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2019/04/30

柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「馬蹄石」(16) 「駒形權現」(2)

 

《原文》

 駒形ト云フ神ハ、必ズシモ延喜式ナドヲ搜索セズトモ、現代諸國ノ平地ニイクラモ之ヲ祀リテアルコトハ事實ナリ。但シ其分布ガ東北ヨリモ寧ロ關東ノ諸國ニ多キハ、多分ハ箱根ノ感化影響ナルべシ。而シテ山城朝初期ノ駒形神ガ如何ナル御神ナリシカハ不明トシテモ、近世ノ駒形權現ガ馬ト深キ關係アリシコトハ爭フ能ハズトス。【箱根緣起】箱根ニハ今ヨリ四百五十年前ノ緣起殘存ス。鎌倉時代ノ記錄ニ基キテ起草ストアリテ、ホボ又吾妻鏡ノ記事トモー致スレドモ、其神ノ由來ニ至リテハ固ヨリ本居平田兩大人ノ神道ニテハ之ヲ說明スル能ハザルト同時ニ、佛敎ヨリ言フモ尙且ツ一種ノ異端ナリシガ如ク、密宗ノ曼陀羅思想ヲ以テ辛クシテ之ト聯絡ヲ保チ得タリシ姿アリ。【仙人】最初此山ニ三代三人ノ異人出現ス。其名ヲ聖占仙人利行上人及ビ玄利老人ト謂フ。聖占ハ高麗權現即チ駒形神、利行ハ能善神、玄利ハ即チ高根神(タカネジン)ナリ。【比丘尼】此山ニハ右ノ三神ニ奉仕スル爲ニ多クノ修驗者ト比丘尼ト住ミタリト云フコトナルガ、彼等ハ果シテ本山當山ノ行人タチノ如ク、佛道ニ染メ上ゲタル者ナリシカ否カハ疑問ナリ。山ヲ降リテ村々ニ勸請セラレシ駒形ニモ、頗ル後世ノ富士行者ノ如キ面目ヲ存セシ者アリキ。【御生題】例ヘバ相州酒勾(サカワ)村ノ鎭守駒形社ノ如キ、祭神ヲ鸕鷀草葺不合尊ト稱シテ木ノ御立像ヲ安置スル外ニ、別當寺ニ御生題(ミシヤウダイ)ト稱スル銅鏡ニ鑄出シタル神像アリ。唐服ヲ著タル仙人ノ如キ姿ニシテ、其鏡ハ普通ノ懸佛ト云フ物ト同ジカレドモ、兩側ノ紐附ノ耳ニ當ル場所ニ奇怪ナル人ノ顏ヲ鑄出シ、裏面ニハ天文二十二年駒形大權現御生題ト刻シタリキ〔新編相模風土記〕。御生題ハ勿論御正體ノコトナランモ、兎ニ角ニ一種異樣ナル信仰ノ對象ナリ。甲州其他ノ地方ニ御生題山ト云フ高山アリ。中古修驗道ノ遺跡ナラント思ヘド、土地ノ人モ多クハ地名ノ由來ヲ說明スルコト能ハズ。

 

《訓読》

 駒形と云ふ神は、必ずしも「延喜式」などを搜索せずとも、現代諸國の平地に、いくらも之れを祀りてあることは事實なり。但し、其の分布が、東北よりも、寧ろ關東の諸國に多きは、多分は、箱根の感化・影響なるべし。而して、山城朝初期の駒形神が如何なる御神なりしかは不明としても、近世の駒形權現が馬と深き關係ありしことは、爭ふ能はずとす。【箱根緣起】箱根には今より四百五十年前の緣起、殘存す。鎌倉時代の記錄に基きて起草すとありて、ほぼ又、「吾妻鏡」の記事ともー致すれども、其の神の由來に至りては、固(もと)より、本居(もとをり)・平田兩大人(だいじん)の神道にては、之れを說明する能はざると同時に、佛敎より言ふも、尙且つ一種の異端なりしがごとく、密宗の曼陀羅(まんだら)思想を以つて、辛(から)くして、之れと聯絡を保ち得たりし姿あり。【仙人】最初、此の山に、三代三人の異人、出現す。其の名を「聖占(せいせん)仙人」・「利行(りぎやう)上人」及び「玄利(げんり)老人」と謂ふ。「聖占」は「高麗(こま)權現」、即ち、「駒形神」、「利行」は「能善神(のうぜんしん)」、「玄利」は、即ち、「高根神(たかねじん)」なり。【比丘尼(びくに)】此の山には、右の三神に奉仕する爲めに、多くの修驗者と比丘尼と、住みたりと云ふことなるが、彼等は果して本山・當山の行人(ぎやうにん)たちのごとく、佛道に染め上げたる者なりしか否かは、疑問なり。山を降りて、村々に勸請せられし駒形にも、頗る後世の富士行者のごとき面目(めんぼく)を存せし者、ありき。【御生題(みしやうだい)】例へば、相州酒勾(さかわ)村の鎭守駒形社のごとき、祭神を「鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあへずのみこと)」と稱して木の御立像を安置する外に、別當寺に「御生題(みしやうだい)」と稱する銅鏡に鑄出したる神像あり。唐服(たうふく)を著たる仙人のごとき姿にして、其の鏡は普通の懸佛(かけぼとけ)と云ふ物と同じかれども、兩側の紐附(ひもつき)の耳に當る場所に、奇怪なる人の顏を鑄出し、裏面には「天文二十二年[やぶちゃん注:一五五三年。]駒形大權現御生題」と刻したりき〔「新編相模風土記」〕。「御生題」は、勿論、「御正體(みしやうたい)」のことならんも、兎に角に、一種異樣なる信仰の對象なり。甲州其の他の地方に「御生題山」と云ふ高山あり。中古修驗道の遺跡ならんと思へど、土地の人も多くは地名の由來を說明すること能はず。

[やぶちゃん注:「山城朝初期」平安京初期。

「今より四百五十年前」本書は大正三(一九一四)年刊であるから、室町最末期の寛正五(一四六四)年前後か。但し、現在の箱根神社にある「筥根山縁起并序」は建久二(一一九一)年に箱根権現別当行実が編纂したものとされ、これだと七百二十三年前だが? ところが、「有鄰」の「座談会 箱根神社とその遺宝」こちらを読むと、これとは別に通称「箱根権現縁起」と言われる「箱根権現縁起絵巻」(最初の部分は欠落しており、正式名称は不明)という重要文化財指定の絵巻があり、そこに箱根権現の縁起が示されてあるとあるのだが、しかし、それも鎌倉末期の成立とあるのだ(因みに、座談会の後のこちらには、箱根神社は豊臣秀吉によって社殿は全部焼かれてしまったと書いてもあった)。後者のことを言っていることが以下の三異人(正体を柳田國男は簡単に言い換えて明かしているけれど、私にはこういう異名同定学は何かよう分らんがのぅ?)の内容から判るが、それでも不審やなぁ? 或いは、当時は「四百五十年前」の作と過少に推定されていたんかなぁ? ともかくもここに書かれているのは公式の「箱根元宮」や、こたつむり氏のサイト内のこちらにも書かれてある。「四百五十年前」意味分らん!?!

『「吾妻鏡」の記事』前段参照。

「本居(もとをり)」本居宣長。

「平田」平田篤胤。

「利行(りぎやう)上人」これ、ネット上を調べると、公式も個人も皆、「利行丈人」とかいてあるんですけど? 柳田國男の誤字?

「御生題(みしやうだい)」後注に見る通り、「新編相摸國風土記稿」では「御正體」(「みしょうたい」(現代仮名遣)とも読む。御神体。また、狭義には、神仏習合の考えによって神体である鏡に本地仏の像を示した鏡像又は懸仏を意味する)の誤りとする。

「相州酒勾(さかわ)村の鎭守駒形社」現在の神奈川県小田原市酒匂にある酒匂神社(合祀? 但し、以下の引用に出る持分とする「南藏寺」は東一キロメートルに現存する)らしい。「神奈川県神社庁」公式サイト内のこちらに「駒形神社」を併記する。ちょっと興味が湧いたので調べたところ、「新編相摸國風土記稿卷之三十六 村里部 足柄下郡卷之十五」の「酒勾村」に図入りであった。国立国会図書館デジタルコレクションの「大日本地誌大系」版のこちら図も国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングして使用した。割注は〔 〕で示した。

   *

○駒形社 村の鎭守なり、 祭神鸕鷀茅葺不合尊、〔木立像、長二尺〕又當社御生題と〔按ずるに、正體の誤なるべし〕號して、銅鏡面に像を鑄出せしものを、別當寺に置、天文廿二年、岡部出雲守廣定の寄附する所なり、其圖左の如し、

Sakawakomagatakakebotoke

[やぶちゃん注:「裏」の刻印は以下。

   奉寄進

 駒形第權現御生題

 相州西郡酒匂鄕代官

 ?部出雲守廣定

  天文廿二七月二日]

同時小島左衛門太郎正吉も又生題二面を寄附す、こは中古失へり、〔村民德右衛門家乘に、其銘の寫あり奉寄進駒形大權現御生題、相州西郡酒勾鄕、旦那小島左衛門太郎正吉、天文廿二癸丑七月二日、德右衛門は卽正吉が裔なり、〕按ずるに、【北條役帳】幻庵内室の知行中に、四十貫二百五十文酒勾内駒形分と見ゆ、則當社の事なり、本地十一面觀音、〔別當寺の本尊是なり、〕例祭七月七日、〔當社及八幡の神輿を舁て村内を巡行す〕元和七年、領主阿部備中守正次、先規に任せ供免五石を寄附す、〔德右衛門家乘に、寄附狀の案あり、曰、相州西群酒勾鄕、駒形權現社領之事、田畑五石地也、但御供免、御祭免、御造家免、右之分如前々相違有間鋪者也、元和七年十二月、阿部備中守内、内藤覺右衛門印、下宮理右衛門印、小島主水へ參とあり、〕今も社地の外供免五石六斗餘の除地を附す、幣殿・拜殿等あり、 寬永五年の鰐口を掲ぐ、社地に供所及神木古松一株あり、【圍一丈八尺】南藏寺の持、[やぶちゃん注:以下、摂社・末社の記載は略す。]

   *

しかして、これ、存在しないのが、実に惜しい。

「鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあへずのみこと)」彦火火出見尊(山幸彦)の子。母は豊玉姫。「日本書紀」によれば、彼が誕生した産屋は全て鸕-鶿(う)の羽を茅(かや)代りにして葺いたが、屋根の頂上部分をいまだふき合わせぬうちに生まれ、茅に包まれ、波瀲(なぎさ)に棄てられたとする(ウィキの「ウガヤフキアエズ」に拠った)。

「甲州」「御生題山」山梨県都留市と南都留郡道志村に跨る御正体山(みしょうたいやま/さん)のことか(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「御正体山」によれば、『古くは養蚕の神の山として敬われた。江戸時代後期の』文化一〇(一八一三)年に『美濃の僧妙心が入山し、人々の信仰を集めた』。文化十四年に』『妙心は山中で入定する。妙心のおひしゃり(ミイラ)は山内の上人堂に祀られていたが、明治の廃仏毀釈によって山からおろされてしまった。京都の博覧会などに展示されるなどした後、故郷である岐阜県揖斐川町の横蔵寺に祀られている』。『山頂には御正体権現が祀られ、都留市小野に里宮である若宮神社がある。「正体」という言葉は本来、「日本のカミガミは仮の姿であり、その正体はインドの仏である」と主張する本地垂迹説に由来する仏教用語』(但し、ここには要出典要請が掛けられている)とも言い、『他方』、『「権現」は、同じく仏教用語で、インドの仏が仮の姿で、つまり日本のカミとして現れたものを意味する』とも言う(同前の要請有り)。『従って、「正体」と「権現」は相互に相容れない概念であると考えられ、山頂に祀られた「御正体権現」に仏教もしくは神道の教理上いかなる位置づけが与えられているのかは明らかでない』とある。]

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