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2019/05/07

太平百物語卷三 廿四 闇峠三つの火の魂の事

Kurayamitouge


 

   ○廿四 闇(くらがり)峠三つの火の魂(たま)の事

 越中の國冨山に源八といふ者ありし。年比(としごろ)、諸國へ丸藥を賣(うり)に廻(まは)りしが、一年(ひとゝせ)、「大和路に行く」とて、折しも五月中旬(さつきなかば)、いとあつかりしが、くらがり峠にかゝりければ、日は、はや、暮(くれ)ける。

 源八、おもふやう、

『われ壱人、夜(よ)に入りて行(ゆか)ん事、用心もいかゞなれば、上なる驛舍(はたごや)に一宿せん。』

とて、道を急ぎけるが、此峠は日中にても、ほの闇(ぐら)きに、まして、黃昏(たそがれ)に過ぎければ、物のあやめも、さだかならず。

 弥(いよいよ)心ぼそく、たどり行所に、向ふの方(かた)より、鞠(まり)の大きさ成(なる)火の玉、壱つ、まろび來(き)しほどに、源八は、いとおそろしくおもひ、

『いかゞせん。』

と身をもだへけれ共、すべき樣なく、傍(かたはら)に身をちゞめて居けるが、間もなく、源八がそば近くへ、こけきたり、忽ち、弐つにわれて、消(きへ[やぶちゃん注:ママ。])し、と、おもへば、俄に、女の泣(なき)さけぶ聲して、何(いづ)く共(とも)なく、顯はれ出(いで)たり。

 あとより來(きた)る二つの火の玉、同じくわれて、消ゆる、と、おもへば、二人の男、こつぜんとしてあらはれたりしが、此女を互に奪ひとらんと爭ひ、兩手を左右へ引合(ひきあふ)ほどに、此女、いと苦しく堪(たへ)がたき有樣にて、一聲(ひとこゑ)さけびて、息たへたり。

 二人の男は、互に刀ぬきそばめ、暫く戰ふとぞ見へし。

 終に、兩方、さしちがへて、彼(かの)女の上に、倒れ死す。

 源八、始終を見るに、肝たましゐも身にそはず、足をばかりに、一さんに迯(にげ)のび、やうやう、とある家にかけつき、表(おもて)を、あらけなく叩きければ、

「何事やらん。」

と亭主(あるじ)かけ出(いで)見れば、源八は、戶口にたふれ、絕入(ぜつじゆ)しゐたり。

 亭主、やうやう呼びいけ、其ゆへ[やぶちゃん注:ママ。]を尋(たづぬ)れば、源八、額の汗おし拭(ぬぐ)ひ、胸おしさすりて、ありし次第を委(くはし)くかたれば、亭主は手を打(うち)、

「されば候。ちかき比(ころ)、何某(なにがし)がむすめの、みめよかりしを、二人の男、戀こがれ、

『妻にせん。』

とて互に心を盡し爭ひけるが、此女も二人の男のこゝろざし、いづれ、切なる事なれば、なびかん事も片糸(かたいと)の、心みだれて詮方(せんかた)なく、

『よしや。今は是迄。』

とおもひつめ、書置(かきおき)こまごま認(したゝ)め、終に、渕(ふち)に身を沉(しづ)め果(はて)たりしが、二人の男、此よしを聞(きゝ)、

『此上は世にながらへて何かせん。』

と、互に差(さし)ちがへて、失(うせ)ける。其執心、中有(ちうう[やぶちゃん注:ママ。])に迷ふて、此峠の麓に、每夜每夜、出づると、頃日(このごろ)、專ら、沙汰しけるに、正(まさ)しく、今宵、逢玉(あひたま)ひける、ふしぎさよ。」

と語れば、源八、哀(あはれ)を催し、

「誠に切なるおもひかな。いざや、此人々の妄執をはらさん爲、吊(とぶら)ひをなさばや。」

とて、亭(あるじ)[やぶちゃん注:ママ。]とともに、通夜(よもすがら)、仏前にむかひつゝ、

「南無幽㚑成等正覚出離生死頓證菩提(なむゆうれいじやうとうしやうがくしゆつりしやうじぼだい)。」

と囘向(ゑかう)し、夜明(よあけ)て、南都の方(かた)に赴きける、となり。

[やぶちゃん注:所謂、「菟原処女(うないおとめ)」を確信犯で下敷きとした哀切なる怪談である。「菟原処女」は「妻争い伝承」の主人公で、求婚した二人の男たちも後を追って死ぬ悲譚として知られる。彼女は摂津菟原(うはら)郡(現在の兵庫県の六甲山南麓)に住んでいた美少女で、菟原壮士(うないおとこ)と血沼壮士(ちぬのおとこ)の二人から求婚されて悩み、遂に生田川に身を投げて死に、二人の男もその後を追った。「万葉集」で高橋虫麻呂や大伴家持らに詠われ、「大和物語」や謡曲「求塚」、森鷗外の「生田川」の題材ともなった(ここの解説は講談社「日本人名大辞典」に拠った)。ここでは特に、最初の女の火の玉が二つに割れるシーンが、生前の彼女の煩悶を映像的に象徴的処理となっており、非常に優れた演出効果をあげている点に着目すべきであろう。男たちの火の玉が割れるのも、男たちの出現のプレ演出なのではなく、二つに引き裂かれた女の魂へそれぞれの半分が執心として飛び、相互に戦う男の修羅の執心の半分がぶつかり合うという、多層的な構成と私は読む。挿絵も小さな中で、本文では示されない樹上に逃げた源八を描いて、パースペクティヴを出しつつ、女の亡霊と火の玉四つを添えて、小さなフレームの中乍ら、よく描けていると思う。

「闇(くらがり)峠」(実は原典では本文を含めて「峠」に「とうげ」とルビを振っている。歴史的仮名遣は「たうげ」が正しいので読みをカットした)今の「暗峠(くらがりとうげ)」。奈良県生駒市西畑町と大阪府東大阪市東豊浦町との境にある峠(グーグル・マップ・データ)。標高四百五十五メートル。ウィキの「暗峠」によれば、この不吉に響いて、ここでのロケーションとしては最適の名称「くらがり」の『起源は、樹木が鬱蒼と覆い繁り、昼間も暗い山越えの道であったことに由来している。 また、「鞍借り」、「鞍換へ」あるいは「椋ケ嶺峠」といったものが訛って「暗がり」となったとする異説もある。上方落語の枕では、「あまりに険しいので馬の鞍がひっくり返ることから、鞍返り峠と言われるようになった」と語られている』とあり、また、『峠の頂上には小さな集落があり、茶店もあ』って、『この付近の路面は江戸時代に郡山藩により敷設された石畳となっている。この』現在も五十メートルほど設置されて『ある』(今は『コンクリート舗装』)『石畳は、暗峠が急坂であることから、参勤交代で殿様が乗った籠が滑らないようにするために敷かれたもので』、『国道に指定されている道で』、『石畳状の路面を呈するものは、国内で唯一この暗峠のみである』とある。さらに、『江戸時代に暗峠の村に大和郡山藩の本陣が置かれ、参勤交代路になって』おり、『同時代に刊行された』「河内名所図会」には、『「世に暗峠という者非ならん……(中略)……生駒の山脈続て小椋山という。故尓椋ケ根の名あり、一説尓は此山乃松杉大ひ尓繁茂し、暗かりぬればかく名付くともいう。」と記されている。また、「大阪より大和及び伊勢参宮道となり、峠村には茶屋旅舎多し」とも記されており、江戸時代後期は庶民の伊勢参宮道となり、旅籠や茶屋が立ち並び賑わっていた』とあるので、源八の「上なる驛舍(はたごや)に一宿せん」という謂いは氷解する。ここで彼は「くらがり峠」を登り切って、その峠にある公的に認められた宿屋で一泊しよう、と考えたのである。

「こけきたり」「轉(こ)け來たり」で、「転がってきて」の意。「こけ」は「轉(こ)く」(自動詞・カ行下二段活用)の連用形。

「足をばかりに」原典も「江戸文庫」版も「徳川文芸類聚」版も総て「足をはかりに」であるが、濁音化した。限定で「ただひたすらに足を動かすことばかりを頼りとして」の意であるからである。

「あらけなく」「なし」は「無し」ではなく、形容詞・形容動詞の語幹などの性質・状態を表す語に付いて複合形容詞を作り、その意味を強調するもので、「甚だしい」の意の接尾語である。則ち、「ひどく荒々しく、乱暴に」の意。

「絕入(ぜつじゆ)」失神。

「呼びいけ」「呼び生け」で、蘇生させ、正気にに戻させ、の意。

「片糸(かたいと)の」枕詞で多様な語にかかるが、片糸は縒(よ)り合わせるてこそ強靭な糸となるが、それだけでは切れやすいことから、縁語的に「絶ゆ」や「乱る」にかかり、ここは後者である。彼女選択が双方の男との糸(結びつき)を「絶つ」ことになるのとも美事に縁語的に響き合っており、この語彙を選んだ作者の力量が窺える部分でもあると言えよう。

「中有(ちうう)」(歴史的仮名遣は「ちゆうう」でよい)仏語。衆生が死んでから次の縁を得るまでの間。「四有(しう)」の一つ。通常は輪廻に於いて、無限に生死を繰り返す生存の状態を四つに分け、衆生の生を受ける瞬間を「生有(しょうう)」、死の刹那を「死有(しう)」、「生有」と「死有」の生まれてから死ぬまでの身を「本有(ほんう)」とする。「中有(ちゅうう)」は「中陰」とも呼ぶ。ここでの三人の魂は、その煩悶や執心によって次の縁を得られずに、幽体となって現世の時空を彷徨っており、それは最も救い難い最悪の「中有」の状態にあると言えるのである。

 

に迷ふて、此峠の麓に、每夜每夜、出づると、頃日(このごろ)、專ら、沙汰しけるに、正(まさ)しく、今宵、逢玉(あひたま)ひける、ふしぎさよ。」

と語れば、源八、哀(あはれ)を催し、

「誠に切なるおもひかな。いざや、此人々の妄執をはらさん爲、吊(とぶら)ひをなさばや。」

とて、亭(あるじ)とともに、通夜(よもすがら)、仏前にむかひつゝ、

「南無幽㚑成等正覚出離生死頓證菩提(なむゆうれいじやうとうしやうがくしゆつりしやうじぼだい)」「南無幽㚑」(南無幽靈)は、正法(しょうぼう)への導きをするための幽霊への呼びかけ。「成等正覚出離生死頓證菩提」(成等正覺出離生死頓證菩提)は、本来は、修行者である菩薩が正しい修行を経、その結果として、輪廻転生の愚かな生死の無限ループの束縛から離脱し、解き放たれて(「出離生死(しゅつりしょうじ)」)、速やかに解脱・悟達し(「頓證(とんしょう)」)、一切平等で正しい悟りを完成すること(この階梯全体が「成等正覺(じょうとうしょうがく)」)、即ち、真の仏の悟りを開くこと、成仏すること(「菩提」)を指す。ここもそれと同じことを亡霊に諭しているのである。この回向文(えこうもん)は、私は謡曲「通小町(かよいこまち)」で全く同じそれを知っている。小原隆夫氏のサイト内の「通小町」の詞章を見られたい。]

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