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2019/03/05

蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 水のおも

 

 水のおも

 

いと小(ち)さき窓(まど)

晝(ひる)も夜(よ)も(た)えずひらきて、

劃(かぎ)られし水(みづ)の面(も)の

たゆたひをのみ

倦(うん)じたるこころにしめす。

 

淀(よど)める沼(ぬま)か、

大河(おほかは)か、はたや入江(いりえ)か、

水(みづ)の面(も)の一片(ひとひら)を、

何(なに)は知(し)らねど、

間(たてま)なくながめ入(い)りぬる。

 

蒼白(あをじろ)く照(て)る

波(なみ)の文(あや)、文(あや)は撓(たわ)みて

流(なが)れ去(さ)り、また疊(たゞ)む

數(かず)のすがたは

一々(いちいち)に秘密(ひみつ)の意(こゝろ)。

 

しかはあなれど

何事(なにごと)もわれは解(げ)し得(え)ず、

晝(ひる)は見(み)て、夜(よる)想(おも)ふ、

その限(かぎ)りなさ、

いつまでか斯(か)くてあるべき。

 

わが魂(たましひ)を

解(と)き放(はな)て、見(み)るは崇高(けだか)き

天(あま)ならず、地(つち)ならず、

ただたゆたへる

水(みづ)の面(おも)、昨日(きのふ)も今日(けふ)も。

 

世(よ)をば照(て)らさむ

不思議(ふしぎ)はも耀(かゞや)き出(い)でねと

待(ま)ちければ、こはいかに、

わが魂(たましひ)か、

白鵠(びやくこふ)は水(みづ)に映(うつ)りぬ。

 

哀(かな)しき鳥(とり)よ、

牲(いけにへ)よ、知(し)らずや、波(なみ)は、

今(いま)、溶(と)けし熖(ほのほ)なり、

白(しろ)き翅(つばさ)も

たちまちに燒(や)け失(う)せなんず。

 

聞(き)け、高(たか)らかに

聲(こゑ)顫(ふる)へ、『父(ちゝ)、子(こ)、み靈(たま)に

み榮(さかえ)のあれよ』とぞ

讃(ほ)めし聖詠(せいえい)、

臨終(いまは)なる鳥(とり)の惱(なや)みに。

 

わが身(み)はかかる

ありさまに眼(め)をしとづれば、

まだ響(ひゞ)く、『みさかへ』と、――

窓(まど)の外(と)を、そと、

見(み)やる時(とき)、こは天(あめ)ならめ。

 

夕(ゆふべ)の空(そら)か

水(みづ)の面(おも)、こは天(あめ)ならめ、

浮(うか)べたる榮光(えいくわう)に

星(ほし)は耀(かゞや)く、

しかすがにうら寂(さび)しさよ。

 

われと嘲(あざ)みて

何(なに)ものかわれに叛(そむ)きぬ、

暗(くら)き室(むろ)、小(ち)さき窓(まど)、

倦(う)みて夢(ゆめ)みし

信(しん)の夢(ゆめ)、――それも空(あだ)なり。

 

[やぶちゃん注:「みさかへ」はママ。なお、第九連の末尾「見(み)やる時(とき)、こは天(あめ)ならめ。」は底本では、「見(み)やる時(とき)、こは天(あめ)あらめ。」であるが、底本の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」の解説書の野田宇太郎氏の解説にある、有明から渡された正誤表に従い、特異的に呈した。

「白鵠(びやくこふ)」白い鵠(くくひ/くぐひ)で、「白鳥」、カモ目カモ科 Anserinae 亜科 Cygnus 属の七種の内、「白」をわざわざ冠しているから、コクチョウ(黒鳥)Cygnus atratus(オーストラリア固有種であるが、日本(茨城県・宮崎県)に移入されている)や本邦に棲息しないクロエリハクチョウCygnus melancoryphus などを除いた以下三種の孰れかとなる。コブハクチョウCygnus olor・オオハクチョウCygnus cygnus・コハクチョウCygnus columbianus。因みに、本篇はキリスト教が顕在的な詩篇であるが、仏教の「仏説阿弥陀経」の中には「浄土六鳥」称して、浄土にあってはあ六種の聖なる鳥が、仏・法・僧の三宝を奏でて、浄土を荘厳(しょうごん)しているとされ、その名を「白鵠(びゃっこう)」・「孔雀」・「鸚鵡」・「舎利」・「迦稜頻伽(かりょうびんが)」・「共命鳥(ぐみょうちょう)」とすることを言い添えておく。]

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