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« たき火 國木田獨步 《詩篇》 | トップページ | ピエール瀧の代役は古田新太しかいない! »

2019/03/13

たき火 國木田獨步 《小説・「武藏野」所収の正規表現版》

 

[やぶちゃん注:明治二九(一八九六)年十一月二十一日発行の『國民之友』に「鐡夫生」の署名で初出。約四年五ヶ月後の國木田獨步の第一作品集「武藏野」(明治三四(一九〇一)年三月十一日民友社刊)に再録された。一般に國木田獨步の処女作は「源叔父」(作品集「武藏野」では「源おぢ」。歴史的仮名遣は「源をぢ」が正しいが、森鷗外主宰の『めざまし草』巻之二十一(明治三〇(一八九七)年九月発行)の合評で、「源おぢ」とされてしまったものを、國木田自身がそのまま改題してしまったという呆れた事実がある)とされ、獨步自身も処女作と認めているけれども、同作は、明治三〇(二八九七)年四月二十一日に田山花袋とtもに日光に遊び、泊まった照尊院で書き上げ、日記によれば、翌五月十八日に脱稿していることから、「たき火」は「源叔父」よりも約半年も前に書かれた、彼の真に正しい最初の小説作品と思う(以下の底本全集でも「小說 一」の巻頭に配されてある)。

 底本は所持する学研の「國木田獨步全集」增訂版(全十卷+別卷)の「第二卷」(昭和五三(一九七八)年三月刊)を用いて正字正仮名で電子化した。但し、作業を簡略化するため、「青空文庫」の新字新仮名版「たき火」のテキスト・ファイル(入力・j.utiyama氏/校正・八巻美恵氏/ここの一番下の圧縮ファイル)を加工用に使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。しかし、この底本(昭和四七(一九七二)年(第九版)集英社刊「日本文学全集」第十二巻「国木田独歩・石川啄木集」)、擬古文の本作を、新字新仮名にして、ここまで平仮名化して送り仮名をして崩してしまっては、最早、國木田獨步の「たき火」では、ない、と感ずるほど、酷い。まあ、比較して見られるがいい。この程度の擬古文も読めない日本人が普通なのだというのであれば、古典などはさらさら学ぶ価値も資格も意味も永遠(とこしえ)になかろうぞ!

 なお、底本(「武藏野」版準拠)はかなりのルビを振るが、ブログでは後に丸括弧で読みを振る関係上、底本の総ての読みを振ると非常に読み難くなることから、私が読みが振れて困るであろうと判断したもののみにストイックに読みを振ることとした。ルビのないものには振っていない(但し、前で振っておらず、後で振っている場合、その読みに読者が躓くと思うものは採用して振ってある)。踊り字「〱」「〲」は正字化した。傍線は底本では二重線である(本ブログではに二重線は引けないため)。太字は底本では傍点「ヽ」である。

 なお、本電子化は、私が現在、ここで行っている國木田獨步詩歌群電子化注の、本作と全く同じ題材を扱った詩篇「たき火」(初出は『反省雜誌』(後の『中央公論』の前身誌)明治三〇(一八九七)年八月で、後に石橋愚仙(哲次郎)編になる詞華集「新體詩集 山高水長」(明治三一(一八九七)年一月增子屋書店刊)に「國木田哲夫」名義で収録されたものの一篇)の参考資料として行ったものであるので、一部を除いて、注などは附さない。冒頭の「六代御前」(ろくだいごぜん)等が判らぬ方は、詩篇の方の私の注を参照されたい。それでも最低限のことは言っておくか。ロケーションは逗子の田越川(ここでは冒頭に「御最後川」の河口附近での異名で出る)の河口附近である(グーグル・マップ・データ)。「あぶずり」は「鐙摺」で、地図の南に岬部分から立ち上がる尾根筋の山の名、源頼朝が愛馬の鐙を摺ってしまったことに由来すると伝える山路で、三浦の軍勢と畠山重忠(当時は未だ平氏方であった)の軍勢が戦った「小坪合」戦に際しては、この鐙摺山に設けた支城から三浦義澄が援軍を送ったことで知られる。知らない? では、私の「『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より逗子の部 小坪 又は 「あなたは白旗山合戦の直後に起こった鎌倉由比ヶ浜での戦さをご存知か? 『源平盛衰記』の小坪合戦の部を注にて一気掲載!」」を読まれよ!

 なお、国木田独歩は、明治二八(一八九七)年十一月十一日、佐々城信子と結婚、同十九日にはこのロケーション内の現在の逗子市桜山にあった旅館柳屋(現存しない)の一室で新婚生活を始めている(私の「逗子の海岸 田山花袋」が多少参考になる)。信子はしかし、翌年四月十二日に失踪、同月二十四日に協議離婚している。彼女をモデルとして後に有島武郎が名作「或る女」を書いたのはご承知の通りである。因みに、独歩は、これを書いた頃には、まだうじうじと信子を思い続けて、和歌や新体詩を書いていたというのが事実ではあった。]

 

   た き 火

 

 北風を背になし、枯草白き砂山の崕(がけ)に腰かけ、足なげいだして、伊豆連山の彼方に沈む夕日の薄き光を見送りつ、沖より歸る父の舟遲しと俟つ逗子邊(あたり)の童(わらべ)の心、その淋しさ、うら悲しさは如何あるべき。

 御最後川の岸邊に茂る葦の枯れて、吹く潮風に騷ぐ、其根かたには夜半(よは)の滿汐(みちしほ)に人知れず結びし氷、朝の退潮(ひきしほ)に破られて殘り、ひねもす解けもえせず、夕闇に白き線を水際(みぎは)に引く。若し[やぶちゃん注:「もし」。]旅人(たびゝと)、疲れし足を此潯(このほとり)に停めしとき、何心なく見廻はして、何らの感もなく行過(ゆきす)ぎ得べきか。見かへれば彼處(かしこ)なるは哀れを今も、七百年の後(のち)にひく六代御前の杜(もり)なり。木がらし其梢に鳴りつ。

 落葉(おちば)を浮かべて、ゆるやかに流るゝ此沼川(ぬまかは)を、漕ぎ上(のぼ)る舟、知らず何れの時か心地よき追分の節(ふし)面白く此舟より響き渡りて霜夜の前ぶれをか爲(な)しつる。あらず、あらず、たゞ見る何時(いつ)も何時も、物言はぬ、笑はざる、歌はざる漢子(をのこ)の、農夫とも漁人とも見分け難きが淋しげに櫓あやつるのみ。

 鍬かたげし農夫の影の、橋と共に朧ろにこれに映つる、かの舟、音もなくこれを搔き亂しゆく、見る間に、舟は葦がくれ去るなり。

 日影仍(な)ほあぶずりの端に躊(た)ゆたふ頃、川口の淺瀨を村の若者二人、はだか馬に跨りて靜かに步ます、畫めきたるを見ることもあり。かゝる時濱には見わたす限り、人らしきものゝ影なく、ひき上げし舟の舳(へさき)に止(とま)れる烏の、聲をも立てゞ翼打(はうち)ものうげに鎌倉の方さして飛びゆく。

 或年の十二月末つ方、年は迫れども童は何時も氣樂なる風の子、十三歳を頭(かしら)に、九ツまで位(くらゐ)が七八人、砂山の麓に集りて何事をか評議まちまち、立てるもあり、砂に肱(ひぢ)を埋めて頰杖つけるもあり。坐れるもあり。此時日は西に入りぬ。

 評議の事定まりけん、童等[やぶちゃん注:「わらべら」。]は思ひ思ひに波打際を駈けめぐりはじめぬ。入江の端より端へと、おのがじし、見るが間に分れ散れり。潮(うしほ)遠く引きさりしあとに殘るは朽ちたる板、緣(ふち)缺けたる椀、竹の片(きれ)、木の片、柄の折れし柄杓などの色々、皆な一昨日(をとゝひ[やぶちゃん注:ママ。])の夜(よ)の荒(あれ)の名殘なるべし。童等らは一々これらを拾ひあつめぬ。集めて之れを水際を去る程よき處、乾ける砂を撰びて積みたり。つみし物は悉く濡(うるほ)ひ居たり。

 此寒き夕まぐれ、童等は何事を始めたるぞ。日の西に入りてより程經たり。箱根足柄の上を包むと見へ[やぶちゃん注:ママ。]し雲は黃金色(こがねいろ)にそまりぬ。小坪の浦に歸る漁船の、風落ちて陸近ければにや、帆を下ろし漕ぎゆくもあり。

 がらす碎け失せし鏡の、額緣(がくぶち)めきたるを拾ひて、これを燒くは惜しき心地すといふ兒の丸顏、色黑けれど愛らし。されど其(そ)は必ず能く燃ゆと此群(このむれ)の年かさなる子、己のが力に餘る程の太き丸太を置きつゝ言へり。其丸太は燃へ[やぶちゃん注:ママ。]じと丸顏の子いふ。いな燃やさでおくべきと年上の子いきまきて立ちぬ。傍(かたはら)に一人、今日は獲ものゝ何時になく多き樣(やう)なりと、喜ばしげに叫びぬ。

 わらべ等の願(ねがひ)はこれらの獲物を燃(もや)さんことなり。赤き炎は彼等の狂喜なり。走りて之れを躍り越えんことは互の誇りなり。されば彼等このたびは砂山の彼方より、枯草の類(たぐひ)を集め來りぬ。年上の子、先に立ちて此等に火をうつせば、童等は丸く火を取りまきて立ち、竹の節の破(やぶ)るゝ音を今か今かと待てり。されど燃ゆるは枯草のみ。燃えては消えぬ。煙のみ徒(いたづ)らにたちのぼりて木にも竹にも火は容易(たやすく)燃え付かず。鏡のわくは僅かに焦げ、丸太の端よりは怪しげなる音して湯氣(ゆげ)を吹けり。童等は交る交る砂に頭(あたま)押しつけ、口を尖らして吹けど生憎(あいにく)に煙眼に入りて皆の顏は泣きたらんごとし。

 沖は早や暗(くら)ふ[やぶちゃん注:ママ。]なれり。江の島の影も見わけ難くなりぬ。干潟を鳴きつれて飛ぶ千鳥の聲のみ聞こえて彼方此方(かなたこなた)、ものさびしく、其姿見えずと見れば、夕闇に白きものはそれなり。あわたゞしく飛びゆくは鴫、かの葦間よりや立ちけん。

 此時、一人の童忽ち叫びていひけるは、見よや、見よや、伊豆の山の火(ひ)早や見えそめたり、如何なればわれらが火は燃えざるぞと。童等は齊(ひと)しく立あがりて沖の方を打まもりぬ。げに相模灣を隔てゝ、一點二點の火、鬼火かと怪しまるゝばかり、明滅し、動搖せり。これ正(まさ)しく伊豆の山人(やまびと)、野火を放ちしなり。冬の旅人の日暮(ひく)れて途遠きを思ふ時、遙かに望みて泣くは實(げ)に此火なり。

 伊豆の山燃ゆ、伊豆の山燃ゆと、童等節面白く唄ひ、沖の方のみ見やりて手を拍ち、躍り狂へり。あはれ此罪なき聲、かはたれ時の淋びしき濱に響きわたりぬ。私語(さゝや)く如き波音、入江の南の端より白き線立(すぢた)て、走り來り、これに和したり。潮(しほ)は滿ちそめぬ。

 此寒き日暮に何時までか濱に遊ぶぞと呼ぶ聲、砂山の彼方より聞こえぬ。童の心は伊豆の火の方にのみ馳せて、此聲を聞くもの無りき[やぶちゃん注:「なかりき」。]。歸らずや、歸らずやと二聲三聲、引續きて聞こえけるに、一人の幼なき兒、聞きつけて、母呼び給へり、最早打捨て歸らんと言ひ、忽ち彼方に走りゆけば、殘(のこり)の童等亦た、さなり、さなりと叫びつ、競ふて砂山に駈けのぼりぬ。

 火の燃え付かざるを口惜く思ひ、かの年かさなる童のみは、後振(あとふ)りかえりつゝ馳せゆきけるが、砂山の頂(いたゞき)に立ちて、將に彼方に走り下らんとする時、今ひとたび振向きぬ。ちらと眼(まなこ)を射たるは火なり。こはいかに、われらの火燃えつきぬと叫べば、童等(わらべら)驚ろき怪(あやし)み、たち返へりて砂山の頂に集り、一列に並びて此方(こなた)を見下ろしぬ。

 げに今まで燃え付かざりし拾木(ひろひぎ)の、忽ち風に誘はれて火を起し、濃き煙(けむり)うづまき上(のぼ)り、紅(くれなゐ)の炎の舌見えつ隱れつす。竹の節の裂(わ)るゝ音聞え火の子舞ひ立ちぬ。火は正(まさ)しく燃え付きたり。されど童等は最早や此火に還ることをせず、たゞ喜ばしげに手を拍ち、高く歡聲を放ちて、一齊に砂山の麓なる家路の方へ馳せ下りけり。

 今は海暮れ濱も暮れぬ。冬の淋しき夜(よ)となりぬ。此淋しき逗子の濱に、主(あるじ)なき火はさびしく燃えつ。

 忽ち見る、水際をたどりて、火の方(かた)へと近づき來る黑き影あり。こは年老ひ[やぶちゃん注:ママ。]たる旅人(たびゝと)なり。彼は今しも御最後川を渡りて濱に出で、濱連(はまづた)ひに小坪街道へと志しぬるなり。火を目がけて小走(こばしり)に步むその足音重し。

 嗄(しはが)れし聲にて、よき火やと幽かに叫びつ、杖なげ捨てゝいそがしく背の小包を下ろし、兩の手を先づ炎の上にかざしぬ。其手は震ひ、その膝はわなゝきたり。げに寒き夜かな、言ふ齒の根も合はぬが如し。炎は赤く其顏を照らしぬ。皺の深さよ。眼(まなこ)いたく凹み、其光は濁りて鈍し。

 頭髮も髯(ひげ)も胡麻白(ごまじろ)にて塵にまみれ、鼻の先のみ赤く、頰は土色せり。哀れ何處(いづく)の誰ぞや、指してゆくさきは何處ぞ、行衞定めぬ旅なるかも。

 げに寒き夜かな。獨りごちし時、總身(そうしん)を心ありげに震ひぬ。斯(か)くて溫まりし掌もて心地よげに顏を摩(す)りたり。いたく古びて所々古綿(ふるわた)の現はれし衣の、火に近き裾のあたりより湯氣(ゆげ)を放つは、朝の雨に霑(うるほ)ひて、仍ほ[やぶちゃん注:「なほ」。]乾(ほ)すことだに得ざりしなるべし。

 あな心地よき火や。言ひつゝ投げやりし杖を拾ひて、これを力に片足を揚げ火の上にかざしぬ。脚絆(きやはん)も足袋(たび)も、紺の色あせ、のみならず血色(ちいろ)なき小指現はれぬ。一聲(いつせい)高く竹の裂(わ)るゝ音して、勢よく燃へ[やぶちゃん注:ママ。]上がりし炎は足を焦がさんとす、されど翁(おきな)は足を引かざりき。

 げに心地よき火や、たが燃やしつる火ぞ、忝(かたじ)けなし。言ひさして足を替へつ。十とせの昔、樂しき爐(ゐろり)見捨てぬるよりこのかた、未だこの樣(やう)なるうれしき火に遇はざりき。いひつゝ火の奧(おく)を見つむる目(ま)なざしは遠きものを眺むるごとし。火の奧には過ぎし昔の爐の火、昔のまゝに描(ゑが)かれやしつらん。鮮やかに現はるゝものは兒にや孫にや。

 昔の火は樂しく、今の火は悲し、あらず、あらず、昔は昔、今は今、心地よき此火や。言ふ聲は震ひぬ。荒ら荒らしく杖を投げやりつ。火を背になし、沖の方を前にして立ち體(たい)をそらせ、兩の拳(こぶし)もて腰をたゝきたり。仰ぎ見る大ぞら、晴に晴れて、黑澄(くろす)み、星河(せいか)霜(しも)をつつみて、遠く伊豆の岬角(かふかく)に垂れたり。

 身うち煖(あたゝか)くなりまさりゆき、ひぢたる衣の裾も袖も乾きぬ。あゝ此火、誰(た)が燃やしつる火ぞ、誰が爲にとて、誰が燃やしつるぞ。今や翁の心は感謝の情(じやう)にみたされつ、老の眼(まなこ)は淚ぐみたり。風なく波なく、さし來(く)る潮(うしほ)の、しみじみと砂を浸す音を翁は眼(まなこ)閉じて聽きぬ。さすらふ旅の憂(うき)も此刹那にや忘れはてけん、翁が心、今一たび童の昔にかへりぬ。

 あはれ此火、漸(や)ふ漸ふ[やぶちゃん注:ママ。]に消えなんとす。竹も燃えつき、板も燃え盡きぬ。かの太き丸太のみは猶ほ良く燃えたり。されど翁は最早やこれを惜しとも思はざりき。ただ立去際(たちさりぎは)に名殘惜しくてや、兩手もて輪をつくり、抱(いだ)く樣(やう)に胸のあたりまで火の上にかざしつ、眼しばだゝきてありしが、いざと計(ばか)り腰うちのばし、二足三足(ふたあしみあし)ゆかんとして立ちかへれり、燃えのこりたる木(き)の端々(はしばし)を搔集めて火に加へつ、勢よく燃え上(あが)るを見て心地よげに打笑(うちゑ)みぬ。

 翁のゆきし後(あと)、火は紅(くれなゐ)の光を放ちて、寂寞(じやくばく)たる夜の闇のうちに覺束なく燃えたり。夜(よ)更(ふ)け、潮(しほ)みち、童等が燒(たき)し火も旅の翁が足跡も永久(とこしへ)の波に消されぬ。
 

 

 

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