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2019/04/16

柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「馬蹄石」(10) 「馬ニ騎リテ天降ル神」(5)

 

《原文》

 保呂羽山ノ神樂ノ歌ガ、梓巫ノ徒ヨリ學ビシモノニ非ザルコトハ、亦之ヲ立證スルコト難カラズ。【田植歌】岩代會津ノ伊佐須美神社ノ田植歌十二段ノ中ニモ

  繫ギタヤ繫ギタヤ、葦毛ノ駒ヲ繫イダ。

  白葦毛ノ白ノ駒ヲ、高天原ニ繫イダ。

  大明神ノ召サウトテ、葦毛ノ駒ヲ早ウ引ク。

[やぶちゃん注:以上の歌は底本では全体が二字下げで、改行せずに繋がっている。ブラウザでの不具合を考え、かく改行した。]

ト云フ歌アリ〔中古雜唱集〕。然ラバ海ノ都ト此世トノ交通ニ鰐ヲ用ヰシト同ジク、天ト地トノ往來ニハ特ニ靈アル白ノ駒ヲ選バレシモノニテ、從ヒテ人間ノ雜役ニハ之ヲ用ヰルコトヲ遠慮セシモ尤モ自然ノ事ト謂フべシ。人ノ靈ニ在リテハ矢口ノ渡ノ新田義興ノ如キモ、尙又白キ馬ニ乘リテ靑空鮮カニ現ハレタリ。【白旗】空ヲ行クモノ山ヨリ降ル者ヲ白カリシト想像スルハ、單ニ詩トシテ美シキノミニ非ズ、多クノ白旗傳說ナドト共ニ、先年西洋ニテ流行セシ所謂天然現象說ヨリ之ヲ解釋スルモ亦差支無シ。日本ニ於テハ佛敎ノ方ニモ多ク此傳說ヲ利用シタリトオボシ。支那ニテモ始メテ經文ヲ輸入セシ馬ノ白カリシコトヲ言ヘド、此ヨリモ今一段我邦ノハ之卜緣深シ。昔信濃ノ筑摩ノ湯ノ村ニ住ム信心者ノ夢ニ、明日ハ觀世音此湯ニ入浴ニ來ルべシト云フ豫告アリ。年ハ三十前後、髯黑ク綾藺笠(アヤヰガサ)ヲ著テ、節黑ナル胡箙(ヤナグヒ)ニ皮ヲ卷キタル弓ヲ持チ、紺ノ襖(アヲ)ニ夏毛ノ行縢(ムキバキ)ヲハキ、葦毛ノ馬ニ乘リタル人ガ觀音ナリト敎ヘラル。卽チ法(カタ)ノ如キ田舍者ノ風俗ナリ。翌日ニナリテ果シテ其通リノ人來リタレバ、一同有難ガリテ之ヲ拜ム。其男ハ元來觀世音ニハ非ザリシ故、勿論非常ニ面喰ヒタリシモ、根ガ氣ノ善キ御侍ト見エテ、サテハ身共ハ觀音デ御座ツタカト、此ガ菩提ノ種トナリテ直チニ剃髮シテ法師トナリ了ル〔宇治拾遺物語六〕。上野國ノ馬頭主ト云フ武士ナリキト云ヘリ。【馬頭觀音】上野ハ下野ノ誤聞ナルカモ知レザレド、兎ニ角馬頭觀音ノ信仰ヲ聯想セズニハ過グシ難キ一話ナリ。

 

《訓読》

 保呂羽山(ほろはやま)の神樂の歌が、梓巫(あづさみこ)の徒より學びしものに非ざることは、亦、之れを立證すること難からず。【田植歌】岩代會津の伊佐須美(いさすみ)神社の田植歌十二段の中にも

  繫ぎたや繫ぎたや、葦毛の駒を繫いだ。

  白葦毛の白の駒を、高天原(たかまのはら)に繫いだ。

  大明神の召さうとて、葦毛の駒を早う引く。

[やぶちゃん注:以上の歌は底本では全体が二字下げで、改行せずに繋がっている。ブラウザでの不具合を考え、かく改行した。]

と云ふ歌あり〔「中古雜唱集」〕。然らば、海の都と此の世との交通に鰐(わに)[やぶちゃん注:鮫。]を用ゐしと同じく、天と地との往來には、特に靈ある白の駒を選ばれしものにて、從ひて、人間の雜役には之れを用ゐることを遠慮せしも、尤も自然の事と謂ふべし。人の靈に在りては、「矢口の渡し」の新田義興のごときも、尙、又、白き馬に乘りて、靑空、鮮かに現はれたり。【白旗】空を行くもの、山より降る者を白かりしと想像するは、單に詩として美しきのみに非ず、多くの白旗傳說などと共に、先年、西洋にて流行せし、所謂、「天然現象說」より之れを解釋するも亦、差し支へ無し。日本に於いては、佛敎の方にも多く此の傳說を利用したりとおぼし。支那にても、始めて經文を輸入せし馬の白かりしことを言へど、此れよりも今一段、我が邦のは之れと、緣、深し。昔、信濃の筑摩の湯の村に住む信心者の夢に、「明日は、觀世音、此の湯に入浴に來たるべし」と云ふ豫告あり。「年は三十前後、髯(ひげ)黑く、綾藺笠(あやゐがさ)を著けて、節黑(ふしぐろ)なる胡箙(やなぐひ)に、皮を卷きたる弓を持ち、紺の襖(あを)に、夏毛の行縢(むきばき)をはき、葦毛の馬に乘りたる人が觀音なり」と敎へらる。卽ち、法(かた)のごとき田舍者の風俗なり。翌日になりて、果して其の通りの人來たりたれば、一同、有り難がりて、之れを拜む。其の男は元來、觀世音には非ざりし故、勿論、非常に面喰ひたりしも、根が氣の善き御侍と見えて、「さては。身共(みども)は觀音で御座つたか」と、此れが菩提の種となりて、直ちに剃髮して法師となり了(おは)る〔「宇治拾遺物語」六〕。上野國(かうづけのくに)の馬頭主(ばとうぬし)と云ふ武士なりきと云へり。【馬頭觀音】上野は下野(しもつけ)の誤聞なるかも知れざれど、兎に角、馬頭觀音の信仰を聯想せずには過ぐし難き一話なり。

[やぶちゃん注:「岩代會津の伊佐須美(いさすみ)神社」現在の福島県大沼郡会津美里町宮林甲にある伊佐須美神社(同神社公式サイトの地図)。ここで柳田國男が挙げる「田植歌」は同神社で現在も七月十二日に催される「御田植祭」のそれで、公式サイトによれば、『この祭りは伊佐須美神社最大の祭りであると同時に、伊勢神宮の朝田植、熱田神宮の夕田植と並び、伊佐須美神社の昼田植と称され、日本三大「御田植祭」の一つと数えられています』。『地元の小中学生など町民が町中を掛け声響かせながら練り歩く勇壮な「獅子追い」から始まり、農家の長男が女装して踊る伝統の「早乙女踊り」が奉納され、そのほか「神輿渡御」「田植え式」が繰り広げられます』。『三町青年会(第一仲若・上若・北若)が率いる太鼓台が一堂に会す太鼓台宮登りや、佐布川地区の長男に代々継承され、早乙女に扮して踊る早乙女踊、仮面獅子を先頭に群童が町内を駆け巡る獅子追神事、古代歌謡「催馬楽」が詠われる中、神子人形と共に進む神輿渡御などは必見です』とあり、現在、国重要無形民俗文化財に指定されている。

『「矢口の渡し」の新田義興のごときも、尙、又、白き馬に乘りて、靑空、鮮かに現はれたり』新田義興(元弘元/元徳三(一三三一)年~正平一三/延文三(一三五八)年)は南北朝時代の武将。父は新田義貞。南朝方に属した。従五位下・左兵衛佐。正平七/文和元 (一三五二)年に弟義宗とともに関東で足利方と戦い、一時は鎌倉を占拠したが、後、多摩川の矢口ノ渡しで敵に謀られて自死した。ここはそれを脚色した浄瑠璃「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」の四段目の「頓兵衛住家の段」で馬に乗った義興の霊が出現するシーンを指して言っているものと思われる(私は同作は未読未見。ウィキの「神霊矢口渡」を参照した)。

「天然現象說」気象及び光学的自然現象。

「信濃の筑摩の湯の村に住む信心者の夢に……」「宇治拾遺物語」の「信濃國筑摩(つくま)の湯に、觀音、沐浴(もくよくの)事」。以下。

   *

 今は昔、信濃國に筑摩(つくま)の湯といふ所に、萬(よろづ)の人の浴(あ)みける藥湯(くすりゆ)あり。そのわたりなる人の夢に見るやう、

「明日(あす)の午(むま)の時に、觀音、湯浴み給ふべし。」

といふ。

「いかやうにてか、おはしまさんずる。」

と問ふに、いらふるやう、

「年、三十ばかりの男の、鬚(ひげ)黑きが、綾藺笠(あやゐがさ)[やぶちゃん注:藺草(いぐさ)を綾織りに編み、裏に布を張った笠。中央に髻(もとどり)を入れる巾子形(こじがた)という突出部があり、その周囲に藍革(あいかわ)と赤革の帯を垂らして飾りとする。武士が狩猟・旅行・流鏑馬などの際に着用した。]きて、ふし黑なる胡籙(やなぐひ)[やぶちゃん注:矢の柄の節の下を漆で黒く塗った矢を差した箙(えびら:矢を盛って背負う器具。)]、皮卷きたる弓持ちて、紺の襖(あを)[やぶちゃん注:ここは狩衣と同義。]着たるが、夏毛の行縢(むかばき)[やぶちゃん注:夏季に捕えた鹿の毛革(この時期には黄色に白い斑点が鮮やかに出る)で作った、乗馬時に騎手が腰に附けて前に垂らした着用具。]はきて、葦毛(あしげ)の馬に乘りてなん來べき。それを觀音と知り奉るべし。」

といふと見て、夢さめぬ。

 驚きて、夜明けて、人々に告げまはしければ、人々、聞きつぎて、その湯に集まる事、限りなし。湯をかへ、めぐりを掃除(さうぢ)し、しめ[やぶちゃん注:注連縄。]を引き、花香(くわかう)を奉りて、居集(ゐあつ)まりて待ち奉る。

 やうやう午(むま)の時過ぎ、未(ひつじ)[やぶちゃん注:午後二時頃。]になる程に、ただ、この夢に見えつるに露(つゆ)違(たが)はず見ゆる男の、顏より始め、着たる物、馬、何かにいたるまで夢に見しに違はず。萬の人、にはかに立ちて額(ぬか)をつく。

 この男、大きに驚きて、心も得ざりければ、萬の人に問へども、ただ拜みに拜みて、その事といふ人なし。僧のありけるが、手を摺りて額(ひたひ)にあてて、拜み入りたるがもとへ寄りて、

「こはいかなる事ぞ。おのれを見て、かやうに拜み給ふは。」

と、こなまりたる[やぶちゃん注:少し訛った。]聲にて、問ふ。

 この僧、人の夢に見えけるやうを語る時、この男、いふやう、

「おのれは、さいつころ、狩りをして、馬より落ちて、右の腕(かひな)をうち折りたれば、それをゆでんとて、まうで來たるなり。」

といひて、と行きかう行きする程に、人々、尻(しり)に立ちて、拜(をが)みののしる。

 男、しわびて[やぶちゃん注:どうにも対応に困って。]、『我が身は、さは、觀音にこそありけれ。ここは法師になりなん』と思ひて、弓・胡籙(やなぐひ)・太刀(たち)・刀、切り捨てて、法師になりぬ。

 かくなるを見て、萬の人、泣きあはれがる。

 さて、見知りたる人出で來ていふやう、

「あはれ、かれは上野國(かむづけのくに)におはする、『ばとうぬし』にこそいましけれ。」

といふを聞きて、これが名をば、「馬頭觀音」とぞいひける。

 法師になりて後(のち)、橫川(よかは)に登りて、かてう僧都[やぶちゃん注:覚超か。源信の弟子。長元七(一〇三四)年、七十五で入寂。]の弟子になりて、橫川に住みけり。その後(のち)は土佐國に去(い)にけりとなむ。

   *

本文は「新潮古典文学集成」の大島武彦校注「宇治拾遺物語」(昭和六〇(一九八五)年刊)及び岩波文庫渡辺綱也校訂(一九五一年刊)の二種を参考にし、注は一部で前者の頭注を参考にした。この話は「今昔物語集」の巻第十九「信濃國王藤(わうどう)観音出家語第十一」(信濃國王藤(わうどう)、観音出家する語(こと)第十一。「やたがらすナビ」のこちらで読める)や「古本説話集」の六十九(同じく「やたがらすナビ」のこちらで読める)に同話が収められてある。観音や地蔵は現世利益の菩薩であることから、人間の姿に垂迹すると信じられていたらしいと大島氏の評注にあった。

「上野は下野の誤聞なるかも知れざれど」根拠不詳。識者の御教授を乞う。]

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