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2019/05/26

夏の海 すゞしろのや(伊良子清白)

 

夏 の 海

 

四里あまりある島村に、

舟を僦ひて渡り行く、

七月なかばの海の色、

藍の油にさもにたり。

[やぶちゃん注:「僦ひて」「僦」は「借りる」の意で、「雇(やと)う」の意でよく用いられ、ここも「やとひて」と読む。]

 

暑さを飛ばすまぜ風に、

席帆張りて舟子等が、

赤裸なるたくましさ、

櫓のかけ聲もおもしろく。

[やぶちゃん注:「まぜ風」南方から吹き来たる南風。「はえ」「まぜ」「ぱいかじ」などとも呼ぶ。但し。漁師たちはこれを天候変化の前兆として警戒する。

「席帆」「むしろほ」。]

 

こゝらあたりは荒磯の、

つんざきやぶる白濤に、

いはは抉られ削られて、

あやふやすがる松一木。

 

屛風のごとき絕壁の、

下は百千の貝殼に閉ぢ、

暴風の夜每に落ちくだけ、

碎けつもれる山の石。

[やぶちゃん注:「百千」「ももち」。

「貝殼」「かひ」或いは「から」であるが、断然、前者。

「暴風」「かぜ」と読んでおく。]

 

上は葛虆の垂れさがり、

かつておほなみのぼりけむ、

ところどころに獸の、

爪もてかきしごときあり。

[やぶちゃん注:「葛虆」音「カツルイ」で蔓草の総称である両字ともに「蔦葛(つたかずら)」のことであるから、ここは二字で「かづら」と読んでおく。]

 

かゝる磯にもいさり夫が、

魚見るためにしつらへし、

杉の板屋の板廂、

雨風いかにつらからん。

 

一里あまりも行くほどに、

靑松續く白濱に、

畫くが如き海士の家、

鷗もうかび人もよぶ。

 

四月なりけむこの浦の、

いそもの狩にまねかれて、

一夜いねたる村長の、

宿さへ近くめに見ゆる。

 

丘のいたゞき濱寺の、

庫裡の白壁日はさして、

松にかゝれる凌霄の、

蘿も花も搖ぎつゝ。

[やぶちゃん注:「凌霄」「りようせう(りょうしょう)」で落葉性の蔓性木本のシソ目ノウゼンカズラ(凌霄花)科タチノウゼン連ノウゼンカズラ属ノウゼンカズラ Campsis grandiflora のこと。夏から秋にかけて、橙色又は赤色の大きな美しい花をつけ、気根を出して、樹木や壁などの他物に付着して蔓を伸ばす。

「蘿」は「かづら」と呼んでおよう。]

 

丘の下には鰹つる、

彩舟あまたひきあげて、

船板穿つ大工らの、

鑿の音こそきこえたれ。

 

こゝをすぐればこの海の、

名にきこえたる難所にて、

今日はことさらしづけきも、

なほいさゝかのうねりあり。

 

潮の色は黑靑く、

沫をつくりて流れくる、

早瀨に舟をのせたれば、

さながら飛ぶがごとくにて。

 

しほに曲げられ矯められて、

かしら得あげぬ木々の幹、

石に抱かれ岩に匍ひ、

鳥の塒もなかるらむ。

 

陸のなごりかわだ底に、

うねくつゞく暗礁、

あはれ膽ある船長の、

しづめしふねもいく艘ぞ。

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「陸」は「くが」と読みたい。]

 

おもへばなみもなみの音も、

祀らぬ鬼が水底に、

あるゝならずやその聲の、

さけびならずや舟人よ。

 

岬の鼻をうちめぐり、

わが島村にきて見れば、

浪は綠に山うつる、

夏の夕べのしづけさよ。

 

からりころりと櫓の音の、

水にひゞきて行くあとは、

一すぢのこる舟のあと、

入日のさすも花やかに。

 

澄みわたりたる夕汐の、

玉も拾はむそこ淸み、

いく群となきうろくづの、

舟を掠めてとくすぐる。

 

沖にむらむら雲湧きて、

やうやうせまる暮の色、

水に臨めるみ社の、

華表の奧に灯もともる。

[やぶちゃん注:「華表」「くわへう(かひょう)」で、ここは神社の鳥居を指す。「とりゐ」と読んでもいいが、だったら、「華表」と漢字表記してルビも振らぬのは、あざと過ぎる。]

 

松疎らなる岩山に、

折しも白く瀧見えて、

半ばのぼれる峯の月、

舟をさすこそうれしけれ。

 

[やぶちゃん注:明治三〇(一八九七)年十二月発行の『文庫』掲載。署名は「すゞしろのや」。本篇が底本の明治三十年の最後の詩篇である。個人的には好きな詩であるものの、ルビが一切ないのは確信犯であろうが、異様に、気になる。定型音律を用いている以上、孤高にして佶屈聱牙の詩人ならいざ知らず、素直に多くの民衆に読めることを心掛ける詩人たるべき彼にして、不親切、否、独善的な感じさえする。今の若い読者はそこら中で躓くぞ! 清白! だから敢えて無粋に注を挿入したんだ! なお、底本全集年譜によれば、前の「南海の潮音」(同年七月発表)との間の八月八日頃に、『靑年文』や『文庫』を介して文通のみの関係にあった、新進の新体詩人として頭角を現わしつつあった詩人・歌人の島木赤彦(明治九(一八七六)年~大正一五(一九二六)年:伊良子清白より一つ年上。当時は長野尋常師範学校最終学年で、翌年、北安曇郡池田会染尋常高等小学校の訓導となった。当時のペン・ネームは「塚原伏龍」「久保田山百合」。なお、彼が『アララギ』派の代表歌人となるのは明治四二(一九〇九)年以降)の訪問を受けている。]

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