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2019/03/18

柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「河童駒引」(34) 「靱猿根原」(2)

 

 

《原文》

 同ジ野大坪ノ記錄ノ中ニ又左ノ如キ一節アリ。曰ク鎌倉殿ヨリ頂戴セシ証文士ノ免許狀ハ扇子ノ面ニ認メテアリキ。【骨足ラズ】然ルニ不幸ニモ其扇ノ骨ガ一本損ジテアリシ爲ニ、且ツハ自分等ガ品格ヲ重ンジテ近村ノ農民トノ交際ヲ避ケタリシ爲ニ、世ニハ誤リテ野宇津保證文士ハ骨一本足ラズト唱ヘテ此部落ヲ輕蔑擯斥シ、サモサモ賤民ニテモアルカノ如キ取扱ヲ受ケ來リシハ殘念ノ事ナリトアリ。此記事ヲ裏面ヨリ觀レバ、當ト不當トハ別問題トシテ、世間ニテハ此仲間ヲ目シテ、所謂骨ノ一枚不足セル種族ト爲セシ事實ハ明カナリ。萬歳ト「シヨモジ」ト同類ナルコトモ之ニ由リテ知ルコトヲ得タリ。「シヨモジ」ハ普通ニハ唱門師ト書キテ、二百年ホド以前迄京都及ビ其近國ニ居住セシ特殊ノ部落ナリ。塵添壒囊抄卷十三ニモ、家々ノ門ニ立チ金鼓(キンコ)ヲ打チ妙憧ノ本誓ヲ唱ヘ阿彌陀經ヲ誦スル者ナレバ門ニ唱フト書クべキナリトアリテ、今ハ多ク之ニ從ヘリト雖、其名稱ノ由來ハ峯相記ナドニ「闇證ノ禪師誦文ノ法師」ナドトアル誦文師ナランカト思ハル。【ヒジリ】卽チ經文ヲ暗誦スルモ、學問ナクシテ一宗ノ趣ヲ解セザル身分低キ「ヒジリ」ノコトナルべシ。此モ亦夙クヨリ陰陽家ノ支配ノ下ニ立チ、正月ノ左義長又ハ土用ノ水合ノ折ニハ、宮廷ノ御階近クマデモ罷出デタリシト云ヘリ〔和訓栞〕。【ハカセ】【ヰンナイ】而シテ其子孫ト云フ者今ハ何レノ地方ニモ殘存セザルハ、多分「ハカセ」トカ、「ヰンナイ」トカ、「シユク」トカノ別種ノ名稱ヲ以テ呼バレタル結果ニシテ、此ト共通ナル業ヲ營ミ乃至ハ唱門師ノ一類ナリト稱セラルヽ者ハ近キ頃マデ多ク存セシナリ。此等ノ輩ハ何レモ未ダ厩ノ祈禱ニ關係セシ證據ヲ見出サザレドモ、越前ノ宇津保舞ノ故事ヲ考ヘ合ストキハ、猿ガ馬ヲ曳ケル繪札ナドヲ配リシ者ハ、必ズシモ專門ノ猿屋ノミニハ限ラザリシヤモ知リ難シ。【エビス願人】カノ梓神子ノー派ガ此札ヲ持チテアルキシ外ニ、關東ニテハ神馬ノ守札ハ舞太夫モ「エビス願人(ぐわんにん)」モ亦之ヲ配リタリシナリ。サレバ所謂駒引錢ノ中ニ神主又ハ農夫體ノ者ガ口綱ヲ取居ルモノノ如キハ、必ズシモ沐猴ノ冠シタル者ニハ非ズシテ、右ノ證文士一輩ノ在野巫祝ノ生活ヲ寫セシモノトモ見ルコトヲ得べキナリ。

 

《訓読》

 同じ野大坪の記錄の中に、又、ひだりのごとき一節あり。曰く、鎌倉殿[やぶちゃん注:源頼朝。]より頂戴せし証文士の免許狀は扇子(せんす)の面に認めてありき。【骨足らず】然るに、不幸にも、其の扇の骨が、一本、損じてありし爲に、且つは、自分等が品格を重んじて、近村の農民との交際を避けたりし爲に、世には誤りて、「野宇津保證文士(のうつぼしやうもんし)は骨一本足らず」と唱へて、此の部落を輕蔑・擯斥し、さもさも賤民にてもあるかのごとき取り扱ひを受け來たりしは殘念の事なり、とあり。此の記事を裏面より觀れば、當(たう)と不當(ふたう)とは別問題として、世間にては、此の仲間を目して、所謂、「骨の一枚不足せる種族」と爲せし事實は明かなり。萬歳(まんざい)と「シヨモジ」と同類なることも、之れに由りて知ることを得たり。【唱門師】「シヨモジ」は普通には「唱門師」と書きて、二百年ほど以前まで、京都及び其の近國に居住せし特殊の部落なり[やぶちゃん注:「部落民」の脱字か。]。「塵添壒囊抄(じんてんあいなうしやう)」卷十三にも、家々の門(かど)に立ち、金鼓(きんこ)を打ち、妙憧(しやうしよう)[やぶちゃん注:「地藏」の別漢訳表記。]の本誓(ほんぜい)[やぶちゃん注:仏・菩薩が立てた衆生済度の誓願。本願。]を唱へ、「阿彌陀經」を誦(じゆ)する者なれば、「門に唱ふ」と書くべきなりとありて、今は多く之に從へりと雖も、其の名稱の由來は、「峯相記(みねあひき)」などに「闇證(あんしよう)の禪師」「誦文(しようもん)の法師」などとある「誦文師」ならんかと思はる。【ひじり】卽ち、經文を暗誦するも、學問なくして一宗の趣きを解せざる、身分低き「ひじり」のことなるべし。此れも亦、夙(はや)くより、陰陽家の支配の下(した)に立ち、正月の「左義長(さぎちやう)」又は土用の「水合(みづあはせ)」の折りには、宮廷の御階(おんきざはし)近くまでも罷(まか)り出でたりしと云へり〔「和訓栞」〕。【はかせ】【ゐんない】而して、其の子孫と云ふ者、今は何れの地方にも殘存せざるは、多分「はかせ」とか、「ゐんない」とか、「しゆく」とかの別種の名稱を以つて呼ばれたる結果にして、此れと共通なる業を營み、乃至(ないし)は「唱門師」の一類なりと稱せらるゝ者は、近き頃まで、多く存せしなり。此等の輩は何れも未だ厩の祈禱に關係せし證據を見出さざれども、越前の宇津保舞の故事を考へ合すときは、猿が馬を曳ける繪札などを配りし者は、必ずしも專門の猿屋のみには限らざりしやも知り難し。【えびす願人】かの梓神子(あづさみこ)の一派が此の札を持ちてあるきし外に、關東にては神馬の守札は舞太夫も「えびす願人(ぐわんにん)」も亦、之れを配りたりしなり。されば、所謂、「駒引錢」の中に、神主又は農夫體(てい)の者が口綱を取り居(を)るもののごときは、必ずしも、沐猴の冠(かんむり)したる者には非ずして、右の證文士一輩の在野(ざいや)巫祝の生活を寫せしものとも見ることを得べきなり。

[やぶちゃん注:「唱門師」既出既注。頭書も二度目。

「塵添壒囊抄(じんてんあいなうしやう)」室町末期に編纂された類書。全二十巻。天文元(一五三二)年の序に編者の僧某が記しているように、既に流布されていた「壒囊鈔」の巻々に「塵袋(ちりぶくろ)」から選択した二百一項を本文のまま配し添え、計七百三十七項を再編集したもの。中世的な学殖を以って仏教・世俗に亙る故事の説明がなされており、中世の学芸・風俗・言語の趣を知るべき直接の資料として貴重である(平凡社「世界大百科事典」に拠った)。

「峯相記(みねあひき)」中世(鎌倉末期から南北朝にかけて)の播磨国地誌。作者は不明だが、正平三/貞和四(一三四八)年に播磨国の峯相山(ほうそうざん)鶏足(けいそく)寺(現在の兵庫県姫路市内にあったが、天正六(一五七八)年、中国攻めの羽柴秀吉に抵抗したため、全山焼き討ちに遇って廃寺となった)に参詣した旅の僧が、同寺の僧から聞き書きをした、という形式で記述されている。鎌倉・南北朝期の社会を知るうえで貴重な史料で、中でも柿色の帷子を着て、笠を被り。面を覆い,飛礫(つぶて)などの独特の武器を使用して奔放な活動をした、と描かれる播磨国の悪党についての記述は有名。兵庫県太子町の斑鳩寺に、永正八(一五一一)年に写された最古の写本が残る(平凡社「百科事典マイペディア」に拠った)。

『正月の「左義長(さぎちやう)」』小正月を中心に各地で行われる火祭り。正月の松飾りを各戸から集めて、十四日の晩方乃至は十五日の朝にそれを焼くのが一般的な習わしである。社寺の境内、道祖神の近く、河原などで行われる。「ドンドヤキ」「サイトウ」「ホッケンギョ」など、土地によって様々に呼ばれており、現在でも広く行われている。「サギチョウ」というのは、すでに平安時代の文書に「三毬打」または「三毬杖」としてみられるが、三本の竹や棒を結わえて三脚に立てたことに由来すると言われている。元は、火の上に三脚を立て、そこで食物を調理したものと考えられている。今も所によってはその火で餅などを焼いて食すことがあるが、或いはその名残かもしれない。いずれにしても、木や竹を柱とし、その周りに松飾りを積み上げるものや、木や藁で小屋を作って、子供たちがその中で飲食をしてから、火を放つものなど、多様である。関東地方や中部地方の一部では道祖神の祭りと習合しており、燃えている中に道祖神の石像を投げ込む事例もある。長野県地方の「サンクロウヤキ」は松飾りとともに、「サンクロウ」という木の人形を燃やす。また九州地方では「オニビ」と呼ばれ、七日に行われている。多くの土地では、その火にあたると丈夫になるとか、その火で焼いた餅を食べると病気をしない、などという火の信仰が伝承されており、また、中心の木を二方向から引っ張ったり、或いは、それらが燃えながら倒れた方向によってその年の作柄を占うという、年占(としうら)的な意味を持つようなケースも認められるという(小学館「日本大百科全書」に拠った)。

『土用の「水合(みづあはせ)」』陰陽道の呪術の一つで、毎年夏の土用(立秋直前)の入りの日に行なった祓(はらえ)。

「はかせ」辞書では見出せないが、「博士」で、対概念を示す語で敢えて呼ぶ賤称であろう。

「ゐんない」「院内」。小学館「日本国語大辞典」の「院内」の③に、『特殊民の一つ。前身は祈祷また、遊芸を業としたが、土御門家や興福寺その他の社寺の支配に属するものがあったところからいう。近畿から中部地方に広く分布し、地名に残るものも多い』とある。

「しゆく」既出既注の「夙」であろう。

「梓神子(あづさみこ)」既出既注。リンク先の「梓巫(あづさみこ)」の注参照。

「舞太夫」神事舞太夫を起原とした幸若舞太夫や女猿楽の舞太夫、更に零落した大道芸の舞いを生業とした人々を指すのであろう。

「えびす願人」「えびす」の絵像を頒布した末端的宗教者。既出既注の「エビス」も参照されたい。]

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