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2019/04/07

柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「馬蹄石」(5) 「毛替ノ地藏」(1)

 

《原文》

毛替ノ地藏 白馬ト葦毛トノ混同ハサマデ古クヨリノ事ニハ非ザルべシ。萬葉集ニハ大分靑馬ト書キテ「アシゲウマ」、和名鈔ニハ說文ヲ引キテ葦毛ハ靑白雜毛ノ馬也ト謂ヒ、又漢語抄ヲ引キテ靑馬ナリトモ見ユ。新撰字鏡ニハ驄ハ馬白色又靑色、阿乎支馬(アヲキウマ)ト釋シタリ。葦毛ノ漢字ヲ驄ト云フモ亦同ジ理由ニ基クモノナリ。驄ハ即チ葱(ネギ)[やぶちゃん注:以上はルビではなく、本文。]ノコトニテ、本白クシテ末靑ク其色ノ最モ美シキヲ葱ニ譬ヘタルナリ〔相驥經二其他〕。併シ葦毛モ必ズシモ一種ニハ非ザリシガ如ク、現今葦毛ト呼ブ馬ノ中ニハ靑ヨリモヨホド灰ニ近キモノアリ。古クハ源平盛衰記ナドニモ靑葦毛白葦毛ト云フ語折々見ユ。【白馬節會】朝廷新年ノ儀式ニ有名ナル白馬節會ニハ、後世ハ葦毛ノ駒ヲ曳クヤウニナリタルガ、日本語ニテハ、白馬節會ヲ「アヲウマ」ノ節會ト訓マセタリ。伴信友翁ノ說ニ依レバ、此節會ニハ最初ハ今日ノ「アヲ」即チ鐵駿馬(クロミドリ)[やぶちゃん注:三字へのルビと採る。]ヲ曳キタリシガ、後ニ白馬ヲ用ヰルコトヽナリ、更ニ葦毛ヲ以テ之ニ換ヘラレタルナラント云フコトナレドモ〔比古婆衣九〕、未ダ安心シテ之ニ從フコト能ハズ。白馬ヲ神聖ナル物トスルハ、本來支那ノ思想ナガラ、我邦ニテモ頗ル古キ代ヨリノ風ナリ。或ハ白馬ヲ馬ノ性ノ本ナリト謂ヒ、地ニ白馬アルハ天ニ白龍アルガ如シトモ言フ說アリ。天子ニ限リテ之ヲ用ヰラルヽト云フモ恐クハ其爲ナラン。素問ノ書ニモ馬ヲ西方ノ白色ニ配シ、其類ハ金、其穀ハ稻、天ニ上リテ大白星ト爲ルト說キタリ〔弘賢隨筆五十七〕。思フニ白馬ノ珍重セラレタル根本ハ、ヤハリ純粹ノ物ノ得難カリシ爲ニシテ、其爲ニ又夙クヨリ葦毛ヲ以テ之ニ代用スルノ必要ハアリシナランカ。而シテ葦毛バカリガ白馬ノ代リトシテ用ヰラレタルモ、單ニ其色ノ美シク且ツ最モ近カリシ爲ノミニ非ズ、此馬ノ毛ガ年ト共ニ變化シテ恐クハ追々白勝チニ成ルコトヲ實驗シタル結果ナラント思考ス。【七驄八白】所謂七驄八白ノ說ハ古クハ埤雅ト云フ書ニ見エタリ。葦毛ハ八歳ニナレバ色變ジテ白馬トナルヲ謂フナリ〔華陽皮相其他〕。駿府ノ猿屋傳書ノ馬ノ毛色ノ說ニモ葦毛ノミハ全ク別物ニシテ五行ニ配スべカラズト謂ヘルハ、此馬ノ毛色ノ屢變リテ不定ナルヲ不思議トシタル爲ナルべシ。

 

《訓読》

毛替(けがへ)の地藏 白馬と葦毛との混同は、さまで古くよりの事には非ざるべし。「萬葉集」には、大分、「靑馬」と書きて「あしげうま」、「和名鈔」には「說文」を引きて『葦毛は靑白雜毛の馬なり』と謂ひ、又、「漢語抄」を引きて『靑馬なり』とも見ゆ。「新撰字鏡」には『驄(そう)は、馬、白色。又、靑色。阿乎支馬(あをきうま)』と釋したり。葦毛の漢字を「驄」と云ふも亦、同じ理由に基づくものなり。「驄」は、即ち、「葱(ねぎ)[やぶちゃん注:以上はルビではなく、本文。]」のことにて、本(もと)、白くして、末、靑く、其の色の最も美しきを葱に譬へたるなり〔「相驥經(さうききやう)」二・其の他〕。併し、葦毛も必ずしも一種には非ざりしがごとく、現今、葦毛と呼ぶ馬の中には、靑よりも、よほど、灰に近きものあり。古くは「源平盛衰記」などにも「靑葦毛」「白葦毛」と云ふ語、折々見ゆ。【白馬節會(あをうまのせちゑ)】朝廷新年の儀式に有名なる「白馬節會」には、後世は葦毛の駒を曳くやうになりたるが、日本語にては、「白馬節會」を『「あをうま」の節會』と訓(よ)ませたり。伴信友翁の說に依れば、此の節會には最初は今日の「あを」、即ち、鐵駿馬(くろみどり)[やぶちゃん注:三字へのルビと採る。]を曳きたりしが、後に、白馬を用ゐることゝなり、更に、葦毛を以つて之れに換へられたるならんと云ふことなれども〔「比古婆衣(ひこばえ)」九〕、未だ安心して之れに從ふこと、能はず。白馬を神聖なる物とするは、本來、支那の思想ながら、我が邦にても頗る古き代よりの風なり。或いは「白馬を馬の性(しやう)の本(もと)なり」と謂ひ、「地(ち)に白馬あるは、天に白龍あるがごとし」とも言ふ說あり。天子に限りて之れを用ゐらるゝと云ふも、恐らくは其の爲めならん。「素問(そもん)」の書にも、馬を西方の白色に配し、其の類は「金」、其穀は「稻」、天に上りて「大白星」と爲ると說きたり〔「弘賢隨筆」五十七〕。思ふに、白馬の珍重せられたる根本は、やはり、純粹の物の得難かりし爲めにして、其の爲めに又、夙(はや)くより、葦毛を以つて、之れに代用するの必要はありしならんか。而して、葦毛ばかりが白馬の代りとして用ゐられたるも、單に其の色の美しく、且つ、最も近かりし爲のみに非ず、此の馬の毛が年と共に變化して、恐らくは、追々、白勝(しろが)ちに成ることを、實驗したる結果ならんと思考す。【七驄八白(しちそうはつぱく)】所謂、「七驄八白」の說は、古くは「埤雅(ひが)」と云ふ書に見えたり。「葦毛は、八歳になれば、色、變じて、白馬となる」を謂ふなり〔「華陽皮相」其他〕。駿府の「猿屋傳書」の馬の毛色の說にも、『葦毛のみは、全く別物にして、五行に配すべからず』と謂へるは、此の馬の毛色の、屢々(しばしば)變りて不定なるを不思議としたる爲めなるべし。

[やぶちゃん注:(見出し「毛替の地藏」は出現する後の段落で注する)『「和名鈔」には……』「和名類聚鈔」の巻十一の「牛馬部第十六 牛馬毛第百四十九」に、

   *

騘馬 「説文」云、騘【音、「聡」。「漢語抄」云、「騘」、靑馬也。黃騘馬、葦花毛馬也。「日本紀私記」云、「美太良乎乃宇万」。】靑白雜毛馬也。

   *

とある。この「騘」は「驄」の異体字である。「美太良乎乃宇万」は「みだらをのむま」と読む。原稿、「靑馬」=「白馬」と同義と解釈されている。

「白馬節會」しばしば古語の難読字とされる「あを(お)む(う)まのせちゑ(え)」。奈良時代頃から行われた宮中の年中行事で、正月七日、天皇が紫宸殿又は豊楽殿(ぶらくでん)に出御し、左右の馬寮(めりょう)から引き出された二十一頭の「青馬(あおうま)」を検閲する儀式。「青馬」は白又は葦毛の馬で、この日に青馬を見れば、その年の邪気を避けられるという中国の風習に倣ったものであった。以前は発音通りに「靑馬」と書いていたが、村上天皇(在位:延長四(九四六)年~康保四(九六七)年)の時、表記を「白馬」と書き改めた。但し、読みは以前の「あを(お)うま」のままであり、馬の色が変わったのではなく、ただ、上代の色彩感が平安時代になって変化して白を重んじるようになった行事の日本化の結果であるという。平安時代には儀式も整い、初めに「御弓奏(みたらしのそう)」・「白馬奏(あおうまのそう)」が行われ、後に諸臣に宴が設けられた。平安末頃から行事自体が衰え、「応仁の乱」(一四六七年~一四七七年)で中絶したが、明応元(一四九二)には再興され、明治初年まで行われた(小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「伴信友」(ばんのぶとも 安永二(一七七三)年~弘化三(一八四六)年)江戸後期の若狭生れの国学者で歌人。小浜藩士伴平右衛門の養子となり、藩侯酒井家に仕えたが、四十九歳の時、病気により致仕、以後、専ら学問に努めた。本居宣長の没後の門人。古典の考証を得意とし、仮名(かな)の各種字体を集め、その字源を明らかにし、また、神代文字の存在を否定した。ここに引く「比古婆衣」は考証随筆で全二十巻。伴信友の書き残したものを死の翌年から幕末・明治にかけて刊行したもの。国史・言語・故事などについての考証を集成する。

「素問」現存する中国最古の医学書とされる「黄帝内経(こうていだいけい)」の一部。前漢に成立したとされ、古くは「鍼経」九巻と「素問」九巻があったとするが、これら九巻本は孰れも散逸して現存せず、現在は唐の王冰(おうひょう)の編纂した「素問」と「霊枢(れいすう)」が元になったものが伝えられている。黄帝が岐伯(きはく)を始め、幾人かの学者に日常の疑問を問うたところから「素問」と呼ばれ、問答形式で記述されている。「霊枢」は「鍼経」の別名とされ、「素問」が基礎理論的なものであるのに対し、「霊枢」は実践的・技術的に記述されているという(以上はウィキの「黄帝内経」に拠った)。

『馬を西方の白色に配し、其の類は「金」、其穀は「稻」、天に上りて「大白星」と爲る』馬と五行思想はここに書かれているのとはかなり齟齬するが、私の「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 馬(むま)(ウマ)」が一つの通例説の参考にはなる。因みに、この古書記載よりも、後の『駿府の「猿屋傳書」の馬の毛色の說』として出す、『葦毛のみは、全く別物にして、五行に配すべからず』として「此の馬の毛色の、屢々(しばしば)變りて不定なるを不思議としたる爲め」という柳田國男の説明の方が遙かにしっくりくる。

「此の馬の毛が年と共に變化して、恐らくは、追々、白勝(しろが)ちに成ることを、實驗したる結果ならんと思考す」この柳田國男の考察は妙に民俗学的に辛気臭くなく、プラグマティクで共感出来る。

「七驄八白(しちそうはつぱく)」「河童駒引」の「猿舞由緖」で既出既注。

「埤雅」北宋の陸佃(りくでん)によって編集された辞典。全二十巻。主に動植物について説明した書。]

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