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« 月光日光 伊良子清白 | トップページ | かくれ沼 清白(伊良子清白) (「孔雀船」の「五月野」の初出題) »

2019/04/06

南の家北の家 すゞしろのや(伊良子清白)

 

南の家北の家

 

野葡萄の蔓

匍ひ廣がれる中に

獅子の形したる巨巖(おほいは)

幾つとなく峙ち

一刷毛撫でし雨の後の

紅珊瑚の紅葉の樹々は

谿と言はず嶺と言はず

麓と言はず染め盡して

朝な朝な雄鹿の群の角振り立てゝ

彼方の岸より此方の岸に

白く泡立つ石を越えて

水の早瀨を啼き渡る頃

茨に閉せる古き祠の扉は

風と雨とに鋲は錆びて

細き松葉の枯れ果てたるが

脚を開きて挾まれるのみ

祠の北の椋の大樹を[やぶちゃん注:「椋」「むく」。バラ目アサ科ムクノキ属ムクノキ Aphananthe aspera。]

右に曲りて坂を下れば

半ば岩窟(いはや)半ば黑木

萱を葺きたる杣小屋あり

祠の南の竹林過ぎて

鷄の聲朗らにきこえ

こはまた紅葉の懷子とも[やぶちゃん注:「懷子」「ふところご」。大事に育てられた子供。]

いふ可く景有る藁屋立てり

北には母持つ若人一人

山に育ちて火性の星の[やぶちゃん注:「火性」「ひしやう」。]

今年二十の腕を揮ひ

額の汗もて神人(しんじん)人に

廣く下せし生活(たつき)の物を

正しき價(しろ)もて我手に享けぬ

南はあらき父の手より

成長(ひとゝなり)たるわかき處女

春秋司の二人の姬の

形を具したる面花やかに

竹割る父の業を助けて

優なる手籠を編みし事あり

元來(もとより)兩家は往來繁く

親戚(みより)のごとき交際(なからひ)なれば

彼に枯木を集めし折は

此に水汲み湯をたてゝ待ち

此に蔗の飯炊く間に

彼は煤けし瓢を拭きぬ

二條三條林を穿ち

山の諸所(こちこち)印けたる道は[やぶちゃん注:「印けたる」「つけたる」。]

平和の神の守らせ給ひ

妙なる草木の花の香匂ふ

虹斷ち截れて紅葉の錦

旗卷き回す谷間に沈み

薄紫の藤の花棚

秋雲亂るゝ山の鞍に

靑くも落す虛空(そら)の湖

遙かに走れる遠の山脈

驚き亂れて野に僵るゝを[やぶちゃん注:「僵るゝを」「たふるるを」。擬人法。]

都の白壁千々に輝ぎ[やぶちゃん注:「輝ぎ」の「ぎ」はママ。]

河の帶もて珠と貫きぬ

山の瞳か二つの家は

げにこの木暗に世を見るものは

二つの家の圓き窓のみ

されど紅き日扇を閉ぢて

夜の色幕を垂るゝに及び、[やぶちゃん注:読点はママ。]

戶を固くして眠りし後は

天に彫める不滅の文字

銀河の砂岸に溢れて

星の宴(うたげ)の場(には)とぞ成れる

 

斯る詩卷の紙を年に

三百あまり繰り返しつゝ

其繪は曾て變らざりき

たゞ杣木樵る斧の音

斧の音は北と響き

たゞ籠を編む竹の風

竹の風は南と鳴りぬ

げに變らざりき變らざりき

されど變りぬ美はしく變りぬ

南の家を照らせし星は

その盃を北に投げ

北の方を守りし星は

その酒瓶を南に灌ぎ

見れば巖も戀草なりき

谿の紅葉も戀草なりき

椋の大樹も戀草なりき

古き祠も戀草なりき

なに神を瀆す言の葉なりとや

戀には神のなきものを

黑き目は黑き目に輝き

紅き唇は紅き唇に觸れ

燃ゆる手は燃ゆる手を握り

波立つ胸は波立つ胸と抱き

其日其時其山其水

皆一時に戀と成りぬ

木の火の紅葉を地より拔きて

人の火を描く雲もがな

紅葉摺りせし戀の衣

胸の焰に燒けやせん

二人の戀は砂の文字

岸の泡沫野の霞

たゞ一時を盛りなる

形の戀にあらざれば

たとへ天地裂くるとも

絕ゆる時なき戀衣

二人の戀に照らされて

山の草木に光あり

光の中に私語ぎて[やぶちゃん注:「私語ぎて」「ささやぎて」。]

巖の陰の往來は

花と花との白菊の

黃菊に語る風情あり

雨ふる時は雨の絲

風吹く時は風の音

たゞ戲れに戲れて

天つ柱を旋り行く

月日も口說の種なれば

戀の命は若くして

揚ぐるに易き春の幕

戀の二人は春なれど

山路は紅葉散り亂れて

冬の時雨の空となりぬれば

浦島の水江の蜑の玉手箱

短き時といふ勿れ

戀は芽を吹き蔓を延べ

花を開きて終に其

果(このみ)を結ぶ時ぞ來にける

 

南の家は紅葉散りしより

色の彩剝げたる跡の

木匠の木彫の如く

常磐木の葉のみ黑みて

谷の瀨の水は涸れ果て

底深く沈む木の枝

衣洗ふ手の皹痛く

油ぬけて髮おどろなり

水桶を肩げて登る

坂路の岩角高く

落葉の簌々下る[やぶちゃん注:「簌々」は「さくさく」。韻律からは前を「らくえふの」と読んでいるのであろう。]

瀨の魚は梁の破れの流れを上り

石疊木の陰暖き淵にぞ津る[やぶちゃん注:「津る」は「とまる」。]

草村の虫は穴を求めて赤土の

雨無き所霜負の枯生に隱る

物を燒く竃の烟

白くのみ立のぼりつゝ

その烟棚引く時は

軒を行く一村時雨

冬籠木部屋の屋根を[やぶちゃん注:「木部屋」(きべや)は「薪(たきぎ)の類いを入れておく小屋」の意。]

杉皮に厚く繕ひ

大雪の用心すると

置石の數を減らしつ

葡萄畠竹棚解きて

古蓙(ふるござ)に幹を被ひぬ

裏木戶に釘打つ音は

からびたる山に木精し[やぶちゃん注:「木精」「こだまし」。]

猪垣の石冬ざれて

ふくれたる野鳩ぞとまる

唐臼を門より下ろし

南の軒を支えて[やぶちゃん注:ママ。]

北風の荒るゝを防ぎぬ

鷄は藪を求食りて[やぶちゃん注:「求食りて」「あさりて」。]

枯殘る菊を啄み

くゝと啼きて人につかねば

捨飼の世話なかりしも

藪寒く冬來るまゝに

仕事場に上ぼる日多く

籠に伏せて籠の窻開けて

餌を撒く要なき手數

山かげは日の影薄く

張付の糊は乾かず

藪の前風强くして

干麥の席ぞ卷かる[やぶちゃん注:老婆心乍ら「席」は「むしろ」。]

炭俵空きたる燃し

爐の灰を換へてやおかん

菅笠の紐を固くし

蓑の緖も結ひなをしたり

數多き仕事の中に

女手一つの甲斐々々しくも

日の短さを夜業(よなべ)に代へて

手ばしこく冬の用意を調へ

母なき身には才覺ありて

針箱出して繼(つぎ)を集め

父のために袖無を縫ひつ

苦勞の種を身に蒔きしより

氣轉利きたる娘と成りぬ

北の家は南面の山豁けて[やぶちゃん注:「豁けて」「ひらけて」。]

野や畠や村や川や

海の妻磯の島々や皆見渡しの

猩々緋流す夕雲

其下に一々展きぬ

庭に干したる古綿を藏め

地上の星山茶花を賞めて

老いたる母は家の裏に行きぬ

二弓ばかり岩を離れし所

杉の幹を數多立てかけ

木屑まじり落葉積れり

厨に入れば筧の竹の朽目より

水は既に眞白なる氷柱をつくり

流し元にことことと音さすものは

夜寒に饑えし溝の鼠か

叱れは彼方の椽に飛びて[やぶちゃん注:「は」はママ。]

いたづら者は走り行きぬ

寒く成りぬと獨ごちつゝ

持佛の棚に燈上ぐるに

附木は盡きたり燧うちて

火の點きかぬる暮のわびしさ

漸くに夕經り後の世の

花の臺の夢を思ひぬ

火種得て圍爐裏を燃やし

外面に映る色に驚き

戶をさしに行く後は山風

榾の火を强く煽りぬ

きしめくは柱の音か

葉を振ふ林の響き

物遠き耳にも入りて

寂しさは榾の焰を

つくづくとながめて坐しぬ

爐の框にうづくまりては

我影も年老いにけり

市より歸りのなどかくは晚き

道草するとも上の渡の

茶店の外に知る人はなし

殺生好きの茶店の總領

また鹿狩(しゝがり)に誘ひはせずや

十一父に別れし時より

十年育てゝ人に賞められ

老いて幸ある我子なれども

男二十の今年の星は

山頭火六白大凶なれば[やぶちゃん注:「山頭火」は干支・陰陽五行説・古代中国の音韻理論を応用した三十に分類され、生まれ年に対応させた運命判断である「納音(なっちん)」の指標の一つ。]

諸事につけて謹むべしと

易の師しばしば我に說きぬ

今日は大安吉き日なれども

かゝるさびしき冬の晚にか

早くかへりて老いたる母に

いつもの笑顏を見せなばよきに

かゝる繰言いひいひ榾の

烟に咽びて眼を擦りつゝ

御名を唱へて我子を待ちぬ

 

買物多くて時いたくすぎ

母人待たすは心ならずと

枯野の細道近きをぬけて

宿場の店の中も覗かず

足强恃みて山路に入れば

谷川水瘦せ網代木高く

大根洗ふか田舟を浮けて

堰(ゐせき)のあたり人ぞ集へる

聲かけし者ありとは知れど

急ぐ急ぐといらへおきて

顧眄(かへりみ)せぬを可笑しと見けん

一の渡は今日新道の

開けし祝かいたく賑ひ

見知れる男の道化たるが

柝木擊ちて芝居をふれぬ[やぶちゃん注:「柝木」「ひやうしぎ」。]

それすらうはの空にきゝて

一里の峠は森陰暗く

日の落ちかゝる谷の隈々

笹原さわぎて白きは芒か

榛の樹小松黃ばめる岨路[やぶちゃん注:「榛の樹」「はんのき」。ブナ目カバノキ科ハンノキ属ハンノキ Alnus japonica。]

山幾旋り人にも逢はず

馴れては暗さも苦にはあらねど

母人獨り家におはすと

思へば流石に胸の迫りて

寒き風にも燃ゆる思

落葉の雨を蓑に凌ぎて

登れば北斗の影ぞ冴えたる

仄かに遠近杉の林

岩組をかくし道を窄めて

殘れる紅葉霧のごとく

暗き夜雲の奧に匂ひ

木の間を縫ふは我家の灯

風にゆらぐを一目見し時

若き木樵の心踴りぬ

標の椋の陰を繞り

まろぶがごとく坂路を下りて

肩に餘れる荷も下ろさぬに

母人かへりぬ今かへりぬと

聲はづませて門に立ちぬ

前後も忘ずる計に母は

草履も穿かず庭を走りて

板戶推し明け燈を上ぐれば

天は黑める銀河の下に

山と谷との色を分ちぬ

月無き夜の道暗くて

風さへ寒く吹きいでたれば

迎に出でぬをいたくな詫びそ

いざ内に入りて腰うち掛けよ

草鞋を解かんに足を出せ

洗足(せんそく)の湯はこゝに取りてあり

我子の詞は耳にも入らず

たゞ嬉しさに我のみ言ひて

蓑も脫がせ足袋も解かせ

一抱へ榾を爐に投げ込みて

活々と燃ゆる火の前にして

諸手の指を組み合はせつゝ

我子の顏を眿め入りぬ

今まで竹屋の娘も待ちしに

餘りに遲きに歸り行きぬ

夜業(よなべ)の暇をぬすみて老の

淋しき宵を慰めにきて

興ある談數多きかせぬ

勝れし性を眉にあらはし

顏立母似の世に美はしく

自づと人をひき入るゝは

女の德と言ふものならん

帶一條欲しくは言はで

父親大事と厚く侍き

身を惜まずに働く心

世に珍らしき娘なりと

褒むる其子口を結びて

老いたる母の言ふを味ひ

如何なる事を次に說くやと

いと嚴めしく敵を守れど[やぶちゃん注:「敵」「あひて」(相手)と訓じておく。されば韻律では「守れど」は「もれど」か。]

母は深くも語らざりき

山風いよいよ荒れ勝りて

行燈の火しばしば消えぬ

其兒は可笑しく語らざりし

母は山路の勞れと思ひ

臥床を布きそ早く寐させぬ

 

   (二)

 

其夜の風は雪と成りて

後夜すぐる頃はたと凪ぎぬ

背戶の林に木の折るゝ音

谷の峽に猿の叫ぶ聲

一時斷えては一時續き

なほしんしんと積る雪に

老の寐覺の母は起ちて

雨戶の隙より外をすかし

ほのかに煙る空を覗けば

霏々として降る六つの花

夜は混沌の雪に閉ぢて

幽かに遠き闇の彼方

隣の雞(かけ)は時をつくりて

まだ夜の深きを人に告げぬ

佛名(みな)を唱へて枕に就けば

燈心細く行燈靑みて

雪の明りにいよいよ暗く

我兒の寐姿さながら夢の

花の臺(うてな)に見たるが如く

深き追懷(おもひで)老いたる人の

袖は慈愛の淚にぬれぬ

日頃は早く兒を搖り起せど

雪降る空の寒さおもひて

夜着の端をも手にかけざりき

 

雪の日女性のかよわき肩に

水汲む業は辛からんとて

その朝吹雪に若き木樵は

仕事着着るや走り行きて

五荷ばかり谷の水を搬びぬ

幼き舉動(ふるまひ)若き娘は

廂の氷柱折りてありき

山に育てば坂に馴れて

平地(ひらち)に疲るゝ人の習ひ

若き木樵は爐火に坐して

寒さを勞ふ翁に向ひ[やぶちゃん注:「勞ふ」「ねぎらふ」。]

昨日の野路(のみち)の長きに比べて

朝食(あさげ)の前の業と笑ひぬ

朝食(あさげ)のまへは秀句なりき

小走り椋の蔭を飛びて

母の手盛の膳に坐せしは

一時後(ひとときあと)の事なりければ

翁は早く板間に下りて

竹割る用意に忙しかりき

小聲の戲言(ざれごと)二言三言

盡きぬは戀の戲れなれど

榾に添へたる火箸の頭(さき)の

いたく熱きに彼方の笑むを

此方も可笑(をか)しく話はきれぬ

姿勝れし山の少女の

火影に榮(は)ゆる白き顏(おもわ)は

雪姬巖(いはほ)の雪を踏みて

銀の翅を朝日に解くか

輝く瞳緘せる唇

若き木樵は物に撲れて

紅き焰の環(たまき)の奧の

花の姿をしばし凝視(みい)りぬ

薔薇(せうび)の簪(かんざし)髮を緩み

席(むしろ)の上に輕く落つるを

插さんともせず手に弄びて

眞白の花片口に觸るゝを

叱る眞似して初めて敵は

無言の鍵を爐火に捨てぬ

其時雪は小歇みとなりて

風一扇山より下ろし

竹の葉雪をふるびおとせば

後に彈(はじ)く幹の力に

三本四本强く打れて

戛々と鳴る琅玕靑く[やぶちゃん注:「琅玕」は「らうかん」で、ここは青々とした竹の幹の換喩的語義。]

頽雪狼藉竹影婆裟

皆紅の爐火に映りぬ

 

積りし雪も大方融けて

夕燒紅き日暮なりき

鳩啼き皈る森の彼方[やぶちゃん注:「皈る」「かへる」。]

淺黃の空は薄墨色の

隈取忙はしく碁(ご)の星屑の

祠(ほこら)の丘(をか)に見え初むる頃

石畠あさりて水菜を擇み

根土を濯ぎて皈り來れば

父の翁は頭(かしら)重しと

圍爐裏近く橫に臥しぬ

納戶(なんど)の奧に臥床を展べて

風上斜に小屛風立てかけ

夜着を圓めて枕を高め

行火(あんくわ)はなかなか毒と思ひて

裾の方には湯婆(ゆたんぽ)設けぬ

其夜はさしたる變(へん)もなくて

嬉しと思ひし翌くる朝(あした)

俄かに身熱(しんねつ)高く昇り

五躰の疲勞面(おもて)に見えて

すゝむる物もたうべず

たゞ寐苦しと悶ゆるのみに

女性の智惠の足らぬが悲しく

心惑ひてよゝと泣きぬ

かゝる折にもさすが少女の

插櫛拔きて鬢の毛理(なを)し

戀人訪はんと家を出るを

作者見もせば拳をあげむ

つまづく小石を邪慳に蹴りて

一村茂る松の木立

其家(そのや)の門(かど)に轉(まろ)び入れば

小母人(をばびと)何ぞと異み問ふを[やぶちゃん注:「異み」「あやしみ」。]

我家の云々(しかじか)漸く語りて

高き乳の氣は領(ゑり)にふるひぬ

若き木樵は始終を聽くや

丸太うち割る斧は捨てゝ

木戶押し開け庭に來り

一走り麓の村は近し

醫者屋(いしやや)よびこんかゝる折は

一時(いちじ)も猶豫はならぬものぞ

新しき草鞋一つ下ろせ

おそくも午には歸り來んと

會釋急はしく宙を蹴て

影は見る間に林樾(こむら)に沒(き)えぬ[やぶちゃん注:「林樾(こむら)」は当て読み。音「リンエツ」(「樾」は「木蔭」の意)で「林の蔭」の意。]

 

老人得たる心强さに

萬看護(みとり)の便宜(たつき)や就きし

指示(さしづ)に從ひ雨戶を閉し

盥に淸き水を酌みて

額に冷えたる布をおけば

身動きもせでたゞ安らけく

睡れる父の病や輕むと

いさゝか心の弓は弛みぬ

媼の人は厨のすゝぎ

圍爐裏の焚火も早く終へて

一掃庭に塵も留めず

花筵舒て席を設け[やぶちゃん注:「はなむしろ」/「のべて」(延べて:設(しつら)えて。)「せきをまうけ」。医師を迎えるため。]

客人(まれびと)招ずる用意かしこく

老の手精(まめ)に娘をたすけぬ

枕邊去らず坐する少女(せうじよ)の

慰惜(ゐせき)の爲に經を誦んじ

貴き教の他界の夢の

明き暗きを老は說きて

たゞ念々慈佛を念へ[やぶちゃん注:「念へ」「おもへ」。]

惡羅刹の咒詛も變じて

病苦を除き時を俟たず

善く本人に還著(げんぢやく)せんと

渴仰(かつがう)あつく法(のり)を勸めぬ

されども若き人の子には

餘りに冷たき敎なりき

幼(いとけ)きより父の手一つに

育まれては人一倍に

親孝行の心も深く

聖なる書は手にもせねど

人の行くべき道は知りぬ

殊更女子の懷(なつ)き易く

父の袂に縋りつきて

日も夜も片時膝を離れず

餘寒の月夜薄黑き夕

枯木の中に棺(ひつぎ)を送りて

麓の御寺に納めし時は

其兒は五歲(いつゝ)の頑是なくて

庫裡の椿をせがみたりき

悲しき昔を思ひいでゝは

男心の張も失せて

子故に早く髮も皤み[やぶちゃん注:「皤」は老人の髪の白いことを言うから、「しらばみ」と訓じておく。]

老い行く我身も忘れ果てぬ

片荷は其兒の輿に分ちて[やぶちゃん注:「輿」(こし)はこの場合、「背負籠(しょいこ)」のことであろう。]

竹籠鬻ぐと市に入れば

小路(こうぢ)の糠雨柳にかくれ

柔き黑髮濡るゝを厭ひ

稻妻秋の夜戶より洩れて

面わを照せば夜の具をかぶり

微笑む父の腕(かひな)に倚りて

小き寐姿市松人形(いちま)のごとく

紅梅匂へる窓を前に

草紙手習ふ姿を見ては

竹割る諸手をしばし停め

をりをりやさしき言葉をかけて

學の業に勵むを賞めぬ

娘も慈愛の中に長じて

溫和(すなほ)の性の女性となれば

老い行く父の上を守りて

遠きに出でし事はなかりき

北の家市女の店に購ひ

濃染の友禪色の美きを

正月(むつき)の祝に贈り來れば

武者繪の姿繪板に押して

たらちを祈るか祠に納め

文月亡き母まつる夕

木の間を流るゝ星を見ては

み親のこゝろ沈みやせんと

燈明く香を炷きて

供佛(くぶつ)の花を山路に探り

谷路のかけ橋藤蔓弛み

麥時長雨(ながせ)水嵩增すに[やぶちゃん注:「長雨(ながせ)」梅雨の別称。]

父を諫めて麓の里の

講會(かうゑ)に行くをかたくとゞめぬ

かゝれば家の榮は盡きず

平和の花園花咲き滿ちて

雨も嵐も襲はざりき

今少女子は父の病の

重きを見ては幼き性(さが)の

詮術盡きて枯野に迷ふ

小鳥の如く行方も知らず

思ひ惑ひて面は沈み

つとめて語る小母の爲に

常の快活(きさく)の子にあらざりき

影見かへれば障子の陰に

冬の日暗く光は入らず

なやみにやつれし父の面は

夢の中(なか)にも病苦を見せて

かたく閉せるまみのうちに

人に知られぬ恨や宿る

娘は物憂く手を拱きて

身置所も分かぬ計に

自づと頭は低く垂れぬ

山は朔風(きたかぜ)刅を鳴らし[やぶちゃん注:「刅」は底本では右の「ヽ」を除去した字体。「やいば」。]

魔の手の雲や虛空(みそら)をさふる[やぶちゃん注:「さふる」は「障ふる」で「邪魔している」の意か。]

板戶の隙の俄に暗く

すゝり泣きする聲は洩れて

媼の人の胸に沁みぬ

 

午すぐる頃醫師は來りて

いと懇ろに病をいたはり

さして重き症にはあらねど

老人なれば心せよと

藥くさぐさ調じ行きぬ

次の日また其次の日も其次の日も

かくて十日あまり若き木樵は

老人思ふ心切に

業を休みて日每日每

醫師がりにと山を下(お)りぬ

風寒く雲の色悲み

と渡る小鳥の聲咽ぶ所

岩間の瀑津瀨水は疲せて[やぶちゃん注:「瀑津」は「たきつ」(「瀧」の意)と読んでいよう。]

枯木の奧に日の影薄く

朽葉に迷ふ山田の畔路(くろぢ)

破(や)れたる案山子に懸れる月は

銀(しろがね)敏鎌を面(おもて)に投げて[やぶちゃん注:「敏鎌」「とがま」。「利(と)鎌」で、鋭利な鎌。三日月の隠喩。]

光は稻莖氷にまがひぬ[やぶちゃん注:「稻莖氷」不詳。「いなくきごほり」と一語で読んでおく。刈り取った後の稲の稲株(それを「稲茎(いなくき)」と呼ぶ)に、冬、氷が張って光ることか。識者の御教授を乞う。]

菅笠菅蓑打扮輕く[やぶちゃん注:「打扮」「だふん」。出で立ち。装い。]

醫師の門(かど)の標(しるし)の松の

下枝をくゞりて入るを見ては

例の性よき若者來ると

家人上下(かみしも)皆賞めたゞへて[やぶちゃん注:「たゞへて」はママ。]

出世の資(もと)ある木樵ををしみぬ

醫師は喜び駕を呼びて

霜柱踏む荒野の並木

山路に入れば人を讓り

若きに餘る前(さき)を荷ひ[やぶちゃん注:「前(さき)」先導役のことであろう。]

健氣の振舞譽を得るを

世馴れぬ無邪氣さ嬉しと思ひき

娘も木樵の情(じやう)をよろこび

親切深きを父に告ぐれば

老いて脆きは人の常や

病の床も忘ずる迄に

淚に咽びてわが子と共に

うくるに餘る深きこゝろを

手を取り合ひてしばし泣きぬ

もとより病める父のためには

あらん限りの心を苦め

畠の大根を細く刻みて

柔き煮染(しめ)に朝を勞り

冷ゆるに怯ぢず硏ぎたる米の

白きを溫め粥に作りて

夕の膳を床に据えぬ

汗じむ衣は早く脫せて

日當りよき日に洗ひ晒し

糊付肌の觸(さは)りよきを

皺も作らで日每すゝめ

我身のために夜具は取りても

たゞ病人の寒さなげきて

厚きが上に厚く重ねぬ

かくて二人は祠の神に

朝々祈の供物(くもつ)を捧げ

智惠有顏に理を說く人の

知らぬ運命(さだめ)を一(いつ)にまかせ

御札(みふだ)は日に日に吉とありし

されば小雪の晴るゝ朝

翁の病は全(また)く癒へて

此日は瑞相ありげなりき

床上げ終れば兩家は集ひ

集ふといふもたゞ四人なれば

むつかしくいふ程にもあらねど

祝の辭をのぶる時に

虹七色の弓を張りて

南の家より北の家に

一つの根ざしは竹の林に

一つの根ざしは椋の大樹(おほき)に

獅子の形したる巖(いはほ)を下に

古びし祠(ほこら)の千木を越えて

鷸の斑(ふ)まだらの雪消の岡の[やぶちゃん注:「鷸」「しぎ」。鴫に同じい。]

雪は紫空に映(えい)じ

谷間を昇る雲の中より

出る日紅く森を射れば

山鳩驚き枝を離れて

南の家の上を翔り

新しき風天(てん)より來り

樹々皆活きて梢を鳴らせば

平和の曉南の家の

四人の山人門(かど)に立ちて

歡喜(くわんぎ)に滿ちたる胸を叩き

天(そら)より天(そら)の虹を仰ぎ

かの藍色の遠(をち)の方に

懸れる朝日の影に向ひ

禮拜(らいはい)あつく眼を閉ぢて

老も若きも諸手を合せぬ

 

   (三)

 

山は深かりき雪の中に

何の木ぞ斧香(かう)を帶びて

白き木屑は四邊(あたり)に散りぬ

小舍(こや)の柱に釘は無くて

拂はぬ枝こそ物は吊らめ

されど柱に立てかけたるは

蓑と笠と割籠と斧と

敵(かたき)持つ人假りに姿を

木樵にやつす昔語り

後に巖あり嚴に松あり

松に竹刀(しなへ)をふりかざしては

武術(ぶじゆつ)を硏ぐ景とならば

奧山眞白の鶴に駕(が)して

白髮(はくはつ)の翁(おう)前に現(げん)じ

祕卷(ひくわん)授くる日とも見んか

他所事(よそこと)無益(むやく)若き木樵は

仕事の小休柱に凭れ

石の爐焚火の暖(ぬくみ)を取りて

飛ぶは黃雲落るは木の葉

深山の冬を一人に領じ

かざす手の掌手相を眺めて

早く逝きたる父の親を

斷れたる條(すぢ)の故と思ひぬ

父の事より母の事と

想は想をめぐりめぐりて

今日は母人南の家に

手傳ひがてら行きたまへば

常のごとく心おかねど

もし空惡しく雪にもならば

歸路(かへさ)案じて弱き胸に

よしなき波の立ちもやせむと

雲行觀じて斧を取るにも

たゆたひ勝になれるなりき

しばしの後に虛空(みそら)みだれ

あやにくあしき日とはなりしを

みそかに敎へし山祇ありて[やぶちゃん注:「山祇」「やまつみ」。山の神。]

若人かくは恐ぢしならん

 

そはめづらしき異變なりし

山風强く西より來り

彼の雲彼の葉一時に飛び落ち

冬の日鏡を被ひ果つれば

奇形の雲々亂字と狂ひ

山より山を谷より谷を

埋め盡してたづきも分かぬ

深き狹霧の奧と成りぬ

吹雪吹雪必ず吹雪と

若き木樵は聲を厲まし[やぶちゃん注:「厲まし」「はげまし」。]

身仕度早く焚火の上には

雪を團めて幾つともなく

投げかけ投げかけ投げ消して

雪來ぬ隙と風に追はれ

我家の方を東に馳せぬ

坂に楠のうつろ木ありし

細石(さゞれ)の流ありし巖(いはほ)の門(もん)ありし

新しき橋ありし岨路ありし

稻妻木々にはためきて

木々紅(くれなゐ)に黃(き)に銀(ぎん)に

雲金(きん)に褐(かげ)に紺(こん)に

坂の楠細石(さゞれ)の流

巖の門岨の橋

皆其色に輝きわたりぬ

仆れたる老木の幹ありし

枯芒の折れ重なれる山陰ありし

棘多き野茨の茂みありし

木の根蔓れる細路(ほそみち)ありし[やぶちゃん注:「蔓れる」「みだれる」と訓じておく。]

雪おこし雷(いかづち)轟きて

東より西に南より北に

なり響き響きどよみぬ

響きどよむ雷は

たちまち雪をさそひて

雪の風風の雪

風は雪を捲き雪は風に舞ひ

笠も蓑も蓑とも笠とも

たゞ白くのみ分かざりし時

木樵の家の山は近かりき

其家近かりし時

祠の崖を南に下りし時

小巾の稻妻森の樹々を照らせし時[やぶちゃん注:「小巾」「こぎれ」。落雷の閃光の隠喩。]

蓑の菅一條一條に

うす紫に血染まりて見えし時

うす紫の粉雪

蓑より亂れて散りし時

竹の林は靡きたふれ靡きかへり

雪にもまるゝ笹の葉は

流るゝ光のはたゝ神に

瑠璃色靑き竹の幹は

轟く響の雷(らい)の音(おと)に

さけて飛び折れて伏し

裂けて飛びし葉は板戶の隙(ひま)より

其家の庭に入り

折れて伏す幹は垣を越えて

其門(かど)の道を遮りぬ

其家其門竹の林竹の下道

低きは草か喬きは木立か

白きは雪か黑きは雲か

火柱一條白銀(しろがね)の火柱一條

坂路(さかぢ)をかすめて閃きくだり

竹の林の雪の中に

みどりの笹葉碧き竹は

硏げる鏡の底の罔象(みつは)か[やぶちゃん注:「罔象(みつは)」水の神。水の精霊。]

漂ふ光の中にうかぶ

漂ふ一時うかぶ一時

崩れておつる雷(いかづち)百(もゝ)の

山には山の響をおこし

谷には谷のどよみを放ち

巖(いはほ)の角の小石をふるひ

祠の柱の鋲をおとし

障子の棧におきわすれたる

縫針飛びて蓙にや立てる[やぶちゃん注:「蓙」「ござ」。茣蓙。]

燒けたる竹の末を洩れて

雪に濡れたる煙細く

若き木樵の眼に入りし時

老いたる母は右の方に

ぬれたる蓑の裾に縋り

若き處女は左にたちて

冷えたる腕(かひな)を諸手に抱きぬ

板戶は破れて雪に塗れ

門の置石笹葉散りて

天(てん)と地(ち)と人との風情

電又祠の森に碎けぬ[やぶちゃん注:「電」はここのみの使用であるから、「雷」と差別化して「でん」と音で読むべきか。「かみなり」では韻律に弛みが出るように思われる。]

竹の林の垣ほを見れば

巖が根しめて一本さける

水仙の花雷(らい)を避けて

淸くほゝゑみ立てる方に

小女の簪は髮をぬけて

眞白の雪の上に落ちぬ

 

昨日の異變を老は語りて

祠の神の守らせたまひ

若き木樵に恙なくて

終りし事の慶(けい)を陳ぶれば

媼は小窓の釘にかゝりて

其時さきたる袖のやぶれを

繕ひながら言葉をつぎて

さればぞ今年二十の星の

山頭火の難のがれ難きに

凶事運らず十步(とあし)の前に[やぶちゃん注:「運らず」「めぐらず」。至らず。]

雷神(らいじん)御符(ごふ)の神威に恐ぢて

竹の林の中に落ちしは

靈驗(れいげん)まさにいやちこなりと[やぶちゃん注:「いやちこなり」「灼然(いやちこ)なり」で、神仏の利益(りやく)・霊験のあらたかなさま、それが目に見えてはっきりしているさまを言う。]

山人互に神を說きて

萱の廂にたまれる雪の

融けて流るゝ音をきゝつゝ

爐火を圍みて話に耽りぬ

知らるゝごとく我身も老いて

竹割る業も手の甲寒く

先つ日熱病(ねつびやう)病みて後は

身の衰へも一入いみじく

市場の競聲(せりごゑ)人にまじりて

商かしこき智惠も出でず

雪解泥(どろ)の道を踏みて

枯野を辿るに兩荷は重く

娘一人に家の事は

萬づ任せて朝夕火のみ

親む老の賴りなくて[やぶちゃん注:「親む」は「なづむ」であろう。]

近頃おもひ續けし事あり

そこのをとこも火難のがれ

凶事過ぎたる今日にあれば

婚禮濟ませて娘の緣に

我が子と呼びて老いたる後を

媼のをとこに讓りておかば

南の家も北の家も

これに過ぎたる幸いなきに[やぶちゃん注:「幸い」はママ。]

媼を何時ぞや忙(せは)しなしと

叱りし過(あやまり)今ぞ悔いて

かく願事(ねぎごと)に來りしなりと

話の節は手輕なりき

媼は點頭(うなづ)き針を停めて

そはそれにおはす持佛達も

草葉の陰より喜びたまはん

幼(いとけな)きより兄のごとく

妹のごとく懷(なつ)き合ひて

心あひたる二人なれば

いはゞ願ふたり叶ふたり

かゝる芽出度事はなしと

喜悅(よろこび)面(おもて)の上にあらはれ

老の額に皺をよせて

翁の願は早く成りぬ

なほくさくさの談合ありて[やぶちゃん注:「くさくさ」はママ。底本では後半は踊り字「〱」。]

知らぬ二人の戀のために

こひは花さき果をむすび

果の熟るゝ時は來りぬ

 

    *  *  *  *

 

律師(りし)は麓(ふもと)の

   寺(てら)をいでゝ

駕(が)は山(やま)の上(うへ)

   竹(たけ)の林(はやし)の

夕(ゆふべ)の家(いへ)の

   門(もん)に入(い)りぬ

 

親戚(うから)誰彼(たれかれ)

   宴(えん)たすけ

小皿(こざら)の音(おと)

   厨(くりや)にひゞき

燭(しよく)を呼(よ)ぶ聲(こゑ)

   背戶(せと)に起(おこ)る

 

小壺の水(みづ)に

   浸(ひた)すは若菜(わかな)

若菜(わかな)を切(き)るに

   俎板(まないた)なれず

新(あたら)しき香(か)の

   木より去らねば

 

菱形(ひしがた)なせる

   窓(まど)の外(そと)に

三尺(じやく)の雪(ゆき)

   戶(と)を壓(お)して

靜(しづ)かに暮(く)るゝ

   山(やま)の夕(ゆふべ)

 

夕(ゆふベ)は

   樂(たの)しき時(とき)

夕(ゆふベ)は

   淸(きよ)き時(とき)

夕(ゆふベ)は

   美(うつぐ)しき時(とき)[やぶちゃん注:「うつぐ」のルビはママ。]

 

この夕(ゆふベ)

   雪(ゆき)あり

この夕(ゆふベ)

   月(つき)あり

この夕(ゆふベ)

   宴(うたげ)あり

 

火(ひ)の氣(け)弱(よわ)きを

   憂(うれ)ひて

竈(かまど)にのみ

   立(た)つな

室(しつ)に入(い)りて

   花(はな)の人(ひと)を見(み)よ

 

花(はな)の人(ひと)と

   よびまゐらせて

この夕(ゆふベ)は

   名(な)をいはず

この夕(ゆふベ)は

   名(な)なし

 

律師(りし)席(せき)に入(いつ)て

   白毫(びやくがう)威(ゐ)あり

長人(ちやうじん)を煩(わづら)はすに

   堪(た)へたり夕べ

 

琥珀色の酒

   酌(く)むに盃(さかづき)あり

盃(さかづき)の色(いろ)

   紅(くれなゐ)なるを

山人(やまびと)驕奢(おごり)に

   長(ちやう)ずと言(い)ふか

 

紅(くれなゐ)は紅(くれなゐ)の

   芙蓉(ふよう)の花(はな)の

秋(あき)の風(かぜ)に

   折れた其日

市(いち)の小路(こうぢ)の

   店(みせ)に獲(え)たるを

律師(りし)詩(し)に堪能(たんのう)

   箱(はこ)の蓋(ふた)に

紅花盃(こうくわはい)と

   書(しよ)して去(さ)りぬ

 

紅花盃(こうくわはい)を

   重(かさ)ねて

雪夜(せつや)の宴(えん)

   月出(つきい)でたり

月出でたるに[やぶちゃん注:後注参照。]

   島臺(しまだい)の下睛き[やぶちゃん注:「島臺」言わずがなとは思うが、婚礼等の目出度い儀式での飾り物。州浜(すはま)の台の上に松竹梅を作り、これに尉と姥を立たせ、鶴亀などを配したもの。蓬莱山を象ったものとされる。なお、「孔雀船」では句末は「下(もと)暗(くら)き」となる。「睛」は「黒目」の意であるから、同様に読んでいるものと思われる。]

 

島臺(しまだい)の下(もと)

   暗(くら)き

蓬莱(ほうらい)の

   松(まつ)の上(うへ)に

斜(なゝめ)におとす

   光(ひかり)なれば

 

銀(ぎん)の錫懸(すヾかけ)

   用意(ようい)あらむや

山(やま)の竹(たけ)より

   笹(さゝ)を摘(つ)みて

陶瓶(すがめ)の口(くち)に

   挿(さ)せしのみ

 

王者(わうじや)の調度(ちやうど)に[やぶちゃん注:「ちやうど」のルビはママ。]

   似(に)ぬは何々(なになに)

其子(そのこ)の帶(おび)は

   うす紫(むらさき)の

友禪染(いうぜんぞめ)の

   唐縮緬(たうちりめん)か[やぶちゃん注:ルビの「たう」はママ。]

 

艷(つや)ある髮(かみ)を

   結(むす)ぶ時(とき)は

風(かぜ)よく形(かたち)に

   逆(さか)らひ吹(ふ)くと

怨(えん)ずる恨(うら)み

   今(いま)無(な)し

 

若(わか)き木樵(きこり)の

   眉(まゆ)を見(み)れば

燭(しよく)を剪(き)る時(とき)

   陰(かげ)をうけて

額(ぬか)白(しろ)き人(ひと)

   室(しつ)にあり

 

袴(はかま)のうへに

   手(て)をうちかさね

困(こう)ずる席(せき)は

   花(はな)のむしろ

筵(むしろ)の色(いろ)を

   評(ひやう)するには

まだ唇(くちびる)の

   紅(べに)ぞ深(ふか)き

 

北(きた)の家(いへ)より

   南(みなみ)の家(いへ)に

來(く)る道(みち)すがら

   得(え)たる思(おもひ)は

花(はな)にあらず

   蜜(みつ)にあらず

 

花(はな)よりも

   蜜(みつ)よりも

美(うつく)しく甘(あま)き

   思(おもひ)は胸(むね)に溢(あふ)れたり

 

雷(いかづち)落(お)ちて

   籔(やぶ)を燒(や)きし時(とき)

諸手(もろて)に腕(かひな)を

   許(ゆる)せし人(ひと)は

今(いま)相對(あひむか)ひて

   月(つき)を挾(はさ)む

 

盃(さかづき)とるを

   差(はづ)る二人(ふたり)は

天(てん)の上(うへ)

   若(わか)き星(ほし)の

酒(さけ)の泉(いづみ)の

   前(まへ)に臨(のぞ)みて

香(にほ)へる浪(なみ)に

   恐(お)づる風情(ふぜい)

 

紅花盃(こうくわはい)

   琥珀色の酒

白(しろ)き手(て)より

   荒(あら)き手(て)にうけて

百(ひやく)の矢(や)うくるも

   去(さ)るな二人(ふたり)

 

御寺(みてら)の塔(たふ)の

   扉(とびら)に彫(ほ)れる

神女(しんによ)の戲(たはぶれ)

   笙(しやう)を吹(ふ)いて

舞(ま)ふにまされる

   雪夜(せつや)のうたげ

 

律師(りし)駕(が)に命(めい)じて

   北(きた)の家(いへ)に行(ゆ)き

月下(げつか)の氷人(ひやうじん)[やぶちゃん注:ルビの「ひやう」はママ。]

   去(さ)りて後(のち)

二人(にん)いさゝか

   容儀(やうぎ)を解(と)きぬ

 

夜(よ)を賞(しよう)するに

   律師(りし)の詩(し)あり

詩(し)は月中(げつちう)に[やぶちゃん注:ルビの「ちう」はママ。]

   桂樹(けいじゆ)挂(かゝ)り

千丈(ぢやう)枝(えだ)に

   銀(ぎん)を着(つ)く

銀光(ぎんくわう)溢(あふ)れて

   家(いへ)に入(い)らば

卜(ぼく)する所(ところ)

   幸(さいはい)なりと[やぶちゃん注:ルビ「さいはい」はママ。]

 

銀光あふれて

   室を射る

佳事數へ難し

   歡(よろこび)多きに

三たび換へて

   燭に知る

夜の更け行くを

翁媼(わうおん)諸人(しよにん)[やぶちゃん注:ルビ「おん」はママ。おかしくはない。]

   歡(くわん)酣に

良夜(りやうや)盃(さかづき)

   運(めぐ)る時

小狐戶に倚り

   興をたすく

 

小狐叱(しつ)すと

   戶を放てば

祠の森

   竹の林

白く雪を帶びたり

   白く月に沈めり

 

[やぶちゃん注:本篇は、明治三三(一九〇〇)年十一月発行の二冊及び十二月発行の一冊の『文庫』に、三回に分割して発表された、長篇の物語詩であるが(署名は「すゞしろのや」)、実はこの最後の「*  *  *  *」の後の部分を、その後半部を大幅にカットして「華燭賦」と題したものが、実は「孔雀船」に載るそれなのである。これは正直、この原型の方が映像がくっきりと見えてきて、遙かに優れている。「華燭賦」は物語をカットしたせいで、ただのその辺に転がっている祝婚歌に堕ちた感がある。底本校異にによって限りなく初出に近いものを復元してみた。なお、「花賣」の注で疑義を示したように、このカットした末尾を見ても、伊良子清白の初出形は総ルビではないことが判るし、実は「孔雀船」では「月出(つきで)でたるに」となっているのを編者平出氏は昭和四(一九二九)年梓書房刊の再版「孔雀船」と昭和一三(一九三八)年岩波文庫刊「孔雀船」によって「月出(つきい)でたるに」と訂しているとある。ということは、これは初出では「月出でたるに」にルビが振られていないということを意味するのである。そこでルビを外したのは、そうした意味があるのである。さらに、伊良子清白は本篇には特別な思い入れがあったものと思われ、後の明治三九(一九〇六)年四月(「孔雀船」初版刊行の一ヶ月前)に改作されて『白鳩』に同じ「南の家北の家」(上・下構成)として改作発表されており、また、昭和四(一九二九)年新潮社刊「現代詩人全集 第四巻 伊良子清白集」では、本篇の一部が「山家冬景(斷章)」として抜粋抄録という特異な形態で収録されてもいる。それらは孰れも後日、電子化公開する予定である。]

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