やぶちゃん注:上野(かみつけの)国と下野(しもつけの)国。]・總州[やぶちゃん注:前の「上下」がここにも掛かるので上総(かずさの)国と下総(しもうさの)国を指す。]も亦、之れに次ぐ。

小荷駄馬(こにだむま) 貨物(にもつ)を載-負(をは)せる馬なり。凡そ畜を以つて物を載す〔は〕皆、「佗〔(だ)〕」【今、俗、「」に作り、或いは「?」に作る〔も〕並びに[やぶちゃん注:孰れも。]非なり。「馬」に从〔(したが)〕ひ、「大」に从ふ〔が正しきなり〕。】曰ふ。聖武帝【天平十一年[やぶちゃん注:七三四年。]。】と曰ふ。天下に令して、馱負〔(だおひ)〕の重さを改定し【先づ、是れ、馱馬一匹、負ふ所の重さ、大-畧〔(ほぼ)〕、二百斤[やぶちゃん注:当時と同じとは思えないが、現行のそれの機械的換算では一斤は六百グラムであるから、百二十キログラムとなる。以下同じ。]、甚だ、馬の蹄を重勞す。是に於いて、諸州に令して、百五十斤[やぶちゃん注:九十キログラム。]を以つて限りと爲す。今の制、二十五貫目[やぶちゃん注:江戸時代の一貫は三・七五キログラムであるから、九十三・七五キログラム。]を用ふも亦、畧〔(ほぼ)〕、古法に合〔ひたり〕。】

「著聞集」に云はく、『都築(つゞきの)平太經家〔(つねいへ)〕といふ者、有り。善く馬を御するを以つて平氏に仕ふ。〔平氏〕敗北の日、虜〔(とりこ)〕と爲る。是に於いて、駿馬を鎌倉に献ずる者有り、而〔れども〕、人、之れを御〔(ぎよ)す〕ること克〔(あた)〕はず。囚(めしうど)經家をして之れに乘らし〔むれば〕、則ち、相ひ馴るる者のごとし。人皆〔(ひとみな)〕、之れに感ず。頼朝、大きに喜び、罪を免じて、厩〔の〕別當と爲す。嘗て、馬を養ひ、常に異なり、毎〔(つね)〕に夜半許り、白色の物を用ひて、自-手(てづか)ら之れをして飼はしむ。〔はの白き物は、これ、〕未だ何物といふこと、知ざるなり。但し、日中には飼はず。以-爲〔(おもへら)く、〕異〔なり〕と。〔後、〕經家、遂に海に入りて死す。惜しきかな、其の術、傳へざるなり』〔と〕。

[やぶちゃん注:「馬の眼光、人の全身を照らす者」この妖しく光る馬の眼、実は事実なのである。それについては、後の『馬の膝の上に、「夜眼〔(よめ)〕」といふもの、有り。此れ有る者-馬〔(うま)〕、能く夜行〔(やかう)〕す。故に名づく』の部分の引用まで「おあずけ」としよう。ヒントは……「タペタム」……フフフ

「杜衡〔(とこう)〕」被子植物門双子葉植物綱ウマノスズクサ(馬の鈴草)目ウマノスズクサ科カンアオイ(寒葵)属カンアオイ Asarum nipponicum の異名(旧漢名か)である。ウィキの「カンアオイ」によれば、日本固有種のギフチョウ(岐阜蝶・鱗翅(チョウ)目アゲハチョウ上科アゲハチョウ科ウスバアゲハ亜科ギフチョウ族ギフチョウ属ギフチョウ Luehdorfia japonica。懐かしいなあ! 現代文で何度か授業をやった、日高敏隆の「ギフチョウ二十三度の秘密」でも出て来たなぁ!)『幼虫の食草としても知られる』。本種もまた、『日本固有種で、本州の関東地方から近畿地方、四国』の『山地や森林の林床に生育する』。『小型の多年草。茎は短く、地面を匍匐する。葉は互生、卵形~卵状楕円形で、先端は尖り、基部は心脚、長さ』六~十センチメートル、幅四~七センチメートルで、『濃緑色で白い斑紋がある』。『花期は秋季(』十~十一『月)で地面に接して咲く。花のように見えるのは花弁ではなく』、三『枚の萼片である。萼片は基部で癒着し萼筒を形成する。萼筒は先がくびれず、直径』二センチメートル、長さ一センチメートル『程度で、暗紫色、内側に格子状の隆起線がある。萼筒の先端の萼裂片は三角形で萼筒よりも短く、濁った黄色。雄蕊は』十二『本、雌蕊は』六『本。芳香がある』。本邦には二亜種が植生するともある。

「雞〔(にはとり)の〕糞を食へば、則ち、骨眼〔(こつがん)〕を生ず。〔それ、〕僵〔(し)せる〕蠶〔(かひこ)〕を以つて〔治〕す」ここは訓読に非常に苦労した。訓点に従おうとすると、こうしか、私には読めない。ところが、東洋文庫訳はここを『鶏糞を食べれば、死んで白く固まった蚕のような形の骨眼を生じる』というオドロキの超訳をやらかしてあるのである。確かに一つの訳としては、どこか腑に落ちるように思わせるものがあることはあるが、この文字列ではこの読みは無理があると私は思った。そこで、後に治療法を添えた部分があるので、それに合わせてかく訓じてみた。大方の御叱正を俟つものではある。なお、「骨眼」なるものが実はよく判らぬ。東洋文庫の訳者も実はそうだったのではないか? と私は密かに疑ってさえおり、それを一見、辻褄が合うように見せて訳したのがそれなのではないか? と考えているのである。いろいろ考えて調べてみた。まず、「骨眼」の「眼」だ。直前で超能力的に人の全身を照らす眼光が語られているのだから、馬にとっては眼こそが大事な部分であることが判る。さすれば、この「骨眼」とは馬の眼の疾患なのではないか? と考えた。すると、それらしいものがあったのである! 馬の眼の角膜に生じた傷で、黒目の一部が白くなる症状があり、その写真を見るに、黒目の中に白い骨が生じたように見えるのである。「馬の獣医 Kawata Equine Practice」公式サイトのこちらをご覧あれ! ただ、その白っぽいものが死んで丸くなった白い蚕のようだと言われれば、それもそうだ、と肯んじそうにはなるのである。

「烏梅〔(うばい)〕」これは普通のバラ目バラ科サクラ属ウメ Prunus mumeの異名でもある。或いは青酸配糖体のアミグダリンやプルナシンを含んだ青い未成熟の梅の実か。或いは漢方で「烏梅」があり、梅の未熟な実を干して燻したもので、染料や下痢・腫れ物などの薬とする。本邦では「ふすべうめ」とも称する。後者か。よく判らぬ。わざわざそんなもんで歯を拭う方がおかしいやろ!?!

「海-馬〔(たつのおとしご)〕の骨」条鰭綱トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヨウジウオ科タツノオトシゴ亜科タツノオトシゴ属 Hippocampus の干物。漢方では大型種である、タカクラタツ Hippocampus trimaculatus(全長二十二センチメートル)・クロウミウマ Hippocampus kuda(全長三十センチメートル)・オオウミウマ Hippocampus kelloggi(同前)が珍重される。これはまさに類感呪術である。

「猿猴〔(えんこう)〕を厩〔(むまや)〕に繫〔げば〕、馬の病ひを辟〔(さ)〕く」「猿猴」は「猿」で、ここは「本草綱目」の記載なので、哺乳綱霊長目オナガザル科オナガザル亜科ヒヒ族マカク属 Macaca としておく。これは「猴」が特に同属を指す語であったと考えられているからである。但し、「猿」の方は「猨」と同字とした場合、中国では古くは霊長目直鼻亜目真猿下目狭鼻小目ヒト上科テナガザル科Hylobatidae のテナガザル類を特定して指し、「猴」とは厳然たる区別が行われていたらしい。しかし、後代、それらが一緒くたにされて「猿猴」と呼ばれるようになったと思われる経緯や、「猴」(音「コウ・グ」)自体も、「廣漢和辭典」では「猿」・「ましら」・「猿猴」・「獼猴」・「沐猴」と意義を記し、「説文解字」では中の(にんべん)はなく、「侯」の部分は「候」に通じ、単に「気配を覗って騒ぎ立てる」というサル類一般の義とするからには、「猿猴」は広義広汎な「猿」でよいのかも知れない(なお、ニホンザル Macaca fuscata は学名でお判りの通り、前者マカク属である)。興味のある方は、私の「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類」の冒頭に、「獼猴(さる/ましら)」を始めとして、ズラリと猿類(想像上の妖猿や妖獣を含む)が並び、古い仕儀ながら、相応にそれぞれ考証しているので参照されたい。さて、何故、猿を厩に繋ぐと、馬の病いを避けられる、猿が厩の守護神なのか(本邦でも同じ習俗がある)という点であるが、これは時珍が各所で語っているところの、五行説に基づくものなのである。判り易いのは、岩手県奥州市前沢字南陣場にある「牛の博物館」の作成になる、「牛馬の守護神 厩猿信仰 岩手県前沢町から発見された今や猿をきっかけに」の中の、「牛馬と猿」のページがよい。そこに、『十二支に十二獣を配して五行との関係を見ると、木=卯(兎)、火=午(馬)、金=酉(鶏)、水=子(鼠)という関係であることが分かります。陰陽道では、三合といって世の中に存在する物全てに始まりがあり(生)、次に壮』(さか)『んになり(旺)、最後に終わる(墓)という気の循環が考えられています。そこで季節の中心にあたる兎、馬、鶏、鼠をそれぞれ木火金水の旺として順番にあてはめていくと、火の三合は虎(生)・馬(旺)・犬(墓)、水の三合は猿(生)・鼠(旺)・龍(墓)となります。すると、厩猿信仰は、馬の火(旺)を猿の水(生)で制御しようという仕組みであることが分かります。ここで疑問になるのは、なぜ水の旺である鼠ではなく』、『生じ始めの猿なのかといった点です。それは、たっぷりの水をかけて火を消すのではなく、ちょうど良く制御するためだと説明する事が出来ます。厩猿は馬と同様に厩で飼われる牛にも家畜の守り神としての力を発揮したようで、岡山県など西日本の牛の飼育が盛んだった地方では猿の頭蓋骨が牛神様と呼ばれて信仰されています。また、厩猿信仰の「火災が起きない」といった口承は、猿が水気の動物であることから来ていると考えられます。大衆芸能化した猿回しが旧暦の正月にあたる寅(火の生じ始め)に行っていた門付は、水の生じ始めとしての猿が火災防除の役割も果たすよう期待したものでした』という解説で私は納得出来る(太字下線は私が附した。この因果関係には別な説もあるが、中国での考え方はこれに尽きると私は思う)。なお、猿と馬の関係については、柳田國男が「山島民譚集」の「河童駒引」で考証しており、私は今現在、その電子化注をしている真っ最中である。但し、肝心の猿との関係性の部分は今まさに直前ではあるものの、到達していない。暫く、お待ちあれかし。

「皆、物〔の〕理〔(ことはり)〕、當に然るべきのみ」これらは、皆、この世界の物の道理(但し、陰陽五行思想)から見て、至極当然なことなのである。

『馬の膝の上に、「夜眼〔(よめ)〕」といふもの、有り。此れ有る者-馬〔(うま)〕、能く夜行〔(やかう)〕す。故に名づく』んなものがあるはずは無論ないわけだが、馬は実際に暗視能力に優れている。サイト「馬を知ろう!」の「馬の特徴:馬の眼について」に、まず、冒頭に、目の位置と馬の瞳孔が横長に開いている特徴から、彼らの視野は三百五十度にも及ぶことが書かれてあり(但し、視野の五分の四以上が片眼だけで見ているため、その部分では対象の距離判別は出来ない欠点がある)、「5」の「暗視能力」で以下のように記されてある。『馬は夜行性の動物とは言えませんが、夜目はよく利くようです』。『馬産地・日高では夜間も放牧されている馬がいますが、月明かりの下でも、彼らは苦もなく放牧地の中を走ることが出来るのです』。『馬が夜目の利く秘密は眼球の構造にあり、瞳孔から入った光は、網膜に像を結び、網膜表面の視細胞を刺激、光の刺激を受けた視細胞はその刺激を電気信号に変え、視神経を通じて脳に送るのです』。『もちろん』、『夜など、光が弱ければ視細胞に対する刺激は弱くなり、結果的には見えにくいということになりますが、馬の目の網膜の後ろ側には「タペタム(輝板)」』tapetum:視神経円板の背側部の血管板と脈絡毛細血管板の間に存在する構造物。「輝膜」とも呼ばれ、食肉類や原猿類が持つそれは細胞性輝板と呼び、輝板細胞が網膜面と平行に層板上に積み重なった構造を成している)『が存在するのです』。『タペタムは、網膜で吸収されずに透過した光を反射する役割を持っており、タペタムからの反射光は再び視細胞を刺激するのです』。『すなわち馬の視細胞はタペタムがあるために』二『回、光の刺激を受けるのです』。『タペタムはいわば』、『光の増幅装置とも言えるでしょう』。『ネコの目が夜中に光っているのを見たことがある人は多いと思います』。『馬の目もネコほどではないにしろ、同じように光ります』。『これはネコにも馬にも、網膜の後ろに光をよく反射するタペタムが存在するからです』。『タペタムがあるのは夜行性の哺乳動物ばかりとは限らず、魚類ではたいていの種類でタペタムが存在します。これは到達する光がどうしても少なくなってしまう水中で活動せざるを得ないからです』とある。これで、先の夜光る馬の眼の話が事実であることが判るのである。

『「三才圖會」に云はく……ここ(国立国会図書館デジタルコレクションの画像)。前頁に図が有る。

「馬八尺以上……」明代の一尺は三十一・一センチメートルと少し長い(一寸は三・一一センチメートル)から、「八尺以上」は二メートル四十八・八センチメートル以上、「七尺以上」は二メートル十七・七センチメートル以上、「六尺以上」は一メートル八十六・六センチメートル以上、「五尺以上」は一メートル五十五・五センチメートルとなる。本邦では通常、馬の丈は脚の下(地面)から前肢の付け根の肩上部の固い骨の上(騎乗する際の前の突出部)までを言うが、これはそれではとんでもなく巨大な馬になってしまうので、これは事実上の頭部の頂きまでの長さであろう。

「肉」「熱を除き」昔は高熱を発した者には生の馬肉を載せて熱を下げた。向田邦子原作で私の忘れ難い名ドラマ「父の詫び状」(ジェームス三木脚本・杉浦直樹主演)のドラマでそのシーンが出てきたのを思い出す。

「倉米」貯蔵した新米でないものの謂いであろう。

「蒼耳」キク目キク科キク亜科オナモミ属オナモミ Xanthium strumarium知らない? 知ってるさ! とげとげの樽みたような「ひっつき虫」だよ! ほら、君たち(最初の柏陽の担任生徒たち)がグランドの掃除の時に僕の背中にメチャいっぱいつけた、あれだよ! 生薬名を(実及び全草)「蒼耳子(そうじし)」と呼び、中国最古の薬物書「神農本草経」に既に処方が記載されている。主に鎮痛・鎮痙・解熱・発汗作用があり、風邪による頭痛や発熱・神経痛・蓄膿症に効果があり、蚊や蜂に刺された場合には生葉の汁を塗ると良くなるとも言う。但し、「蒼耳子」には僅かながら毒性があり、多量に服用すると、人によっては頭痛や眩暈(めまい)を伴うことがあると、「馬場藥局」公式サイトのこちらの解説にあった。今度、蚊に刺されたら、やってみよう。

「自死の馬」原因不明で急死した馬。

「蘆菔〔(だいこん)〕」アブラナ目アブラナ科ダイコン属ダイコン Raphanus sativus var. longipinnatus。現代中国語でもこう書く。但し、「蘿蔔」の方が一般的のようではある。

「杏仁〔(きやうにん)〕」既出既注

「馬墨(〔むま〕のたま)」結石。ここは「腎に在り」と言っており、漢方の五臓六腑は現在の臓器とは比定出来ないものが多いが、これはまず腎臓結石ともてよかろう。広義の家畜類の結石類は先行する「鮓荅」(さとう)を見られたい。

「牛黃(〔うし〕のたま)」先行する「牛黃(ごわう・うしのたま)(ウシの結石など)」を見られたい。

「造物の鍾〔(あつま)れる〕所なり」人を含む動物の体内に於いていろいろな原因で作り出されて集まって凝り固まった病的なものなのである。時珍は一貫して「鮓荅」を疾患によって形成されたものという立場を採っており、良安もそれに従っていることは今までの叙述で明らかであるので、わざと「病的な」を挿入した。

「狗寳〔(いぬのたま)〕」先行する「狗寳(いぬのたま)(犬の体内の結石)」を見られたい。

「溺(ゆばり)」尿。

「消渇〔(しやうけち)〕」口が激しく渇いて尿量が異常に少なくなる状態を指す。別に排尿回数が異常に多いとするものもあり、その場合は所謂、「飲水病」、現在の糖尿病の症状とよく一致する。別に「しょうかつ」(現代仮名遣)と読んでも構わぬ。

「積衆癥瘕〔(しやくじゆちようか)〕」広義の腹部腫瘤全般を指す。

「反胃〔(ほんい)〕」食べたものをすぐ吐いてしまうような状態或いはそうした慢性的症状を指す。

「心腹」胸と腹。

「鼈〔(すつぽん)〕」カメ目潜頸亜目スッポン上科スッポン科スッポン亜科キョクトウスッポン属ニホンスッポン Pelodiscus sinensis。本種は「キョクトウスッポン」「シナスッポン」の名で呼ばれることもある。中国産も同じ。

「馬肝〔(むまのきも)〕」「肝、有りて、膽、無し」これも例外的に「肝」は肝臓、「膽」は胆嚢と採ってよい。ここにある通り、馬やラットには存在しない。

「字彙」明の梅膺祚(ばいようそ)の撰になる字書。一六一五年刊。三万三千百七十九字の漢字を二百十四の部首に分け、部首の配列及び部首内部の漢字配列は、孰れも筆画の数により、各字の下には古典や古字書を引用して字義を記す。検索し易く、便利な字書として広く用いられた。この字書で一つの完成を見た筆画順漢字配列法は、清の「康煕字典」以後、本邦の漢和字典にも受け継がれ、字書史上、大きな意味を持つ字書である(ここは主に小学館の「日本大百科全書」を参考にした)。

「稟〔(う)け〕て」「受けて」。応じて。

「膽は木の精氣なり。木臟〔(もくざう)〕足らざる故、馬〔の〕肝、大毒有り、之れを食ふ者、死す」五行の「木」が欠けた生物であるから、五行の調和が壊れた存在であり、だから有毒・大毒なのだと謂うのであろう。

「人丸」「拾遺」「山科の木幡〔(こはた)〕の里に馬はあれどかちよりぞ行く君を思へば」「拾遺和歌集」の「巻第十九 雑恋」に「題知らず」で、柿本人麿の歌として載せる一首(一二四三番)であるが、「万葉集」の「巻十一」の詠み人知らずの以下の一首(二四二五番)、

 山科の木幡の山は馬はあれど步(かち)ゆわが來(こ)し汝(な)を思ひかねて

の異伝に過ぎない。

「古今」「大あらきの杜〔(もり)〕の下草生ひぬれば駒もすさめず刈る人もなし」「古今和歌集」の「巻第十七 雑歌上」の詠み人知らずの一首(八九二番)であるが、表記に問題がある

 大荒木(おほあらき)の森の下草(したくさ)老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし

が正しい。「大荒木」は地名らしいが不明。これを「殯(もがり)の宮」(本葬の前に蘇生を祈って仮安置する場所)とする説がある(岩波の「新日本古典文学大系」の注に拠る。以下も同じ)。「すさめず」「心を寄せない・好まない」の意。草が年長けてしまって硬くなってしまったから、馬も喰(は)もうとせぬ、というのである。なお、この一首には後書きの異伝の上句が示されてあり、それで復元すると、

 さくら麻(あさ)麻生(をふ)の下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし

となる。「さくら(櫻)麻」は実体不詳の万葉以来の枕詞。「をふ(苧生・麻生)」にかかる。「麻」と「苧(お)」は同義であるところから、「おふ(苧生:麻の生えている場所。麻畑)に掛かるのだと説明される。

『昔、駿馬〔(しゆんめ)〕有り、驁〔(がう)〕と名づく。壬申〔(みづのえさる)〕の日を以つて死す。故に、馬に乘るに、此の日を忌む』この出所は「説文解字」(最古の部首別漢字字典。後漢の許慎撰。西暦一〇〇年成立)であるようだ。『駿馬。以壬申日死、乘馬忌之。从馬敖聲』とある。

『古えは「波之留〔(はしる)〕」と訓ず。今、「加介留〔(かける)〕」と稱す。蓋し、馬の死を「波之留」と曰〔へば〕、故に之れを忌む〔なり〕』不審。小学館「日本国語大辞典」の「はしる」を引くと、本文意義には馬の死を指すと出ない。確かに、方言の項には人が『死ぬ・他界する』(壱岐の採取)及び『牛馬が死ぬ』として和歌山県西牟婁郡田並・山口県豊浦郡の採取例が載るが、寺島良安は生粋の大坂人である。このような汎用例があるとされる方は御教授願いたい。

「磬〔(けい)〕」本字は原義は「打ち石」で、中国古代の「へ」の字形をした打楽器で、後に仏教で「きん」と読み、礼拝や読経の際に打ち鳴らす仏具の意となり、また、体を楽器の磬の形のように折り曲げて礼をするの意が生じ、最後に「はせる・馬を走らせる」の意があることはある。これはやはり、疾走する際の馬の体型を楽器の「磬」に譬えたものか。

「馬、石を怕(をそ)れて、行くこと能はざる」「石」を鉱石と言い換え、五行の「金」と採るならば相剋で「金剋木(ごんこくもく)」(金属は木を傷つけて切り倒す)であるから、腑に落ちる。

?(けしとむ)」「消(け)し飛(と)む」で「消し飛ぶ」と同義。「勢いよく飛んで見えなくなる・ふっ飛ぶ」以外に「蹴躓(けつまず)く」の意があり、古語用例では馬のそれに使われているので腑に落ちる。

駗驙〔(しんてん)〕」中国語の辞書に「馬載重難行」(馬、重きを載せて難行す)とある。

〔(たく)〕」「康熙字典」に「䮓騺」として、「馬行不前貌」(馬の行くに、貌〔(かほ)〕を前せず)とあるので、馬が行き悩む、前進することを嫌がるの意と採れる。

「嘶〔(いばふ)〕」」「以波由〔(いばゆ)〕」小学館「大辞泉では」後者が原形で、「いばふ」はその転訛とする。

「以奈奈久〔(いななく)〕」「い」は馬の鳴き声のオノマトペイアで、馬が声高く鳴くことを指す。

(はだせ)」原典は「はたせ」で(但し、良安は濁点を除去することが多い)、東洋文庫訳も『はたせ』とするが、これは「裸(肌)背馬(はだせうま)」の略と考えられ、小学館「日本国語大辞典」も「はだせ」で見出しを作るので、濁音で示した。

『凡そ、畜を以つて物を載(の)す〔は〕、皆、「馱」と曰ふ【俗、「」に作り、或いは「駄」に作る〔は〕並びに非なり[やぶちゃん注:孰れも誤りである。]。】〔は〕和名、之れを「小荷馱馬(こにだ〔むま〕)」と謂ふ』しばしば認められる良安の漢字や訓へのマニアックな拘りがバクハツしているが、これは正しい。この「馱」は「駄」の正字なのである。

「一斛五斗」「斛」は「石」に同じで、単純換算では約二百七十・五リットルとなり、米一石だと、百五十キログラムであるから、四百五十キログラムになってしまうが、流石に重過ぎる。実際には俵換算で減衰する。後に「六十貫目」とあり、これだと、二百二十五キログラムで、振り分け荷としては、馬が何とか運べそうな重量ではある。

『張穆仲〔(ちやうぼくちう)〕が「安驥集〔(あんきしふ)〕」』東洋文庫書名注に、「安驥集」は『中国古代の黄帝の時の馬師皇の言辞を編したものという。馬の疾病・治療法などを説く』としつつ、但し、『本書にいう張穆仲の『安驥集』は不明』とする。しかし、検索すると、山形県米沢市の市立米沢図書館の「デジタルライブラリ」のこちらで、「司牧療馬安驥集(しぼくりょうばあんきしゅう)」(全七巻・附一巻・六冊)『金張穆仲輯』として、一五〇四年(明の弘治十七年)序の刊本が示され、『中国で唐時代に作られた馬医書で、日本にも伝わり』、『仮名で再編集された「仮名安驥集」が広く用いられた。本書は』『世界的にも古い刊本と評価されている』とあり、当該刊本をこちらで視認することが出来る。その九コマ以降に各相の詳細にして膨大な解説が載り、それを縦覧するに、冒頭(八~九コマ目)にある多量のキャプション附きの馬の図及び後に続く詳細解説と、十コマ目にある「相良馬宝金篇」を良安がここで参考にしたことは最早、間違いなく、それどころか、冒頭の図の旋毛の吉凶についても、十三~十四コマの図に「良馬旋」の図があって、続く馬の年齢等も、良安は大々的にこの本に基づいて記載していることが判る。是非、原書の記載や画像を見られたい

「食槽(むまのきほね)[やぶちゃん注:臼歯。]」意味は東洋文庫の割注に拠った。通常は馬用の飼葉桶や水桶を指す語であるが、前後から、ここに突然、入るのはおかしいし、上記の「相良馬宝金篇」にも、

   *

食槽寛浄顋無肉

   *

とあるので、しっかりと噛むための臼歯と採るのが腑に落ちる。

「脛骨〔(けいていこつ)〕」(「」=「月」+「廷」)上記原本の八コマ目の図で、向う脛の部分を指示してある。

「鹿節」上記原本の八コマ目の図で、後ろ足の脛(骨)の部分を指示してある。

「曲池は深きを欲す」同じく八コマ目の図にあるが、指示線がない。但し、人の経絡の経穴に「曲池穴(きょくちけつ)」があり、それは上肢(腕)の左右の肘の部分の外側の窪んだ部分に当たるが、図を見ると、後ろ足の右のまさにそれらしい位置に丸い窪みのようなもの(記号?)があるから、それを指しているのではないかと私は思う。

「汗溝〔(あせみぞ)〕」馬の腰の上部か下へ向かって窪んでいる部分。上記原本の八コマ目の図で示されてある。

「外腎」既に「思うにの外生殖器のことを指すものと思われる」と注したが、まさに上記原本の八コマ目の図で陰茎らしき部分を指示してある。

「馬〔の壽命は〕三十二。齒を以つてを知る」以下も総て、上記「司牧療馬安驥集」の十七と十八コマ目の引き写しである。

「馬の毛色」ウィキの「馬の毛色」に詳しく、各毛色の独立ページもリンクされているので、そちらを参照されたい。言葉よりそれらの画像で一目瞭然なれば、私は一部を除き、個々には注さない。

『「油馬(かすげ)」【和名、「糟毛」。】』粕毛(かすげ)。ウィキの「粕毛」に、『原毛色に白色毛が混毛し、体が灰色っぽく見える馬のこと、またはその状態そのものを指す。芦毛や薄墨毛と非常に混同されやすい毛色であるが、別の毛色である』。『原毛色により、栗粕毛(原毛色が栗毛系)、鹿粕毛(原毛色が鹿毛系)、青粕毛(原毛色が青毛系)と区別する』とある。リンク先に画像有り。

『「連錢〔(れんせんあしげ)」〕」【和名、「連錢葦毛」。】、靑黑〔の〕斑〔(まだら)〕にして魚〔の〕鱗のごとし』藤木ゆりこ氏のサイト「花遊戯~はなあそび~」内のこちらの一番上の写真の馬がそれ。藤木氏の同サイト内の「馬の毛色いろいろ」からも各種のそれらを見られる。必見!

「襍毛〔(ざつもう)〕」「襍」は「雜」に同じい。

『「騢(ひばりげ)」【和名、「鴾毛〔(つきげ)〕」。】、赭〔(しや)と〕白〔の〕雜毛』月毛に同じい。葦毛(白を基調に黒・茶・赤の混じったもの)の全体に赤ばんだ毛色を指す。ウィキの「月毛」を参照されたい。ほら、芥川龍之介の「藪の中」で真砂が乗っていた馬だよ。

『「搜神記」〔に云はく〕……』以下は、第六巻の以下。

   *

漢文帝十二年、地有馬生角、在耳前、上向、右角長三寸、左角長二寸、皆大二寸。劉向以爲馬不當生角、猶不當舉兵向上也、將反之變云。京房易傳曰、「臣易上、政不順、厥妖馬生角。茲謂賢士不足。」。又曰、「天子親伐,馬生角。」。

   *

自然流で訓読しておく。

   *

 漢の文帝十二年、の地に、馬、有り、角を生ず。耳の前に在りて、上向(うはむ)きて、右の角、長さ三寸、左の角、長さ二寸、皆、大(ふと)さ、二寸。劉向、以爲(おもへ)らく、「馬、當に角を生ずべからず。猶ほ、、當に舉兵し、上(かみ)に向(はむか)ふべからざるがごとし。、將に反するの變たり。」と云ふ。「京房易傳」に曰はく、「臣、上を易(あなど)り、政(まつりごと)、順ならざれば、厥(それ)、馬、角を生ずるの妖あり。茲(これ)、『賢士の足らざる』の謂ひなり。」と。又、曰はく、「天子、親伐(しんばつ)せば、馬、角を生ず。」と。

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「万寶全書」東洋文庫書名注に、『無名氏撰。清の毛煥文』(もうかんぶん)『増補の『増補万宝全書』がある。三十巻。百科事典のたぐい』とある。

「黃丹〔(わうたん)〕」漢方で「鉛丹(エンタン)」の別名。鉛を熱して赤褐色に酸化させた生薬。成分は四酸化三鉛(しさんかさんなまり:Pb3O4)効能は明らかでないが、外用薬(塗り薬)で、皮膚の化膿症・湿疹・潰瘍・外傷・蛇による咬傷などに用いると漢方サイトにはあった。

「黃芪〔(くわうぎ)〕」マメ目マメ科ゲンゲ属キバナオウギ(黄花黄耆)Astragalus membranaceus 或いは同属のナイモウオウギ Astragalus mongholicus の根から作られた生薬。現行では「黄耆(オウギ)」と称する。止汗・強壮・利尿・血圧降下等の作用があるとする(ウィキの「キバナオウギ」に拠る)。

「烏藥〔(うやく)〕」既出既注

「芍藥」ユキノシタ目ボタン科ボタン属シャクヤク Paeonia lactiflora 或いは近縁種の根から製した生薬。消炎・鎮痛・抗菌・止血・抗痙攣作用を有する。

「山茵陳〔(いんちこう)〕」キク亜綱キク目キク科ヨモギ属カワラヨモギ Artemisia capillaris の頭状花部分から製した生薬。消炎・利胆・解熱・利尿効果があり、黄疸・肝炎・胆嚢炎などに用いられる。

「地黃〔(ぢわう)〕」キク亜綱ゴマノハグサ目ゴマノハグサ科アカヤジオウ属アカヤジオウ Rehmannia glutinosa の根から製した生薬。内服薬としての利用では補血・強壮・止血作用が、外用では腫れ物の熱を取り、肉芽の形成作用を有する。

「兜苓〔(とうれい)〕」「馬兜鈴(バトウレイ))」等異名が多い、ウマノスズクサ(馬の鈴草)科ウマノスズクサ属ウマノスズクサ草 Aristolochia debilis 及びマルバノウマノスズクサ Aristolochia contorta などの成熟果実を原料とする生薬で、鎮咳・去痰・止血・消腫・鎮痛・呼吸改善・痔疾改善・整腸及び創傷回復などに用いると漢方サイトには確かにあったが、しかし、この如何にもな和漢名の草を馬の血尿に用いるというのは、どうも、もともとは類感呪術っぽい感じがする。

「枇杷」ナシ亜科ビワ属ビワ Eriobotrya japonica の葉は「琵琶葉(ビワヨウ)」、種子は「琵琶核(ビワカク)」と呼ばれる生薬とする。ウィキの「ビワ」によれば、ビワは「大薬王樹」とも呼ばれ、民間療薬としても『親しまれてもいる。なお、以下の利用方法・治療方法は特記しない場合、過去の歴史的な治療法であり、科学的に効果が証明されたものであることを示すものではない』。『葉には収斂(しゅうれん)作用があるタンニン』(tannin:「タンニン」という名称は「革を鞣す」という意味の英語である「tan」に由来し、本来の意味としては、製革に用いる鞣革性を持つ物質のことを指す言葉であった)『のほか、鎮咳(ちんがい)作用があるアミグダリン』(amygdalin:青酸配糖体の一種)『などを多く含み』、『乾燥させてビワ茶とされる他、直接患部に貼るなど』、『生薬として用いられる。 琵琶葉は』、九『月上旬ごろに採取して葉の裏側の毛をブラシで取り除き、日干しにしたものである』。『この琵琶葉』を『水で煎じて』『服用すると、咳、胃炎、悪心、嘔吐のほか、下痢止めに効果があるとされる』。『また、あせもや湿疹には、煎じ汁の冷めたもので患部を洗うか、浴湯料として用いられる』。『江戸時代には、夏の暑気あたりを防止する琵琶葉湯に人気があったといわれており、葉に含まれるアミグダリンが分解して生じたベンズアルデヒドによって、清涼飲料的効果が生み出されるといわれている』。『種子』も『水で煎じて服用すると、咳、吐血、鼻血に効果があるとされる』。『葉の上にお灸を乗せる(温圧療法)とアミグダリンの鎮痛作用により』、『神経痛に効果があるとされる。 ただし、アミグダリンは胃腸で分解されると猛毒である青酸を発生する。そのため、葉などアミグダリンが多く含まれる部位を経口摂取する際は、取り扱いを間違えると健康を害し、最悪の場合は命を落とす危険性がある』ともあるので、要注意

「貝母〔(ばいも)〕」単子葉植物綱ユリ目ユリ科バイモ属アミガサユリ Fritillaria verticillata var. thunbergiiの乾燥させた鱗茎の生薬名。去痰・鎮咳・催乳・鎮痛・止血などに用いられるが、鱗茎を始め、全草に多種のアルカロイドを含み、これは心筋を侵す作用があることから、副作用として血圧低下・呼吸麻痺・中枢神経麻痺を引き起こす事があり、呼吸数・心拍数低下を惹起する場合もあることから、使用時は量に注意しなくてはならない(以上はウィキの「アミガサユリ」に拠った)。

『「著聞集」に云はく……」以下は、「古今著聞集」の「巻第十 馬芸」に載る、以下の「都筑經家、惡馬を御する事」。

   *

 武藏國の住人、つづきの平太經家は、高名の馬乘り・馬飼ひなりけり。平家の郎等(らうどう)なりければ、鎌倉右大將、めしとりて、景時にあづけられにけり。其時、陸奧(みちのく)より、勢、大きにして、たけき惡馬をたてまつりたりけるを、いかにも乘るもの、なかりけり。きこえある馬乘りどもに、面々にのせられけれども、一人も、たまるものなかりけり[やぶちゃん注:乗りこなすことが出来る者はなかった。]。幕下[やぶちゃん注:源頼朝。]、思ひわづらはれて、
「さるにても、此の馬に乘るものなくてやまむ事、口惜しき事なり。いかがすべき。」
と、景時にいひあはせ給ければ、
「東八ケ國に、いまは心にくきもの[やぶちゃん注:頼みとし得る者。]、候はず。但し、召人(めしうど)經家ぞ候。」
と申しければ、
「さらば、めせ。」
とて、則ち、召しいだされぬ。
 白水干(しろすいかん)に葛(くず)の袴をぞきたりける。
 幕下、
「かかる惡馬あり。つかうまつりてんや。」
とのたまはせければ、經家、かしこまりて、
「馬は、かならず人に乘らるべき器(うつは)にて候へば、いかにたけきも、人にしたがはぬ事や候べき。」
と申ければ、幕下、入興(じゆきよう)せられけり。
「さらば、つかうまつれ。」
とて、則ち、馬を引き出だされぬ。
 まことに大きにたかくして、あたりをはらひて[やぶちゃん注:周囲に人を寄せ付けず。]、はねまはりけり。經家、水干の袖、くくりて、袴のそばたかくはさみて[やぶちゃん注:袴の腿立ちの部分を上に高く挟んで。]、烏帽子(ゑぼうし)かけして[やぶちゃん注:烏帽子の紐を顎の下で強く結んで、落ちぬようにし。]、庭におり立ちたるけしき、まづ、ゆゆしくぞ見えける。かねて存知(ぞんち)したりけるにや、轡(くつわ)をぞ、もたせたりける。その轡をはげて[やぶちゃん注:馬の口に噛ませて。]、さし繩(なは)[やぶちゃん注:手綱に添えて用いる引き綱。]とらせたりけるを、すこしも事ともせず、はねはしりけるを、さし繩にすがりてたぐりよりて乘りてけり。やがてまりあがりて出けるを[やぶちゃん注:すぐに躍り上がって庭の外へと出て行ったが。]、すこし走らせて、うちとどめて、
「のどのど。」[やぶちゃん注:馬の足音のオノマトペイア。「ぽくぽく」。]
とあゆませて、幕下の前にむけて、たてたりけり。見る物、目をおどろかさずといふ事なし。よくのらせて[やぶちゃん注:十二分に乗りこなしたので。]、
「いまは、さやうにてこそあらめ。」[やぶちゃん注:頼朝の台詞。「もう、それくらいよかろうぞ。」。]
とのたまはせける時、おりぬ。
 大きに感じ給ひて、勘當(かんだう)ゆるされて、厩(うまや)の別當になされにけり。
 かの經家が馬飼けるは、夜半ばかりにおきて、なににかあるらん、白き物を一かはらけばかり[やぶちゃん注:素焼きの鉢にすればその一盛り分ほど。]、手づからもて來りて、かならず飼ひけり。すべて、夜々(よよ)ばかり、物をくはせて、夜、あくれば、はだけ髮(がみ)[やぶちゃん注:乱れた鬣。]ゆはせて、馬の前には草一把(いつぱ)も、おかず。さわさわとはかせてぞ、ありける[やぶちゃん注:後は塵一つなく、綺麗に掃いてあったという。]。
 幕下、富士川あゐさはの狩りに出られける時は、經家は、馬、七、八疋に鞍置きて、手繩(てなは)[やぶちゃん注:下級の馬の口取りが馬を牽くために結んで使う繩。]むすびて、人も付けずうち放ちて侍りければ、經家が馬のしりにしたがひて行きけり。さて、狩庭(かりば)にて、馬のつかれたるをりには、めしにしたがひてぞ、まいらせける[やぶちゃん注:お召しがあった際には、即座に別の馬を差し上げ申し上げたという。]。
 今の代には、かくほどの馬飼ひもきこえず。その飼ひけるやうに傳へたるものなし。經家、いふかひなく入海(じゆかい)して死にければ、知る者なし。口惜しき事なり。

 

   *

「都築(つゞきの)平太經家〔(つねいへ)〕」以上の本文の参考にした新潮日本古典集成の「古今著聞集」(西尾光一・小林保治校注)の注によれば、『都筑(都築・綴喜)氏は、武蔵国都筑郡一帯を根拠とした氏族。藤原利仁の末裔で、斎藤氏の系族』で、『都筑党は武蔵七党に数えられることもあった』とある。「吾妻鏡」には三箇所で彼『都筑平太』の名を三箇所で認めることが出来るので、確かに実在した人物である。最初が、文治元(一一八五)年十月二十四日の長勝壽院の落慶供養に頼朝が出向いた際の随兵六十人(頼朝が弓馬の達者を精選したと前書する)の西方の七人目で、次が建久元(一一九〇)年十一月七日の栄えある頼朝入洛の際の、水干姿に野箭を背負った随兵二十一番(全部で四十六番まである)の三名の一人(三列一組騎馬縦隊であろう)して載り、建久六(一一九五)年三月十日の、頼朝の東大寺供養のための再上洛の際の、やはり随兵として名が出る。異様な「入海(じゆかい)して死にければ」というその理由は不明であるが、その死はこれ以降のこととなる。何か、私にはひどく気になる人物なのである。

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