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2019/05/30

太平百物語卷五 五十 百物語をして立身せし事 附 奥書・冠首・全巻目録 /「太平百物語」~全電子化注完遂

100monogataririsin

 

   ○五十 百物語をして立身せし事

 或(ある)國主(くにのかみ)の若君、御とし、未(いまだ)十才斗(ばかり)にならせ給ふが、ある日の事なりし、朝、とく、おきさせ玉ひて、御書院に出(いで)させ玉ひけるに、手水鉢(てうずばち)の際(きは)に、猫の切られて死(しゝ)ゐけるを御覽ありて、近習(きんじゆ)の人を召(めし)、

「是れは。いかに。」

と仰(おほせ)下されければ、

「されば候。いかなる者か、仕り候やらん。」

とて、則(すなはち)、御家中(ごかちう[やぶちゃん注:ママ。])へ觸(ふれ)ながして、御僉議(ごせんぎ)有(あり)ければ、御兒小姓(おんこごしやう)に蔭山只之進と申者、罷出(まかりいで)て申しけるは、

「某(それがし)、夜前(やぜん)御寢番(おんねばん)を相勤(あひつとめ)候所に、五更の比(ころ)ほひ、用事に罷出候ひしが、此[やぶちゃん注:「この」。]御緣先(ごゑんさき)に、たけ六尺斗(ばかり)[やぶちゃん注:約一・八二メートル。]と見へし女の、髮を乱して立[やぶちゃん注:「たち」。]ゐけるまゝ、變化(へんげ)の者と存じ、やがて切(きり)はなし候へば、何國(いづく)ともなく迯失(にげうせ)候ふゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、今日(こんにち)、御沙汰にもおよび奉らざるに、扨(さて)は、此[やぶちゃん注:「この」。]猫にて、御坐有(ござあり)けるにや。」

と申し上げければ、若君、殊の外、御きげんにて、仰(おほせ)けるは、

「かゝる事も、世に有(ある)事にや。」

と御尋(たづね)ありければ、御近習頭(ごきんじゆかしら)伴丈右衞門(ばんじやうゑもん)、申し上られけるは、

「さん候。其實否(じつふ[やぶちゃん注:ママ。])は存じ奉らず候ふといへども、世にばけ物有(あり)と申す事は、每度、咄(はな)しに承り候。」

と答へ奉れば、

「さらば、咄し仕(つかまつ)れ。」

と仰(おほせ)ありしほどに、取(とり)あへず、恐ろしき昔物がたりを申し上られければ、限りなく興(けう)ぜさせ玉ひて、それより、ひたと、化者咄しを御さいそく有(あり)ければ、御近習(ごきんじゆ)の人々も、御奉公の事なれば、御機嫌をとりどりに、樣々、おもひ出(いづ)るまゝ、御咄し申し上られけるが、每日每夜の事なれば、今は御咄しのたねつきて、皆々、案じ煩(わづら)ひけるが、御臺所に御料理方(おんりやうりかた)をつとめ居(ゐ)ける与次(よじ)といふ者あり。

 いろいろの恐しき咄を能(よく)覚へゐるよし、沙汰しければ、若君、此よし、聞し召(めし)、「急ぎ參りて、御はなし、申し上(あぐ)べき」よしの御意有難く、御前(おんまへ)に罷出(かまりいで)、いろいろの、ばけもの咄、或は、ゆうれひ[やぶちゃん注:ママ。]・ろくろ首・天狗のふるまひ・狐狸(きつねたぬき)のしわざ・猫また・狼が惡行(あくぎやう)、おそろしき事、哀(あはれ)なる事、かなしきむくひ、武邊成(なる)手柄(てがら)ばなし、臆(おく)したる笑ひ草(ぐさ)[やぶちゃん注:「気後(きおく)れしてしまって大失敗したような笑い話」。前の「武辺とするに相応しい手柄話」の対義表現。]など、手をかへ、品を分(わか)ち、御咄しを申し上ければ、若君、限りなき御機嫌にて、それより、每日每日、

「与次、与次。」

と召されけるが、此若君、御成長の後(のち)、國主(こくしゆ)と成(なり)玉ひければ、彼(かの)与次を召出(めしいだ)され、

「汝、我(わが)いはけなかりし比(ころ)ほひ、さまざまの物語をして、心を慰めしが、稚心(おさなごゝろ[やぶちゃん注:ママ。])に剛臆(がうおく)の差別を知り[やぶちゃん注:剛毅であることとと臆病であることの真の違い。]、恥と譽(ほまれ)の是非好惡(かうあく)を弁(わきま)へし程に、今、以て、益ある事、おほし。然(しか)れば、其儘、下﨟(げらう)にして、遣(つか)ふべきに、あらず。」

とて、忝(かたじけなく)も新知(しんち)[やぶちゃん注:新たに下賜された知行地。]三百石下され、大小姓格(おほこしやうかく)になされけるぞ、有難き。

「是(これ)、偏(ひとへ)に、百物語の數々、能(よく)覚居(おぼへゐ[やぶちゃん注:ママ。])たりし奇特(きどく)なり。」

とぞ、羨まぬ人は、なかりけり。

 目出度かりける、ためしなり。

 

 

太平百物語卷之五終

[やぶちゃん注:本話を以って「太平百物語」は終わっている。この一篇は本書中の特異点で、怪談でも擬似怪談でもなく、謂わば、本「百物語」のような、一見、他愛もない馬鹿げたあり得ない怪談でさえも、それを覚えておくことが、人生の中の思いがけない好機を摑む契機となることもあるという、噂話(実際に在り得そうな世間話)として全体を締め括るなかなかにニクい効果を狙っているものと言え、それは正に以下に示す「冠首」の語りと絶妙に応じている。「菅生堂人惠忠居士」はただの動物怪奇談の名手であるばかりではなく、怪談の大事な規範的属性を体現した、いや、なかなかの作者と存ずるものである。

 以下、現在の奥附に当たる奥書。]

 

 

        作者菅生堂人惠忠居士

        畫工髙木幸助貞武

  享保十七年子三月吉日出來

 

         大坂心齋橋筋書林

           河内屋宇兵衞新刊

 

[やぶちゃん注:「髙木幸助貞武」(生没年不詳)は大坂の浮世絵師。幸助は通称。ウィキの「高木貞武」他によれば、『大坂の人』で、素黙・素黙斎と号した。『はじめは斎藤幸助と称したという。延享』四(一七四七)年刊行の「難波丸綱目」には『「高木幸助」として名が載っている』。『狩野派の絵師牲川充信』(にえかわみつのぶ 生没年不詳:江戸中期の画家で享保(一七一六年~一七三六年)頃に活躍した大坂の人。狩野派の鶴沢探山(つるざわたんざん)に学び、独自の画風を拓いた)『の門人だったと伝わるが、残されている作には画風に西川祐信』(にしかわすけのぶ 寛文一一(一六七一)年~寛延三(一七五〇)年):江戸前期から中期にかけての浮世絵師。江戸を中心とした一枚摺の作品で主に語られる浮世絵の歴史の中で、祐信は京で活躍し、絵本を主に手がけたため、やや等閑視されるきらいがあるが、当世風俗描写を主体としていたそれまでの浮世絵に、古典の知識を作中に引用してこれを当世風に表わすなど、抑揚の効いた理知的な美を追求し、次代の浮世絵師たちに大きな影響を与えた作家である)『の影響がうかがえる。作画期は享保』五(一七二〇)年から宝暦二(一七五二)年の『間にかけてで、主に版本の挿絵を描く。宝暦の初年または明和の初年』(明和元年は一七六四年)『に没したといわれる』とある(代表的作品はリンク先を参照。本書も挙げられてある)。

「享保十七年」は壬子(みづのえね/じんし)で一七三三年。因みに、この年は江戸四大飢饉の一つである「享保の大飢饉」の年である。ウィキの「享保の大飢饉」によれば、前年享保十六年『末より天候が悪く、年が明けても悪天候が続』き、この板行の直後の夏から『冷夏と害虫により』、『中国・四国・九州地方の西日本各地、中でもとりわけ瀬戸内海沿岸一帯が凶作に見舞われた。梅雨からの長雨が約』二『ヶ月間にも及び』、『冷夏をもたらした。このためウンカなどの害虫が稲作に甚大な被害をもたらして蝗害として記録された。また、江戸においても多大な被害が出たといい、その死者の供養のために隅田川花火大会が始まったとされる』。『被害は西日本諸藩の』内、四十六『藩にも及』び、『藩の総石高は』二百三十六『万石で』あった『が、この年の収穫は僅か』二十七%『弱の』六十三『万石程度』しかなく、『餓死者』は実に一万二千人『(各藩があえて幕府に少なく報告した』とする説もある)『にも達した』(「徳川実紀」では餓死者を九十六万九千九百人とする)。また、二百五十『万人強の人々が飢餓に苦しんだと言われる。また、翌享保一八(一七三三)年『正月に飢饉による米価高騰に困窮した江戸市民によって』「享保の打ちこわし」も発生している。なお、『最大の凶作に陥った瀬戸内海にあって』、現在の愛媛県の最北に位置し、愛媛県今治市に属する芸予諸島の中の一つで、大山祇神社がある「神の島」として知られる、同県に属する最大の有人島『大三島』(おおみしま)『だけは』、『下見吉十郎』(秀譽(あさみきちじゅうろうひでたか 寛文一三(一六七三)年~宝暦五(一七五五)年:ここ大三島などの瀬戸内海の島々へサツマイモを広めた六部僧。松浦宗案・義農作兵衛とともに「伊予の三農」と称される人物)『がもたらしたサツマイモによって餓死者を出すことはなく、それどころか』、『余った米を伊予松山藩に献上する余裕があった。 この飢饉を教訓に、時の将軍徳川吉宗は米以外の穀物の栽培を奨励し、試作を命じられた青木昆陽らによって東日本各地にも飢饉対策の作物としてサツマイモの栽培が広く普及した』とある。これを以ってしても「太平」どころではなかったのであった。

 以下、ペンディングしていた本書冒頭に配された「冠首」(序)を示す。]

 

 

太平百物語冠首

 やつがり、年比(としごろ)、西國に經歷して、貴賤・僧俗・都鄙(とひ)・遠境(ゑんきやう)の分ちなく、打交(うちまじは[やぶちゃん注:ママ。])り語らひける中に、あやしの物語どもの、それが中にも、出所(しゆつしよ)の正しきをのみ集(あつめ)て、反古(ほうご)の端に書綴(かきつゞ)り置(おき)しをみれば、其數(かず)、百に滿(みて)り。然るを笥中(しちう)に藏(こめ)て虫糞(むしくそ)となさんも本意(ほゐ[やぶちゃん注:ママ。])なければ、是を梓(あづさ)に壽(いのちながふ)して、吾にひとしき輩(ともがら)に見せなば、永き夜(よ)の眠(ねふ)りを覚(さま)し、寂寞(つれづれ)なぐさむ一助ともならんと、剞劂氏(きけつし)に命じぬ。実(げ)に怪力亂神を語るは、聖(ひじり)の文(ふみ)の誡(いまし)めながら、かく拙き物語も、おかし[やぶちゃん注:ママ。]と見る心より、自然と善惡の邪正(じやしやう)を弁(わきま)へ、賢愚得失の界(さかひ)にいらば、少(すこし)き補ひなきにしもあらずと、いにしへの百物語に太平の御代(みよ)を冠(かふむら)しめて、筆(ふんで[やぶちゃん注:ママ。])を浪花菅生堂(らうくはかんしやうどう[やぶちゃん注:ママ。])の窓中に抛(なげう)つといふ事、しかなり。

 時は谷の戶(と)出(いづ)る鶯の

   初聲(はつこゑ)そふる比ならし

           市中散人

            佐(ゆうすけ)書

[やぶちゃん注:「弁(わきま)へ」の「弁」の字は下部が複雑な異様な字形であるが、似たような字を見出せなかったので、この通用字で代えた。最後の署名の位置は実際には前二行の下方中央から二行目下にかけてで、最後に大きな落款が打たれてある(字は私には判読出来ない)。私が底本とした巻首全文の画像(「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」のそれ()をリンクさせておく。

「やつがり」「僕(やつがれ)」に同じ一人称人代名詞。「奴(やつこ)」たる「吾(あれ)」の音変化とされる。古くは「やつかれ」と清音(底本でも「が」は濁音)。自分を遜(へりくだ)っていう語。上代・中古では男女を通じて用いたが、近世以降は男性がやや改まった場で用いるに限られた。

「剞劂氏(きけつし)」元は板木を彫る人、板木師のこと。ここは板行する板元(具体的には巻末に出た大坂心斎橋の書林河内屋宇兵衛を指す。

「怪力亂神を語るは、聖(ひじり)の文(ふみ)の誡(いまし)め」「論語」の「述而篇」の「子不語怪力亂神」(子、怪力亂神(かいりきらんしん)を語らず)の孔子の言を指す。「怪」は「尋常でない事例」を、「力」は「粗野な力の強さを専ら問題とする話」を、「乱」は「道理に背いて社会を乱すような言動」を、「神」は「神妙不可思議・超自然的な、人知では解明出来ず、理性を以ってしても、説明不能の現象や事物」を指す。孔子は仁に満ちた真の君子というものは怪奇談を口にはしない、口にすべきではない、と諭すのである。しかし、この言葉は、実は逆に古代から中国人が怪奇現象をすこぶる好む強い嗜好を持っていたことの裏返しの表現であることに気づかねばならぬ。

 以下、各巻冒頭に配された目次を一挙に示す。目録各項は底本では二字下げ「○」で始まっており、話数と表題の間は有意に空いている(上記のリンクの左頁を参照)が、ブラウザの不具合を考えて、引き上げた。但し、読みは既に本文で出してあるので、一部、難読と判断したものを除いて省略した。歴史的仮名遣に反する表記も総てママである。]

 

太平百物語卷之一目錄        前編

○一   松岡同雪狐にばかされし事

○二   馬士八九郞狐におどされし事

○三   眞田山のきつね伏見へ登りし事

○四   冨次郞娘蛇見入れし事

○五   春德坊きつねに化されし事

○六   愚全坊化者の難を遁れし事

○七   天狗すまふをとりし事

○八   調介姿繪の女に契りし事

○九   經文の功力にて化者の難遁れし事

 

太平百物語卷之二目錄        前編

○十   千々古といふばけ物の事

○十一  緖方勝次郞獺を射留し事

○十二  小僧天狗につかまれし事

○十三  或僧愛宕山にて天狗と問答の事

○十四  十作ゆうれひに賴まれし事

○十五  吉田吉郞ばけ物を切し事

○十六  玉木蔭右衞門鎌倉にて難に逢ひし事

○十七  榮六娘を殺して出家せし事

○十八  小栗栖のばけものゝ事

○十九  狐人たがへして憑きし事

○二十  本行院の猫女にばけし事

○二十一 孫兵衞が妾(しやう/てかけ)蛇になりし事

 

太平百物語卷三目錄         前編

○二十弐 きつね仇をむくひし事

○二十三 大森邪神往來の人を惱す事

○二十四 くらがり峠三つの火の魂の事

○二十五 惡次郞天狗の栖に至る事

○二十六 高木齋宮相摸にて難に逢ひし事

○二十七 紀伊の國隱家の事

○二十八 肥前の國にて龜天上せし事

○二十九 和田八熊を殺して發心せし事

○三十  小吉妻のゆうれひと物語する事

 

太平百物語卷之四日錄        前編

○三十一 女の執心恨を永く報ひし事

○三十二 松浦庄太夫猫またと問答の事

○三十三 孫六陰蜘(ぢやらうぐも)にたぶらかされし事

○三十四 作十郞狼に逢ひし事

○三十五 三郞兵衞妻の幽㚑の事

○三十六 百(ど)々茂左衞門ろくろ首に逢ひし事

○三十七 狐念仏に邪魔をなせし事

○三十八 藥種屋長兵衞金子をひろひし事

 

太平古物語卷之五目錄        前編

○三十九 主部(とのべ)筆太化物に宿かりし事

○四十  讃岐の國騎馬のばけ物の事

○四十一 力士の精(せい)盗人を追退けし事

○四十二 西の京陰魔羅鬼(おんもらき)の事

○四十三 能登の國化者やしきの事

四十四 或侍猫またを切し事

四十五 刑部屋敷ばけ物の事

四十六 獺人とすまふを取し事

四十七 松田五市たぬきを切し事

四十八 紺屋のばけ物の事

四十九 天狗祟りをなせし事

五十  百物語をして立身せし事

 

 以上前編終(おはり)後編跡より出(いだ)し申

 

[やぶちゃん注:最後に以上の予告があるが、遂に後編は未刊であった。最終の「五十」に「百物語をして立身せし事」を持ってきていることと、その内容が、本「太平百物語」全体の半公式的な本百物語の所縁をシチュエーションとして確信犯で「キリ」として語っている点から見ても、筆者は実際には後編を出す意志は実際にはなかったのではないかと私は推察する。

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