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2019/04/28

七つ飛島 伊良子清白

 

七つ飛島

 

七つ飛島

  靑剛樹(いまめ)の茂り

  裾は砂濱 春の波

   ぎいとんぎいとん

   櫂なら來い櫓なら來い

   ぎいとんぎいとん

 

七つ飛島

  阿久瀨(あぐせ)を越えて

  沖は白帆の 伊勢の海

   ぎいとんぎいとん

   櫂なら來い櫓なら來い

   ぎいとんぎいとん

 

七つ飛島

  長山、尾山、

  おだま、けないし、御前島(ごぜんじま)

  おむら、坊主で 七つじま

   ぎいとんぎいとん

   櫂なら來い櫓なら來い

   ぎいとんぎいとん

 

七つ飛島

  二見の浦は

  かもめ一聲 羽根の下

   ぎいとんぎいとん

   櫂なら來い櫓なら來い

   ぎいとんぎいとん

 

七つ飛島

  千疊敷岩で

  可愛いお方と ふのり摘み

   ぎいとんぎいとん

   櫂なら來い櫓なら來い

   ぎいとんぎいとん

 

七つ飛島

  朝熊岳(あさま)を眺め

  今日も煙が 三すぢたつ

   ぎいとんぎいとん

   櫂なら來い櫓なら來い

   ぎいとんぎいとん

 

七つ飛島

  親神子神

  なぜに逢はれぬ 波と風

   ぎいとんぎいとん

   櫂なら來い櫓なら來い

   ぎいとんぎいとん

 

七つ飛島

  まはれば一里

  裏の洞門 潮が鳴る

   ぎいとんぎいとん

   櫂なら來い櫓なら來い

   ぎいとんぎいとん

 

七つ飛島。二見の浦鳥羽間に在る七つの群嶼。

阿久瀨。群嶼の外海一帶の淺瀨。

朝熊岳。古い「よさ節」に「さまよあれ見よ朝熊の山を……中略……はなれがたなき此山の、ぢんの煙が、三すぢ立つ」とあり。岳頂金剛證寺あり。

親神子神、飛島七嶼は何れも神體として俚人の尊崇篤し。

 

[やぶちゃん注:初出不詳であるが、言わずもがなであるが、鳥羽での作。則ち、既に示した通り、大正一一(一九二二)年九月十二日から、ここの底本親本である新潮社版「伊良子清白集」刊行の昭和四(一九二九)年十一月以前の作となる。以下、本大パート「笹結び」最後の「冬が來たとて」まで総て同じなので、これを以ってこの創作時期指定は示さないなお、最後の注は底本では、「註」は詩篇本文の一字分下げ位置で、後に一字空けで一行目(『七つ飛島。二見の浦鳥羽間に在る七つの群嶼。』)があり、二行目(『阿久瀨。群嶼の外海一帶の渡瀨。』)以降は註の一字分が下げとなり、以下、註全部がそれに倣い、「朝熊岳」は底本では三行及ぶが二行目と三行目は一字上っている。ブログ・ブラウザの不具合を考え、以上のように処理した。

「七つ飛島」国土地理院図の「飛島」とのみ記す、この東西に並ぶ諸島。現在の三重県鳥羽市桃取町飛島に総ての島が含まれる。グーグル・マップ・データの航空写真のこの位置のこのサイズで辛うじて、伊良子清白の註する「二見の浦鳥羽間に在る七つの群嶼」(「群嶼」は「ぐんしよ(ぐんしょ)」で「嶼」は「島嶼」の熟語でお判りの通り、「島」は大きな、「嶼」は小さな島を指す漢字である)が判るはずである。諸島の上に「飛島」の文字が出、左上端に二見ヶ浦にある「二見興玉神社」が、右端中央に「鳥羽湾」の文字が視認出来る。さても問題はこれらの、伊良子清白が言う七つの島の名とどれがそれなのかが地図好きの私には気になった。伊良子清白は第三連で七つの島を挙げて、「長山」島・「尾山」島・「おだま」島・「けないし」島・「御前島(ごぜんじま)」・「おむら」島・「坊主」島と名数としているのだが、まず、これが西から或いは東からの島の順列呼名である保証はどこにもない。しかも、国土地理院図を見ると、大まかに島影を想像して数えれば、七か八つ、ごく小さなものを含めると十九を数え得る。但し、ここで清白が言い、現地でもそう呼称していたのであろう「七つ島」は陸から見た、見た目の島影を数えたもので、何となく国土地理院図を眺めていると、きっとここは纏まるからと推測されて、凡そ七つというのは腑に落ちる数ではあると私は思った。しかしそれで納得は出来ない。さらに調べて見たところ、この飛島諸島の南の端から真南の、湾に面した、三重県伊勢市二見町松下の伊勢志摩国立公園内の「池の浦 旅荘 海の蝶」の公式サイト(地図はここに有)内に、「飛島の全ての島の名称」というページを発見した(同旅荘のスタッフの一人「地下のホシ」氏の記事)。それによると、「鳥羽市史」上巻によると、『淡良伎(あわらぎ)島=小浜の前海中にある七ツ島の総称で、大小七個の島が東西に相並び、飛んで踏みこえる状態のため、通称を飛島ともいわれる』、『と記述されており、また、淡良伎島のことは、神宮の贄海(にえうみ)神事のとき』、『謳(うた)われる三首の歌の一つに「淡良伎や、島は七島と、申せども、不毛島加(けなしか)てては、八島なりけり」とあり、不毛(けなし)島は、やはり飛島に並んでいる島で、草木が生えない。飛島の個々の名称については『鳥羽誌』に「大村・ボウス・御膳島・同・カマダ・長山・大山」と記されている。飛島はまた、志摩国旧図に「州浮(すうき)島」とも書かれている』、『と記述されています。この記述の中で私は、飛島はどう見ても』七『つしかないのに、なぜ』八『島なのか。残りの』一『つの島はどれだろうか。御膳島の次の「同」と「カマダ」はどれなのか気になります。「カマダ」は御膳島の右側にある小島でしょうか。「同」は不明です』。『図書館にございます、神宮文庫所蔵の「志摩國圖」を見ますと、飛島が』八『つ同じ大きさで並んで描かれています。そして、海上保安庁の「世界測地系」を見ますと、御膳島は「御前島」、不毛島は「ケナシ」と記されています』。『以上の事をまとめますと、島名は』『左から、大村島、ボウス島、御前島、カマダ島、長山島、大山島、ケナシ』島と『なります』とあったのである(太字下線は私が附した)。毎日、この旅荘の位置で飛島の島々を眺めつつ、お仕事をなされておられる方の記事であるから、「七つ島」は東から、

大村島・ボウス島・御前島・カマダ島・長山島・大山島・ケナシ(島)

であることは間違いない。ただ、記事の中の「志摩國圖」というのがひどく気になった。調べみたところ、同一の絵図かどうかはわからないが、江戸幕府の命によって作られた「天保國繪圖」(天保九(一八三八)年完成)の志摩国のパート部分を「国立公文書館」の「デジタルアーカイブ」(重要文化財(国絵図等)内に発見、細部を拡大して見ると、あったのだ! 東から、飛島諸島相当するところに、東から、八つ、

大村・小山・御膳嶋・小山・長山・尾山・小けなし・大けなし

とあったのである! しかも「大村」島だけがちょっと大きめで、あとは似たり寄ったりのいい加減に似たような大きさで描かれているから、恐らくはブログを書かれた方が見たものも同系列のものなのだろうと推測する。今一度、伊良子清白のそれを示すと、

長山島・尾山島・おだま島・けないし島・御前島・おむら島・坊主島

で、順列ではないことが明らかになる。しかし、それは実は当然なのだ。清白は韻律を整えるためにこれらの七つ島の名を組み変えたに過ぎないないからである。気になるのは呼称の相異ではある。しかし、清白の「おだま島」はブログ主の「カマダ島」や古地図の二つの「小山」島(名前がダブっているのは作成者のいい加減さに過ぎないだろう。漁師はちゃんと区別していた。そうでなくては板子一枚下は地獄の彼らの命に係わるからである)と音の親和性があるし、「けないし島」は明らかに、西の端の「ケナシ」で(ここは小さな島が、ちょっと離れて二つのやや大きな島と中くらいとがあり、そこにまた小さいの(五つ)がごちゃごちゃっとあり、陸からは或いは一つに見えるのかも知れない。「おむら島」は「大村島」であろうし、「坊主島」は「ボウス島」(古地図の東から二つ目の「小山」)であろう。清白は土地の者ではない。土地の訛りを聴き取り違えた可能性もある。以上が私の机上の飛島小旅行であった。何時か、ここに泊まって見たくなったな……

【2019年5月2日追記】昨日、東京湾を友人のヨットでクルーズさせて貰った。その折り、冊子型の海図を見ることが出来、そこに飛島諸島があった。総ての島に名は載っていなかったが新しい発見があった。先のブログ主が「ボウス島」と読んでいる、大村島と御前島の間にある、ごくごく丸い小さな島には、海図では、

飛島

とあったのである。ご報告まで。

「靑剛樹(いまめ)」ブナ目ブナ科コナラ属アカガシ亜属アラカシ Quercus glauca のことか。この木は現代中国語で「青剛櫟」と書く。ウィキの「アラカシ」によれば、『常緑広葉樹。クロガシ、ナラバガシともいう』。『樹皮は黒っぽい灰色』。『葉は楕円形で硬く、中央から先にあらい鋸歯がある。裏面は粉を吹いたように白い』。『開花期は』四・五『月で、雌雄異花』。『果実(堅果)は、いわゆるドングリのひとつになる。殻斗(ドングリの入っている台のような部分)は環状である』。『中国、台湾、日本(本州東北以南、四国、九州)に分布する』。『人里近くの雑木林に多く見られる。照葉樹林の構成種であるが、人為的攪乱にも強く、人手が入った二次林に特に多』く、『照葉樹林そのものがほとんど残っていない場所でも、この種は比較的よく見られる』。『公園や学校にもよく植栽されている。木は建築材として利用される』。『大きな木になると、樹皮の傷口から虫が入り、これにカブトムシやクワガタムシが集まることがあり、クヌギほどではないが、そのような昆虫を見るのによい木である』とある。

「阿久瀨(あぐせ)」この辺りか(グーグル・マップ・データ航空写真)。

「千疊敷岩」不詳。飛島諸島のどこかの島の海食台の通称か。

「ふのり」紅色植物門紅藻綱スギノリ目フノリ科フノリ属の海藻で、本邦にはハナフノリ Gloiopeltis complanata・フクロフノリ Gloiopeltis furcata・マフノリ Gloiopeltis tenax の三種が植生する。布海苔・布苔・布糊などと書く。一般的に食用とするのはマフノリとフクロフノリで、ウィキの「フノリ」によれば、『マフノリはホンフノリと呼ばれることもある』。『岩礁海岸の潮間帯上部で、岩に付着器を張り付けて生息する。日本全国の海岸で広く見られる』。二月~四月が『採取期で、寒い時のものほど』、『風味が良いといわれる。採取したフノリの多くは天日乾燥され』、『市場に出回るが、少量は生のまま、または塩蔵品として出回ることもある』。『乾燥フノリは数分間水に浸して戻し、刺身のつまや味噌汁の具、蕎麦のつなぎ(へぎそば)などに用いられる。お湯に長時間つけると』、『溶けて粘性が出るので注意が必要である』。『近年、フノリはダイエット食品として注目されている。また、フノリの粘性の元となる多糖質に抗がん作用があるとか』、『血中コレステロールを下げる作用があるなどという見解を持つものもおり、フノリの成分を使った健康食品なども開発されている』。『一方、フノリは古く』『は食用よりも糊としての用途のほうが主であった。フノリをよく煮て溶かすと、細胞壁を構成する多糖類がゾル化してドロドロの糊状になる。これは、漆喰の材料の』一『つとして用いられ、強い壁を作るのに役立てられていた』のである。『ただし、フノリ液の接着力はあまり強くはない。このため、接着剤としての糊ではなく、織物の仕上げの糊付けに用いられる用途が多かった。「布糊」という名称はこれに由来するものと思われる。また、相撲力士の廻しの下につける下がりを糊付けするのに用いられたりもする』。『その他、フノリの粘液は洗髪に用いられたり、化粧品の付着剤としての用途もある。また、和紙に絵具や雲母などの装飾をつける時に用いられることもある』とある。何を隠そう、海藻フリークの私の中でも、ランキングの高いこれまた大好物であって、現在も常時、三袋ほどを保存して欠かさない。先般、西伊豆で買って生も食べたが、フノリに関しては、乾したもの、しかも、ガタイの大きくない細目のもの、ともかく北のものの方が風味がある。

脚注「朝熊岳(あさま)」三重県伊勢市及び鳥羽市に跨る朝熊山(あさまやま)。正式名称は「朝熊ヶ岳(あさまがたけ)」。標高は北峰で五百五十五メートル。ウィキの「朝熊岳」によれば、「三国地誌」では『「岳(たけ)」とも記され、伊勢市近辺で「岳」は朝熊山を意味する』という。『紀伊半島から太平洋に突き出た志摩半島の最高峰で、山頂付近は初日の出の名所である。朝熊山は伊勢志摩を代表する霊山として知られる』。「延喜太神宮式」などに『「朝熊(あさくま)」とあるように』、『「あさくま」が本来の読みであり、音が約され』、『「あさま」となったと考えられる。なお、「あさくま」との読みは伊勢神宮摂社の朝熊神社に残っている』。『「あさくま」の語源として、浅隈(川の浅瀬を意味する古語)に由来する説(度会清在』「旧蹟聞書」『)が有力とされる。ほかに、この地を訪れた空海の前に』、『朝に熊が』、『夕に虚空菩薩が現れたという伝説による説(金剛證寺伝)、朝熊神社の祭神である葦津姫(別名木華開耶姫)の通音に由来するという説(度会延経)などがある』とある。清白が註で言うように、山頂付近に臨済宗金剛證寺(創建は六世紀半ばに欽明天皇が僧暁台に命じて明星堂を建てたのが初めといわれているものの定かでない。天長二(八二五)年に空海が真言密教道場として当寺を中興したと伝えられており、長く修験道の道場であった。明徳三(一三九二)年に鎌倉建長寺第五世の仏地禅師東岳文昱(ぶんいく)が再興に尽力し、これによって東岳文昱を開山第一世として臨済宗に改宗した。参照したウィキの「金剛證寺」によれば、『朝熊山付近では江戸期以降、宗派を問わず』、『葬儀ののち』、『朝熊山に登り、金剛證寺奥の院に塔婆を立て供養する「岳参り」「岳詣(たけもうで)」などと呼ばれる風習がある』とある)がある。

「親神子神」不詳。飛島になんらかの神話があるものか? 或いは朝熊神社の祭神である木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ:大山津見神の娘)の天孫の寿命短縮神話と関係するか(見当違いだと意味がないので説明はしない。知らぬ方はウィキの「コノハナノサクヤビメ」などを参照されたい。

「裏の洞門」不詳。飛島諸島のどこかに海食台があるなら、海食洞もあってよい。]

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