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2019/02/09

柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「河童駒引」(18) 「河童ト猿ト」(1)

 

《原文》

河童ト猿ト  【エンコウ】河童ヲ「エンコ」又ハ「エンコウ」ト云フ地方ハ、出雲石見周防長門伊豫土佐等ナリ。九州ニテモ河童ニ出逢ヘリト云フ者ニシテ、其大サモ形モ共ニ猿ノ如クナリシト報告スル者多シ。【河童言語】或ハ又全身ニ短キ毛アリ、人間ヲ詭カサントスル時ハ最初ニハ人ノ如ク物ヲ言ヘドモ、之ヲ聞返セバ二度目ニハ「キイキイ」ト云フバカリニテ、何ノ事カ判ラズトモ云ヒ、又悲シミテ泣ク聲マルデ猿ナリキト傳フル地方アリ〔水虎考略〕。然ルニ一方ニハ又河童ト猿トハ仇敵ナリト云フアリ。河童ハ猿ヲ見レバ自然ニ動クコトガ不能トナル。【猿牽】猿モ此物ヲ見レバ捕ヘズニハ承知セヌ故ニ、猿牽ガ川ヲ渡ル時ニハ用心ノ爲是非トモ猿ノ顏ヲ包ムト云フ事ナリ〔笈挨隨筆二。加藤淸正ガ肥後ノ領主タリシ時寵愛ノ小姓ヲ八代川ノ河童引込ミテ殺ス。淸正大ニ之ヲ憤リ、早速令ヲ領内ニ下シテ多數ノ猿ヲ集メ、河童討伐ヲ計畫ス。【河童首領】河童ハ到底猿ノ敵ニ非ザリケレバ、之ヲ聞キテ大恐慌ヲ引起シ、中ニモ河童九千ノ頭目ニ其名ヲ九千坊卜呼ブ者、一族ヲ代表シテ或僧ニ仲裁ヲ賴ミ、永ク人間ニ害ヲ加フマジキ旨ヲ約束シテ、僅カニ鬼將軍ノ怒リヲ解クコトヲ得タリト云フ〔本朝俗諺志〕。 

 

《訓読》

河童ト猿ト  【エンコウ】河童を「エンコ」又は「エンコウ」と云ふ地方は、出雲・石見・周防・長門・伊豫・土佐等なり。九州にても「河童に出逢へり」と云ふ者にして、「其の大きさも形も共に猿のごとくなりし」と報告する者、多し。【河童言語】或いは又、「全身に短き毛あり、人間を詭(たぶら)かさんとする時は、最初には人のごとく物を言へども、之れを聞き返せば、二度目には『キイキイ』と云ふばかりにて、何の事か判らず」とも云ひ、又、「悲しみて泣く聲、まるで猿なりき」と傳ふる地方あり〔「水虎考略」〕。然るに、一方には又、「河童と猿とは仇敵なり」と云ふあり。河童は、猿を見れば、自然に動くことが不能となる。【猿牽】猿も、此の物を見れば、捕へずには承知せぬ故に、猿牽(さるひき)が川を渡る時には、用心の爲、是非とも猿の顏を包む、と云ふ事なり〔「笈挨(きゆうあい)隨筆」二〕。加藤淸正が肥後の領主たりし時、寵愛の小姓を、八代川の河童、引き込みて殺す。淸正、大いに之れを憤り、早速、令を領内に下して、多數の猿を集め、河童討伐を計畫す。【河童首領】河童は、到底、猿の敵に非ざりければ、之れを聞きて、大恐慌を引き起こし、中にも河童九千の頭目に其の名を「九千坊」と呼ぶ者、一族を代表して或る僧に仲裁を賴み、永く人間に害を加ふまじき旨を約束して、僅かに鬼將軍の怒りを解くことを得たりと云ふ〔「本朝俗諺志」〕。

[やぶちゃん注:「笈挨隨筆」は、京都室町の豪商「万家(よろづや)」の次男であったが、蓄財に関心なく、安永初年から天明末年まで(一七七二年~一七八一年)、身を六部に窶(やつ)し、笈(おい)を背負って諸国を遍歴して諸国を漫遊、寛政六(一七九四)年に没した(生年は不詳)百井塘雨(ももいとうう)が書いた諸国奇談集。柳田のそれは、その「巻之一」の「水虎」(「かつぱ」と訓じておく)で、引用部分は短い(下線部)が、結構、百井は全体を力を入れて書いている。以下に吉川弘文館随筆大成版を参考に、漢字を恣意的に正字化して示す。一部に読点や記号を追加し、私の推定で読みを附した(底本は一部にカタカナで振る他は一切ルビがない)。踊り字「〱」は正字化した。

   *

   ○水 虎

右の佐伯の曰[やぶちゃん注:前話「山神の怪異」の末の附記に出る。「豐後杵築」の出身の「佐伯玄仙」なる人物。幸い、私はそれを総て「柴田宵曲 妖異博物館 そら礫」の注で電子化している。お暇な方は読まれたい。]、「田舍人は心猛く、加樣(かやう)の事をもものともせず、豐前の國中津の府と云ふ城醫(じやうい)の家に、書生たりし時、其家の次男、或時川岸を通りけるに、水虎(かつぱ)の水上に出て遊び居たり。思ふに此ものを得んは獺肝(かはうそのきも)などの及べきかはとて、頓(やが)て手ごろなる石をひとつ提げ、何氣なく後(あと)の出る所をばねらひ濟(すま)して打落(うちおと)しけるに、何かはもつてたまるべき。キャツトと叫び沈みけり。扨は中(あた)りぬる事と見?すに、水中動搖して、水、逆卷(さかまき)、怖しかりしかば、逃(にげ)て歸りぬ。夫(それ)より、彼(か)のものに取付(とりつき)て物狂はしくなり、家根(やね)にかけり、木にのぼりて、種々(いろいろ)と狂ひて手に合(あは)ず、細引(ほそびき)もて括(くく)り置けれども、すぐに切(きり)てければ、鐵(かね)の輪を首に入れて、鐵鎖(かなぐさり)をもて牛部屋の柱にしばり付たり。既に一月餘(ひとつきあまり)に成(なり)しかば、鐵輪(かなわ)にて首筋も裂破(さけやぶれ)たりしが、さらに退(たちのく)べき氣色なし。彼是(かれこれ)五十日計(ばかり)なり。或時、近き寺に大般若[やぶちゃん注:大般若会(だいはんにゃえ)。「大般若波羅蜜多経」を講読・転読する法会。古くは国家鎮護が目的で奈良・京都の大寺院で行われた。]有(あり)て、其札を家每に受たり。此家にも受來たり、先(まづ)彼(かの)ものに戴かせければ、身震ひして、卽時に除(のぞけ)たり。誠に不思議の奇特(きどく)、尊(たつと)き事いふ計りなし。始(はじめ)て此經廣大の功德を目前覽たりし」と語りける。もまた、まのあたり知たりしは、日向下北方村の常右衞門といふ人、十二三才の頃、川に遊びて、「河童に引込れし」と、連(つれ)の子供走り來て、親に告げたり。おりふし、神武の官の社人、何の河内と云(いふ)人、其(その)座に聞て、頓(やが)て其川に走り行(ゆき)、裸に成て、脇差を口にくはへて、彼(かの)空洞(ほら)[やぶちゃん注:後文から深い淵のことである。]に飛入り、水底(みなそこ)に暫く有(あり)て、其子を引出し來り、水を吐かせ、藥を與へ、やうやうにして常に返り、今に存命也。然るに、翌日、其空洞の所、忽ち淺瀨と成りにけり。所々の川には必ず空洞の所あり。深さを知らぬほどなり。そこには必ず鯉鮒も夥しく集れども、捕(とる)事を恐る。また、卒爾(そつじ)に石などを打込(うちこむ)事を禁ずるなり。彼邊(かのあたり)の川渡らんとするものは、河童の來りたる、往(ゆき)たるを能く知るなり。又曰、此ものは誠に神變(しんぺん)なるものなり。生(いき)たる逢へば必(かならず)病む。知らずといへども、身の毛立(だつ)なり。たとへ石鐵砲など不意に打當(うちあつ)る事有れど、其死骸を見たるもの、なし。常に其類を同して行來(ゆききた)り、又は一所に住(ゆく)ものと見ゆ。死せざる事もあるまじきに、つゐに人の手に渡らざると覺えたりと語る。かく恐ろしきものなれど、又、それを壓(ヲス)ものあり。猿を見れば、自ら動く事、能はず。猿もまた、そのものありと見れば、必ず、捕(とらへ)んとす。故に猿引(さるひき)川を渡るときは、是非に猿の顏を包(つつむ)といへり。日薩[やぶちゃん注:日向国と薩摩国。]の間にては水神と號して誠に恐る。田畑の實入(みいり)たる時、刈取(かりとる)るに、初(はじめ)に一かま[やぶちゃん注:刈った一鎌分。]ばかり除置(のけおき)、是を水神に奉るといふ。彼邊は水へん[やぶちゃん注:「水邊」。]計(ばかり)にあらず。夜は田畑にも出るなり。土人ヒヤウズエとも云(いふ)。是は菅神(かんじん)の御詠歌なるよし、此歌を吟じてあれば、その障りなしといふ。

    兵揃に川立せしを忘れなよ川立男われも菅はら

肥前諫早兵揃村に鎭座ある天滿宮の社家に申傳へたり。扨此社を守る人に澁江久太夫といふ人あり。都(かつ)て水の符を出す故に、もし川童の取付たるなれば、此人に賴みて退(しりぞく)るなり。こゝに一奇事有(あり)。然れども、我、慥(たしか)に、その時、其所(そこ)にあらず。後年、聞傳へたるなれば、聊か附會の疑心なきにもあらず。彼飛驒山の天狗桶の輪にはぢかれし類ひにも近ければ[やぶちゃん注:原話を示せないが、天狗は人の思惑等を事前に察知してしまうものだが、たまたま人のそばにあった桶の箍(たが)が錆びて緩んだか、パンと外れたのに、全く気付くことが出来ず、それに当たって弾き飛ばされたというシチュエーションの話であろう。山男の酷似した話なら、ごまんとある。]、云(いは)ずしてやまん事、勝(まさ)らんとおもへども、又、よき理(ことわり)の一條あり。見ん人、是を以て其餘の虛説とする事なかれ。只、この一事、氣機[やぶちゃん注:五行の気の運動。]の發動は鬼神も識得せず、一念の心頭に芽(めばえ)すは、我も不ㇾ知(しらざる)の理(ことわり)をとりて、無念無想の當體(たうたい)[やぶちゃん注:ありのままの本性。]を悟入すべし。同州宮崎花が島[やぶちゃん注:現在の宮崎県宮崎市花ケ島町(グーグル・マップ・データ)。]の人語りしは、先年、佐土原の家中何某、常々殺生を好みて、鳥獸を打步(うちあり)きて山野を家とせり。或日、例の鳥銃を携て、水鳥を心がけ、山間の池に行。坂を上りて池を見れば、鳥多く見ゆ。『得たり』と心によろこび、矢頃(やごろ)よき所に下居(くだりゐ)て、既にねらひをかけるに、かの水神、水上(みづのうへ)に出(いで)て、餘念なく、人ありとも知らず、戲れ遊び居たり。『扨は折あしき事哉(かな)』と、にがにが敷(しく)おもひ、頓(やが)て鐵砲をもち待居(まちゐ)たり。きせるをくはへながら、筒先を當て、『此(この)矢先ならんには、たとひ惡鬼邪神、もしは、龍虎の猛(たけ)きとても、何かははづすべき』と獨り念じて居たりしが、『いやいや、よしなき事也(なり)』と取直(とりなほ)すに、如何はしけん。[やぶちゃん注:句点は底本のママ。]計らずも、「ふつ」と引がねに障(さは)るや否や、「どう」と響きて、ねらひ、はづれず。かのものゝ胴腹(どうばら)へ中(あた)りしと見えて、「はつ」と、火煙、立のぼる。「こは叶(かな)はじ」と、打捨(うちすて)て、飛(とぶ)がごとくに立歸りけり。歸宅の後も、さして異變も無りしかば、心に祕して人にも語らず。又、彼(かの)地へも年を越しても行ざりけり。かくて何の障りもなく、或時、友連打(つれうち)よりて、酒吞み遊びて、たがひに何かの物語りに、此人、思はず此事を語り出し、「世にはおそろしき事も有ものかな。夫より、二、三年、一向、彼所へ至らず。さらに打(うつ)べき心もなかりけるに、不運なる水神かな。自然(おのづ)と引がねにさはり、放(はなた)れ出(で)たるには、我も驚きたり」と語るや否、「ウン」とのつけに反返(そりかへ)り、又、起直りて云樣(いふやう)、「扨々、今日唯今はいかなるものゝ所爲(しよゐ)なる事を知らざりしに、此者の仕業と聞て、其仇(あだ)を報ずるなり」と罵りかゝり、終(つひ)に病(やまひ)と成りて死したりと云。誠に此事は論ぜずして口外にせざれば、人も知らず、況んや鬼においてをや。かの豆を握つて鬼に問(とふ)に、問ふ人其數を知れば、鬼も知り、無心に摑んで人其數を知らざれば、鬼もまた其數を知らずといふも、同日の談なり。

   *

「九千坊」筑後川の河童の頭目として人口に膾炙しており、火野葦平「河童曼陀羅」にも多くに(十一篇ほど)その名が登場している(リンク先は私のブログ・カテゴリ。全篇電子化注済み)。]

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