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2019/02/14

蒲原有明 有明集 正規表現版 始動 口絵・中扉・献辞・目次 智慧の相者は我を見て

 

[やぶちゃん注:蒲原有明の名詩集「有明集」の正規表現版を始動する。

 蒲原有明(かんばらありあけ 明治八(一八七五)年(戸籍上は翌年)~昭和二七(一九五二)年)東京府麹町区(現在の千代田区)隼(はやぶさ)町生まれ。本名隼雄(はやお)。父忠蔵は佐賀県出身の官吏で、生母ツネは有明八歳のときに離別され、継母のもとで育った。東京府立尋常中学校(現在の日比谷高等学校)卒業後、神田錦(にしき)町の国民英学会で英文学を学ぶ。明治三一(一八九八)年『読売新聞』の懸賞小説(尾崎紅葉選)に一等当選したが、小説は二作を以ってやめ、以後、詩作に専念した。明治三五(一九〇二)年、第一詩集「草わかば」を新声社より刊行、薄田泣菫(明治一〇(一八七七)年~昭和二〇(一九四五)年と並ぶ新しい時代の詩人として世に迎えられた。第二詩集「獨絃哀歌」(明治三五(一九〇二)年白鳩社刊)では、「独絃調」とよばれる独特の詩律を創始し、一時代の流行を生み、また、第三詩集「春鳥集」(明治三八(一九〇五)年本郷書院刊)は、わが国で初めて象徴主義的志向を表明した詩集として知られる。その「自序」では、詩形の革新を図り、「邦語の制約を寬(ひろ)う」しながら、諸官能の交錯を通じて「近代の幽致」を表現すべきことが主張されている。しかし、有明の真に最高の詩的達成は、次の本詩集「有明集」であって、この詩集は、自ら言う、「感覺の綜合整調」の世界を十全に見せた、わが国象徴詩の一頂点と言われる。これ以後、彼は詩壇の第一線から退いてしまったが、生涯自作の改作推敲を続けた(私はしかし彼の改作は概ね改悪であると考えている。本注末にリンクした「牡蠣の殼」を見られたい)。ほかに随筆集「飛雲抄」(昭和一三(一九三八)年書物展望社刊)、自伝小説「夢は呼び交す」(昭和二三(一九四七)年東京出版刊)等がある(以上は概ね小学館「日本大百科全書」に拠った)。

 彼の第四詩集「有明集」は明治四一(一九〇八)年一月一日に易風社(東京市麹町区飯田町)より刊行された。平凡社「世界大百科事典」によれば、前に述べた通り、有明の詩業の頂点を成す詩集で、ソネット形式の「豹の血」八編を始め、孰れも文語定型による創作詩四十八編及び訳詩四編を収める。中でも「豹の血」に含まれる「智慧の相者は我を見て」・「月しろ」・「茉莉花」等は特に知られ、視覚・聴覚・嗅覚などさまざまな感覚が複雑に絡み合い、交響し合う〈感覚の総合整調〉の世界を実現している。掉尾に配された長編バラードの傑作「人魚の海」や、仏教的理念を基調として繊細幽暗な世界を歌った「秋のこころ」・「滅の香」などを含め、象徴詩の典型であるとともに,日本近代詩の記念碑的詩集の一つである、とする。但し、ウィキの「有明によれば、『近代詩の一つの到達点を示し、現在でこそ象徴詩の傑作とされているが、自然主義が詩壇の主流となり始めていた当時はさほど高く評価され』ず、『蒲原は』これを以って『詩作を断念する事になる』ともある。

 使用底本は所持する昭和五八(一九八三)年刊の日本近代文学館刊行・名著復刻全集編集委員会編・ほるぷ発売の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」内の、明治四一(一九〇八)年一月月一日発行(印刷は前年明治四〇年十二月二十五日)の同詩集初版本を用いた。但し、加工用データとして「青空文庫」の「有明集」のテキスト・ファイル(底本:昭和四三(一九六八)年講談社刊「日本現代文学全集」第二十二巻「土井晚翠・薄田泣菫・蒲原有明・伊良子清白・横瀬夜雨集」/入力・広橋はやみ氏/校正・荒木恵一氏/登録二〇一四年七月/最終更新二〇一五年十月)を使用させて戴いた。ここに示して謝意を表する。但し、同テクストは旧字旧仮名を謳っているものの、「青空文庫」の文字コード規定により、新字のままの漢字が散見し、さらに同テクストの底本の関係上からか、ほぼ総ルビに近い原本がパラルビとなってしまっていて、失礼乍ら、私には納得のいかない不十分なものである(ルビの一部には歴史的仮名遣の誤りも認められる)。無論、私のこれも Unicode や中文フォントの示し得る範囲内で不完全とは言えるが、今までの各種の正規表現版同様、原詩の表字に近いものとする覚悟ではある。

 初版本の雰囲気を再現するために、活字は明朝とし、不審な箇所には詩篇の後にストイックに注を附した。踊り字「〱」は正字化した。一部で底本の画像を配した。但し、本詩篇中、読点の後に文字の詩句が続くケースでは、読点の後にほぼ一字分の空隙が配されてあるのであるが、これは再現すると、電子テクストでは間の抜けた感じになるので、再現しなかった。なお、初版本は四六判、丸背上製クロス製である。

 私は高校時代に読み、激しい衝撃を受けた、有明の「草わかば」の「牡蠣の殻」を愛唱し、永遠(とわ)に愛する人間である(私の古い記事「牡蠣の殻 蒲原有明《2バージョン》」を参照されたい)。【2019年2月14日始動 私の六十一歳の最後の日に 藪野直史】]

 

Ariake1

Ariake4

 

[やぶちゃん注:表紙と背。底本セットの解説書によれば、『装幀は斎藤松洲と思われる』とし、『表紙の墨色クロスには理念調エンボスがあり』、表紙と『背は金箔押しで、背の天地には子持罫の空押がある』とある。斎藤松洲(しょうしゅう明治三(一八七〇)年~昭和九(一九三四)年)は日本画家で、明治末期から昭和初期にかけて、本の装丁家・挿絵家として活躍したが、残念ながら、現在、目にすることの出来る画集は大正五(一九一六)年刊の「仰山閣画譜」のみで、事蹟資料は残っていない(ここは羊羹で知られる和菓子「とらや」公式サイト内の『斎藤松洲と「目食帖」』に拠った)。なお、本文と背の綴目の天地には綴じ布の組目が見えていて、実にお洒落である。上部のそれを部分画像で示した。]

 

Ariake2

 

[やぶちゃん注:口絵。同前解説書によれば、上質紙にコロタイプ印刷。この時代の著者近影としてはピントもよく、エッジも利いていて非常によい写真に見えるのであるが、底本の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」の解説書の野田宇太郎氏の解説によれば、当時、『内臓疾患』(重い腎臓病を患っていた。但し、後の彼の死因は急性肺炎である)『で顔にも水腫が出ている』もので、『著者がもっとも嫌悪した写真であ』ったとある。]

 

Ariake3

 

[やぶちゃん注:扉。著書近影の見開き左頁(ハトロン紙を挟む)。上質紙に赤色印刷。本文も上質紙である。]

 

 

   この歌のひと卷を亡き父の

   み靈の前にささぐ。

 

[やぶちゃん注:底本では中扉(左頁)の中央下方に下一字上げインデント二行で大きい活字で記されてあるが、ブログのブラウザの不具合を考えて引き上げて示した。底本のそれは個人的にはバランスが少しよくないように感ずる。今少しポイントを落とした方がよかった。

 以下、目次。リーダと『頁』数は略した。「プレエク」はママ。当該詩篇で注するが、これはイギリスの詩人ウィリアム・ブレイク(William Blake 一七五七年~一八二七年)の“The Fly”の訳詩である。]

 

 

   目   次

 

豹の血(小曲八篇)

 智慧の相者は我を見て

 若葉のかげ

 靈の日の蝕

 月しろ

 蠱の露

 茉莉花

 寂靜

 晝のおもひ

 偶感

 秋のこころ

 大河

 甕の水

 朱のまだら

 坂路

 不安

 

 燈火

 草びら

 孤寂

 この時

 音もなし

 夏の歌

 秋の歌

 苦惱

 癡夢

 滅の香

 底の底

 灰色

 われ迷ふ

 穎割葉

 沙は燬けぬ

 海蛆

 大鋸

 淨妙華

 信樂

 惡の祕所

 どくだみ

 碑銘

 かかる日を冬もこそゆけ

 橡の雨

 皐月の歌

 晚秋

 序のしらべ

 やまうど

 鐘は鳴り出づ

 水のおも

 おもひで

 眞晝(ロセチ)

 聖燈(ロセチ)

 『ルバイヤツト』より

 蠅(プレエク)

 人魚の海

 

 

  豹 の 血(小曲八篇)

 

[やぶちゃん注:パート標題。左頁の左位置に配されてある。ノンブルはここから新たに『――( 1 )――』となる。]

 

 

  智慧の相者は我を見て

 

智慧(ちゑ)の相者(さうじや)は我(われ)を見(み)て今日(けふ)し語(かた)らく、

汝(な)が眉目(まみ)ぞこは兆(さが)惡(あ)しく日曇(ひなぐも)る、

心弱(こゝろよは)くも人(ひと)を戀(こ)ふおもひの空(そら)の

雲(くも)、疾風(はやち)、襲(おそ)はぬさきに遁(のが)れよと。

 

噫(あゝ)遁(のが)れよと、嫋(たを)やげる君(きみ)がほとりを、

綠牧(みどりまき)、草野(くさの)の原(はら)のうねりより

なほ柔(やはら)かき黑髮(くろかみ)の綰(わがね)の波(なみ)を、――

こを如何(いか)に君(きみ)は聞(き)き判(わ)きたまふらむ。

 

眼(め)をし閉(とづ)れば打續(うちつゞ)く沙(いさご)のはてを

黃昏(たそがれ)に頸垂(うなだ)れてゆくもののかげ、

飢(う)ゑてさまよふ獸(けもの)かととがめたまはめ、

 

その影(かげ)ぞ君(きみ)を遁(のが)れてゆける身(み)の

乾(かは)ける旅(たび)に一色(ひといろ)の物憂(ものう)き姿(すがた)、――

よしさらば、香(にほひ)の渦輪(うづわ)、彩(あや)の嵐(あらし)に。

 

[やぶちゃん注:本詩篇は、所持する中央公論社「日本の詩歌」第二巻の解説によれば、明治四〇(一九〇七)年六月号『文章世界』で、後の「若葉のかげ」「靈の日の蝕」『そのほかと共に』(この「そのほか」が何をを指すかは今のところ、私は不明。判ったら、追記する)、「皐月野」という総代で発表された、とある。

[やぶちゃん注:「綰(わがね)」ナ行下二段活用の動詞「綰ぬ」の連用形或いは連用形が名詞化したもの。集めて一つに纏めたもの。撓(たわ)めて輪にしたもの。

 因みに、冒頭注で述べ、「牡蠣の殻 蒲原有明《2バージョン》」でも後年の改悪例を示しているが、それは後の大正一一(一九二二)年刊の「有明詩集」で旧作の殆どに対して断行され、その後も亡くなるまで改変をやり続けた(一部の詩篇は最終的に旧の形に戻したものもある)。例えば(私は彼の改作の殆どを認めないので、総てについては示すつもりはない。それは寧ろ、有明のミューズへの配慮のためである)、本篇の場合を、後の彼の自選詩集「有明詩抄」(昭和三(一九二八)年岩波文庫刊)から引いてみよう。

   *

 

  智慧の相者は我を見て

 

「智慧(ちゑ)」の相者(さうじや)は我を見て警(いまし)めていふ。

汝(な)が眼(まみ)は兆(さが)惡(あ)しく日曇(ひなぐも)れ、

心弱くも他人(あだしびと)戀(こ)ひわたりなば、

夜(よ)の疾風(はやち)やがて襲(おそ)はむ、遁(のが)れよと。

 

噫、遁れよと、嫋(たを)やげる君がほとりを、

綠牧(みどりまき)、草野(くさの)の原のうねりよりも

なほ柔(やはら)かき黑髮の綰(わがね)の波を、――

そを如何に君は聞き判(わ)きたまふらむ。

 

眼(め)をし閉(とづ)れば黃昏(たそがれ)の沙(いさご)の涯(はて)を

頸垂(うなじた)れ辿(たど)りゆく影の浮かび來(く)る、――

飢(う)ゑてさまよふ獸(けもの)かと、咎(とが)めたまはじな。

 

これぞわがうらぶれ姿(すがた)、惡醜(いなしこ)め。

今は惑はず、渦潮(うづしほ)の戀におもむき、

湍(たぎ)ち湧(わ)く海に禊(みそ)がむ。溺(おぼ)るるもよし。

 

   *

「惡醜(いなしこ)め」は形容詞ク活用の語幹の詠嘆用法として一語で採って読みを振った。「いな」は嫌悪の感情を表わす感動詞由来で、「しこめ」は「醜(しこめ)し」で、合わせて「なんと醜悪であることか!」「穢れているものよ」の意である。既に「古事記」の「上つ巻」の、知られた伊耶那岐の黄泉国(よみのくに)から帰還した後、日向の海岸で禊をする直前に「吾は伊那志許米上志許米岐(イナシコメシコメキ)穢き國に到りて在りけり」と出る上代語である(最終連はまたそのシークエンスをも有明は意識している)。にしても! 《変性した脳による自己改竄》とでも言うべき《惨憺たる〈壊変〉》ではないか! 中央公論社「日本の詩歌」第二巻の解説には、日夏耿之介の批判を以下のように載せている(太字は底本では傍点「ヽ」)。

   《引用開始》

『有明詩集』では、第一行目の「今日し語らく」を「警(いまし)めていふ」と改訂し、その後『定本』にいたるまで、これを踏襲しているが、この点について日夏耿之介はつぎのように批判する。「簡勁[やぶちゃん注:「かんけい」は、詩文が簡潔で力強いこと。]の一句がけふというカ行を頭にした堅い言葉と〈語らく〉というカ、タ、ラというような烈しい語音からなる言葉をつなぐに、という力強い一語をもって緊迫してあり、〈警めていふ〉というような力の弱い(略)しかも説明的な余情に乏しい語句になっている点、到底旧作の神韻に及ばないのである」(『明治大正詩誌史』)

   《引用終了》

この日夏の指摘は正鵠を射ている。]

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