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2019/04/15

柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「馬蹄石」(9) 「馬ニ騎リテ天降ル神」(4)

 

《原文》

 神垂迹ノ起原ハ決シテ後世ノ緣起ニ說クガ如キ明確ノモノニ非ザリシハ勿論ナリ。分身自在ノ天竺ノ佛タチトハ異ナリ、本ノ社アル神々ニ於テハ決シテ勸請ノ地ニ永逗留ハシタマハズ、一定ノ日ニ降リテ祭ヲ享ケヤガテ又還リ往キタマヒシナリ。所謂每朝神拜ノ思想起リテ後、如在ノ神ハ終ニ常在ノ神トナリ、狹ク小サキ祠ノ中ヲ以テ神ノ住所ノ如ク考フル者出デ來レリ。是レ決シテ本來ノ信仰ニハ非ザリシナリ。【神馬用途】阿波ニ於ケル丹生明神ハ其馬ヲ殘シテ往カレタルガ、抑神馬ノ神ニ用立チシハ全ク其往來ノ此ノ如ク繁カリシ爲ナリ。此說ハ必ズシモ根據ニ乏シキ臆說ニハ非ズ。沖繩諸島ノ如キハ、今モ村々ノ神ハ甚ダ多ク社ノ數ハ甚ダ少ナシ。【嶽】年々日ヲ定メテ神ノ降ル場處ヲ「ダケ」又ハ「オガン」ト謂フ。高山ノ頂又ハ人ノ蹈マザル一區ノ林地ナリ。「オガン」ハ即チ拜林ニシテ此處ニ於テ神ヲ祭リ拜スルナリ。【ウポツ山】大島ニ於テハ之ヲ「オガミ」山、又ハ「ウポツ」云ヒ、祭ノ日ニハ此山ヨリ出デテ又此山ニ歸ル。神馬ニ乘リテ現ハルヽコモ亦稀ナラズト云ヘリ〔人類學會雜誌第百九十五號昇氏〕。【山ノ神】遙カニ懸離レタル羽後ノ平鹿郡ノ保呂羽(ホロハ)神社ハ、東北地方ニ於テ威力ノ最モ盛ナル山ノ神ノ一ナリ。十一月七日ノ祭ニ歌フ神樂ノ曲ノ章句ニ

  東方(アヅマ)ヨリ今ゾ寄リマス長濱ノ葦毛ノ駒ニ手綱ヨリカケ

[やぶちゃん注:原典、歌は各字の間が少し開いている。以下の引用歌も同じ。]

ト云フ歌アリ〔風俗問狀答〕。「ヨリカケ」ハ「ユリカケ」ノ轉訛ナルべシ。寄リマストハ神靈ガ巫女ニ託シタマフ事ナリ。【梓巫】其神ガ葦毛ノ駒ニ乘リ長濱ヅタヒニ東ノ方ヨリ降ラルルサマヲ歌ヒタルモノナルガ、此歌ハ中央部ノ諸國ニテハ所謂梓神子(アヅサミコ)ノ歌トシテ傳ヘラレタリ。鴉鷺合戰物語ニ、「カンナギ」梅染ノ小袖ヲ着テ座敷ニ直リ、梓ノ弓ヲ打扣キテ天淸淨地淸淨ヲ唱ヘ、只今寄セ來タル所ノ亡者ノ冥路(ヨミヂ)ノ談リ、正シク聞カセタマヘト言ヒテ歌フ歌、

  ヨリ人ハ今ゾ寄リマス長濱ヤ葦毛ノ駒ニ手綱ユリカケ

トアリ〔嬉遊笑覽所引〕。謠ノ葵ノ上ニ神子ガ六條ノ御息所(ミヤスドコロ)ノ口ヲ寄セントシテ唱フル詞モ之ト全ク同樣ナリ。之ニ由リ見レバ人ノ生靈亡靈モ亦馬ニ乘リ來タリテ巫女ニ託セシナリ。巫女ヲ「ヨリマシ」又ハ「ヨリマサ」ト云フコトハ社ノ神子モ所謂縣神子(アガタミコ)モ區別無カリキ。後者ノ梓ヲ業トスル者ノ如キハ單ニ拜處ヲ一定セザル移動的ノ巫女ト云フニ過ギズ。【賴政】例ノ賴政塚ノ傳說ノ如キハ恐クハ此徒ノ名ヨリ起リシモノナラン。同ジ保呂羽山ノ神樂ノ曲ニ、

  ヨリマサバ今寄リマサネサハラ木ノサハラノ山ニサハリ隈ナク

ト云フモアリ。寄ルトナラバ直チニ寄リタマヘト言フ意味ナルヲ、誤リテ神靈又ハ託女其物ヲ「ヨリマサ」ト謂フト解シタル結果、其祭場ヲ以テ源三位入道ノ首塚ナリトスルガ如キ說ハ起リシナルべシ。

 

《訓読》

 神垂迹(すいじやく)の起原は、決して、後世の緣起に說くがごとき明確のものに非ざりしは、勿論なり。分身自在の天竺の佛たちとは異なり、本(もと)の社ある神々に於ては、決して勸請の地に永逗留(ながとうりう)はしたまはず、一定の日に降(くだ)りて、祭を享(う)け、やがて又、還り往きたまひしなり。所謂、每朝神拜の思想起りて後、如在(によざい)の神は終に常在の神となり、狹く小さき祠の中を以つて、神の住所のごとく考ふる者、出で來たれり。是れ、決して、本來の信仰には非ざりしなり。【神馬用途】阿波に於ける丹生(にふ)明神は其の馬を殘して往かれたるが、抑々(そもそも)神馬の神に用立ちしは、全く、其の往來の此くのごとく繁かりし爲めなり。此の說は、必ずしも根據に乏しき臆說には非ず。沖繩諸島のごときは、今も村々の神は甚だ多く、社の數は甚だ少なし。【嶽】年々、日を定めて神の降る場處を「ダケ」又は「オガン」と謂ふ。高山の頂(いただき)、又は、人の蹈まざる一區の林地なり。「オガン」は、即ち、「拜林(はいりん)」にして、此處に於いて神を祭り、拜するなり。【ウポツ山】大島に於ては之れを「オガミ」山、又は「ウポツ」云ひ、祭の日には此の山より出でて、又、此の山に歸る。神馬に乘りて現はるゝ、こも亦、稀れならずと云へり〔『人類學會雜誌』第百九十五號・昇氏〕。【山の神】遙かに懸け離れたる羽後の平鹿郡の保呂羽(ほろは)神社は、東北地方に於いて威力の最も盛んなる山の神の一つなり。十一月七日の祭に歌ふ神樂(かぐら)の曲の章句に

  東方(あづま)より今ぞ寄ります長濱の葦毛の駒に手綱よりかけ

[やぶちゃん注:原典、歌は各字の間が少し開いている。以下の引用歌も同じ。]

と云ふ歌あり〔「風俗問狀答」〕。「よりかけ」は「ゆりかけ」の轉訛なるべし。「寄ります」とは神靈が巫女に託したまふ事なり。【梓巫(あづさみこ)】其の神が葦毛の駒に乘り、長濱づたひに東の方より降らるるさまを歌ひたるものなるが、此の歌は中央部の諸國にては、所謂、梓神子(あづさみこ)の歌として傳へられたり。「鴉鷺合戰物語(あろかつせんものがたり)」に、「かんなぎ」、梅染(うめぞめ)の小袖を着て、座敷に直(なほ)り、梓の弓を打ち扣(たた)きて『天、淸淨、地、淸淨』を唱へ、『只今、寄せ來たる所の亡者の冥路(よみぢ)の談(かた)り、正しく聞かせたまへ』と言ひて歌ふ歌、

  より人は今ぞ寄ります長濱や葦毛の駒に手綱ゆりかけ

とあり〔「嬉遊笑覽」所引〕。謠(うたひ)の「葵の上」に神子(みこ)が六條の御息所(みやすどころ)の口を寄せんとして唱ふる詞も之れと全く同樣なり。之れに由り、見れば、人の生靈・亡靈も亦、馬に乘り來たりて、巫女に託せしなり。巫女を「よりまし」又は「よりまさ」と云ふことは、社の神子も、所謂、「縣神子(あがたみこ)」も、區別、無かりき。後者の梓を業(なりはひ)とする者のごときは、單に拜處を一定せざる、移動的の巫女と云ふに過ぎず。【賴政】例の賴政塚の傳說のごときは、恐らくは、此の徒(と)の名より起りしものならん。同じ保呂羽山の神樂の曲に、

  よりまさば今寄りまさねさはら木のさはらの山にさはり隈なく

と云ふもあり。『寄るとならば、直ちに寄りたまへ』と言ふ意味なるを、誤りて神靈又は託女(たくぢよ)其の物を「よりまさ」と謂ふと解したる結果、其の祭場を以つて「源三位入道の首塚なり」とするがごとき說は起りしなるべし。

[やぶちゃん注:「羽後の平鹿郡の保呂羽(ほろは)神社」現在の秋田県横手市大森町八沢木字保呂羽山(グーグル・マップ・データ)にある保呂羽山波宇志別神社(ほろわさんはうしわけじんじゃ)。社伝によれば天平宝字元(七五七)年に大友吉親が大和国吉野金峰山の蔵王権現を勧請し、現在地に創建したとする。秋田県に所在する式内社三社の内の一つで、中世には修験道の霊地として周囲より崇敬を集めていた。ここで柳田國男が言う「十一月七日の祭に歌ふ神樂」というのは、現在、重要無形民俗文化財に指定されている。文化庁のデータベースの「保呂羽山の霜月神楽」によれば、『平鹿郡大森町波宇志別神社の十一月七日の祭りに行なわれる湯立』(ゆたて)『神楽の一種で、保呂羽山、御岳、高岡の三山の神霊を勧請して、神主家の神楽座において、古風な神事芸が徹宵して行なわれる。祭壇近くに二つの湯釜を置き、天井には種々の形の幣やしめ縄を張りめぐらす。まず』、『神おろし、招魂、祝詞などの前行事の後、「五調子」「湯加持」「天道舞」「伊勢舞」「保呂羽山舞」などの曲がつぎつぎに舞われる。この芸能は湯立神楽として、組織が大きく、形式もよく整い、地方的にも特色あるものである』とある。

「風俗問狀答」「諸國風俗問狀答」(しょこくふうぞくといじょうこたえ)。江戸末期に、幕府の御用学者であった屋代弘賢が、諸国に、風俗に関する木版刷りの質問状を送って答えを求めた。それが風俗問状であり、それに対する答書が風俗問状答である。後世、散逸していた答書を集成して「諸国」の文字を冠した。屋代弘賢は宝暦八(一七五八)年生まれ、天保一二(一八四一)年に八十四歳で死去、最終的な地位は表御右筆勘定格であった。問状の発送は文化一〇(一八一三)年から二、三年の間であったろうと推測されているが、発送の目的や発送先、答書の数などは明らかでない。「古今要覧稿」の資料集めのためではないかとされている。柳田國男は本作発表の二年後の大正五(一九一六)年、それまでに五種ほどの答書の存在を知って、民俗の通信調査として先駆的な業績を評価し、未発見の答書の発掘を呼びかけた。現在までに二十一種(別に異本一種)が発見されている(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「鴉鷺合戰物語(あろかつせんものがたり)」室町期の物語で動物同士を擬人化した擬似軍記物の異類小説である。一条兼良作とも伝えられる。祇園林の鴉である東市佐(ひがしのいちのすけ)真玄(まくろ)が、中鴨(なかかも)の森の鷺である山城守津守正素(つもりまさもと)の娘を思い染め、所望するが、拒まれ、仲間を集めて中鴨を攻める。黒い鳥の真玄方には鵄(とび)出羽法橋(ほっきょう)や鶏(にわとり)漏刻博士が、白い鳥の正素方には鶴(つるの)紀伊守や青鷺信濃守らが集い、一大合戦となるが、結局、鴉方が敗れ、鴉の真玄は高野山に登り、仏法僧の手で出家、勝者の正素も、ともに念仏修行するという筋(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。

『謠(うたひ)の「葵の上」』能「葵上」(あおいのうえ)は世阿弥の伝書「申楽談儀」にも記載があり、近江猿楽系の古作を世阿弥が改作した曲とされる。出典は「源氏物語」の「葵」の帖で、高貴な女性の心理の深層に潜む嫉妬の恐ろしさを、みごとな詞章・作曲・華麗な演出の妙で見せる名作。物の怪に苦しむ光源氏の正妻葵上は、舞台先に延べられた一枚の小袖で表現する。臣下の者が巫女(ツレ)を呼び出し、祟っている者の正体を現わす呪法を命じる。六条御息所の生霊(前シテ)が登場、昨日の花は今日の夢となった元皇太子妃としての華やかな生活との別れや光の愛の衰えを嘆き、興奮に身を委ねて葵上を打ち据え、賀茂の祭で葵上から屈辱を受けたその破(や)れ車に乗せて、彼女を連れ去ろうとする。病状の急変に横川小聖(よかわのこひじり:ワキ)が招かれ、祈り始めると、鬼形(きぎょう)となった生霊(後シテ)が現われ、法力と争い、葵上を取り殺そうとするが、ついに屈服し、恨みの心を捨てて終わる(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。]

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